繋がる真正の輪(4)

 イズナの体力が回復するまで、別室の客間で休むことになったリディスたち。部屋に入ると、ベッドが奥に四つ並び、手前に丸い机が置かれていた。窓がないため若干息苦しさを感じるが、夜だと思い込めばそこまで苦ではない。

 白い布団で覆われているベッドを見るなり、トルは駆け出しそうになったが、メリッグは彼の頭を巻いているバンダナを引っ張って止めさせた。不服そうな表情で振り向くと、彼女は左手を腰に当てて見上げている。

「貴方も疲れているでしょうけど、もっと疲れている人はいるのよ、トル・ヨルズ」

「そりゃそうだけどさ……」

 城を出てからベッドの上で寝ていないトルにとっては、目の前に並んでいるものは魅力的なものだろう。

「じゃあ帰り、貴方が結界を張ってくれる?」

「張れないのを知っていて、その台詞はないだろう! わかりましたよ、大人しく雑魚寝させて頂きますよ!」

 溜息を吐きながら、トルは寄りかかれる場所を探し始めた。メリッグは肩をすくめて、ミディスラシールを横目で見る。

「お姫様、少しはお休みになったらどうかしら」

「……そうね、ここでは何もできなさそうだから」

 珍しく素直に意見を応じたミディスラシールは、一番奥にあるベッドに向かって歩いていく。リディスは歩いている彼女の横顔を見て、疲れが滲み出ているのに気付いた。

 やがて彼女はベッドの上に腰をかけると、スキールニルに視線を送った。

「少し横になるわ。何かあったらすぐに起こして」

「承知しました」

 軽く一礼をしたのを見てから、ミディスラシールはローブを脱ぎ、リディスたちがいる反対側に顔を向けて、布団の中に潜り込んだ。


 メリッグは欠伸を手で隠しながら、セリオーヌやリディスを見た。

「セリオーヌさんも休んだらどうですか? この大男と馬が一緒だと疲れるでしょう」

「これくらいは訓練でもよくやるので、大丈夫ですよ。寄りかかれる場所があれば、体力は回復しますので」

「本当に騎士団の人達は真面目なのですね。――リディスは?」

 メリッグに話題を振られたリディスだったが、すぐには返事ができなかった。長時間に渡る移動で休みたいという思いはあるが、後ろでルーズニルとケルヴィーが話している内容に気をそそられていたのだ。

「――ごめん、無理言って。でも貴重な機会だから」

「禁書以外なら大丈夫だから。ほとんど城にもある本だと思うけど、それでもいいの?」

「城に戻ってから時間が取れるかわからないからさ」

 ルーズニルがケルヴィーに導かれて部屋を出ようとすると、リディスは思わず声をかけていた。

「ルーズニルさんにケルヴィーさん!」

 二人がきょとんとした表情で振り返る。

「資料室に行くんですよね。私も連れていってくれませんか?」


 疲れをとるよりも、ささやかでもいいから情報が欲しかった。

 無知すぎて、本当に嫌になる。


 さっきイズナからモンスターや還術のことを言われた時、リディスは初めて聞く事実に驚いていたが、ミディスラシールやメリッグはほとんど表情を変えていなかった。すなわち彼女たちは知っていたか、薄々感じ取っていたのだ。

 知っていたからといってすぐに何かが変わるとは思えない。だが銀髪の青年に声を届かせるためには、情報の絶対量が少なかった。アスガルム領民が集うこの地なら、参考になることが知れるかもしれない。

 真っ直ぐ瞳を向けると、ルーズニルは少し困ったような表情をケルヴィーに向けていた。

「駄目……ですか?」

「リディスさん、変装用の帽子を持ってきていたよね。それをしっかり被ってくれるならいいと思うよ」

「帽子を?」

 ミスガルム王国に再度訪れた際に使用した帽子のことを思い出す。鞄から取り出し、深々と頭に被るとルーズニルはにこりと微笑んだ。

「ありがとう」

「……金髪、駄目ですか」

 明らかに余所者を示している髪色。似たようなやりとりを何度も繰り返していて、嫌気が差しそうだ。

 ケルヴィーが苦笑いをしながら首を横に振った。

「駄目というわけではなく、君の安全のため。だいたいのアスガルム領民は城に対して友好的だけれど、一部に非友好的な人たちがいるからね。金髪イコール王族と決めつけて、頭に血が上って襲ってくることもなくはないからさ。実際にそういう事件もあったし」

「金髪の人がここに来たことがあるのですか!?」

 リディスは思わず半歩寄った。金髪の人は黒や茶色系統と比べて数が少ない。この場所に訪れる人ももちろん少ないだろう。いったい誰であろうかと思いあぐねていると、ケルヴィーが話を続けてくれた。

「おれが小さくて、まだここにいた時だったから、二十年近く前かな。当時の女王様がお忍びで来たのさ」

「ノルエール女王様が? いったいどうしてでしょうか」

「すまないが理由はわからない。おれも小さかったからさ。ただ、アスガルム領を消されたと思いこんでいる人たちが、それを実行した王族である彼女を襲おうとしたのはよく覚えているよ。優秀な護衛がいたから事なく終えたけれど、一歩間違ったら大事おおごとになっていた。……まったく、双方が納得して行った事実がきちんと伝えられていないなんて、困ったことだよ」

 リディスは布団に潜り込んでいるミディスラシールに視線を向けた。布団ごと規則正しく上下に動いている。疲労も溜まっていたため、すでに眠ってしまったのだろう。

 あの女王がここに訪れたという事実は、おそらくミディスラシールは知らないと思われる。ミーミル村にてアスガルム領民の生き残りがいると知った時、心底驚いた表情をしていたからだ。

 しかし、ミスガルム国王はどうだったのだろうか。

 おそらく女王が来たのは、どのようにすれば樹がある地に行き、リディスの代わりに祈りを捧げ続けられるかを聞きたかったためだろう。

 国王にも知らせず女王単独で来るとは考えにくい。移動時間がかなりかかるし、護衛を多数付けて城を離れるとなればさすがに気づくはずだ。つまり国王は知っていたという考えが有力である。

 それならば、なぜリディスたちに知らせないまま、城から送り出したのだろうか。

 アスガルム領民の生き残りがいると初めからはっきり知らせてくれていれば、移動中悶々と過ごすことはなかったはずだ。この場ではその理由はわからないが、領や大陸の行く末を想っている国王だからこその考えがあるのかもしれない。

 ケルヴィーはリディスの金色の髪をすべて帽子の中に入ったのを確認すると、ドアを押した。歩きだすと、黒髪の青年も平然と付いてくる。眉をひそめて振り返ると、一瞬びくっとされた。そんなに嫌な顔をしていただろうか。

「俺も貴重な資料が読めるのなら、読みたいんだが……」

「別にいいけど……。フリートも私に負けず劣らず、知識を得るのには貪欲だったよね。それに――」

(貴方だって、ロカセナのことで悩んでいるんでしょう。彼に剣を振るう理由を探しているんでしょう?)

 会話の途中で口を閉じると、フリートは怪訝そうな顔をしていた。リディスは目を伏せて何でもないと言いながら首を振り、ルーズニルの後を急いでついていく。ケルヴィーたちは、少し歩調を遅めてリディスたちと合流した後に、資料室に向かった。



「……お姫様、いつまで寝たふりをしているの」

 メリッグはドアを閉じたのを確認してから、ミディスラシールに言葉を投げかける。トルが目を丸くしながら、「へっ?」と気の抜けた声を出していた。すぐに反応しないと、わざとらしく溜息を吐かれる。

「部屋の外に出ても混乱が生じるだけだから、貴女は大人しくしているのでしょう。寝たふりをしたのは、リディスに余計な追求をされたくなかったから。――知っていたの、ここの場所の存在を」

 容赦のない鋭い言葉がミディスラシールの背中に突きつけられる。仕方なく体を持ち上げて、髪を整えながら淡々と応えた。

「この場所の存在は本当に知らなかった。ただこの地に入った瞬間、私に突きつけられる視線の中に憎悪が含まれていたから外に出ず、この部屋で休むことに徹しようと思っただけです」

「父親から大切な事実を知らされていないなんて。貴女も可哀想な人ね」

「娘だからといって、父が持っている情報をすべて共有しているわけではありませんよ。教えなくても辿り着くと思ったのではないでしょうか。それか辿り着いても、着かなくても、未来は何も変わらないと考えていたか」

 もし後者だとしたら、無駄足を踏ませていることになる。希望があるかもしれないと思っているミディスラシールたちの行動が酷く間抜けに思えてきた。

 俯いていると、メリッグがミディスラシールのすぐ横にあるベッドに腰をかけた。紺色の長い髪をそっとかきあげる。

「私も自分の父親が何を考えているかなんて、わからなかった。別に落ち込む必要なんてないわよ」

「……優しいんですね。リディスが懐くわけもわかります」

 素直に言葉を述べると、メリッグは口を尖らせて視線を逸らした。照れているのを隠している姿が可愛らしくも思える。だが後ろで過剰に反応した青年によって、いつものメリッグに戻ってしまった。

「え、メリッグが優しいって!? いつも辛口言葉を吐きまくっているのに!? 俺、優しくされたことなんかねえよ!」

「黙っていなさい、馬鹿男。氷付けにしましょうか?」

 メリッグは首から下がっている魔宝珠を握りしめて、トルに向けて微笑んだ。彼女の周りからはうっすらと冷気が漏れ出ている。それを見た彼は顔を引きつらせて数歩下がった。

「……仲がよろしいんですね」

 ぼそりと言うと、メリッグの鋭い視線が向けられる。

「変なことを言うと、お姫様であっても容赦はしないわよ」

 メリッグの後ろにいるスキールニルの眉が微かに動く。冗談が通じない護衛に慌てて手で制した。

「……それでお姫様、これからどうするつもりなの」

 その問いに対して、ミディスラシールは肩をすくめる。

「今の時点では考えはまとまってないわ。イズナさんからお話の続きを聞いて、何か見えない限りは……」

「リディスのことはそうだとして、ロカセナはどうしたいの?」

「ロカセナ?」

 ミディスラシールはぎくりとした。彼への想いはリディスにしか伝えていない。彼女がメリッグにそれを言ったとは思えない。

 素知らぬふりを演じようとするが、メリッグに思いもよらぬ発言をされて、完全に虚を突かれてしまった。


「――私、昔、想い人と心中しようとしたことがある」


 唐突にコップが割れた。ミディスラシールはメリッグの後ろに視線を向けると、トルが呆然とした表情で突っ立っていた。その下にはガラスの破片が散らばっている。メリッグはちらりと見ただけで、特に彼に声はかけなかった。

「……十八歳になる前だから、今の貴女よりも少し幼いわね。……若気の至りというものよ。彼がこれ以上手を血で染めるくらいならば、そして彼と一緒にいることが許されない状況になるのならば、いっそ死んでしまった方がいいと思った」

 メリッグはぎゅっと自分の左腕を右手で握りしめる。

「最終的に彼は死に、私も死のうとしたけれど、色々とあって死にそびれてしまったわ。まあ単純に死ぬ度胸なんてなかっただけね」

 苦笑しつつ話すメリッグが痛々しく見える。聞いているだけのミディスラシールの目元に涙が浮かびそうだった。

「当時は死ねばよかったと思ったけど、最近は生き続けていて良かったと思っている。たとえある人に憎まれようが、いつか殺されようが、多くの人と出会ったことで未来を見たいと思えるようになったから――」

 微笑む姿から、メリッグがようやく過去の呪縛から解き放たれようとしているのが垣間見えた気がした。

 そして彼女は一息吐くと、神妙な顔つきでミディスラシールを見てきた。

「――それで、貴女はどうしたいの」

 問いかけが戻る。ミディスラシールは胸元にある魔宝珠以外の小さな石のペンダントを握りしめた。


「……一緒に生きたい。これ以上手は汚させないし、絶対に死なせない。あの人は優しすぎるから、きっと最後は――」


 言えない。

 言えばそれが現実になりそうだから――。


 メリッグはそれを察してか、聞き返してこなかった。

「そうよね、優しすぎるわよね、あの人たちは。何を考えているかわからないけれど、心の奥にある信念は真っ直ぐすぎるのよね」

 ロカセナと誰かを重ねているような言い方に、ミディスラシールは目を丸くして聞いていた。彼と性格が似たような人が彼女の思い人だったのだろうか。聞きたくもあったが、非常に繊細な内容であるため、その言葉は胸の中に留めておくことにした。

 ミディスラシールはペンダントから手を離す。

「メリッグさん、なぜ私にこのことを言わせたのですか」

 言葉に出したおかげで少しは気持ちが楽になったが、あまり人には聞いて欲しくない内容だ。これが城の中でミディスラシールに敵意を持っている相手に聞かれていたら、反逆罪に問われる可能性がある。

「信用している人くらい、貴女の本音を共通の認識として持って欲しいとは思わない?」

「え?」

「私は誰にも心を許していなかったから、そんな過去になってしまった。でももし他の人がいれば、違う未来になったかもしれない。――ここにいる人たちなら大丈夫でしょう、王よりも貴女からの命令の方が大切に思っている人たちなら」

 はっとして、ミディスラシールはセリオーヌとスキールニルに顔を向けた。セリオーヌは苦笑をしながら頷き、スキールニルも珍しくうっすらと笑みを浮かべている。長年相談相手や護衛をしてもらっている彼らであれば、どんなことがあっても味方でいてくれるようだ。

「メリッグさんは人の意見を引き出すのが上手いんですね」

 くすりと笑うと、メリッグはその笑みから逃げるように立ち上がった。

「違うわ。不幸な人が多いのは嫌なだけよ。――馬鹿男、ガラスくらい早く拾っておきなさい」

「……って、俺にはトルっていう名前があるんだよ!」

 呆れられたメリッグにトルはむっとして言い返した。立ち上がると真剣な表情で見つめてきた。

「俺は目の前のことに精一杯で未来なんて考えられないから、メリッグやリディスの意見に従う」

「私は構わないけどリディスは駄目よ。どうせ馬鹿なことを考えているのだから」

「は?」

 ばっさり否定され、トルは眉をひそめる。メリッグの言葉にはミディスラシールも同意だった。

 ここ最近、リディスがずっと思い詰めている理由など、考えなくてもわかる。

「……力がないと、回避できないわね」

「だから貴女はここに来たのでしょう?」

「その通りです。けどイズナさんの様子を見ていると、難しいかもしれない」

 かつて魔宝樹を守る立場であった血筋を引いている、イズナ。

 彼女から漏れている精霊の気配から察すると、力自体はミディスラシールよりも遥かに上である。

 だが、体が弱すぎるのが問題だった。

「私たちの力だけでなく、すべての人の力を集約するとかしないと、無理かもしれない」

 言葉にするが、そのような方法など、今のミディスラシールたちにはまったく思いつかなかった。


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