一筋の希望は何処に(3)

 イズナはきりっとした表情で、アトリを見据えていた。彼女が握りしめている両手からは、多数の薄い糸が垂れ下がっている。それは洞窟全体を覆い、特にアトリの周辺では糸が多くなっていた。

 フリートたちの周囲にも糸はあるが、移動する分には問題のない量である。

「何よ、この糸は」

風の精霊シルフにお願いをしました。あなたが余計なことをしないようにと」

「つまり風系の召喚? そんなものであたしが捕まると思っているの?」

 アトリが力入れて、糸を引きちぎろうとしたが、逆に糸は引き締まっていく。

 リディスはその様子を見て、目を丸くしているメリッグに問いかけた。

「あれはヘラとの戦いで、メリッグさんが行ったのと似たようなものですか?」

「似てはいるけれど違う。あの人は個々に糸を召喚して、風の流れに委ねてそれらを動かし、洞窟内に張り巡らせているわ。しかもその糸に意志を持たせて、暴れるものに対し、より強く拘束するよう指示している。真空でない限り、どこでもできるでしょう。それに私の召喚と違って、体への負担は少ないわ」

 メリッグは感心したようにイズナを見ている。

 彼女も相当な精霊召喚使いだと思うが、扱い方はアスガルム領民であるイズナの方が格段に上だった。

「無理に召喚するのではなく、できるところまで物を召喚して、あとは精霊に任せる……参考になるわ」

 縛られたアトリは忌々しげにイズナを見下ろしている。徐々にアトリの体がイズナの方へ寄り始めた。彼女の指示に従って、糸が動いているようだ。

 やがてアトリの足が地面に触れると、ミディスラシールが足下を土で固めあげた。

 身動きが取れない状態になったアトリは、金髪と銀髪の女性たちを睨み付けた。リディスが刺した首筋からは依然として血が流れ出ている。

「銀髪の女、あんた、誰?」

「名乗るほどの者ではありません。アトリさんにはいくつか聞きたいことがありまして、動きを封じさせて頂きました」

「こんな召喚を考えつくなんて、凄いものだね」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

 笑みを浮かべたイズナはすぐに表情を引き締めた。

「先ほどラグナレクという名前を出されていましたが、その知り合いなのでしょうか?」

 イズナのすぐ横ではミディスラシールが杖を右手で握り、それを前に突き出している。おそらくアトリが余計なことをすれば、何らかの召喚が発動するだろう。

 それを見て抵抗しても無駄と悟ったのか、アトリは舌打ちをしてから口を開く。

「そうさ。扉から出てきたモンスターの多くはラグナレク様の意志を継いでいるよ。とにかくたくさんの人間を襲って、泣かせたり怒らせろって」

「つまりモンスターの源である、負の感情を作りだすよう指示を受けているのですね。……モンスターは知能を持っているかもしれない、という噂を最近聞くようになりましたが、やはり本当でしたか。言葉を喋れるということは、相応の知能を有していないとできませんから」

「話せる奴はまだあんまりいないけど、扉が完全に開けばあたしみたいのがたくさん出てくると思うよ。だからさ、扉を閉められると、すごく嫌なんだけど」

 アトリが首をくねらせて、リディスを見てくる。

 彼女はその殺気に耐えるかのように、鍵のペンダントを掴んでいた。

 フリートは少し移動し、アトリとリディスの間に割り込んで睨みつける。視線を遮られたアトリは不満な表情で視線を戻した。

「まあ、愚痴ってもしょうがないか。あたしはここで終わりみたいだし。……ラグナレク様のことを話している気配があって、なんか強い人がいるのかなと思ったら、とんでもない人がいたよ。ああ、初めにあんたを殺しておけばよかった」

 アトリが肩をすくめながらイズナを眺める。そして薄らと笑みを浮かべた。

「早く還してよ。今なら樹の循環が滅茶苦茶だから、浄化せずにあたしの能力をそのまま継いだのが出てくるかもしれないから」

 ミディスラシールの眉間にさらにしわが寄る。聞き捨てならない言葉に、警戒心が濃くなるが、イズナがそっと彼女に寄って囁いた。

「大丈夫です。まだ循環はし続けています。いつも通り還しても大丈夫ですよ」

 諭されたミディスラシールは少し表情を緩め、握っていた杖をやや下げた。

 イズナはアトリに視線を戻すと、憂いの表情を浮かべた。握りしめていた両手を少しずつ開いていく。

「多くの人間を傷つけたことは、許される行為ではありません。人間であろうと、モンスターであろうと、それは同じです。――願わくば、よりよい浄化がされますように」

 手を開いていくと、アトリの拘束が緩んでいく。イズナの手のひらからは、凝縮された光り輝く多数の風の刃が現れた。そして彼女はほんの一瞬逡巡した後に、糸と風の刃の召喚を切り替える。

 その瞬間、イズナの左腕から鮮血が舞った。順番に右腕、左足、右足と血が吹き出す。

 傍にいたミディスラシールは崩れ落ちるイズナを慌てて抱えた。

「イズナさん!」

 糸と風の刃の召喚は、術者が深手を負ったことで消えてしまう。それらから解放されたアトリは自由の身となった。高笑いをして、イズナのもとに近づいていく。

「馬鹿ね、僅かでも隙を見せるなんて。樹を護る役目を言い渡されている女、あんたさえいなけ――」

 中途半端なところでアトリは言葉を切った。彼女の首からスピアの先端が飛び出している。

 小刻みに震えるアトリはスピアを見てから振り返った。その先には喉を突き刺し、泣くのを必死に耐えているリディスの姿があった。

 フリートの後ろにいたはずの彼女がそこにいる。気配が消えたと思った瞬間、あの場に移動していた。いくら精霊に親しくされているとはいえ、あの速さは異常すぎる。

 起こった事態を上手く飲み込めず、呆然とフリートたちはその光景を眺めていた。

「お前……動けたのか……鍵……」

 アトリは引きつらせた顔で、声を振り絞る。リディスはその言葉に応えず、ただぽつりと呟いた。

「……さようなら」

 その言葉と共にアトリは動きを止める。

 足下から石化が始まり、すぐに胸のあたりまで達した。ミディスラシールの召喚だと思ったが、彼女は困惑した表情でその様子を見ていた。

 彼女の力ではないのならば、もしかしてリディスによるものなのだろうか。土の精霊ノームの加護も受けている彼女なら、不可能ではない話だ。

 リディスがスピアを抜くと、石化は一気に全身へと広がる。瞬間強風が吹き、石は粉々に砕け散っていく。

 やがて黒い霧となり、風に乗せられて、洞窟の外へ消えていった。

 霧が完全に消えゆくまで、リディスはじっと見つめていた。そして消えると、彼女は糸が切れたかのようにその場に座り込んだ。

 フリートはトルをメリッグとルーズニルに任せて、座り込んでいる彼女の傍まで歩いて行く。

 近くではスキールニルに止血を施されている、血みどろになったイズナの姿があった。ミディスラシールが難しい表情で応急処置を見守っていた。

「スキールニル、イズナさんは大丈夫?」

「出血は多いですが、見た目よりも傷は酷くありません。痛めつけるつもりで攻撃をしたのではないでしょうか。ただあまり血を流しすぎているのは、いいことではありません。一刻も早く適切な処置を」

 スキールニルの言葉を聞くと、ミディスラシールはケルヴィーやアスガルム領民たちに声をかけた。一同はイズナを奥の部屋に連れて行くために慌ただしく動き出す。

 ある程度人が集まると、イズナを大きな布の上に乗せ、ゆっくり持ち上げて奥に移動し始めた。

 フリートがミディスラシールの近くを歩いていると、気配を察した彼女に振り返られた。揺るぎのない緑色の瞳を向けてくる。

「フリート、リディスを頼むわ。我を取り戻してあげて」

「……言われなくても」

 フリートは頷いてから、リディスの傍に近づいた。かがみながら背を向けているリディスの左肩にそっと手を置く。びくりと肩を動かされた。よく見ると、彼女の全身は小刻みに震えていた。

「リディス?」

 フリートは彼女の前に移動すると、思わず息を飲んだ。

 彼女の目から止めどなく涙が流れていた。リディスは開いた両手をじっと見つめている。

「おい、大丈夫か。傷が痛むのか?」


「……わからない」


「は?」


「何が正しいのか、わからない!」


 無造作に両手で髪をかきあげ、リディスは頭をふるふると振り続けていた。涙は地面を濡らし、次第にその面積が大きくなる。ここまで取り乱した彼女を見るのは初めてだ。

 おそるおそる手を触れようとしたが、勢いよく跳ね返された。それが逆にフリートの負けず嫌いな性格に火を付ける。

 拒絶するリディスの両腕を無理矢理掴み、怯んだところで抱きしめた。彼女は逃れるためにばたついていたが、やがて力の差にかなわないと知ったのか、動くのをやめた。だらりと腕が垂れ下がる。

「……どうした」

「わからない」

「だから何をだ。その言葉だけでは、俺もわからない」

「……私、人を殺した。あれは正しいことだったの?」

「違う、あれは人の形をしたモンスターだ。人間じゃない。だから還したんだろう、殺したんじゃない」

「でも、元は人の負の感情から生まれたものでしょう。それを消すのって、人の感情を殺すってことじゃないの!?」

 震えている理由が徐々にわかってきた。

 今まで当たり前にやってきたことに対して疑問が生じ、聞いた事実を理解できないまま戦闘に突入。そして人型に急所を刺すという、人間を殺すのに似たような行為をしてしまった結果、心が激しくかき乱されたのだ。

 フリートも任務とはいえ、人を傷つけたことはある。肉を切る感触、飛び散った生温い血、薄汚れた手――思い出す度に胸が引き締められた。

 しかし、今回リディスが相手をしたのは、外見は似ているがモンスターである。

「リディス、いいか、考えが根本的に違うんだよ。消すとか殺すとか、そういうのじゃなくて、俺たちは在るべき処にモンスターを還すために、浄化しているんだよ」

「けど……」

「じゃあ、これからお前は何もせずに他の誰かが殺されていくのを、黙って見ているのか?」

 リディスがびくっと体を震わせた。

 非常に嫌な奴だと思いながらフリートは続けていく。


「お前は色々な立場がある。貴族の娘だったり、旅人だったり、重要な鍵だったり。さらにスピアに還術印を施してもらった瞬間から、お前は還術士になった。モンスターの脅威から生きている人間たちを護るための人間になったんだよ!」


「……私が、護る……」

「そうだ。そのスピアで護るんだ」

 フリートは力強く応えたが、リディスは依然として浮かない顔をしていた。

「……そうは言うけど、現状としてそんな人間が護られて、他の人が傷ついている。矛盾していない?」

 返答に窮した。思いついた否定の言葉を述べようとしたが、リディスの口は閉じなかった。

「イズナさんはあの時私がすぐに還していたら、怪我をすることはなかった。そもそも、ここを襲われたのだって、樹やあのモンスターの名を出してしまったために反応したんでしょう。つまり私が来なければ何も起こらなかったのよ。私が何もしなければ、誰も傷つかなかったのよ……」

「リディス……」

「――ねえ、フリート、最近よく思うの」

 リディスがゆっくり顔を上げて、フリートを見た。


「――何をしても結局運命は変わらないって」


 リディスの儚げな笑みは、フリートの目の前でモンスターに致命傷を負わされた母と被る。

 諦め、悟りきった表情の彼女は、呆然としているフリートの手から易々と逃れ、トルたちがいる方へ行ってしまった。


 笑ってはいた。だが影がある。

 まるでロカセナと同じような笑みだ。

 これしか道はないと思い、自ら苦しみの道を歩み始めている表情――。


 一刻も早く自分自身を取り戻さなければ。

 しかし、どんな言葉がかけられるだろうか。たった一体のモンスターにより、イズナは負傷、他の者たちも多かれ少なかれ怪我を負わされた。

 このような相手が扉の奥にまだたくさんいる。さらにはそれ以上の能力を持つモンスター、ラグナレクが扉を開けば出てきてしまうのだ。


 大樹がある地でノルエールが提案したのは二つ。

 一つ目は、そのまま扉を閉じ、リディスが樹のある土地で永遠に祈り続けること。ただしレーラズの樹は本来在るべき処にないため、たとえ祈り続けたとしても不安定な状態は続くので、危険なのには変わりない。

 二つ目は扉を開き、樹をこの地に戻してから、封印を解いたラグナレクをリディスの力を用いて再封印して、扉を閉じること。リディスに多大な負担がかかり、その後この地に立てない可能性が高いが、これが最もよいと考えられる。ただし一度封印を解くため、必然的に戦闘は避けきれない状況になると思われる。


 さらにイズナが第三の案として言ったのは、二つ目の内容に関して、イズナとリディスが共同で封印を施すというものだった。それであればリディスへの負担が減り、生き残れる可能性は高くなる。

 しかしイズナが負傷した今、第三の案ができるかどうか疑問だった。

 大がかりな召喚は、健康な術者であっても体に負荷をかける。体調を万全にして召喚は行いたい。にもかかわらず、もともと体力がないイズナがさらに怪我をしたとなれば、条件的にはかなり悪い状態になる。つまり第三の案を実行するのは難しい、という結論を弾きだすのが妥当だった。

 もし第四の案があるとするならば、それはミディスラシールの口から聞くことになるだろう。その内容を薄々勘付いているフリートとしては、出された場合には快諾するつもりだ。

 だが、場の中心であるリディスがあの精神状態では、彼女がその提案に首を振るとは言い難かった。

「フリート、何突っ立っているの」

 メリッグが目を細めて話しかけてくる。リディスはルーズニルと共にトルを奥に連れていったようだ。

 腕を組みながら、溜息を吐かれる。

「貴方が未来を描けないようなら、僅かな希望もゼロになるわ」

「どうして俺が関係あるんだ……。リディスだろう、鍵は」


「貴方は扉を開ける者、つまりは先を導く者よ」


「俺が?」

 思いもよらぬ言葉にフリートは目を丸くする。メリッグは一歩近寄った。

「いいかしら、フリート。本当に正しい状態は、五十年前よりも、さらに昔の状態に戻すこと。モンスターが封印されていること事態が、循環を乱している原因なのよ」

「たしかに……」

「力がないのなら、力を集めればいい。希望が見えないのなら、探せばいい。――現時点で何も未来は決まっていないわ。明日のことですら、誰も正確に言い当てられないのよ」

 微笑むメリッグにつられて、フリートも肩の力を緩めた。

 洞窟の奥に行った金色の髪の娘を思い出す。同時に銀色の髪の青年も脳裏によぎった。

「力――か」

 フリートは呟きながら、思考をゆっくり巡らせ始めた。

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