第8章 魔宝樹への道標

29 暗黒世界への誘い

暗黒世界への誘い(1)

 リディスは秘めている想いを飲み込み、イズナや未来へ通じる者たちの願いを汲み取りながら、ラキに連れられて客間に戻っていた。

 今は共に行動をしていない青年と同じ血を引く銀髪の少年。どことなく親しみがある容姿の理由がわかったリディスは、前を歩いている少年に思わず声をかけていた。

「ねえ、ラキ君」

「何でしょうか」

 話かけると、彼は表情を変えずに振り向いてくる。正面から見ると、幼き頃のロカセナを見ているような錯覚に陥り、思わずどきりとした。

 リディスは立ち止まった後に、柔らかな口調で聞いてみた。

「将来の夢ってある?」

「夢、ですか?」

 突飛な質問をされて怪訝な顔をされる。リディスは微笑みながら頷いた。

「そう。たとえばやりたいこととか。具体的じゃなくていいから、何かあるのかなって」

 ラキはしばらく俯いていたが、やがて答えが出たのか、リディスのことを見上げてきた。薄茶色の瞳が下から向けられる。

「外の世界に出てみたいです」

「……え?」

 予想外の返答に目を丸くする。

「だからここを出て、色々なところに行きたいです。一度だけケルヴィーさんに連れて行ってもらって、他の村に行ったことはありますが、それ以外はないんです。せいぜい近くの農地に行くくらいで。――外の世界ってどんなところですか。大きな船にたくさんの人が乗るって本当ですか? 領ごとに特色があるって本当ですか? 旅をしていると、いつも新しい発見ばかりなんですか!?」

 ラキは目を爛々と輝かせながら質問してきた。どうやらリディスたち、外部の者から話を聞きたかったようである。それにも関わらず黙っていた。

 もしかしたら母親から外部の者と余計な話をしないように、と忠告されたのかもしれない。外部の圧力によって逝ってしまった姉の件があったために。

 ふと、リディスは目の前にいる少年を見て、まるでかつての自分を見ているかのような気がした。


 シュリッセル町から出て、外の世界が見たい。色々な知識を得たい。そしてたくさんの人と出会いたい――。


 それらの目的は達成できた。同時に甘くない現実も知り、ラキを幻滅させるだけの経験もした。

 嫌なことも含めて彼に伝えるべきなのだろうか。綺麗な部分だけを話すべきなのだろうか。

 どちらにしても今は腰を据えて話せる状況ではない。

 リディスはやや目を伏せながら口を開く。

「……外の世界は波瀾万丈よ。楽しい経験もするし、辛い経験もする。平和な世界に閉じこもっていた方がいいかもしれない。それでも出たいの?」

 ラキの瞳は揺るがず、しっかり首を縦に振った。

「それなら――」

 穏やかな表情で、緑色の瞳をゆっくり少年の瞳と合わせた。

「もう少しだけ待っていて。未来を切り開くために樹を戻す、その日まで――」

 口に出すことで、徐々に覚悟が固まってくる。

 樹をこの地に戻さなければ、大樹の恩恵を受けていた人間たちに明るい未来はない。フリートやメリッグなど共に旅をしてきた仲間たち、ミディスラシールやセリオーヌなど自分たちを支えてくれた人たち、そしてこの大地の上にいる多くの人たちの未来が消えてしまうのだ。

「レーラズの樹が戻ってくるんですか?」

 ラキはリディスが発した言葉を聞いて、目を大きく見開いている。そちらの方が衝撃的だったようだ。

 リディスは胸を軽く叩きながら頷いた。

「ええ、必ず戻す。この命に代えても」

 二人で話をしながら歩いていると、前方から紺色の髪の女性が颯爽と歩いてくるのが見えた。

「メリッグさん、どうしたんですか?」

 彼女は目の前まで来ると、両手を腰に当てて溜息を吐いた。

「心配性なお姉さんと彼氏さんが、そわそわした様子を見せていたからよ。イズナさんの話を聞いて、一人でどこかに行ってしまうんじゃないかって思ったんじゃない?」

「子どもじゃないんですから、そんな勝手なことしませんよ。それに誰ですか、彼氏さんって……」

「どこかの奥手騎士に決まっているでしょう。あれだけ親しくしておいて、仲間ですの一言で終わらせるつもりなの? まったく……私よりも彼を寄越したほうがよかったかしら?」

 メリッグが何気なく出した言葉に対し、リディスはすぐに首を横に振った。その様子を見て、メリッグは目をすっと細めてくる。リディスは視線を下に向けて、彼女の顔から逸らした。

「リディス、何かあったの? さっきの戦闘の後、二人で話をしていたわよね」

「……フリートって、どうして私のことをあそこまで考えてくれているのでしょうか。とても有難いですけど、それで彼の身に何かあったら……」

「――大切な人を護るためなら、人は自分自身の犠牲はいとわない。それは多くの人に言えることよ」

 リディスは目を丸くして顔を上げた。彼女は来た方面に体を向け、横顔だけを軽くリディスに向ける。

「恋は盲目とも言えるけれど、その想いを持って進んだ道が間違いだとは、私は決して思わない」

 そう言って、彼女は前に進み出した。リディスは慌てて彼女の横に移動する。

 自分の意見をあまり言わない彼女が出した言葉。ましてや恋の話など、初めて聞くことだ。彼女の深い紫色の瞳には、いったい誰が映っているのだろうか。

 メリッグは唐突に立ち止まり、真正面に向いた状態で口を開いた。

「――ある日少女は青年に恋をした。けれどそれは不幸の始まりだった。そうとも知らずに、他人には見えないところで、二人はお互いを想いあった。しかし思いもよらぬ綻びから、悲劇が訪れる……。これだけ聞けばうつつを抜かしていた男女が、愚かな道を進んでいたために起こった悲劇だと思うでしょう。でもそれだけでなく、二人を止められる人が周りにいなかったのも原因だと……思いたい。――恋は人を狂わせる。死すら甘んじて受け入れる。それは永久不変の真理だと思うわ」

 まるで自分自身に言い聞かせるように、メリッグは言葉を発する。その姿がどこか痛々しくも見えた。

 だが軽く目を伏せた後は、彼女は穏やかな表情をしていた。

「まあ、恋をして狂いまではせずとも、多かれ少なかれ人は周囲から何らかの影響を受けるものよ。周りから刺激や助言を受けたり、心を奪われたり、未来を示されたり……。最終的には自分の意志で己の道を突き進むことになるけれど、それらの影響は計り知れないでしょう」

「そうだと思います……」

 リディスは昔、スレイヤやファヴニールから様々なことを教えてもらい、その後フリートたちから刺激を受けることで、町を飛び出すことになった。他方、先ほどの戦闘の前にイズナは、リディスのための明るい未来を示してくれた。

 それらの言葉や行動を通じて、リディスは自分自身の今を作り上げることができている。

「……実はこの前、大陸の行く末を予言した時、貴女に関連しそうなのを垣間見たわ」

「見えたんですか?」

 以前、ムスヘイム領で予言をした時は、ほとんど見えなかったと言われた。

 メリッグはじっとリディスのことを見つめてくる。

「ある大きな扉に鍵が刺さっていた。空は明るい青空と暗い夜空の半分ずつに分かれていた。扉が開かれそうになったところで、見えなくなったわ」

「扉の前に……」

 リディスは首からかかっている、鍵の形をしたペンダントを軽く握りしめた。それを一瞥したメリッグは髪を手で流しながら、再び歩き出す。

「所詮ただの予言よ。その通りのことが起きる保証はまったくない。現実世界でどのような展開になるかは、貴女の意志と周りの働きかけによると思うわよ。――私は自分の予言が正しいのかどうかを見届ける者。けれどできれば多くの人に幸せになってほしいと願っているわ。人の辛い未来を見るのは嫌だから――。救いがない愚かな道を歩もうとしている人がいたら、私はきっと止めるでしょう。そんな予言、私はしていないと言ってから」

 最後の方の言葉は特に強く発言していた。まるでリディスの胸の内を見透かしたような内容だった。

 前を歩いている彼女の拳は強く握りしめられている。何かしらの想いを押し殺しているかのようであった。



 リディスたちが客間に戻ると、皆が一斉に視線を向けてきた。部屋を出ていく前に感じた、沈んでいる雰囲気はなく、誰もが先のことを見据えている表情をしていた。おおかたミディスラシールから今後のことについて提案があったのだろう。

「リディス、イズナさんの調子はどうだった?」

 ベッドの上で起き上がっているミディスラシールに目をやりつつ、フリートに勧められた椅子に腰をかける。右肩の痛みは引いていたが、溺れた影響で全身の気だるさは抜け切れていないため、その行為は有り難かった。

「お話はできましたので、命に関わるという状態ではなさそうです。ただ、あまり長話はできませんでした。しばらくは絶対安静だと思います」

「加勢をして頂くには、厳しい状況なのね……」

「はい、イズナさん自身も難しいと仰っていました。その代わり、モンスターの強襲に備えて何人か腕利きの者を派遣すると言っていました」

「それは有り難い申し出ね。あとで詳細を聞いておきましょう。――他に何か話をしたの?」

 髪を耳にかけながら姫は尋ねてくる。その話だけをするために呼び出されたとは考えられない、という様子だ。話をしていた時間を考慮すると、このままはぐらかすことはできないだろう。

 リディスはイズナとの話を思い出しながら、話すべき内容を吟味する。彼女の口から進んで出されたものを話すべきだと思い、銀髪の青年の過去に関して伝えることにした。

「――ロカセナとラキという少年との関係について、話を聞きました」

 ミディスラシールの表情が硬直した。それはリディスの隣にいる黒髪の青年も同じである。他の者たちも驚いた表情をして、次に発する言葉を待ち構えていた。

 リディスは簡潔に従兄弟という事実と、かつてロカセナが住んでいた村が襲われ、それをイズナたちが見捨てたということを話した。皆の表情に注意しながら話をしていると、誰もが悔しそうに歯噛みをしているのが目に入った。ルーズニルはドアに視線を向けて呟く。

「……仕方ないという言葉で済ませてはいけない問題だけれど、だからといってイズナさんやラキ君のお母さんたちを攻める気にはなれない」

 トルは肩をすくめて、口を開いた。

「誰だって自分の身が大切さ。せっぱ詰まっている時なんか、他人のことを考える余裕なんてねぇ」

「あら、珍しくまともなことを言うのね」

「まともっていうか、それが普通の人間が考えることだって、メリッグ。お前だって生きてりゃ、そんな考えになる時があるだろう」

 何気なく言葉を振られたメリッグは、真顔で両手を握り直した。

「……ええ。振り返れば身勝手で愚かな選択だと思うけれど、当時は生きるために必死で、周りも見ずにその選択をしてしまう場合があるでしょう」

 真面目に返答されたトルは目を瞬かせていた。その様子に気づいたメリッグは、眉をひそめながら睨みつける。それを苦笑いしながら彼は受け流した。

 リディスは先ほどから何も言葉を発しない黒髪の青年を見る。彼は口を一文字にしたまま視線を下げていた。

「フリート、どうかしたの?」

「……ロカセナがそんな過去を抱えていたなんて知らなかったから、驚いているだけさ」

「ロカセナが自分から話をしていないんだから、知らなくてもしょうがないと思う。人には他人に知ってほしくない過去はいくらでもあるから……」

 銀髪の青年と決別してから、フリートはロカセナ自身の考えをまったく把握できていなかったことを常に後悔していた。今もそうだ。だが後悔して、何が変わるだろうか。

 その考えを引きずったままでは、再度対峙した時、躊躇いが生じるだけだ。

 リディスは言葉を選んでから、口を開こうとする。しかしその前フリートは決意に溢れた顔を向けてきた。

「知らなかったら、これから知ればいいよな。俺にとってあいつは初めて背中を預けていいと思った存在だ。どんな過去を持っていても、どんな考えを持っていても、受け入れて、そして――止めてやる」

 自信に満ちたその言葉は、リディスが求めていたものだった。

 腕を組んでいたメリッグは、目を細めて彼のことを見上げる。

「――ねえ、フリート、質問があるわ」

「何だ、メリッグ」

「どうやって止めるのかしら。初めから私たちの助太刀ありきで挑むつもりなの?」

 その言葉を聞いて、リディスははっとした。以前、フリートはロカセナと直接対決した時、いとも簡単に斬られた。あれ以後、記憶に残っている範囲では、彼が特訓をしている様子を見たことがない。つまり能力的には当時とたいして変わっていないのだ。

 心配そうな表情で見上げると、フリートはきっぱり言い切った。

「一人で戦う」

「勝算は? 彼の能力に対抗できるの? 純粋な剣技はどちらが上かはわからないけれど、脳内に妙な映像が流れたら、貴方だって相当苦戦するでしょう。その状況でどうやって相手をするの?」

「……あいつの力は簡単に言えば感情の支配だ。それを支配されないよう、自分を律する」

 フリートがちらりとリディスのことを見てくる。

「リディスができて、俺ができなくはない」

 清々しいくらいに自信を持って言い切る姿を見ると、反発よりもむしろ感嘆してしまいそうだ。

 これがフリート・シグムンドの本当の姿である。はったりであっても、堂々としていた方が彼らしい。

 リディスは軽く口を尖らせながら、両手を腰に当てて言葉を返した。

「その言い方は失礼じゃない? 少しくらい私を持ち上げなさいよ」

「どうしてお前を持ち上げる必要があるんだ。姫ならまだしも、お前とは身分もたいして変わらない」

「良くも悪くも男女平等ね、フリートらしい」

 深々と溜息を吐いてから彼に顔を向けた。緑色の瞳が黒色の瞳と視線があう。お互いにくすりと笑っていると、横から咳払いをされた。隣でミディスラシールがわざとらしく咳をしている。

「失礼。時間も遅いし明日のことを考えると朝早く出たいから、そろそろ休みたいんだけれど、よろしい?」

「そうですね、早めに寝ましょう。明日からまた移動ですものね」

 リディスはベッドの横に移動すると、ミディスラシールが突然立ち上がって、前に立ち塞がった。

「ちょっといいかしら、リディス」

「何でしょうか?」

「貴女は様々な未来を切り開く鍵よ。それは世界全体の未来を意味しているわ」

「わかっています」

 ラキとの会話で実感したことである。姫の言葉を受けて穏やかな表情で頷くが、彼女の顔は硬いままだった。

「様々な未来が現在考えられるけれど、最もいい状態は――樹がこの地にあり、例のモンスターも在るべき処に還った状態のことよ」

 リディスが目を丸くしていると、ミディスラシールは一歩下がる。凛とした雰囲気を醸し出している彼女は右手を胸に添えながら、はっきり言葉を発した。


「本来在るべき循環を取り戻すために、私は僅かな希望であっても、そこから未来を切り開こうと思う。いつかはやらなければならないことなら、私がそれを行うわ。――モンスターは私たちの手で還します。リディス、勝手な行動は姫として許しませんよ」


 有無を言わせない口調に思わず首を縦に振りそうになったが、リディスはぐっと堪えて表情だけ緩めた。ミディスラシールは顔つきを変えないまま、しばらくその様子を眺めていた。

 やがて息を吐き出すと、彼女は横になっていたベッドに腰をかけた。そしていつもの口調で話しかけてくる。

「そういえばリディスに精霊召喚のコツを教えていなかったわね。今日の戦闘を見た限りでは、だいぶ慣れた感じで使っていたから、参考になるかはわからないけれど……」

「教えてください。今日のはどちらかといえば、精霊に任せっぱなしでしたから。皆も知りたいでしょう?」

 リディスが振り返ると、トルとフリートはしっかり首を縦に振っていた。

 ミディスラシールは軽く頷いて、鞄から小さな袋を取り出す。

「今から言うのは私の持論だから、後でメリッグさんたちからも話を聞いてみるのもいいと思うわ 。――精霊とは私たちに力を貸してくれている存在、というのはわかっているでしょう。つまり無闇に力を使ったり、精霊たちが嫌がる行動をすれば信用を失い、思い通りの召喚はできなくなる。だから精霊たちに無理をさせないためにも、その場の環境を見極め、無理のない自然現象を起こすことが、第一に気を付けることよ」

 ミディスラシールは袋の中身を左のてのひらの上に出した。小さな粒の砂がそこにのる。

「たとえば私の主戦精霊は土の精霊ノーム。彼に力を借りたい場合は、土や砂、そして小石などを用いるわ」

 彼女はリディスたちの目にも見える、小人のおじいさんを出現させた。彼が砂に手を添えると、一瞬光った後に、小さな土の精霊の彫像ができあがった。ミディスラシールは見事召喚した精霊の頭を軽く撫でる。

「これが精霊召喚の基本。召喚した精霊が対象物に触れることで、初めてことを起こせる。慣れた者なら、詠唱もせず、精霊ではなく加護を受けた術者が対象に触れることで、発動できるわ」

 にっこりと土の精霊に向かって微笑むと、砂の彫像はすぐに崩れた。

「本当ならば、じっくり会話などをしながら精霊との信頼関係を築いていき、人間と精霊たちにとって負担が少ない召喚方法を見出すのが一番いい。でもリディスたちには時間がない」

 リディスは軽く拳を握りしめた。その様子をミディスラシールは優しげな表情で眺める。

「それを見かねた精霊たちが、貴女には無条件で力を貸しているように見えるわ。だからあまりにも無理な召喚さえしなければ大丈夫だと思う」

「はい、くれぐれも気を付けます」

 力強く頷き返すと、ミディスラシールは笑みを崩さないまま言葉を続けた。

「一般的な注意点はこれくらいよ。最後に私の考えだけれども――」

 彼女の口元がきゅっと引き締まる。


「生きたいなど、強い意志を持っている人間には自然と力を貸してくれるわ」


 リディスは表情を崩さず、ごくりと唾を呑みこんだ。見抜かれている――だがそれを確信付けさせてはいけない。握りしめていた拳を軽く緩めて、頭を下げた。

「……わかりました。教えてくださり、ありがとうございます」

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