真実の断片(6)

 倒れた衝撃でコップの中に入っていた水が机の上に広がる。コップは机の上を転がり、床に落下する間際、ファヴニールによって掴まれた。

「どうした、アルヴィース?」

 顔色がすっかり悪くなったアルヴィースは、コップを受け取り、申し訳なさそうな顔をする。

「すみません、少々気が動転しまして」

「知っているのか、ゼオドアという男を」

 アルヴィースは小さく頷いた。

「……旧友です。かつて彼は私と机を並べて学問に励み、共に城に対して忠誠を誓おうと語っていた仲でした。しかしながら、二十五年前に彼は大罪を犯しかけ、私の前から消えたのです」

「二十五年前……?」

「非常に内密に処理されましたから、当時の城の上層部以外は知らないでしょう。ここにいらっしゃる人では、私と国王以外は知らないはずです。ミディスラシール姫も詳細はご存じではありませんよね」

 その言葉を受けた彼女は軽く首を縦に振る。

「二十五年前、王国の根本を揺るがす事件が起こったということしか聞いていません。何があったのですか?」

 アルヴィースはミスガルム国王に視線を向け、彼が頷いたのを見てから話を続けた。

「城の地下にある土の魔宝珠を、ゼオドアは破壊しようとしたのです」

 一同は耳を疑った。そのようなことをすればミスガルム王国は危機的状況になってしまう。

 土の魔宝珠は城を中心として城下町にまで結界を張っている、モンスターから身を守るためには必要不可欠な存在だ。それを破壊すれば結界の力は弱まり、最悪消失する場合がある。

「王国を危機に陥れる行為をした者は、大罪人として厳しく処罰しています。魔宝珠の取り上げ、王国から追放、そして果ては――極刑」

 ミディスラシールがぼそりと補足的に出した言葉に、リディスはどきりとした。彼女は頭を上げて、話を続ける。

「魔宝珠が壊されれば、王国は窮地に陥るでしょう。しかしあの魔宝珠を破壊するなどできますか? たとえ土の精霊ノームの加護を受けていたとしても、悪意を持った者が近づけば、精霊たちは反射的に自己防衛をするはずです」

「そのとおりです。ですが、それ以上の力があれば、突破できるとも言われています。それこそ五十年前にこの大陸に降り立とうとした、モンスターであれば」

「どうしてそんなことをするのですか? 大陸を滅ぼしかねないことですよ?」

「詳しくはわかりませんが、彼は時々この大陸に対して憂いの言葉を発していました。『樹はこの地にあるべきだ。ないままに発展した土地など、いっそ消え去った方がいい』などと」

「つまり、彼は今の大地を消したいがために、強力なモンスターを欲しているということですね」

「……残念ながら、そう受け取っていいと思われます」

 アルヴィースの話により、少しずつであるが五十年前の出来事から今起きている出来事まで繋がってくる。少なくともゼオドアという老人については、扉を開ける理由がわかってきた。


 扉の先にいるモンスターをこの地に降り立たせたい――という理由で。


 他の同志たちに関しても話を聞いた限り、何かしら過去に深い傷を負っているようだ。その時に抱いた感情が発展して、樹がある世界へ続く扉を開こうとしているのではないだろうか――、彼らにとっては理不尽な世界を消し去るために。

 だが、その仮説はあまりにも弱々しく、矛盾が多すぎた。

 以前もリディスは考えたことだが、扉を召喚し、開くまではあまりにも障害が多く、かつ手間がかかりすぎる。また、一瞬で大地上の生き物を滅ぼすと言われているモンスターを、この地に呼び出せられるという保証もない。


 いっそのこと、数百年前に起こった魔宝珠を巡る国同士の争いを起こした方が、大地は荒廃するのではないだろうか。


 どくんとリディスの鼓動が大きく波打った。

 初めは大きいのが一回だけだったが、それが周期的にきて、やがて全力疾走をしているような感覚に陥る。さらに激しい頭痛がリディスを襲い、思わず床に膝をつけて、その場にうずくまった。

「おいリディス、どうした!?」

 異変を察知したフリートはリディスに声をかける。苦しみに耐えながら、リディスは視線を上げた。

「ちょっと頭が痛くなっただけだから、大丈夫……」

「大丈夫なわけねえだろ。顔が真っ青だ!」

「すぐに元に戻るから。今までだって――」

「今までって――ずっと黙っていたのか、俺たちに」

 フリートの声色が低くなる。リディスははっとして、自分が意図的に隠していたことを、誤って発してしまったことに気づく。

 記憶を取り戻してからこれほどの痛さではないが、時折頭や胸などが痛くなることはあった。それらは一時的なものであったため、疲れたと見せかけて何も言わずにじっとしていたのだ。

 視線を合わせるのが気まずくなり、リディスは視線を逸らす。

 突然フリートは立ち上がり、リディスの背中に右腕を回し、膝の下に左手を入れて抱え上げた。唐突なことにリディスの顔は真っ赤になる。

「ちょ、ちょっと!」

「姫、すみませんが今日の会議は先に早退させて頂きます。こいつを休ませるために、部屋に連れていくので」

「フリート!?」

「わかったわ。会議もここで一区切りを付けて終えるから、安心して休みなさい」

「ミディスラシール姫!?」

「今回の第一の目的は相手側の情報の共有。もう少し話を進めようかと思ったけれど、調べてみたいことがでてきたから、ここで終わりにしましょう」

 ミディスラシールは微笑みながら、リディスを見返した。その笑顔の裏には早く休みなさい、と言っているようだ。他の人から向けられる視線もいたたまれなかったため、フリートの意見に従うことにした。

 だが、これだけは今言っておかなければならない。まずリディスは軽く頭を下げた。

「申し訳ありませんが、お先に失礼させて頂きます。――フリート、お願いだから降ろして……」

「歩けるのか?」

 ぎろりと黒色の瞳が向けられる。リディスは口を尖らせて、痛みを押し殺して言い返す。

「歩けるわよ!」

 そう言うと、フリートはリディスの足を床に降ろした。痛みはまだ続いている。うずくまっているのが一番楽だが、虚勢を張って一歩一歩踏み出した。

 途端、体が崩れそうになる。溜息を吐いたフリートがそれを支え、再度強制的に抱き上げられた。もはや抵抗するのも馬鹿馬鹿しくなり、リディスはおとなしくフリートの首に手を回して、その部屋から出ていった。



「……おもしれえな、あの二人!」

 リディスたちが出ていくと、カルロットがゲラゲラと笑い始めた。他の人たちの表情にも笑みが見られる。お互いに気を使っているにも関わらず、それを素直に受け入れようとしない様子が、端から見れば面白かった。

「喧嘩するほど仲がいいってか。いやあ、面白い話題を仕入れることができたぜ。今度手合わせを断りやがったら、このことについて話してやるか」

「カルロット、彼が可哀想だろう。程々にしてやれ」

「俺の部隊の隊員だ。好き勝手やっていいだろう。――そうだ、ファヴニールもしばらく城にはいるんだろう? 怪我が治ったら相手を頼むな」

「その時までいればな」

 カルロットは笑い続けていると傷に触ったのか、口を閉じ、腹の辺りに手を触れた。まだ動けるようになったばかりである。いつ傷が開くかわからない状況だった。

 話し声が収まってきたあたりで、ミディスラシールは会議を締める挨拶をした。

「では、すみませんが、本日の会議はこれで終わりにしたいと思います。あまり日は置かずに、次は今後の動きについて検討をしたいと思います。皆様、本日はお疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

 ミディスラシールに対して次々と言葉を返して、その日の会議は終わった。

 ミスガルム国王はアルヴィースと共に護衛を連れて部屋に戻っていく。カルロットはセリオーヌやファヴニールに支えられながら、クラルと一緒に部屋から出ていった。

 またメリッグ、トル、ルーズニルもミディスラシールに挨拶をしてから部屋を離れている。

 部屋に残ったミディスラシールは皆に見せた紙を回収し、封筒の中にしまい込む。敵側のゼオドアがかつて城内にいたという事実を知れたのは、大きな成果だろう。

 ただ、リディスが急に体調を崩したのは気になるところだった。

「鍵として使用された影響かしら。下手したら命を失いかねない立場だったから、まだいい方なのかも知れない。けれど、あの痛みが続くようなら、もしかしたらいつかは――」

 思考の先にある言葉が浮かぶ。だがはっとしてミディスラシールは飲み込んだ。

 上に立つ者として、そして姉として何を考えているのだろうか。

 椅子をしまうと、スキールニルを連れて、背筋を伸ばしながら部屋から足早に出ていった。



 * * *



 思った以上に疲れが溜まっていたらしく、フリートに部屋に運び込まれて、ベッドの上で横になると、リディスはすぐに深い眠りについてしまった。

 有り難いことに夢は見なかった。最近の夢は楽しいものなどなく、むしろ見なければ良かったと後悔するほど、苦しみを感じたり、切ない感情になるものばかりである。マデナが夢に出てきた翌朝は、枕元がほんのり濡れていることもあった。

 口には出していないが、今後何をすればいいのか、どう進めばいいのかわからなかった。ここにいることが果たして正しいことなのかさえ考えてしまう。いっそ消えたくもなる。だが、消えようとしても、黒髪の青年は決して見逃してくれないだろう。

 リディスは仮眠から目覚めると、体を持ち上げた。光宝珠が部屋の脇で仄かに輝いている。それを見たのと同時に、傍にいる黒髪の青年と視線があった。

「起きたか。体調は?」

「もう大丈夫。頭も胸も痛みはないから。ありがとう、気を使ってくれて」

「お前はやせ我慢をするやつだからな、こっちが気をつけてないと、すぐにぶっ倒れるだろう」

 フリートは光宝珠に触れて明かりを調節し、少しだけ明るくした。窓のカーテンは閉められている。それはかなりの時間が経過したことを物語っていた。

「だいぶ寝ていたみたいね」

「ああ、食堂も閉まった。――パンなら持ってきてもらったが、いるか?」

 机の上にあるパンが詰め込まれたバスケットを手にする。それを見ると、リディスのお腹からか細い音が鳴り響いた。頬を赤らめて、おずおずと首を縦に振る。フリートは表情を緩ませて、水差しと共に持ってきた。

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