繋がる真正の輪(5)

 リディスたちが資料室に移動する間、帽子を被っているからか、ミディスラシールが一緒にいないからかはわからないが、先ほどよりも向けられる視線は少なかったと思われる。

 たまに好奇心旺盛な小さな子供が近寄ってくるが、ケルヴィーがやんわりと断りを入れていた。リディスは軽く手を振って子供たちと離れた。

 入り口からイズナがいる部屋に行く前に二手に道が分かれている。そのもう片方の道の半ばに資料室はあるらしい。

 通路の脇には一定の間隔で小さな光宝珠が置かれていた。それを持ち運ばせないよう、結界がうっすらと張られている。また洞窟内では空気が淀まないよう、風の精霊シルフが風を吹かしていた。

 ささやかではあるが使いこなされている魔宝珠を見て、リディスはつくづく感心していた。


 ケルヴィーが立ち止まると、資料室と書かれた部屋の前に辿り着いた。鍵は開けっ放しで、ドアを押すと鈍い音を立てながら開かれる。部屋の中に光宝珠はなく真っ暗だったが、ケルヴィーが宝珠を差し出してくれたため、すぐに明るくなった。

 入り口付近は比較的綺麗な状態の本が棚に並んでいる。奥に行くにつれて埃は多くなり、蜘蛛の巣の量も増え、長年手を加えられていない部分が明白になった。進むには手で掻き分ける必要がありそうだ。

 ケルヴィーは腰に手をつけて、資料室内を見渡す。

「ルーズニルが求めている本は一番奥じゃないかな。入り口近くにあるのは、おれが頼まれて買ってきた新しめの本が多い」

 ルーズニルは積んであった新しい本の背表紙をちらりと見ると、頷き返した。

「そのようだね。埃も被っていないし、まだまだ新しい。ケルヴィー、ここにいれる時間はどれくらいある?」

「イズナ様の体調にもよるけど、長くて夕方くらいじゃないか?」

「わかった。少し集中して読ませてもらうよ」

「ああ。遠慮なく読みふけっていてくれ。おれも久々に何か読もうかな」

 ケルヴィーは手前にある本棚から一冊の本を取り出した。小説らしく、リディスも知っている題名が書かれている。入り口近くにある本は大衆小説などが多いらしい。

 ルーズニルは部屋の奥に入り、埃を被っている本棚から吟味をし、古そうな本を手に取った。腰を下ろして開くと、本についていた埃が舞い上がる。本を閉じ、埃を軽く手で払うと題名が露わになった。

 古びた本に興味を持ったリディスは思わず覗き込む。

「何の本ですか?」

「歴史書だよ。たぶん二、三十年以上前に書かれたものだね」

 ルーズニルは目を輝かせながら、一ページ目を開いた。その文字を見て、リディスは若干顔をひきつらせる。

「古代文字ですか……」

「そうだね」

 さらりと肯定の言葉を述べると、ルーズニルは鞄から小さな本を取りだした。古代文字を訳すための簡易辞書である。

「古代文字で書かれた文献の方が、自分たちの知らないことが多く載っているよ」

「その通りですけど、平々凡々と生きていたら、そういう本を読む機会は少ないんですよね。……辞書を使いこなすまでにかなり時間を要したと思うのですが、どうしてルーズニルさんは古代文字を読み込むまで、何かを学ぼうとしているのですか?」

 リディスやフリートも知識を欲している方であるが、ルーズニルには敵わなかった。一度だけ彼の鞄の中身を見たことがある。紙の束がたくさんしまわれ、中身はどれも細かな文字で覆い尽くされていた。

 ルーズニルは眼鏡の奥にある目を細めて、リディスを見返した。

「――過去から未来を推測するためだよ」

「未来を? 予言をするためではないですよね」

 とっさに思いついたのが、予言者であるメリッグの存在だ。彼女はこれから何が起こるかを、水晶玉を通じて見ようとしている。そこで見えたものを正しく判断するために、様々な面から知識を付けていた。

 ルーズニルはリディスの言葉に対して、首を横に振った。

「まさか、僕に予言はできないよ」

「じゃあ、どうして……」

 ルーズニルは軽く眼鏡を直した後に、微笑みながら口を開いた。


「過去を曖昧にしたまま、放っておいてはいけないからだよ。歴史は繰り返す。つまり過去を正しく知ることができれば、未来を切り開くことができるはずだ――」


 当たり前のことであるが、改めて言われてリディスは今一度その言葉を噛みしめた。

 知識を付けるということは、すなわち過去の記録を記憶することだ。様々な面を学ぶことができれば、知識の幅はさらに広がる。そしてたくさん得た知識が繋がる時、また新たな段階へと踏み入れるのだ。


 リディスが今、還術に対して抱いている想いも、次の段階に移行しつつある。

 今までは人々の生活を脅かす相手を還し、彼らを護るために行っていたが、実際はそうではなかった。

 正しい循環を取り戻すために、還術をしていたのだ。

 負の感情を解放するのに抵抗がないわけではない。だがイズナの言うとおり、負の感情を抱いてこそ、人間の在るべき姿なのである。

 これから正しい道を歩むために、その事実を心に深く刻み込んだ。


「僕ね、さっきのイズナさんの話を聞いて、両親が穏やかな表情をしながら亡くなった理由が、ようやくわかった気がするんだ」

 ルーズニルが本に視線を落として話しかけてくる。哀愁漂う表情をしていた。

「負の感情が戻って、ほっとしている間に殺されたんじゃないかなって」

「どういう意味ですか?」

 リディスが目を瞬かせていると、ルーズニルは本の間に栞を挟んで顔を見上げた。

「たとえばモンスターが複数いたとする。仮に一匹還せた場合、普通ならば黒い霧はすぐに消えてしまうけれど、何らかの影響で残っていたモンスターに取り込まれた場合、さらに強くなるんじゃないかな。そのような中、在るべき感情を取り戻して気が緩んでいれば、とっさに太刀打ちできないと思ったんだ」

 ルーズニルは立ち上がり、比較的綺麗な薄い本を一冊取り出すと、リディスに手渡した。タイトルには“予言者の村”と書かれている。ページを開けば、リディスも何度か聞いたことがある村の名が載っていた。発行年月日は三年前だ。

「その本を読んでもわかるけれど、七年前、アスガルム領民のある人物が大規模な召喚をしたらしいんだ。その直後のモンスターの暴走っぷりはとても酷く、多くの死者を出したと言われている。おそらく循環が一時的に激しく乱れ、遠く離れた樹による浄化が間に合わず、モンスターの中に負の感情が積もったために、凶暴化したのが原因ではないかと僕は思う。――それによって、モンスターが僕たちの両親に手をかけたのかもしれない」

 リディスは本をぱらぱらと捲る。予言者の村の簡単な説明と、七年前に発生した村の消失事件について書かれていた。一つの村を消失させるほどの能力を持つ者は、アスガルム領民以外いないと言われている。

 気がつけば、すぐ後ろでフリートが眉間にしわをよせて突っ立っていた。

「どうしたの、怖い顔をして」

「いや……。アスガルム領民がする召喚は、そんなにも影響があるんだなって思っただけだ……」

「確かに影響はあると思うけれど、すべての原因は樹がこの地にないからだよ」

 ルーズニルは表情を変えずにフリートにそっと近づき、耳元で囁いた。

「……何か察したようだけれど、言わないでね、あの人に。その件に関わっている、いないに限らず、自分のせいにしてしまいそうだから」

「わかっています」

 意味が分からないリディスは首を傾げる。だが誰かの想いを護りたいというのは伝わってきた。ここで聞くのは愚問のことだろう。

 リディスは受け取った本を抱えながら、さらに奥にある本棚に行った。そこでじっくりと背表紙を見る。その中に少し飛び出している、古めかしそうな薄いノートがあった。何気なくそれを手に取る。表紙に書かれている文字は古代文字ではなく、日常的に使われている文字、しかもかなり達筆な文字だ。

「樹とアスガルム領民の関係?」

 誰かがメモとして書いたものだろうか。捲ると大きな樹の絵が視界に飛び込んでくる。それはリディスがあの地で見た、樹とよく似ていた。

 埃を払い、小さな椅子に座って中身を読んでいく。アスガルム領民と樹との関係を丁寧に記した内容で、リディスが既に知っているものばかりだった。

 レーラズの樹を護るために、アスガルム領民がその周辺で護り続けている。樹から落ちる宝珠を必要以上に求め、樹に近づくものは、アスガルム領民から厳重に注意を受ける、時として強制排除など、一般的に広まっている知識だった。

 だが所々に書かれているメモが、リディスの心を惹き付ける。アスガルム領全体の雰囲気や、この大陸にあった際の村の配置図など、領について詳しく知っている者から聞かなければ、わからない内容も多々あった。

 ぱらぱらと読み進めながら捲っていると、ノートの最後の方でリディスは捲る手を止めた。

 そして小さな文字で書かれたその内容を凝視する。


 繋がるあの時の言葉と、その言葉を出したあの人の表情――。


 すべてを悟ったような顔つきだった。人生さえも。

 リディスは左手を軽く握りしめて、深く考え込んだ。


 どのようにすれば最小の犠牲で、多くの人が笑い合える未来を創りだせるのか――と。

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