暗黒世界への誘い(3)

 * * *



 アスガルム領民が集う洞窟に来て一夜を過ごしたフリートたちは、次の日の早朝には出発していた。

 出発する前にイズナのもとに顔を出すと、依然としてベッドに横になっていたが、弱々しくも笑顔で送り出してくれた。

 その際、派遣されるアスガルム領民の五人と顔を合わせている。

 彼らはフリートたちがアスガルム領の跡地を囲む森に突入する前や最中に、そこに現れるモンスターを還すという役割になった。かなりの手腕の持ち主なのが、佇まいを見ても察することができた。当日はおおいに助けられることになるだろう。

 洞窟の入り口に来ると、小舟の船主が欠伸をしながらフリートたちを出迎えてくれた。眠たそうにしているが仕事はしっかりしており、移動中の船の揺れは往路と同様穏やかなものだった。ほどなくして洞窟の外から光が射し込んでくる。目を細めてそれを見つつ、フリートたちは外の世界に戻っていった。

 陸地に着き、小舟から降りると、ケルヴィーの精霊シルによって浮かび上がらせてもらう。二度目とあってか誰も慌てることなく浮上し、一日ぶりに緑の草に足を踏みしめることができた。

 全員が地上に足を付けたのを確認して歩き始めようとしたが、薄茶色の髪の青年だけは立ち止まって手を振っていた。彼と親しい友であるルーズニルは目を丸くしている。

「どうしたんだい?」

「ルーズニル、おれはもう少しこの地にいるから、ここでお別れだ。イズナ様をはじめ、負傷者が多くて、人手が欲しいと思って。乗ってきた馬は自分で引いて帰る。――無理するなとは言わない。どうせ無理せざるを得ない状況になるだろうから。とにかくお互いできる限りのことはしよう」

「わかった。ケルヴィーも気をつけてくれ。昨日現れたようなモンスターが、再びここに来ないという保証はどこにもない」

「その通りだな。……落ち着いたら、またゆっくりと酒でも飲もう」

「ああ、いい店を探しておいてくれ」

 二人が別れの言葉をかわすと、フリートたちは一礼をしてから再び進み始めた。

 別れ際の二人の表情は笑顔であったが、どこかぎこちなかった。もしかしたら二度と会えない状況になることを、脳裏に浮かべていたのかもしれない。



 預かってもらっていた馬を引き取ると、ミーミル村には寄らず、城に向かって馬を走らせていた。

 洞窟内で多少食料を分けてもらったため、補給をする必要はない。またミーミル村の門が開いた際、再びモンスターが襲ってくる可能性もある。それを回避するために、立ち寄るのを遠慮したのだ。

 洞窟から出る時に、風の精霊シルフの力と鳥を使ってスレイヤ宛に手紙は送っていた。

 手紙には、ルーズニルが立ち寄れない理由を書き、リディスが個人的な内容を記したものを同封している。彼女にとっては槍術の師匠であり、姉代わり。こんな時だからこそ、伝えたいことがあるのだろう。

 復路は往路でモンスターと遭遇した道からは離れて移動したため、遭遇率はさらに低くなっていた。

 目前に迫ったその日のために、無駄な戦闘は避けたい。ただ、あまりに少なすぎて、拍子抜けしてしまいそうだった。

 ラグナレクの命を受けたモンスターが、リディスの命を奪いに来るかもしれないと思って構えていたが、どうやら杞憂に終わりそうである。

 ほとんど戦闘がないまま三日が経過し、陽が少しずつ下がってくる時間帯に城がうっすらと見えてきた。ほっとしそうになったが、城の裏口にいる十匹強のグレイウルフの集団を見て、すぐに気を引き締めた。

 肉食獣系の狼。行動パターンは単調だが、鋭い牙と素早さは、馬を操りながらでは少々還しにくい。

「姫、どうしますか。ミーミル村に入った時と同じく、先に降りて還しましょうか?」

 フリートが魔宝珠に触れようとしたが、ミディスラシールはそれを目で制した。

「ここをどこだと思っているの。天下のミスガルム騎士団がいる城のお膝元よ?」

 その言葉を発するのと同じくらいに、城を取り囲む柵の上から弓矢を持った騎士たちが現れた。そして一斉に下に向けて矢を射る。それがグレイウルフたちを容赦なく突き刺した。

 だが還術ができない騎士の攻撃だったらしく、深手を負いながらも還らず、グレイウルフは地上にいるフリートたちに鋭い牙を向けて襲ってきた。

 舌打ちをしつつ剣を召喚しようしたが、裏門から現れた人物たちを見て、魔宝珠に触れるの寸前でやめた。

「こっち向けよ、モンスターども。俺が相手をしてやる!」

 第三騎士団を後ろに並べ、カルロットが馬に乗って、広刃の十字剣であるクレイモアを肩で背負いながら叫んでいた。しかしグレイウルフは彼らに目もくれず、フリートたちに迫ってきた。

 一度目を付けた獲物は逃さない特性らしい。剣を召喚し、前にいるリディスに軽く声をかける。

「しばらくじっとしていろ。強行突破する。落ちるなよ」

「わかった。ただし危なくなったら、私も加勢するからね」

 フリートは左手で手綱を握りながらリディスを抱えると、先陣を切ってグレイウルフに向かっていった。城側からはカルロットたちが迫ってきている。

 向かってきたグレイウルフを、右手で握っているバスタードソードで斬り裂く。深い傷は負わせられないが、行動を怯ますには充分である。群がっているモンスターたちを次々と斬って進んだ。

 スキールニルとセリオーヌも、モンスターの横を通り過ぎる傍ら、軽く手傷を負わせて走り抜けていった。

 息が上がりかけたところで、城から来たカルロットたちがグレイウルフたちを還していく。カルロットと一瞬視線を合わせてから、隙間をぬってフリートの馬はその場を脱出した。

 平原を全速力で駆け抜け、ミディスラシールたちから少し遅れて裏門をくぐった。振り返れば、平原を闊歩かっぽしていたグレイウルフはすべて還っていた。さすがの一言だ。

 馬を進ませ、手綱を集めている騎士に寄ると、フリートとリディスは馬から降りた。彼に手綱を預け、フリートは大きく伸びをしているリディスに声をかける。

「もしかして痛かったか? 加減なしで抱えていたから」

「痛かったけど、あの状況ではしょうがないでしょう。ありがとう、しっかり抱えてくれて」

 リディスはにこりと微笑んでから、メリッグたちの方に駆け寄っていった。

 ぽかんとした表情で突っ立っていると、フリートの後頭部が激しく叩かれる。頭に手を添えながら振り返ると、にやついている部隊長と視線があった。

「隙ありすぎだろう、馬鹿が。女にうつつを抜かしている時じゃねえだろう」

「別に現なんか……。久々にあいつが笑った顔を見て、驚いただけです」

「前はよく笑っていただろう。今は違うのか?」

 フリートは軽く頷く。

「自然に笑う姿はほとんど見なくなりました。場を和ませるために無理に笑うことはありますが」

「そうか……。――あっちで何か収穫はあったのか?」

 カルロットが耳元に口を寄せて聞いてくる。直前に見た表情は、研ぎ澄まされた真剣のようだった。

「心の底から求めていたものは得られませんでしたが、様々な事実は知りました。隊長はあとで報告会に同席するんですよね? その時に詳細はお話します」

「ああ……わかった」

 カルロットが歯切れ悪く言っているのが、フリートは少し気になっていた。



 その後、フリートたちは荷物を置くと、ミスガルム国王が待つ部屋に移動した。城内は慌ただしく動いている人で溢れている。これから起こる事に対し、備えをしている者が大勢いるようだ。

 三日前、フリートたちがラグナレクの仲間のモンスターと遭遇した頃、ミスガルム城でも同じような強襲があったと、行きあったクリングから聞いていた。その時は怪我が治ったカルロットが果敢に立ち向かったため、国王の力を煩わせずに還すことができたらしい。

 しかし、いつもより手間取っている様子を目の当たりにした文官たちはかなり戸惑い、今の状況に繋がったようだ。

 ミーミル村に向かう前に会議が開かれた部屋に入ると、既にフリートたち以外の面々は椅子に腰を下ろしていた。国王の近くには団長のルドリが目を閉じて壁に背を付けている。

 フリートたちはミディスラシールの左横から素早く腰をかけた。そして張りつめた雰囲気を醸し出している国王が早速口を開いた。

「帰ってきた早々に悪いが、ここ一週間で起こったことを聞きたいと思い、集まってもらった。まずはクラル隊長、ミディスラシールたちに対して報告をお願いする」

「かしこまりました」

 クラルは立ち上がって、ミディスラシールたち、ヨトンルム領に向かった一同を眺めた。

「結論から報告すれば、無事に各地の欠片をいただき、ニルヘイム領のエレリオという女性にも欠片を渡してきました。こちらの領で使用する欠片については、地下の封印の場に置いてあります」

 クラルの視線が深い紫色の瞳へ移る。

「それと伝言を承っています。メリッグ・グナー宛で、『水の魔宝珠の守りは自分に任せろ。だからお前は自分の意志と覚悟で前に進め』と言っておりました」

 メリッグは目を軽く見開いた後に、肩をすくめた。

「とっくに自分の意志で進んでいるわ。そんなに心配されなきゃならないのかしら。まったく過保護ね」

 そう呟く様子は、どことなく嬉しそうでもあった。

 報告を終えてクラルが座ると、次にミディスラシールが立ち上がった。

 道中のモンスターの様子、ミーミル村で知ったアスガルム領民が住まう洞窟、洞窟内で知り合ったイズナから聞いた話、そしてアトリとの戦闘について順を追って報告し始めた。

 国王はアスガルム領民の生き残りが未だに大勢いると知り、驚いている様子を見せていたが、それは見せかけの表情のようにも思われた。眉などの動かし方が、どことなくわざとらしいのだ。

 それは話が終わるまで続き、イズナ自身から協力を得られず、結局はリディスの体に大きく負荷がかかることをしなければならないと発言した時でさえも、眉を上下に動かしただけだった。まるですべてはお見通しだったかのような印象を受ける。ミディスラシールはその点に関しては何も問わず、淡々と最後の言葉を述べた。

「……以上、長くなりましたが報告となります」

「アスガルム領民と共同戦線で挑むことになったのは、大きな収穫だろう。よくやった」

「恐れ入ります」

 誉められたミディスラシールだったが、彼女の表情は明るいものではなかった。彼女としては今回の旅は不本意な結果だったためだ。視線を落とし、余計な言葉が飛び出ないよう堅く口を閉ざしている。

 ミスガルム国王は二組の報告を聞き終えると、その場にいる者たちを見渡した。

「さて、次の満月まで時間もない。当日の動きについて皆から意見を聞きたい。何か意見がある者はいるか?」

 視線を送るが、誰もが視線を逸らしていた。

 考えはある。だが言葉にするのは躊躇われる内容。

 フリートは隣に座っている、二人の金髪の姉妹を眺めた。その横顔や何かを考え込んでいる姿は、非常に似ていた。どちらが先に意見を口にするのだろうか。それとも他の者が言うのだろうか――。

 するとリディスとミディスラシールが同時に顔を上げ、声を重ねて言葉を発した。

「国王様」

「国王」

 声があうと二人は見合った。そしてお互いに譲りあいながら、先に発言するよう促している。やがて地味な駆け引きの末に、一緒に立ち上がった。

「二人とも同じ意見なのか、ミディスラシール」

「おそらくこの場所にいる人のほとんどが同じ意見だと思っています。――次の満月の日に、私たちは旧アスガルム領の中心地にある、扉の下に行き――」

 突然激しい音をたてて、椅子が倒れた。フリートが顔を右に向けると、リディスが苦しそうな表情で左胸の辺りを握りしめている。

「リディス!?」

 ミディスラシールは手を伸ばすが、その前にリディスが膝を折って、その場に倒れる方が先だった。フリートは座り込み、悶えている娘を見下ろして呼びかける。

「どうした、リディス!」

 呼びかけても彼女は返事をせず、ひたすら荒い呼吸をしながら胸を押さえていた。口元をぱくぱくと動かしている。何かを伝えたいのかもしれないと思い、フリートは耳を彼女の口元に近づけた。

「どうした?」

「胸が……急に痛くなって……」

「前に体調を崩した時と同じか? 精霊の力が解放された影響で……」

「違う……。何かと呼応している感じが……」

 言いかけている途中で、リディスは激しく咳き込み始めた。丸まって口元を右手で覆い、苦しそうに何度も咳き込む。フリートは彼女の背中を軽くさするが、いっこうによくならない。異様な光景に当事者以外はただ見守るしかできなかった。

 やがて咳が少しだけ収まり、リディスは口から手を離すと、そこに付いていたものを見て愕然としていた。

「え……、血……?」

 手のひらが赤い血でうっすらと染まっている。量は多くなく、血が飛び散っているだけという印象を受ける。しかし出てきた場所が口、通常ではあり得ない部分だ。衝撃を与えるには充分である。

 傍にいたミディスラシールは青ざめた表情でリディスのことを見ていた。

 リディスはゆっくり起き上がり、よろめきながら立ち上がると、再度激しく苦しみ出す。背中を丸めながらその場を後ずさっていく。そして背中は窓が近くにある壁に当たった。やがて頭までも押さえ始めた。

「胸も頭も痛い……。全身が悲鳴をあげている!」

 リディスは痛みに堪えるかのように自分自身を抱きしめた。

「リディス、大丈夫だ、俺たちがいるから!」

 フリートが近づこうとすると、唐突に痛みに悶えていた娘の動きが止まる。

 視線をフリートに合わせてきた。いつもより緑色が濃い、虚ろな目。

 そして一言、ぽつりと呟いた。


「開く」


 リディスは目を閉じ、糸が切れたかのように崩れ落ちた。近寄ったフリートは彼女を抱えて、頬を軽く叩く。

「おい、リディス? リディス!」

 まったく反応はない。まさかと思うと、鼓動が速くなっていく。

 そんな中、隣から華奢で綺麗な手が伸びて、リディスに触れてきた。

「フリート、落ち着きなさい。生きているから。気を失っているだけよ」

 横からメリッグがリディスの手首に指を当てて、脈を測っている。表情こそ堅いが、肯定の意を示すかのようにしっかり頷いてくれた。それを見て、少しだけ肩の荷が降りた。息を吐き出し、緊張した筋肉をほぐしていく。そして意識を失っている娘を眺める。

 なぜ突然痛みだし、気を失ったのだろうか。

 戦闘中に精霊召喚を多用し、体に負荷をかけたのなら、気を失っても仕方ないが、今は会議の最中である。例に挙げたような直接的な要因はないはずだ。

「何か……起こるのか?」

 思いついたことをぽつりと言うなり、激しい地響きが城を襲った。立つのも困難なほど揺れ始め、ミディスラシールなど、立っていた者はその場にしゃがみ込んだ。座っている者たちも机にしがみついたりして、自分の身を守ろうとした。

 長い時間続くかと思ったが、意外と早く揺れは収まる。危機が去って空気が緩むが、メリッグだけは険しい表情のまま立ち上がっていた。

「何か気になるところでもあるのか、メリッグ」

 彼女は窓の外を見ると、目を大きく見開いた。口元に手を添えながら、一歩窓から離れる。

「おい、いったいどうした?」

 リディスを床の上に横にしてフリートは立ち上がり、メリッグを横から見ると綺麗な顔をひきつらせていた。

「扉が――」

 メリッグの言葉に促されて、視線を移動した。窓の外から見える景色が、大量の黒い物体で一面を覆い始めている。それは見る見るうちに視界を黒一色に染めていった。ある程度広がると、黒い物体は還術の際に発する光と共に消えていく。そのような状況が何度も続いていった。

 傍観していたミディスラシールがよろよろと近づき、窓枠に手をかける。発生と消失を繰り返す様子を見た後に、強張らせた顔をフリートたちに向けてきた。

「万が一のことを考えて、事前に結界を張っておいてもらってよかった。アスガルム領の跡地の周辺に結宝珠をばらまくよう、指示しておいたの。それが上手く働いてくれて、あの禍々しい黒い物体は外に飛び出ていないわ。でも……それも時間の問題」

「姫にメリッグ、何が起こっているんですか?」

 ミディスラシールは窓枠をぎゅっと握りしめた。

「――考えられる中で最悪の展開。さしずめ暗黒世界へのいざないというところかしら」

「だからどういうことですか?」


「扉が壊れて、モンスターがこの大地に流出し始めた、ということよ」


 姫の言葉は、一同を震撼させるには充分な内容だった。笑いながら嘘だと言い放ちたかったが、視界に映る黒い物体を見ると、その言葉を口には出せなかった。

 樹の下でのノルエールの祈りは途切れ、ドラシル半島に暗黒の雲が覆うことになる――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る