一筋の希望は何処に(2)

 メリッグたちはリディスたちから少し離れた場所で、アトリと戦闘を繰り広げていた。

 トルとルーズニルが接近戦に持ち込もうとするが、アトリが乗っているモンスターをちょこまか動かすため、一方的に攻撃を受ける形となっている。

「あんなに威勢よく言っていたのに、結局攻撃できないなんて、口だけの女ってこと?」

「あら、貴女こそこれで終わりかしら。口だけというのは、貴女じゃないの?」

 アトリがむっと口を尖らせると、羽が生えたモンスターの背中を叩いた。するとそれはメリッグに向かって突っ込んでくる。トルとルーズニルが庇うようにメリッグの前に立つ。メリッグはアトリの行動を見て、くすりと笑った。

 穏やかに揺れていた湖は、急に激しく波を立て始める。やがて巨大な津波となってアトリとモンスターを飲みこもうとした。

 背後に意識を向けていなかったモンスターたちは、頭から波を被ることになる。被った瞬間、水は氷に変化し、即座に氷の彫像ができあがった。

 大規模な召喚をした影響でメリッグは僅かによろけて、壁に寄りかかる。だが、口元は薄らと笑みを浮かべていた。

「綺麗に凍り付いたわ。さて、破壊して、還しましょうか」

 メリッグが手を振り上げようとした矢先、氷の中のアトリの目がぎょろりと動いた。それを見たトルは、反射的にメリッグの前に移動し、彼女を倒して覆い被さる。ルーズニルは急いで風の精霊シルフの加護を借りて簡易の結界を張ろうとしたが、完全に発動する前に事は起きた。

 アトリが内に秘めた力を使い、自ら氷をぶち破ったのだ。

 飛び散った氷がメリッグたちに襲い掛かる。その氷はメリッグを庇ったトルの背中に容赦なく突き刺さった。彼のくぐもった声が聞こえてきた。

 防御を試みたルーズニルでさえも、苦悶の表情を浮かべている。結界が間に合わなかった足や腕の一部に氷が刺さっていた。

 一連の攻撃を見ていたリディスやフリートたちは、その場で立ち尽くしていた。

 アトリが乗っていたモンスターは氷付けにされたことで、既に還っている。

 しかし、彼女はまるで何事も無かったかのように、宙に浮かびながらメリッグたちを悠々と見下ろしていた。

 今まで出会ったモンスターとは、格がまったく違う。

 メリッグとトルは、辛うじて発生させたルーズニルの結界のおかげで最悪の事態は免れている。だが、トルの背中から流れ出る血は、相手が予想以上に強敵だということを静かに物語っていた。

「なんだ、つまんないの。自分の氷で痛い目にあってもらおうと思ったのに」

 メリッグはトルの下から這い出て、呻き声を発している彼をゆっくり地面の上に横にすると、ぎろりと睨み付けた。

「……度が過ぎるんじゃないかしら」

「あ、嬉しいな。怒ってくれた方が、あたしとしてはすごく嬉しい」

「はあ、何で――!?」

 アトリの体がうっすらと黒い霧に包まれていく。

 ルーズニルは顔色を変えて、メリッグの傍に寄った。アトリが手で凪ぎ払う動作をすると、鋭い刃が出現し、メリッグたちに襲いかかる。先ほどのよりも何倍も速い。

 険しい表情をしたルーズニルは風の精霊を瞬時に召喚し、瞬発力を高めてから二人を抱えて移動した。

 ほんの僅かな時間差で刃は土の壁に突き刺さる。ぎりぎり回避でき、ルーズニルはほっとしていると、メリッグが弱々しい声を出した。

「……ごめんなさい」

「謝らないで。君が怒るのは当然だ。――トル、大丈夫かい?」

 ルーズニルは褐色の肌の青年に話しかけると、彼は仄かに笑いながら口を開いた。

「ああ、これくらい何って事ないさ……。ただちょっとチクチクというか、むずむずするだけだ。なあ、背中掻いてくれないか、メリッグ」

 おどけた表情で言うトルを見て、メリッグは安堵の表情を垣間見せたが、すぐに真顔に戻ると彼の背中を一発叩いた。

「……っ痛! 怪我人に何するんだ!」

「冗談が言える人を怪我人とは見なさないわ。自分で地面に横たわって、転がっていなさい。小石もたくさんあるから、よく背中が掻けるわよ」

 背筋がぞっとするような微笑み方をされ、トルは顔をひきつらせる。そして項垂れながら、脱いだ上着を使って背中の止血をし始めるルーズニルに身を預けた。

 三人のやりとりを見たリディスたちは、胸を撫で下ろした。命に別状がないのはよかった。

 しかし、三人にはもうアトリの相手をするのは無理だろう。

 トルの怪我はもちろんのこと、素早さが命であるにも関わらず足を負傷したルーズニル、大津波を起こすという大規模な召喚を行ったメリッグに連戦はできない。

 アトリはそれをわかってか、メリッグたちには見向きもしなかった。きょろきょろと辺りを見渡すと、口元を釣り上げた。

「へえ、他のモンスターたち、還したんだ。結構やるじゃん」

「お褒めの言葉ありがとう。貴女は一筋縄ではいかなそうね」

「そうそう、うっかり陸地に足を踏み入れるとか、何か誤って飲み込むとか、絶対にしないから」

 ミディスラシールはこめかみをぴくりと動かしながら、左手をぎゅっと握りしめる。

「水も使っているけど、本当は土の使い手でしょ。かなり強いみたいだけど、精霊召喚なんて制限かかりっぱなしで、あたしの相手じゃない。――他は剣士が二人と双剣使いが一人、それと槍使い? 色々な人がいるんだね。でもさ、あの子たちの外皮を破れなかったんでしょ。そんなんじゃアトリにも傷一つ付けられないよ」

 アトリが右手を横に出すと、瞬時に手が鋭い剣に変化した。左腕にそれを振り降ろしたが、まったく表皮は傷つかなかった。

 一同は口を閉じたまま、アトリを注視する。

「びっくりしちゃって動けない? そっちがこないのなら、こっちから行くよ。まずは……面倒な女からね!」

 アトリが尖った右手をミディスラシールに向けると、それが勢いよく伸びた。先端が彼女に向かってくるが、スキールニルが力任せに跳ね返した。鈍い音が洞窟内に響き渡る。

 しかし、それで終わらず、右手はまるで鞭のようにしなやかに動き、ミディスラシールに再度襲ってきた。

 左側からくる。どうやら左脇腹を狙おうとしているようだ。

 スキールニルは彼女を押し、アトリの右手の先端にある僅かな隙間に、剣を入れて抑えこんだ。

 ミディスラシールは手を地面に触れ、土でできた手を召喚し、陸の上にまで伸びているアトリの腕を押さえ込もうとした。

「そんなの見え見え!」

 アトリが歯を見せながら、今度は左手を突き出す。その手のひらから大量の石礫を出現させた。それをミディスラシールに向かって投げつける。

 彼女に触れる前に、セリオーヌが前に出て双剣を素早く動かし、石礫を跳ね返した。ほとんどの石が鮮やかに跳ね返される。

 残ったものは僅か、かつミディスラシールがいる位置から離れている場所を通過したため、大事には至っていない。

 その攻防を見ていたリディスたちは、左の方から鋭い視線が向けられているのに気づく。深い紫色で、意志が強い瞳――彼女が口を開く前に、リディスとフリートはアトリに向かって走り始めた。

 その先に立ちはだかるのは、静かに揺れている底は深い湖。

「馬鹿ね、そこから飛んでも届かないよ。勝手に溺れれば?」

 アトリはあざ笑いながら、ミディスラシールに視線を向けていた。二人が持っている武器では斬れないと見なし、相手にしていないらしい。

 走っていると、フリートがリディスの傍に寄り、彼が常備しているショートソードを一本差し出してきた。騎士たちに支給されている剣である。

「この先端に火の精霊サラマンダーを宿せ。俺が下からあいつの気を引かせる」

「どうしてフリートの剣で? 熱を帯びたとしても、溶けるかどうか……」

「そしてすぐに水の精霊ウンディーネに変えろ。極力温度を下げてだ。……危険だけど、できるか?」

 リディスは一瞬思考を巡らしてからフリートの意図を察し、固い表情で頷いた。

 これはリディスしかできないことだ、やるしかない。

 スピアの召喚を解いて、剣を受け取った。刃ころびがなく、綺麗な剣だ。磨いている姿を見たことがあったリディスにとっては、量産品とはいえ、この剣の末路を考えると少々心苦しかった。

 手元にある結宝珠を用いて、全身を結界で包み込む。

 走っている間に、湖がうっすらと凍り付いていく。本当に僅かであるため、仄暗い洞窟の中ではすぐには気付かなかった。

 そして二人が湖に足を踏み入れる直前に、メリッグは水の精霊の力を最大限に引き出す。湖は完全に凍り、リディスたちが乗っても大丈夫な氷の板が作られた。

 アトリは足場ができて駆け寄ってくる二人に対し、ミディスラシールへの攻撃をやめた左手を突き出した。石礫がリディスたちに襲いかかってくる。フリートはかわしながら右前へ進み、リディスは風の精霊シルフの加護を纏いながら左上に跳躍した。アトリの後ろに一度降り立つと、すぐにリディスは後ろから再度飛んだ。

 そしてリディスがアトリと同じ高さになる前に、フリートが今度こそ真下から剣を振り上げた。

 瞬時に剣の技量を判断したアトリは、リディスには気にも留めずにフリートに石礫を投げた。彼は防御せずに、一直線に飛び込んでいく。頬や腕に石がかすり、赤い血が滴った。

「あら、よく見ればいい男ね。血だらけになったら、さらにいい顔になるわよ。あたしの手で氷の上に叩きつけてあげる!」

「断る!」

 アトリが石礫を出すのをやめて、拳を固めてフリートに殴りかかる。その直前にリディスは彼女の後ろ首筋に火の精霊の加護が付いた剣を当てた。

 触れて数秒後、すぐに水の精霊の加護に変える。刃には低い温度の水が滴るようにして。

 高温の場に、温度が非常に低い水が接触する――。

 リディスが剣から手を離した瞬間、アトリの首後ろで激しい爆発が起こった。

 その爆発により外皮は剥がれ、柔らかな中身が露わになる。リディスは隙を逃さず、召喚したスピアを突き刺した。肉を刺す感触に不快を感じつつ、奥に刺していく。その途中、アトリがぎょろりと目玉を向けてきた。


「お前、どうして水と火を両方召喚できる。まさか――鍵か?」


 ぞくりと感じた殺気に、リディスは反射的にスピアから手を離した。

 急いで下がらなければと思い、重力に従って氷の板に降り立とうとする。

 だが、その前にアトリの自由自在に伸縮できる右手により、右肩を上から叩かれた。

 勢いよく落下し、そのまま氷の板に衝突、ひび割れた隙間から水の中に沈んでいった。

 右肩の痛みが全身に伝わっていく。あまりの激痛によりリディスは思うように動けなかった。

「リディス!」

 フリートの声に反応し、リディスは水面に向かって手を伸ばした。しかし彼はアトリの右腕によって、洞窟の壁に叩きつけられた。

 凍っていた湖はいつしか元通りの水に戻っている。凍死することはないが、この状態では溺れてしまう。必死にもがくが、その努力も水の泡となって消えていった。

「このまま溺れ死ぬのもいいけど、ちゃんと息の根を止めないとラグナレク様に報告できない。あたしの手で心臓を刺してやる」

 アトリの右手の中指が伸びて水中に入ってくる。リディスは何らかの精霊を召喚しようとするが、力が入ってこなかった。

(召喚ができない。結界も張れない……。このまま何もできずに死ぬの?)

 左手で胸元を探りながら、いつも使い続けていた若草色の魔宝珠に触れる。

 そしてフリートからもらった、鍵型のペンダントにも触れた。それに触れると、冷たい水の中であるが少しだけ温かくなったような気がした。

 指が目前に迫っている。あと少しで刺さる――その瞬間、鍵から光が発し、その光はリディスを包み込むように広がったのだ。それに触れたアトリの指は激しく弾かれた。

「くそ、今度は五本だ!」

 言葉を吐き捨てながら、アトリは右手の五本指をすべて水の中に侵入させてくる。それを意識が朦朧とする中で眺めていると、リディスを包む光に近づく前に、彼女は動きを止めた。

 うっすらとだが、糸のようなものでアトリは取り押さえられている。

 動きを封じられたアトリの指は元に戻っていく。意識はリディスとは違う方に向いていた。

 相手の意識が逸れ、ほっとしたのも束の間、呼吸がまともにできずに、為す術もなくリディスは沈んでいく。

 鍵をぎゅっと握りしめていると、横から黒髪の青年が勢いよく泳いできた。それは通常では考えられない速さ。よく見ると、水の流れができており、それに彼が乗っていたのだ。

 リディスはそのままの勢いでフリートに抱えられ、一気に水の外に出た。すぐに空気を求めて激しく呼吸をし始める。

 フリートは洞窟全体に張り巡らされた、見えない糸で取り押さえられているアトリの様子を伺いながら、ゆっくり陸地に向かって泳いだ。そしてメリッグたちがいる場所に近づくと、ルーズニルが手を差し出してきた。彼はその手をしっかり握り返す。

「間に合ったようだね」

「メリッグが水の流れを作ってくれたからな。普通に泳いでいたら無理だった。――ありがとう」

「私の手を煩わせないで。……二人とも、作戦は悪くないけど、もう少し慎重になって敵に攻撃しなさい」

 言葉こそ怒っていたが、メリッグの表情は穏やかだった。彼女はリディスの肩を支えながら、戦況を眺めた。

「さて、これからいったいどうなるかしら」

 リディスはメリッグの視線と同じ方向にむける。

 アトリの鋭い視線の先には、銀色の髪の美しい女性が静かに見返していた。彼女は胸の前で両手をしっかり握りしめていた。


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