31 相見える光と闇
相見える光と闇(1)――第三勢力
「どうやらモンスターたちは、あちらに行ってしまったようですね」
地面の上に姿勢を正して座り、目を閉じていたロカセナは、老人の声が耳に入ると目を開いた。集中力が途切れたロカセナは、若干不機嫌そうな表情を彼に向ける。
「貴方一人でこちらに戻ってきたということは、鍵の奪取や騎士たちの足止めには失敗したのですか?」
「そうなりますね。すみません、私の力が足りないばかりに」
「それともう一つ。ここにヘラやガルザがいないということは、二人は倒されたと解釈していいのですか?」
「残念ながら。二人とも実力はあるのですが、相手側の方は頭が回りましてね。手を出す時間もなく、捕えられてしまいましたよ」
さも残念そうに肩をすくめている。あまりにも白々しい行動だった。ロカセナは視線を逸らし、前方に顔を向ける。斜め上には以前出現させた扉があり、下は大地が大きく抉れていた。
本来ならば扉の真下で準備を進めたかったが、現在そこには大量のモンスターが溢れているため、迂闊に近づけなかった。頃合いを見て移動し、モンスターを一掃することになるだろう。
ロカセナの周りには、正面から時計回りに水、風、火、土の魔宝珠の欠片が四方に置いてあった。置いた直後は何も変化はなかったが、精神を集中して祈りを送ったかいもあり、薄く色付いている。
リディスを連れてくると意気込んだヘラとガルザと別れた後、ロカセナはニルーフとゼオドアに周囲の警戒を頼んで、扉を開ける準備をしていた。
その途中、ゼオドアが二人の加勢に行くと言って、その場から離れていた。身を持ってゼオドアの力を体験しているロカセナにとっては、彼が加勢に行くことに大きな期待を抱いていた。
だが一人で戻ってきた。それを意味するのは、どういうことだろうか。
リディスやミディスラシールたちが、より強い力を持って同志たちを制したのか。
しかし、ゼオドアは怪我を負ってない。その様子から激しい戦いになった結果、引き下がったとは考えにくかった。ならば考えられるのは、適当なところで引き上げたということだ。
つまりヘラやガルザの戦闘にたいして加勢せず、最終的には見捨てたのである。
ロカセナは横目でゼオドアの表情を盗み見た。今、彼は何を考えているのだろう。
加勢する気がないなら、この場に留まって欲しかったのが本音だ。
モンスターが発生する場所からもっとも近くにいる人間として、ロカセナたちは度々襲撃されている。その度にニルーフは召喚したニーズホッグを操り、攻撃を弾き返していた。
さらに知能を持った人型の強力なモンスターさえも現れた。その時はロカセナも剣を握らざるを得ない状況になり、二人で力を合わせて何とか還していた。
今では多数の戦闘を繰り返したニルーフは疲れきっており、座り込んでニーズホッグに背中を預けていた。彼がこの状態では、僅かな時間でもラグナレクと対峙したときに非常に心許ない。
樹を戻すのと同時に、ラグナレクも出現するのは絶対条件だ。その出現時間をいかに短くして封印するか、そしてその僅かな時間をどう耐え抜くかが重要である。
ロカセナがリディスだけでなく、フリートやミディスラシールたちがこの地に来てもいいと思っていた理由として、時間稼ぎができる人材が欲しかったのもあった。
ヘラやガルザなど、同志たちで耐えるのが理想だったが、おそらくこのままでは間接的にフリートたちの力を借りなければならないだろう。
(もしかしてそれを狙っているのか ?)
ミディスラシールの精霊召喚の能力は非常に高く、強敵と相手をするならば喉から手が出るくらい欲しい戦力だ。他にも素晴らしい能力を持った人間が多くいた。
ヘラとガルザをあえて見捨てることで、フリートたちをここに来させる。つまり彼女たちにこちら側の意図を教えずに、ここへ導く気なのかもしれない。
どのような理由があれ、ゼオドアは目的をきっちり果たす男だ。扉を開ける気はあるだろう。
疑念をいくつも抱きつつも、ロカセナは目を再度閉じて、集中し始めた。瞑った瞬間によぎったのは黒髪の青年と金髪の娘たち。
彼らとの思い出を意図的に封じ込め、感情を押し殺して事を為す。
それが最良の選択。犠牲が少ないと思われる、予言通りの結末。
姫たちが他の方法を考えて来るかもしれないが、ロカセナが考えている以上にいい方法はないだろう。
* * *
「おいおい、何かの間違いだろ」
トルが口をぱくぱくとしながら、ウォーハンマーを握りしめていた。足下が震えているのは、周りから発せられる殺気のせいだ。
フリートとリディスを中心として、二本足で立っている漆黒色のモンスターが五体現れた。顔と思われる部分は黒い兜で覆われているため、こちらから表情を確認することはできない。何をするかも不明確なため、とりあえずじっと動向を見守る。
するとある一体が前に出て、首を動かして周囲の様子を見渡し始めた。リディスに照準を合わせると、低い声を発した。
「お前、アトリが言っていた鍵だな。代わりに俺たちが殺す」
一斉にモンスターたちはリディスに向かって、右腕を伸ばした。
フリートはリディスをかばうように、スピアを持った彼女を背中へ追いやる。その後ろには、リディスに背を向けたルーズニルとトルがそれぞれの武器を持って、モンスターを睨み付けていた。
フリートの額から汗が流れ、首を伝って地面に落ちる。
勝負は一瞬だ。相手の出方が予想できないなら、全力で攻撃を防いだ後に即座に反撃をするしかない。
流れる汗が再度地面に落ちようとすると、モンスターたちの殺気がさらに高まった。
攻撃がくると思った矢先、フリートたちは球状の小さな結界に包まれた。
僅かに遅れて、激しい轟音が耳に飛び込んでくる。思わず左手で耳を押さえた。
視線を前に向けると、鋭く尖った膨大な針のようなものが、結界によって跳ね返されていた。モンスターの手から百に近い針状のものが、リディスの命を奪うために伸ばされていたのだ。これは剣のみではまともに防御ができなかっただろう。
攻撃が遮られたモンスターたちは、手を元に戻す。その間にカルロットやセリオーヌなどの騎士たち、そしてミディスラシールが、モンスターの後ろに移動して武器を握りしめた。
「面白れえ相手が現れたもんだな。嬉しいぜ」
「無駄口を叩いていないで還して下さい。隊長は少なくとも二体は倒して下さいね」
「――三体だ」
宣言すると、カルロットから発する雰囲気が粗ぶったものから、鋭い糸のようなものに変化していった。彼の神経が研ぎ済まされていく。
フリートは隊長の雰囲気に飲み込まれそうになるが、左手を力強く握りしめることで我を保とうとした。リディスに至っては耐え切れず、フリートに体を預けている。
「フリート、カルロット隊長は……」
「あれが本気を出した隊長の姿だ。頼りになるぞ、ものすごく」
モンスターが再度フリートたちに攻撃を繰り出す前に、カルロットはある一体の後ろまで動き、気合いを入れた声と共にクレイモアを振った。避けようとしていたモンスターの上半身と下半身がぱっくり分かれて還っていく。
仲間が還された他のモンスターたちは、警戒対象をカルロットに変え、指から出された黒い尖った針のようなもので四方から一斉に攻撃を仕掛けた。結界を張る時間もなく、一瞬で黒い針はカルロットの全身を見えなくなるほど覆った。
目を見張っているフリートの後ろで、リディスが手を口元に当てて小さな悲鳴をあげる。
しかし次の瞬間、黒い物体は上下に割られた。その中から、口元を大きくにやけさせているカルロットが無傷の状態で現れる。
「悪くはねえが、もう少し速くしな」
目で追うのに困難な速さで移動したカルロットの手によって、一体のモンスターの首が飛ぶ。
その隙にセリオーヌとスキールニルも、カルロットに気が向いているモンスターたちを手際よく還した。
あっという間にモンスターの数は言葉を発した一体だけになる。
そのモンスターは自分たちが相手にしているのは、非常に危険な人間だと悟ったのか、後ずさりながら距離を置いた後に、逃げるようにして飛び上がった。
その途端、激しい音と共に砂埃が発生する。砂埃がやむと、そこには体が左右に分かれたモンスターが転がっていた。
まもなくしてそれは黒い霧となって還っていく。その脇でカルロットが舌打ちをしながら眺めていた。
「つまらねえ。思ったよりも強くなかったな。思考が単純過ぎる。まだ自由に考えて動くっていうのは無理みたいだな。俺がより高く飛んだのに対処できてねえ」
どうやらモンスターが飛び上がったのと同時に、カルロットはさらに高く飛び上がり、相手を斬りつつ叩き落としたようだ。クレイモアから僅かに
やがて黒い霧は消え去り、辺りは静寂に包まれた。
奇襲をかわし、見事撃退されて気が抜けたのか、リディスは思わずよろけ、フリートの背中に顔を当てる。ちらりと見ると、彼女は頬を赤らめながら俯いていた。
「ごめん」
「俺は大丈夫だ」
「……ねえ、さっきの結界、もしかしてミディスラシール姫?」
リディスはスキールニルが傍に寄っている娘を見る。彼女と視線が合うと、軽く左手を上げて、手を振られた。
微笑んでいる様子を見てリディスも表情を緩ませたが、フリートは安心してバスタードソードを鞘には納められなかった。ミディスラシールの握りしめられた右手から、血が見え隠れしていたからだ。
おそらく結界の威力を増強するために、自らの血を捧げたのだろう。血を触媒にするのは身体に負担がかかるため、推奨される行為ではない。
だが、そうでもしなければ、フリートたちの体は今頃蜂の巣状態になっていただろう。多くの人を守るための機転の利かせ方としては、最善の選択だったかもしれない。
有難く思いつつも、フリートの眉間に寄ったしわが緩むことはなかった。
セリオーヌがミディスラシールの後ろに回り込み、怪我した彼女の右手をさり気なく止血をし、包帯を巻く。それを終えると、ミディスラシールは手袋をはめて、何事もなかったかのようにフリートやリディスたちに近寄ってきた。
「無事で良かったわ。……そちらは二人とも戦闘できない状態ね」
ガルザは意識を失い、両手両足の動きを縄によって封じられていた。トルが用心のために脇でウォーハンマーを持って立っている。そして魔宝珠を奪われ、全身を震わせているヘラの両手を後ろ手にして、メリッグはきつく縄で縛っていた。黒髪の女性は忌々しげに地面に向けて言葉を吐き捨てる。
「ゼオドアは私たちを見捨てた……!」
呟かれた言葉を否定することはできなかった。ミディスラシールたちと対峙していたゼオドアは、人型のモンスターが現れた時には既にこの場から去っていたのだ。
モンスターたちの殺気を感じて去ったのだろうか――。いや、精霊に愛されているミディスラシールでさえ直前まで気づかなかったのだから、その可能性は低い。人間よりも精霊の方が気配には敏感である。精霊の加護が彼女より劣っているゼオドアが、先に気づくとは考えにくい。
ならば、知力を持ったモンスターの意識を、意図的にこちら側に向けさせるよう仕組んだか。
ミディスラシールのように非常に強力な召喚をすれば、モンスターはその力を持った相手を危険視し、排除しに来る。ゼオドアの召喚能力も相当レベルは高く、彼が大量に召喚すれば、その気配を察して来る可能性がおおいにあった。それを狙ったゼオドアが召喚した後に、戦闘を離脱するのはあり得る話だった。
「……見捨てたかどうかは、直接会って聞いたらどう?」
メリッグはヘラにそっと囁く。それを聞いたトルは、ヘラを指で突き刺した。
「おい、ちょっと待てよ。つまりこいつを連れて行くってことか? お前を殺そうとした奴だぞ!? そんな奴が傍にいたら……」
メリッグはヘラに立ち上がるよう促してから、トルの言葉を返す。
「そうね。けど同時に今、目を離してはおけない存在なのよ。それとできれば能力がある人間は連れて行きたい。……そうお考えよね、お姫様」
騎士の一人が馬を一頭引いてくると、その上にガルザを馬に被さるかのように乗せた。それを指示したミディスラシールは、メリッグの横に進み出ると軽く頷く。
「その通りです。もしここに二人を置いていったら、モンスターたちの餌食になる可能性も高いですから……」
葉や枝が音を立てて揺れる。背筋が凍るような寒気がした。早々にこの場から退かなければ、また同じような戦闘が繰り返される。
メリッグはヘラを縛っている縄を騎士の一人に手渡すと、歩きだしたミディスラシールの後を追い始めた。トルは不満そうにヘラを見つつも、メリッグの斜め後ろについていった。
段々と森は険しくなっていく。馬を引きながら一同は奥へ進んでいった。
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