真実の断片(2)
* * *
「姫、お疲れのところ失礼します。セリオーヌ副隊長から、お話があるということですが……」
「通しなさい」
ミディスラシールは話し合いの場で使っている部屋で、膨大な書類に囲まれながらきっぱり言い放った。
程度に差はあるがモンスターの強襲が毎晩あるため、必然的に昼に睡眠と仕事が回されることになった。
眠気が襲ってきそうになっても、ミディスラシールはコーヒーを飲むことで何とかやり過ごしている。
カップを机に置くのと同時に、ドアの向こうから赤髪の女性が入ってきた。律儀に頭を下げてから、部屋の中に踏み入れてくる。
「どうかしましたか、セリオーヌ副隊長」
「城下町において、姫と謁見したい方と出会いまして連れて参りました」
「……こんな時に誰ですか。こちらから呼んだ人以外は、連れてこないようにと言ってあるはずです」
肩をすくめながらも、セリオーヌの近くに寄ると、彼女の後ろから眼鏡をかけた青年と、帽子を深々と被った少年らしき子が入ってきた。二人を訝しげに見ていると、青年は眼鏡を外した。
「お久しぶりです。ご無事なようで何よりです、姫」
その声を聞いて耳を疑った。ずっと心配をしていた人物の一人の声。顔をよく見れば、何度もかわしたことがある青年がいたのだ。
「フリート……なの?」
「はい。大変遅くなりましたが、ただいま戻りました」
再び聞いたその声は紛れもなく、黒髪の騎士フリート・シグムンドのものだった。
「じゃあ、リディスは――」
フリートの隣にいた子が帽子を取ると、そこからミディスラシールと同じ金色の髪を持つ娘が現れた。着込みすぎて暑かったのか、若干ながら頬が火照っている。彼女は微笑みながら、ミディスラシールを見た。
「ミディスラシール姫、いえミディラルさん、リディス・ユングリガ、ただいま戻りました」
オルテガの手紙から、リディスが記憶を取り戻したというのは知っている。だが、ずっと半信半疑であり、会わなければ納得しないだろうと思っていた。
今、目の前にいる生き生きとした娘の魔宝珠からは、昔感じたことがある彼女のものと同じ気配がした。さらに‟ミディラル”と呼んだことから、彼女はミディスラシールが知っている、‟リディス”と一致したのだ。
フリートを差し置いて、ミディスラシールは周りの目も気にせずにリディスに抱きついた。
「ミディスラシール姫!?」
一番身の安全を心配していた娘。
数少ない血の繋がりがある妹。
そして、魔宝樹の鍵という、残酷な運命を突きつけられた人間。
今後どうなるかはわからないが、今はただ彼女が無事だったことが嬉しかった。
「無事で良かった……。私のせいで貴女を、世界を失うところだった……」
「どうして姫のせいなんですか?」
「だって、私が――」
(ロカセナを信じすぎてしまっていたから)
その言葉を飲み込み、ミディスラシールは実の妹の温もりをしばらく直に感じ取っていた。
「部屋を用意するから、今日はそこでゆっくりしていて。これからのことに関しては、明日以降にでも考えましょう」
ミディスラシールはリディスから離れると、てきぱきと指示を出し始めた。セリオーヌには五人が滞在する部屋を用意するよう言い渡し、自分自身はリディスたちをミスガルム国王の元に連れていくと言う。
命を受けて、先に進もうとしたセリオーヌは何かを思い出したのか、立ち止まって振り返ってきた。
「姫、用意する部屋ですが、五人が寝られる大部屋でよろしいですよね?」
「その方がいいんだけど、そんな部屋あるかしら。今、大部屋はほとんど怪我人が寝ているはず。もし部屋が空いていなかったら、リディスとフリートが同じ部屋なら、なんでもいいんじゃない」
「姫!?」
「ちょ、何を!?」
フリートとリディスは突拍子もない発言をした一国の姫に、目を白黒させながら口を挟む。それを見た彼女はくすりと笑った後に、真顔で言い切った。
「何か問題でもあるの? 私は緊急時には、常にスキールニルを傍に置いているわ」
ミディスラシールの一歩後ろに控えている、薄灰色の髪の青年が会釈をした。
護衛対象に万が一のことがあってからでは遅いため、同じ部屋にいるのはおかしくはないが――。
ふと、リディスはフリートと二人きりの空間を想像する。初めに思い浮かんだのは、何かと口喧嘩が絶えない状態になるだろうということだった。あまり気乗りはしない状況である。
「あのですね、フリートは怪我がよくなったばかりです。できれば、もう一人いてくれると有り難いのですが」
思いついた意見をどうにか言うと、ミディスラシールは肩をすくめて、ぽつりと呟いた。
「それじゃあ、つまらないじゃない……」
「はい?」
「……なんでもない。わかったわ。部屋がなかった場合は、護衛をフリートと他の三人のうちの一人が順番に入るのでどうかしら」
ミディスラシールはルーズニルたちの方をちらりと見る。ルーズニルは微笑みながら首を縦に振り、メリッグは嫌々ながらも頷き、トルは意気揚々と肯定の意を表す。それを見たセリオーヌは軽く頷いてから、足早にその場から去っていった。
部屋の話がまとまると、ミディスラシールはリディスたちと共に歩き出した。いよいよミスガルム国王と対面すると思うと、以前とは違った意味で緊張してくる。あの時は王と一貴族の間柄。だが今は違っていた。
どういう顔で接すればいいかわからないまま、謁見の間の隣にある小部屋に通された。ミディスラシールの寝室の横にある小部屋と似たような構造をしている。中にはミスガルム国王と予言者であるアルヴィースが待っていた。
「よく戻ってきてくれた、皆の者」
ミスガルム国王の前にある机の上には、オルテガが書いた手紙が置かれていた。リディスがシュリッセル町を出た直後に送ったものだろう。リディスは進んで前に出る。
「ミスガルム国王様、この度は大変ご心配をおかけしまして、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げると、リディスの周囲が影で覆われた。顔を上げれば、柔和な笑みを浮かべているミスガルム国王がいる。恐々と手がリディスの頬に伸びると、そっと触れ、愛おしそうな目で見つめてきた。
「我が娘よ……」
その言葉にびくんと反応する。国王は手を離すと、神妙な顔つきで頭を下げた。
「すまなかった」
「――あ、頭を上げてください。お願いです!」
リディスは即座に国王の頭を上げさせた。両手を握りしめながら視線を逸らす。
「私は国王様に謝られるようなことはされていません」
「だが……」
「私はむしろ感謝しています、オルテガ・ユングリガに育ててもらったことに。そして――」
リディスは視線を戻し、ミスガルム国王に向かって優しく微笑んだ。
「私のために危険を遠ざけるよう配慮をして頂いた、国王様に」
ミスガルム国王は目を丸くしていたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「その言葉があれば私は救われる。ありがとう、リディスラシール」
憑き物が落ちたような表情になる。彼の中ではリディスを手放したことが、精神的な重荷になっていたのかもしれない。
ミスガルム国王はリディスから離れるとアルヴィースのもとへ歩いた。国王が彼の肩を叩くと、前に躍り出る。そしてミスガルム国王が後ろから口を開いた。
「ミディスラシールも言っているだろうが、今後のことは明日以降に席を設けて決めようと思う。そちらには事前に皆既月食中と後の出来事をまとめておいてもらうと有り難い」
「わかりました。準備しておきます」
「あともう一つ頼みたいことがある。――メリッグ・グナー」
国王に呼ばれたメリッグは驚きもせずに一歩前に出る。アルヴィースと対面する形になった。
「貴女はかつてグナー族の族長から認められるほど、優れた予言者であったと聞いている」
「滅相もない。誇張しすぎているお言葉です。族長は私が魔宝珠をもらい受ける前に消えました。魔宝珠を持っていない時点で出された噂など、あてになりません」
メリッグは物怖じせず、はっきりと自分の考えを述べる。彼女の言葉を国王は微笑みながら聞いていた。
彼女がどの程度正確に予言ができるかわからないが、素質というものをリディスは薄々感じ取っていた。
おそらく――ではなく、間違いなく彼女は素晴らしい予言者。国王に目を留められても当然である。
「非常に謙虚なお方だ、妥協を許さないのだろう。――メリッグ・グナー、よければここで一つ予言をしてくれないか? グナー族の末裔として、この大地の未来を」
メリッグの目が細くなった。そして視線は国王ではなく、アルヴィースへ向けられる。
「そちらにいらっしゃるアルヴィース・ベロニテは、とても有能な予言者とお伺いしています。そのような方がおりながら、なぜ私に?」
いたずらっぽく笑みを浮かべる姿は既に答えを知っているように見えたが、国王は律儀に受け答えをした。
「アルヴィースにも以前同じような予言はしてもらっている。だが、その際に体調を崩してしまったのだ」
「つまり身寄りがなく、何かあってもそちらに害はない私に頼むのですか」
メリッグの遠慮のない言葉に、リディスやミディスラシールたちは表情を固まらせる。
しかし、国王はその挑発には易々と乗らずに、むしろ笑みを浮かべ返した。
「メリッグ・グナー、今の貴女を失って欲しくない人はたくさんいるはずだ。あまり自分を邪険に扱うようなことはよした方がいい」
「ご忠告ありがとうございます。……では、他の理由があって私に頼んでいるのですよね」
「予言をするには、今まで得た知識と経験が必要となってくる。アルヴィースよりも貴女の方が様々なものを見ているはずだ。それを生かして予言をして欲しいと思い、お願いをした。……無理に引き受けろとは言わない。不安な部分は多々あるだろうからな」
国王の言葉を値踏みするかのように、メリッグは彼をじっと見つめた。金色の髪や緑色の瞳、そして上質ではあるが、なるべく簡素に作られた服。首飾りや腕輪にはさり気なく魔宝珠がはめ込まれていた。
一通り見たメリッグはくすりと笑った。
「……なるほど。貴方を見て、この領にほとんど争いがない理由がわかった気がしました」
「そのように言ってくれるとは、こちらとしても光栄だ。嬉しい言葉をありがとう」
「――半日から一日ほど、お時間と場所を貸してください」
メリッグの言葉を聞き、リディスは顔を緩ませる。彼女の言葉は肯定の意――この大地の未来を予言すると言っていた。国王は軽く頷いてから、アルヴィースに視線を向けた。
「アルヴィースの部屋でいいか?」
「少々散らかっておりますが、私は構いません」
「わかった。では、よろしく頼む。メリッグ・グナー、無理を聞いてくれてありがとう。辛くなったらいつでも予言を中止しても構わないからな」
メリッグは小さく首を横に振った。
「できる限り頑張らせて頂きます。私も一度は本気で挑戦してみたかったことですので。ただ――」
「ただ?」
「グナーまで呼ぶのはやめて頂きませんか? 私には荷が重すぎる肩書きです」
儚い表情をしながら、メリッグはぽつりと言葉を漏らす。彼女に対してグナー族という話題を出すと、あまりいい顔をされたことはなかった。リディスは彼女の過去を知らなかったが、知らずとも避けるべき単語だとは察している。
事情がわからない国王も、メリッグの言葉を受け入れるかのように首を縦に振った。
「わかった。よろしく頼むよ、メリッグ」
そして、メリッグは優雅に一礼をした。
「フリート、ちょっといいかしら」
ミスガルム国王がいる部屋から出た後、フリートはミディスラシールに呼び止められた。メリッグはアルヴィースと共に彼の部屋に向かっている。
「大丈夫です。――トルとルーズニル、リディスのことを頼みます」
トルとルーズニルは快く首を振った。リディスは無表情のままフリートを一瞥した後、歩き出した。
「あの表情は何か勘違いしているわね。あとでリディスと話す必要がありそうだわ」
ミディスラシールが困ったような顔をして呟いた。それを聞いたフリートは首を傾げると、彼女は慌てて首を横に振る。
「何でもない。すぐに終わるから――」
ミディスラシールはフリートについてこいと言わんばかりに、背を向けて歩き始める。フリートはリディスの背中をちらりと見てから、彼女を追いかけた。
しばらく歩き続け、リディスの姿が見えなくなった辺りで、ミディスラシールは振り返った。
城から離れている間の出来事で、リディスには聞かれたくないことを聞こうとしているのだろうか。思わず身構えるが、まったく予想外のことを質問された。
「ねえ、リディスにお祝いでもしたの?」
「……はい?」
思わず気の抜けた言葉を漏らすと、ミディスラシールは眉をつり上げた。
「だからあの日はリディスも誕生日だったじゃない。何かあげたの? わざわざ教えてあげたのよ?」
「ま、まあ……。魔宝珠が埋め込まれたペンダントをプレゼントしましたが……」
「へえ、どんなの?」
興味津々に近づいて聞いてくる。一国の姫というより噂話が好きな一般女性に見えた。
「鍵の型がぶら下がっているペンダントを……」
「……それ、いつ渡したの」
途端、ミディスラシールが眉をひそめて見上げてくる。何か悪いことでも言ったのだろうか。フリートは混乱している脳内を理性によって抑えつつ、彼女の質問に返答した。
「生きて戻れるかわからなかったので、プロフェート村でのヘラとガルームとの戦闘の直前です。記憶を失っている時ですから、あっちはよく覚えていないかもしれませんが……」
「そんな状況で鍵の形のものを渡すなんて……いったい何を考えているの?」
腰に手を当てて、ぎろりと睨み付けられる。
「結果論としては良かったけど、もう少し慎重になりなさい。リディスはどうして一時的に記憶を失ったのかしら。あの扉の鍵として使われたから失ったんでしょう? そんな中で鍵の形を見たら、人はどうなる?」
そこまで言われて、ようやくフリートは自分が軽率な行動をしたのだと理解した。記憶喪失の相手に刺激を与えるようなことはしてはいけない。
一歩間違えれば、その相手の脳内は混乱を極めた末に、記憶を完全に消失してしまう可能性があるからだ。
誰かを護りたいと言いながら、そんな初歩的な点まで見落としているとは。いくら精神的にも体力的にも切羽詰まった状態であったとはいえ、あってはならないことだ。フリートはがっくりうなだれる。
「馬鹿ですね、俺。忌まわしいプレゼントを渡してしまったんですね。……なのに、どうしてあいつはまだ持っているんだ? とっとと捨てればいいものの……」
「捨てないわよ。初めてもらったプレゼントだもの。あの子はどんな状況になっても、あれを外さないわ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「だって私も未だに外せないから」
ミディスラシールは静かに微笑みながら、首から下げている首飾りを一つ取り出した。他に豪華な首飾りがかけられているが、それと比べて非常に地味だった。淡いピンク色の石だけが付いている。
「その人の想いが物にどれだけ込められているかが重要なのよ。どのような状況下で贈ったとかは関係ない」
「姫、それは誰かから贈られたものなんですか?」
「少なくともフリートよりは女性の感情の変化に敏感な人よ」
ミディスラシールはさらりと厳しい言葉を吐いて、窓枠に手を添えて外を眺めた。
「本当、どこに行ったのかしら……」
儚げな表情をしながら、いったい誰を思っているのだろうか。
ずっと共に行動をしている双子の妹のリディスでさえも見せたことがないような、誰かを愛おしく思っている女性の姿であった
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