暗黒世界への誘い(2)
* * *
「皆さん、面白い情報が入ってきましたよ」
白い髭を生やした老人は簡素な小屋に入りながら、中にいた男女や子どもに声を投げかける。
愛用のシミターを磨いている青年や難しそうな本を読んでいる女性、ソファーの上で寝転がっている少年が老人に対して胡乱げな目を向けた。別室にいた銀髪の青年は古びた本を抱えて出てきた。
「今後の動きに影響を与えそうな情報でも得たのですか?」
「そうです、ロカセナ。良くも悪くも影響があることですよ」
その言葉を聞いて、ロカセナは目を細めた。ゼオドアが仕入れてくる情報は自分たちに都合のいいものばかりであったため、悪い影響を与えるものについては逆に興味が湧く。
ロカセナが机の周りにある椅子に腰をかけると、ゼオドアも普段座っている椅子に腰を下ろした。
「ラグ――いえ、例のモンスターがいよいよ動き出したらしいです」
言葉を濁したのは、相手の追尾から逃れるためだ。
声を発すれば、それは言霊となって各地に伝わっていく。それを相手側に気づかれれば、ロカセナたちにとっても非常に厄介な状況に陥る。
それについて予め教えられていた一同は、少年二ルーフや学がないガルザでも問い返そうとはしなかった。代わりに小屋の中は張りつめた空気となる。
「ゼオドア、話が簡潔し過ぎていて、状況がよく見えないのですが」
「おお、そうでしたね、失礼しました。順を追って説明しましょう。まず本日の夕方頃、非常に強いモンスターの気配を察知しまして、気になってその現場に行ってみました。そしたら鍵たちとそのモンスターが戦闘状態になっていました」
ロカセナは黙り込み、表情を変えないまま続きを待つ。
ゼオドアとしては反応して欲しかったのか、何も顔色を変えない様子を見て肩をすくめていた。
「結果としては鍵たちがすべて還しましたよ。しかし無傷とは言えず、負傷者を出したらしいです」
「あの馬鹿な剣士がまた怪我をしたのか?」
ガルザがにやりと笑って口を開く。ゼオドアは首を軽く横に振った。
「違うようです。入り口に結界が張ってあったため直接目で見ていませんが、聞こえてきた内容から判断すると、その地にいる長が重傷を負ったらしいです。かなりの能力の持ち主でしたが、その怪我によって今後鍵たちへの加勢が不可能な状態になったようですよ」
ゼオドアの主戦精霊は
難易度が高く、使い方にもいくつか制限が生じるが、ゼオドアはそれを上手く利用して、多くの人の話を盗聴している。陰口すら叩けない相手だった。
「加勢が不可能になったっていうことは、オレたちにとっては引き続き有利な状態だってことだな。……てか、そもそもあいつらどこに行ったんだ? こんな時に城から出たってことだろ?」
ガルザの言葉を受けたゼオドアの視線が、ロカセナへと向けられる。
「――アスガルム領民が集う場所に行ったらしいですよ。そこにいる樹の守り人が負傷したらしいです」
鼓動がどくんと打つ。
久しく聞いていなかったその言葉に反応するかのように、鼓動が次第に激しく打ちつけ始めた。意識を逸らすために、軽く目を伏せる。
「……どこかにそういう集団はいるでしょう。五十年前に消失した領民たちは、世間で広まっている噂ほど多くはない。むしろ身を潜めた人数の方が圧倒的に多い」
レーラズの樹はアスガルム領の中心にあったが、領民の中で近くに訪れる者は、樹の守り人とその人たちを護る人くらいだ。ほとんどの領民が他の領と同じ暮らしをしていた。
土を耕して種を撒き、野菜を育てて収穫をする。また牛や豚を育てて、肉にして食す。時には出稼ぎで他の領に行ったりもしている。つまりどこの領にもある田舎の村と同じ生活をしていたのだ。
一点だけ違う点を挙げるならば、精霊の加護の強さだろう。加護のおかげでよりよい土壌や水、空気や火を得ていたのは否定できない。
「あまり驚かないのですね。会いたいとは思わないのですか?」
「会える立場ではないでしょう。アスガルム領民の立場を利用して、僕はこの場にいます。むしろ追い返される人間ですよ」
争いを生み出し、人を傷つけている。もはやどの集団にも加わることはできない立場になっている。
同志たちとの関係も、共通の目的があるから保っている。それが達成すれば共にいる理由などない。
ゼオドアはロカセナを一瞥した後に、視線を変えて話を続けた。
「さて、その戦闘にてわかったことですが、どうやら例のモンスターたちは、鍵など扉を開閉する関係者を真っ先に殺そうとしているようですよ。実際、その戦闘でも鍵は殺されかけたらしいです」
「つまり第三勢力が鍵を殺しに来る可能性がでてきた、そういうことですね」
さらりとロカセナは話をまとめて、戸惑った表情をした金髪の娘を思い浮かべた。
二つの勢力から狙われることになった娘。
一つは世界を正しい状態に戻すために、その力を利用するロカセナたち。
二つ目はそれを阻止するために、ただ命を奪おうとするラグナレクたち。
どちらも彼女の結末は変わらないが、その後に与える影響はまったく違ってくる。
ロカセナたちとしては事を為す前に、リディスに命を落とされては非常に困る。
「よって例のモンスターの仲間が、鍵を殺すのを防がなければならなくなったのですね」
「話が早くて助かります。城側も必死に還すでしょうが、状況によってはこちらも手を出さなければならないでしょう」
「あっちと手を組むの? それって逆に面倒じゃないかしら?」
椅子の背もたれに手を添えて立っていたヘラは、眉をひそめてゼオドアのことを見ている。彼女にとって最も嫌悪を抱く女性がいる集団と手を組むのは嫌なのだろう。
「早々に鍵を引き渡してもらうか奪うかして、扉を開いて樹をこの地に戻しましょうよ」
「ヘラの意見にはオレも賛成だな。――なあ、ロカセナ、向こう側の顔色や命を気にする必要がどこにある?」
ガルザが腕を組んで、ロカセナのことを見据えてくる。まるで試しているかのような口振りだ。
ロカセナは同志たちに、極力リディスが自分の意志でこちら側に来ることを望む言い方をしている。それは真実を知れば心優しい彼女は進んで来るだろうという考えと、彼女が納得した状態で力を借りた方が、楽に事を進められると思ったからだ。
彼らに言い聞かした時には渋々と承諾してくれたが、今の状況を考えると悠長に構えている余裕などない。
「……時間も時間だ。もはやその必要はない。僕は当日動けないから、あとは君たちで勝手に判断してくれ」
最終的な決断は相手に委ねると、ガルザとヘラは嬉しそうな表情をしていた。
これでリディス以外の者たちの命の保証はなくなった。彼女と同じ血を引くもう一人の娘の姿が脳裏をよぎると、胸が苦しくなる。それを押さえるかのように、軽くその部分を握りしめた。
「そういえばロカセナ、もう一つ気になったことがあるんですよ」
ゼオドアが思い出したかのように口を開き、話に割り込んでくる。助かったと思いながら視線を戻したが、その後に続く発言は嬉しいものではなかった。
「思った以上に早く、例のモンスターの封印は解かれそうです。ノルエール女王の力及ばず、次の満月まで封印がもたないと言いますか」
ロカセナは目を大きく見開いた。状況がまったく掴めていないニルーフは首を傾げている。
「それだと何が悪いの?」
「内側にいるモンスターの手によって扉が勝手に開かれると、無理矢理開いたために扉が壊れてしまう可能性があるのですよ。そのようなことになったら、扉を作って封印しなければならないでしょう。かなり手間がかかることになりそうですよ、ロカセナ」
ロカセナは重々しい表情で頷き返した。
あの扉を作り出せるのは、ある呪文を知っているアスガルム領民の血を引く者のみだ。
おそらく次の満月の日に、樹の跡地に来る者でそれに該当する者はロカセナくらいだと考えている。負傷した守り人が出るとなれば話は変わるが、それ以外のただのアスガルム領民であればその呪文は知らないだろう。
部屋から持ってきた古びた本は、かつてゼオドアがミスガルム領の田舎にある村で厳重に封印されているのを見つけ、ロカセナの血を使って解いた、古代文字で書かれている書物だった。
当時ロカセナは書物の断片を書き写し、本自体はゼオドアに預け、城の自室に籠もって慣れない翻訳作業をしていた。辞書が豊富にある城での作業は思った以上に早く進んだらしく、途中経過を報告する度にゼオドアに驚かれたものだ。
やがて苦労のかいあって、扉の開閉やモンスターを封印する呪文を訳すことができた。その呪文を使うことで、実際に扉をこの地に召喚することができている。
だが、扉を作りだすための呪文は、まだ完璧には訳し切れていない。今から徹夜をしてでも訳し終える必要がありそうだ。
「どうにか扉にはもってほしいものです。第三勢力まで出てきた今、万全な状態で当日を迎えるのが難しい上に、扉が壊されたら人間たちには非常に分が悪いです」
「そうですね。一歩間違えれば、大変なことになりますからね」
ほっほっほっと笑う姿を見て、一瞬不信感を抱く。ゼオドアが本当に目的を遂行してくれるのか疑いそうになってしまった。しかしそれを声にすれば、僅かに保っていた繋がりが切れかねない。
今はとにかく祈るしかなかった。
その夜、四人の寝息が聞こえる中で、ロカセナは椅子に座って書物を開いていた。
ペンで丁寧に書かれたその書物は、後生に残したかった内容がたくさん書かれているようだ。残念ながらすべてを訳している時間はないため、断片的にしかわからなかった。
ふと別室で眠っているニルーフやヘラ、ガルザ、そしてゼオドアのことを思い浮かべる。
共通の目的を達成するために組んだ関係だったので、当初はそこまで思い入れもなかった。
だが、徐々にその考えは変わってくる。
誰かが傷つけばそれなりに心配するし、死んだら動揺せずにはいられないだろう。それは彼らが抱えている過去に触れ、自分と同じように順風満々に生きていないと知り、仲間以上の繋がりを感じたためだと思った。
それぞれの人間に故郷があり、過去がある。しかし不運な事件に巻き込まれ、故郷はなくなり、辛い過去を抱えるようになった。
その立場から見い出した考えが――魔宝樹がないからそのような状況になった、だから樹を元に戻そう、というものだった。
樹がこの地に戻って、何が変わるかははっきりとわからない。
そして彼ら、彼女の気持ちにどのような変化が生まれるかはわからない。
ただ、あわよくば、今この地にいる不幸な人生を歩んでいる他の人々が、少しでもいい状況になってほしいと切に思っていた。
ロカセナは今の環境下のせいで、幸せとは言い難い人生を歩んできた。
たとえば、過去に兄と共に各地を放浪としている時、賊やモンスターに襲われたことが多々あった。親しくしていた人間に情報を流されたことで起こった事件もある。
その際は激しく戸惑い、剣を振るのを躊躇っていたが、兄に敵だと思ったら剣を振れと言われ、それに従って何とか逃げ切っていた。それ以後、戦闘時には感情を抑えて、どのような相手でも剣を振り続けるようになっている。
また、もともとロカセナは精霊の加護を充分に受けていなかったため、結果として精霊召喚はできない体質となっていた。それにより、加護がある者より戦闘時は特に苦戦した覚えがある。その根本的な原因は、樹がこの地ではなく、遠く離れた地にあるからだとも兄は言っていた。
そのように樹が消えたことで苦しい日々を過ごしている者から見て、樹を戻すことで多少なりともよりよい道を歩ける人が増えるのではないか――と思ったのだ。
本音であるが、所詮は綺麗ごとの発言である。他者に手をかけた人間がそんなことを言っても、誰も信じてくれないだろう。
おもむろに書物の最後のページを開く。鮮やかに描かれた大樹の絵がそこにはあった。
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