真実の断片(7)

 用意されたパンをリディスはフリートと共に一通り食べ終えると、水を飲んで一息ついた。部屋を見渡すと、他に誰もいないことに気づく。

「他の人は?」

「別の部屋で寝ている。目覚めるまでは静かにしておいたほうがいいと思って、俺一人でいた」

「つまり、フリートだけがずっと傍にいてくれたってこと?」

「お前がまた誘拐でもされたら、こっちの責任だろう」

「それはそうだけど、ただ……」

(長時間、一人で私のことを見ていてくれたんだ)

「なんだ?」

 フリートが不機嫌そうな表情で聞いてくる。リディスは慌てて首を横に振った。

「何でもない。ありがとう……」

 時折見せる、フリートの思いやりがリディスのことを優しく包み込んでくれる。お礼を言った以上に、とても嬉しかった。

 ふと、ある事実に気づいた。この部屋にはフリートとリディスの二人しかいない。以前もそのような状況は何度かあったが、それは昼間のことであり、深夜ではなかった。平静を装って礼を言いつつも、鼓動が速くなり始めている。

「寝られないのか?」

「そ、そりゃあ、さっきまで寝ていたわけだし……」

 フリートが何の予備動作もなく立ち上がる。鼓動が激しく波打った。

 彼はバスケットと水差しを机の上に置き、背中越しからちらりと見てくる。光宝珠によって顔の横に光が当てられた。その光から垣間見える含んだ笑みは、まるでロカセナのようだった。

「リディス、寝られないのなら、この――」

 フリートは机の上に手を触れて、体を向ける。リディスは胸の前で軽く右手を握りしめた。


 その時、部屋のドアが軽くノックされた。フリートは一瞬で警戒態勢に入る。腰にショートソードが帯びているのを確認すると、入口に近づいた。

「……どなたですか?」

「夜分遅くに申し訳ないわ。私よ、ミディスラシールよ。リディスは起きているかしら?」

 真夜中の来訪者、しかも一国の姫の登場にリディスとフリートは目を丸くした。彼女の言葉に従い、フリートは慎重にドアを開ける。

 そこにはフードを被った金色の髪の女性が佇んでいた。ほんの少し後ろには薄灰色の髪の青年スキールニルが立っている。

「何の御用ですか?」

「リディスと話がしたいのよ、女同士で」

 ミディスラシールの視線がベッドから降り、フリートの後ろまで寄っているリディスに向けられた。彼女はリディスを見ると、柔らかな笑みを浮かべる。

「顔色は良さそうね。話をしても大丈夫かしら?」

「さっきまで寝ていましたので、私は大丈夫です。ミディスラシール姫こそ寝たほうがいいのではないのですか?」

「――今日は月が綺麗じゃない。そんな日に話がしたかったのよ」

 微笑みながら意味深な言葉を発するミディスラシールを見て、リディスは目を瞬かせた。その言葉に関しての深い意味合いはわからないが、彼女が大丈夫だと言っているのならば、断る理由などない。

 フリートに中に入れるよう合図をすると、彼は一歩引いて通路を作った。彼女は部屋に入るなり、彼ににこりと笑みを送る。

「女だけで話をしたいの。席を外してもらってもいいかしら?」

「それは……」

「姫である私にも自分だけの時間があってもいいじゃない。リディスのことが心配なのはわかるけど……。なにかしら、私の力が信用ならないの? それともリディスとずっと一緒にいたいの?」

「ち、違います。断じて違います! わかりましたよ、廊下にいるので何かあったら呼んでください。――リディス、机の上にある本、図書室から借りてきた歴史関係の本だ。姫ならお薦めの本とか知っているから、時間があったら聞いてみろ」

 フリートが指で示した先は、さきほど彼が立ち上がった時に触れていた場所だった。どうやら彼は「寝られないのなら、本でも読むか?」とでも言いたかったらしい。リディスは若干拍子抜けした状態で、彼が部屋から出ていくのを見届ける。

 フリートは彼の良き戦友でもあるスキールニルと視線を合わせると、お互いに溜息を吐きながら、ドアを閉じた。


 リディスはミディスラシールを部屋の奥に案内し、小さな机を介して対面した。机の上には光宝珠が燦々と輝いている。

「すみません、水しか出せず……」

「こっちが勝手に押しかけて来たのだから、気を使わないで」

「それで話というのは、何でしょうか?」

「ちょっと昔話をリディスに聞いてほしくてね。……ねえ、リディスにとって大切な人はいる?」

 リディスは相手に想いを伝えるのが下手な青年の顔を思い浮かべる。

「……いますね。いなくなったら、おそらくすごく悲しんでしまう人が」

「その人が死んだら、落ち込むくらいじゃ済まないわよね。そういう感情を抱いている相手っていうのは、好きな人と捉えていいのかしら」

「……そう受け取ってもいいと思います」

 リディスは自分にも言い聞かせるように、ミディスラシールに返した。

 彼女は優しい顔をして、首からかかっているペンダントを取り出す。小さな淡いピンク色の石が仄かに輝いているものだ。

「これはね、昔ある人からもらったものなのよ。地味だけど綺麗でしょう」

 石を顔の脇に持ってきて頬を緩めると、さらに輝きが増したようだ。嬉しそうな表情を見ていると、彼女が何を想っているのか自然とわかる。

「それをプレゼントした人が大切な人なんですね」

「そう……。今はいないけれど、また生きて会いたいと思っている大切な人」

 今のミディスラシールの顔つきは恋をしている女性そのものだった。その姿は同性のリディスでさえも見惚れてしまうくらい美しい。

 彼女はおもむろに立ち上がり、カーテンを少しだけ開ける。そこから月の光が部屋の中に射し込んできた。

「――これをもらった日も、月が綺麗に見える日だった。二年以上前かしら、姫として様々な仕事が舞い込み始めて嫌気がさした頃、息抜きに城の屋上に出て月を眺めていたわ。真夜中だから誰も来ないと思っていたら、突然その人は現れたのよ。騎士になったばかりの少年で、思うようにいかずに悩んでいた時に、私と同じで気分転換に月を見ようと思ったんですって」

 視線をちらりとリディスに向けて、ミディスラシールは続けていく。

「何度か話をしていて気付いたわ、彼はたしかに今の状況を悩んでいるけれど、それ以上に自分に課せられた運命というものに潰されそうだと。歳もほとんど同じだったし、私も能力よりも自分の立場が先行して、どうしていいかわからない時だったから、そのことに気付けたんでしょうね。――ある日、私は彼の気を損ねないように言ったわ、『何か大きな悩みを抱いているのなら、私で良ければ聞きますよ』って。そしたら彼、何て言い換えしたと思う?」

「『お姫様の手を煩わせるような悩みはありません』……とかですか?」

 ミディスラシールは首を横に振った。

「違うわ。『貴女こそ、お悩みがあるのではないですか?』って。まさか一国の姫に向けて、逆に心配の言葉を堂々と発するとは思ってもいなかったわ。なんて他人想いの素敵な人なんだろうって思い、初めて彼を男の人として意識した瞬間だった」

 夜の屋上にて、姫とただの平騎士が並んで話をしていたと知られたら、城内は噂話で持ちきりになる。根も葉もない内容を付け加えられる危険性もあった。

 それでも、ミディスラシールはこっそりと彼との夜の語り合いを続けたのだ。

「ある夜、彼はこのペンダントを差し出してきたわ。しばらく遠征に出かけるので会うことはできない、また、これ以上会い続けるのは危険だと言って、自ら身を引いてきたのよ。非常に残念そうな顔をしていたから、彼はやめたくないと思っていたのでしょう。私も同じよ。でもお互いに立場がある――、私はこれを受け取って彼との夜の語り合いをやめたわ」

 哀愁漂う顔を浮かべて、ミディスラシールは言葉を紡ぐ。だがすぐに表情を一転させ、くすりと笑ったのだ。

「けれどね、結局、彼との関係はもうしばらく続くことになるの。彼が遠征から戻ってしばらくして、お父様が私と同年代の若手騎士を話し相手として紹介してくれたのよ。そのうちの一人が彼だった。それを通じて、また話すようになったわ」

 彼女の話を聞き、リディスは瞬時にフリートの顔を思い浮かべた。ミディスラシールとフリートは同年代であり、他の騎士と比べてかなり親しく見える。

 もしかしたら――と思うと、表情が暗くなっていく。

 しかし、その心配は次の言葉によってかき消された。

「女性だけでなく他人に対して優しく接してくれる人。私が恋心を抱いているということも知っていた。それだけ周りに敏感な――」

 一息置いてから、呟いた。


「銀髪の青年だった」


 衝撃がリディスの中に走り渡る。

 ミディスラシールは動揺しているリディスを静かに見つめていた。

「許されない恋だとわかっている。彼は城に対して大変なことをしてくれたわ。けれど私の責任でもあるのよ。実はね、彼がシュリッセル町に向かう前夜に二人だけで話したの。いつもと同じように振る舞っていたけれど、彼の瞳には何かしらの覚悟が感じ取れた。リディスと出会うことは予想外だったかもしれないけれど、近々動き出そうという雰囲気はだしていたのよ――」

 手を軽く握りしめている。

「その後、貴女がここに来て、彼と城で通り過ぎた時、その雰囲気が一層極端なものになっていた。何かしようとしている、そしてその覚悟が悪い方向に進ませようとしていると薄々感じとっていた。でも私は止められなかった……。何をするのかはっきりわからず、止めていいのかわからなかったから。だって、愛しい人の進む道を確固たる理由もなく妨げられると思う?」

 一筋の涙がミディスラシールの頬を流れた。

 彼女の様子を見ると胸が張り裂けそうになる。リディスは立ち上がり、彼女の肩に手をかけた。自分と同じ髪と瞳の色をしている女性が目の前にいる。

「……ミディスラシール姫のせいではありません。あの人もきっと理由があってあんなことをしたんですよ」

「そうだとしても、私はあそこで無理にでも、傷つけてでも彼を止めなければならなかったのよ! 一人の女性ではなく、一人の姫として――」

 ぼろぼろと泣き始めるミディスラシールをリディスは優しく抱きしめた。痛いほどに彼女の気持ちがわかる。銀髪の青年が何かしらの暗い過去を抱いているのは勘付いていたが、何かをし始めた時には止められなかった。

 止めたい。

 いや、これ以上彼が何かをする前に、止めなければならない。

 リディスは親しい友人や護衛という関係だった彼を、フリートは背中を合わせられる相棒の関係だった彼を、そしてミディスラシールは想いを馳せる立場として彼を――止めたかった。

 ミディスラシールの想いは、リディス以外には言えなかっただろう。城の関係者には話せない事実だ。大罪を犯した相手に恋をしているなど、口が裂けても言えない。

 だから、ミディスラシールはこんな夜更けに人目を忍んでリディスに話をしに来たのだ。誰かにこの想いを共有してもらい、自分自身の気持ちを整理し、先に進むために。


 ミスガルム王国の人だけでなく、この大地に生きる、すべての人が幸せな未来を歩むためには、どうすればいいのだろうか――?


 そのようなことを思いながら、一人の青年を想う血の繋がった双子の姉と寄り添っていた。

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