一筋の希望は何処に(4)


 * * *



 足と手が勝手に動いていた。

 誰かを助けたいという意志を精霊は汲み取り、私に力を与えてくれて、誰よりも速く人型のモンスターの前に行かせてくれた。

 そして愛用のスピアを用いて、還術をしようとした。

 だが突き刺した直後、得も言われぬ恐怖を感じたのだ。

 首を刺している。人の急所とも言われる喉元を貫いている。

 脳裏に以前ロカセナに突きつけられた、人が人を殺す光景と目の前の光景がどことなく被った。

 私の躊躇いを無視するかのように、重力に従ってスピアは首を貫通する。

 やがて別れの言葉を述べると、それは黒い霧となって消えてしまった――。


 手には肉を刺す感触が残る。

 黒い霧と共に消えてはいたが、一瞬血が手に飛び散った気がした。

 いつまでも消えない感触に、血の色。

 まるで人を殺めてしまったような感覚に陥る。

 唐突に思った。

 自分が今まで行ってきたことは、果たして正しいことなのだろうか。



 一方、傷ついたイズナの姿を目にして、逝ってしまったマデナのことを思い出していた。

 このまま誰かを犠牲にしながら生き続けて、本当にいいのだろうか。


 どうせ変わらない運命なら、抗うことすら無駄ではないだろうか――?


 黒髪の青年が必死に未来を考えてくれている。一緒に前に進もうと言っているようだ。

 でも、それに応えることはできない、彼の未来のために。

 銀髪の青年が私を拱いている。一緒に行こうと言っているようだ。

 だが私は彼とも一緒には行けない、彼の明日のために。


 きっと最後は一人で道を歩むのだろう。


 道を示してくれた人に感謝をしながら。



 * * *



 リディスはトルとルーズニルと一緒に治療部屋に行き、中に入ると、そこはたくさんの怪我人で溢れていた。

 洞窟内にいる医者だけでは治療が間に合わないのか、動ける人が声をかけあい、手分けしながら、自分たちにできそうな止血などを進めている。

「僕たちも治療しよう。まずはトルとリディスちゃんの消毒かな」

「ありがとな、ルーズニル」

「すみません、ルーズニルさん」

「いいんだよ、これくらい。消毒薬を借りてくるから、ちょっと待っていて。……おそらく休めるのは一晩くらいだろう。夜が明けたら、すぐに城に戻ることになると思うから、そのつもりで」

「そうだな。ヤバいモンスターがいるってことを、早く伝えねぇとな。とっとと体力は戻しておくさ」

 ルーズニルはトルを壁に寄りかかせると、人混みをかきわけて行った。

 置いていかれたリディスは何もすることがなく、トルの右隣の壁に寄りかかる。ちらりと横目で褐色肌の青年を見た。

「……トル、大丈夫?」

「だからたいしたことないって。服はぼろぼろだけどさ。リディスの方がよっぽど酷い怪我だろう」

 トルがじっとリディスの右肩を見てくる。思わず左手で肩をかばった。

 肩の辺りにやや切られた跡が残っている。血は滲んでいるが、痛みはだいぶ引いていた。

 攻撃を受ける直前、風の精霊シルフが薄い風の膜を作ってくれたおかげで威力が半減したのだ。まともに攻撃を受けていたら、あの湖の中で意識を保ち続けるのは厳しかっただろう。

 リディスは苦笑しながら言葉を返す。

「私も見た目よりたいしたことないって。ほら、スピアも握れたから」

「ならいいが。あんまり無理するなよ、フリートがうるさいからさ」

「……そうだね」

 視線をそっとトルから地面に移した。

 フリートは他人の想いを汲み取って、自分もそれを共有しようとしている。だから迂闊に弱音を吐いてはいけないと、わかっていた。

 それにも関わらず、彼に負担がかかるような言葉を漏らしてしまった――。


(もう二度と自分の気持ちをさらけだすのはやめよう、自分と彼のためにも)


 一人心の中で誓っていると、治療を受けているアスガルム領民たちがリディスのことをちらちらと見ているのに気付いた。イズナが怪我をした場面と、リディスが人型のモンスターを還した現場を目撃した人たちだろう。

 好奇の目か非難の目かはわからないが、向けられている視線があまり気持ちのいいものではなかった。そのため、逃れるかのようにさらに肩を強く握りしめて、体を小さくした。

 傷口に触れれば、痛みが走る。

 だがこれよりも辛い痛みを持っている人は、この場にたくさんいた。

 イズナが一番酷い傷を負っているはずだが、彼女は決して呻き声を発しようとはしなかった。むしろ笑顔を振りまこうとしていた。

 そんな彼女の身に何かあったら、この地にいるアスガルム領民たちはどうなるのだろうか。

 負の影響は計り知れない。



 その後、ルーズニルが戻り、リディスとトルの治療をし始めた頃、フリートとメリッグが部屋の中に顔を出した。

 三人を見つけると、ルーズニルから治療道具を手渡されて、素早く手当をし始めた。皆、慣れた手つきで進めていく。

 ほどなくしてリディスを巻いていた止血用の布が縛り上げられた。治療を終えた一同は喧騒の中から離れ、休憩していた時に使用していた部屋に戻る。中ではミディスラシールと騎士二人が待っていた。

 一人は座り、二人は立っている三人組がリディスたちを見て、皆が酷い怪我を持ち合わせていないのを確認すると、ほっとした顔つきになる。

「イズナさんのご容体はどうでしょうか?」

 フリートが尋ねると、ミディスラシールはにこりと微笑んだ。

「大丈夫よ。しばらく安静にして傷が塞がるのを待てば」

 そう言った後、ミディスラシールの表情に陰りができたのをリディスは見逃さなかった。それに気づいたのは自分だけではなかったようで、フリートが固い表情で口を開いた。

「……その言葉の裏を取れば、次の満月の時に、イズナさんの力は借りられないということですよね」

 ミディスラシールは俯き、スカートの裾を握りしめて頷いた。

 イズナから差し出された提案に乗れないことがほぼ確定になると、部屋は重苦しい雰囲気になる。

 必死に他の案を考える者、自分自身の怪我の具合を確認する者、そして諦めた者――。

 しばらく部屋の中に沈黙が漂っていたが、やがてウェーブがかかった金髪の娘は立ち上がった。僅かに震えていた手を握りしめる。そしてこの部屋にいる者たちを眺めてからリディスに視線を合わし、はっきりとした口ぶりで言葉を発した。

「皆さんに提案があります。イズナさんと共同で封印するのが難しい場合に考えていた案です」

「どんな案だ?」

 椅子に座っているトルが前のめりになる。そのすぐ後ろで立っているメリッグは静観して見守っていた。

「とても単純ですが、為し遂げるのはかなり難しい方法です」

 ミディスラシールがこれから言う内容は、リディスも察している方法だろう。それは彼女の言葉通り、最後までやりきれるかわからないものだった。

 止めなければ。

 多くの人が肉体的に傷つかずに、生き続ける未来のために――。

 リディスはミディスラシールの会話を遮り、腰を上げようとした。

 その時、部屋のドアが小さくノックされた。近くにいたルーズニルがドアを開くと、視線を下げてノックした人物を見る。

「どうしたんだい、ラキ君」

「リディス・ユングリガさん、イズナ様がお呼びです。お一人で来てください」

「私だけ?」

 目を丸くして指で示すと、銀髪の少年は軽く首を縦に振った。リディスはミディスラシールに視線を戻すと、頷かれる。戸惑いの視線を皆から送られつつ、部屋の入り口に行くと、ラキが背を向けて歩き始めた。

 未だに浮かない顔をしているリディスは、ちらりと部屋を見渡してから、彼の後をついていった。



 ルーズニルはリディスがイズナの部屋に向かったのを見送ってからドアを閉めた。

 それを見たミディスラシールは一息を吐いた。張りつめていた空気が少しだけ和らぐ。

「……タイミングがいいのか、悪いのか……」

「いいんじゃないでしょうか。あいつがいたら、絶対に姫の提案を止めにかかりますよ。まともに話しすらできないかもしれません」

「その通りかもね」

 フリートは真っ直ぐミディスラシールを見る。彼女はくすりと笑っていた。

「止めるって、どういう意味だ? お姫さんはどんな案を考えているんだ?」

 状況が読めないトルが首を傾げると、メリッグが深々と溜息を吐いて呟いた。

「……封印をしたくないのなら、残りは二つの選択肢しかないわ。一つは封印を解いて、この大陸が荒廃するのを待つか。そしてもう一つは――」

 メリッグに視線が向けると、ミディスラシールは背筋を伸ばして答えた。


「封印を解いて、モンスターを還します、在るべき処に。それが最も正しい状態に戻すための手段です」


 一瞬虚を突かれたかのように間があったが、誰も首を横に振る者はいなかった。むしろ皆、力強く頷き返していた。

 その発言を実行するのが、途方もなく難しいのはわかっている。

 だがここでやらなければ歴史は繰り返してしまう。封印などその場をやり過ごすための逃げの手段だからだ。

 新しい歴史の扉を開くためには、相応の犠牲も付き物であろう。それは誰もが覚悟していることである。

 それをリディスに理解させることが、最大の難関なのかもしれない――と、フリートは思いながら、ミディスラシールから語られる考えを聞き始めた。



「イズナ様、リディス・ユングリガさんをお連れしました」

 ラキはイズナがいる部屋の前で声を発すると、侍女がドアを開き、リディスを中にいれてくれた。部屋の中には護衛の者以外に、先程まで治療に当たっていた白衣を着た男性の姿も見える。

 ラキはリディスを送り届けた後に、一礼をし、再び廊下に戻った。侍女に連れられてイズナが横になっているベッドのすぐ傍にまで来ると、うっすらと目を開けた彼女と視線があう。

「……すみません、貴女も怪我をされているのに、お呼びしてしまい」

「いえ、これくらいの怪我はよくしますので、気になさらないでください。イズナさんこそ無理はなさらず、お休みになってください」

「休みますが、その前に貴女にいくつかお伝えしたいことがありまして」

「……イズナさんはもう手を貸せないということですか?」

 ほんの少しだけ間があったが、すぐに苦笑された。

「わかっていらしたの。本当にごめんなさい……」

「今はとにかく傷を治してください。今回、扉を出現させてしまったことは、私たちの責任です。ですからアスガルム領民であるからといって、無理をする必要はありませんよ」

 それは本音であった。

 かつては城とアスガルム領民が共同して封印を施したり、お互いに守りあったりもしたが、今回はロカセナの行動も含めて、城側の責任である。これ以上迷惑をかけるつもりはない。

 だが、イズナはその言葉を受け入れようとはしなかった。

「いいえ、今回の件はアスガルム領民もおおいに関係しています。ですから、貴女たちを扉へと導くお手伝いを少しですがさせてください。腕利きの者を何名か扉の周囲にある森へ派遣し、微力ながら道作りをさせます。扉の下に行くまでも、一苦労でしょうから」

「ですからアスガルム領民は関係ない――」

「ロカセナ・ラズニールが住まう村を、かつて見捨てた私たちのせめてもの罪滅ぼしです。お願いですから、手伝わせてください」

 リディスの目が大きく見開いた。

 部屋の中の空気が重くなる。護衛と侍女は俯いていた。

「……どういう意味ですか。それよりもロカセナのことを知っているのですか!?」

 衝撃的な事実の公開に、リディスは感情を抑えずに大声を発した。

 ふとある銀髪の少年のことを思い浮かべる。容姿がどことなく似ている少年を。そこから一つの推測が浮かび上がった。

「……ラキという少年とロカセナには血縁関係があるのですか?」

「従兄弟です。ロカセナさんの母親とラキの母親は姉妹でした。――彼女たちはかつて同じ村に住んでいました。しかし十四年前、その村を保護していた貴族に裏切られ、ある一団に押し入られた際、運命は二分されたのです」

 突如語られる内容に、リディスは愕然として聞いていた。

「ラキの父親はその貴族と仲が良かったため、裏切ることを予め知っていました。それを伝えるために、彼と妻は村をこっそりと抜け出し、私たちに助けを求めに来たのです。逃げるにしても対抗するにしても、戦力が充分ではない……と。当時、私の父がこの地で主を務めており、当初は加勢しようと思っていました。ですが、こちら側で戦える者が出払っていたため、下手をすれば自分たちに飛び火する可能性があると気づきました。――その結果、私たちは動かず、ロカセナさんたちが住まう村が襲われるのを、ただ眺めていたのです……」

 ロカセナでさえ知らないだろう重大な過去を知り、リディスは戸惑っていた。

 自分たちの身を護るために戦いを避けることは、選択肢の中に含まれて当然である。リディスとしては、彼女たちを攻めるつもりなどまったくなかった。

「その村のほとんどの人が殺されるか、連れ去られましたが、数名は逃げたという話を聞きました。そのうちの一組が、ラズニール兄弟であるバルエールさんとロカセナさんでした。数年は彼らの消息は分かりませんでしたが、八年前にバルエールさんと会った人がおり、その人から話を聞くことができました。彼はある〝鍵〟を探して旅をしていると言っていました」

 鍵という発言を聞いて、リディスははっとして俯きかけた顔を上げた。

「そしてその内容を聞き、彼が何をしたいか気付きました。私たちが実行しようと思いつつもしなかったことを、行うのだと」

「……レーラズの樹をこの地に戻し、モンスターを再封印することですか」

「そうです。その後、バルエールさんが亡くなったのにも関わらず、扉が開かれました。疑問に思っていると、弟であるロカセナさんがお兄さんの意志を継いでいるという情報を得ました。――五十年前、樹とモンスターを封印したのは、表向きでは城の指示であると聞いています。ですが、その裏ではアスガルム領民側も関わっていました。つまり樹をこの地に戻すだけでなく、こちらのせいで村を追われた彼が関わっている時点で、私たちは部外者ではないのです」

 イズナの言い分はよくわかった。同時にロカセナの過去も垣間見え、なぜ必死に目的を成し遂げようとしているのか、察することができた。今なら以前とは違った想いで彼と話せそうである。

 口を閉じたイズナを見て、リディスは口を小さく開いた。

「……イズナさん、お聞きしたいことがあるのですが」

「何でしょうか」

 リディスは穏やかな表情で言葉を発した。

「モンスターを確実に封印するとなった場合、封印後、この地で祈り続けるのではなく、封印者ごと封印して、モンスターの傍で祈り続けるのが最もいい方法なのですよね」

「どうしてそれを……」

「あるノートを拝見し、そして今まで見たものを総合して判断しました」

 資料室の中にあったノートと、ノルエールが魔宝樹の傍で祈り続けている点から予想できることだった。イズナは否定もせずに黙り込んでいる。

「そして共同で行うと言ったイズナさんは、それを私の代わりに行おうとしていた――違いますか?」

 イズナはもはや驚きもせず頷いていた。

「隠し事はできませんね。素晴らしい洞察力です。おわかりのように、私はそう長くは生きられません。ですから、未来ある貴女の代わりに封印しようと思っていたのです。扉を開閉することは貴女しかできませんが、封印の維持であれば、私でも不可能なことではありません。実際にノルエール女王がそれを行っていますしね。……しかし残念ながら今の状態では、封印をするまで体はもたないでしょう」

 ただでさえひ弱な彼女が怪我を負った。崖のすれすれまで立っており、ほんの少し衝撃を与えれば落下してしまうような状態だ。ラグナレクの雰囲気に触れただけでも、もたない可能性がある。

 申し訳なさそうな顔つきをしているイズナの手を、リディスはそっと取った。

「予言や運命通り、私がその務めを果たしますから、安心してください。扉を開いてレーラズの樹をこの地に戻し、モンスターが侵入する前に私の体と共に再封印します。……それが正しい選択ですよね」

 リディスが手を離そうとすると、思った以上の強さで握り返された。

「――貴女はそれでいいのですか? 他にも方法がないとは言い切れません。他の人に封印をお願いしたり、モンスターを還すという方法もあります」

 イズナは必死に説得してくる。どちらもリディスが一度は考えた内容だった。

 だが、既にリディスの想いは決まっていた。

 やせ細った手に掴まれた手を眺めながら呟く。

「……どちらの方法も誰かが犠牲になるのが目に見えています。封印をするには誰かの体が必要となりますし、モンスターも今の戦力を考えると、犠牲なしで還せるとは考えられません」

 銀髪の青年と黒髪の青年は、二人ともリディスのために何かを為そうとしている。

 しかもそれは自分自身を犠牲にする覚悟の上で、行っていることだと考えられた。


 生きなくてもいい、と言えば嘘になる。

 この地から去ってもいい、と言えば嘘になる。

 そして、彼らと同じ時を過ごさなくてもいい、と言えば嘘になる――。


 それらの想いについては、一生誰にも言えないだろう。

 言ってしまえば覚悟が鈍ってしまいそうだから。

 おそらく今、ミディスラシールがフリートたちに第四の選択肢である、〝ラグナレクを還すこと〟を提案しているはずだ。それに対して一同が同意するのも、皆の性格からしてわかっていた。

 しかし、リディスはそれを共に行いたくはなかった。

 自分のせいで動かなくなってしまった大切な人たちを見るのは――辛すぎる。

「――私の覚悟が良かったのか、悪かったのかは、自分の目で見て確かめます。色々と気を使ってくださり、本当にありがとうございました」

 リディスは手を自分の体に引き寄せると、イズナは今度こそ手を離した。

 温かな感触がまだ手のひらに残っている。その温もりを維持するかのように、そっと握りしめた。

 そしてイズナに一礼して、リディスは彼女に背を向けて一歩一歩踏み出した。


 変革を導く者として、覚悟を決めながら――。







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