愛されし儚き子(4)
* * *
「――まさかまたここに来るとはね」
金色の髪をなびかせながら、娘は目の前にある小さな祠の入り口を眺めていた。
「今日こそモンスターはいないはずだ。安心しろ」
「そっちこそ。今回は怪我をする心配はなさそうよ」
「あの時は誰のせいだと思っている……」
黒髪の騎士は深々と息を吐いた。念のためにと言って、彼はバスタードソードを召喚している。
前はもう一人青年がいたが――。
浮き出てきた考えを消し去るかのように、彼女は足早に祠の中に踏み入れた。
時は少し遡る。
オルテガと再会した翌日、必要な物資を買っている最中に、ある結術士の中年男性がリディスのもとに駆け寄ってきたのだ。彼はリディスの前に来ると、申し訳なさそうな表情で頭を下げてきた。
「すまない、帰ってきた早々で悪いのだが、一つ用事を引き受けてくれないか?」
「どんなことですか?」
朝から動いていたため、買い出しはだいたい終わっている。残りはメリッグたちに頼めば大丈夫だろう。せっかく頼ってきてくれたのだ、できることなら引き受けたい。
「結宝珠を取りに行ってくれないか?」
「結宝珠を? 場所にもよりますが、どこにあるものですか?」
さすがに日をまたぐ用件は受けられない。男性は北の方に視線を向ける。
「ルセリ祠に置いた結宝珠を取ってきてほしいんだ」
その言葉を聞いて、リディスはフリートと目を合わせた。二人――いや三人で初めて訪れた場所である。
「知っているだろう、行くまでの道のりは険しいが、あそこの祠は結界を張るための魔力を集めやすい、より強固な結界を張るためには必要不可欠な場所なんだ。だが、いつも頼んでいた還術士が怪我をして、取りに行けずにいる。場所を知らない人も多くて、なかなか頼みにくくてな。リディスなら何度か行ったことがあるから、道案内なしでも行けるだろう?」
「なるほど、そういうことでしたか。わかりました、いいですよ」
少し後ろにいたフリートが恨めしい表情で、リディスの背中を見ていた。相談くらいしろと言いたいのだろう。肩をすくめつつ、横目で彼のことをちらりと見た。
「いいよね、フリート?」
「お前さ、台詞の順番間違っているだろう」
嫌味を吐きながらも、首を縦に振ってくれたのだった。
そして二人はシュリッセル町の北にあるルセリ祠の前に訪れている。人数は必要なかったため、他の用事はメリッグたちにお願いし、二人だけで祠に来た。懐かしいと感じる反面、寂しさを感じてしまう地でもある。
以前ならば、気を抜けば入り口で立ちすくんでしまうような恐ろしい雰囲気を醸し出していたが、リディスたちも成長したのか、ほとんど何も感じることなく中に入れていた。
リディスが二人の騎士と初めて共闘したこの場所は、思った以上にひっそりしていた。モンスターの気配はなく、死体も転がっていない。これが普通なのだが、あまりにも淡々と歩けたため若干拍子抜けしていた。
「あれから随分とたったが、ここはあまり変わってないな」
「そう簡単に変わるものでもないでしょ。――本当に色々あったね」
当時は今のような状況になるとは、二人は微塵も思っていなかった。
リディスがフリートとロカセナと共闘したこの地は、いわば始まりの地。
ここから、すべては始まった――。
祠の狭い通路を抜け、開けた場所に着く。高い天井の一部は穴が空いており、そこから燦々と光が射し込んでいる。射し込まれた先には、多くの結宝珠が静かに陽の光を浴びていた。その場所に寄ると、結宝珠はどれも色鮮やかに輝いていた。
リディスは結宝珠に触れようとすると、結界が張られていたのか、ややびりっとした。
解除の呪文を書いた紙を広げ、書かれている言葉を滑らかに紡いでいく。
「レーラズの樹から生まれた魔宝珠たちよ。今こそ我が気持ちを受け取りたまえ。大切な人を守るために、守る力をくれたまえ――」
言い終えると結界はほんの一瞬だけ光った後に、小さな音を立てて消え去った。リディスはかがんで結宝珠を一つ拾い上げる。
結界の原理は、自然の力を利用し、一時的にモンスターや人間など、ある生き物が嫌がる見えない壁を作り、それらが触れれば拒絶反応を起こさせるというものだ。
それを実行するためには、膨大な自然の力を宝珠に蓄える必要がある。その方法として最も有効だと言われているのが、陽の光を長時間当てることだった。
特にルセリ祠は誰も近寄らず、黙々と光を浴びられるので、町の界隈では最高の条件の場所なのだ。
柔らかな陽の光に当てられた結宝珠は、仄かに温かみを抱いていた。
「リディス、早く回収して戻るぞ」
警戒を怠らず、一歩下がって待機していたフリートが声を投げかけてきた。
「わかっているって」
リディスはしゃがみ込み、持ってきた袋に結宝珠を詰め込んでいく。意外と量があったため、多少時間がかかった。
入れ終わって持ち上げようとしたが、思った以上に重く、なかなか持ち上がらない。見かねたフリートは横から左手を伸ばすと、軽々とその袋を持ち上げた。
「ちょ、ちょっと!」
「お前が持って帰ったら陽が暮れるだろう。行くぞ」
「……ありがとう」
もう少し素直な言い方はできないのかと思いつつ、リディスはあっさり食い下がった。
ふと視線を下ろすと、とある一つの珠が目に入る。目を凝らさなければ見過ごしてしまいそうな、地味で小さな珠が転がっていた。それに惹かれるかのようにリディスは歩いていく。
「おい、リディス!」
フリートの声を無視し、その
「なんだ、それ」
やれやれとした表情でフリートは寄ってきた。リディスは彼の視線に合うようにそれを持ち上げる。
「魔宝珠かと思って拾ったんだけど、違うかしら?」
「どうだろうな。宝珠ともただの石とも見ることができる。こんなに小さなものは見たことがないが、未だに魔宝珠自体が解明されていないことを踏まえると、宝珠と捉えてもいいかもしれない」
「でも、触れても魔力とかそういうのは全然感じないのよね。――なんだかこれ、種にも見える、不思議」
何気なくその珠を陽の光に当ててみる。珠は透きとおり、その先に――何か見えた。
リディスはさらにまじまじと珠を見つめると、突然脳内に激しい頭痛が走り渡る。一瞬だけ何かが脳内を横切ったが、まともに見ることなく珠を落として、その場に座り込んだ。
「おい、リディス!」
フリートが血相を変えて、荒い呼吸をしているリディスを支えた。
「だ、大丈夫。ちょっと頭痛がしただけ……」
「まさか、また惨劇の光景を――」
「違う、違うから安心して。本当に一瞬だけの頭痛だったから……」
リディスは落とした珠をおそるおそる拾い上げる。触れても何も起こらず、何も見えなかった。光に透かす必要があるようだ。
珠の先にあるものが見たい――そう思い、リディスは再び珠を持ち上げようとするが、隣からそれを取られてしまった。取った人物を鋭い視線で睨み付ける。
「何するの!」
「またぶっ倒れたらどうするつもりだ。大量の結宝珠を持っている状態で、気を失ったお前も町まで連れて帰れるか!」
「でも、何かが見えそうなんだよ? 気にならないの?」
「それよりも自分のことをもっと大切にしろ。……というか後先考えない性格、いい加減にどうにかしろ!」
フリートに大声で怒鳴られ、リディスは一瞬目が点になった。だが次の瞬間、眉を釣り上げる。
「その台詞、そのまま言い返してあげる! 後先考えないのはフリートも同じでしょう! どれだけ体を傷つけているのよ!」
「これは名誉の負傷だ。悪いことじゃねえ!」
「騎士だから誰かを護れれば死んでもいいってわけ!? 何それ、こっちのことを考えていない、ただの自己満足じゃない! ――馬鹿みたい」
リディスは低い声でぽつりと呟くと、フリートから小さな珠を取り返して、ポケットの中にしまい込んだ。そして結宝珠が入った袋も引っ手繰るように取り返して歩き始めた。
「おい、何だよ、突然!」
慌てて追いかけてきたフリートはリディスから結宝珠が入った袋を易々と奪い返すと、眉をひそめて顔を覗き込んできた。リディスは何も言わずに、視線を逆に向けてひたすら前に進んでいく。
「急にふてくされやがって、子供かよ……」
ぼそっと出された言葉にリディスはかちんときたが、理性によって口をしっかり閉じた。
フリートが騎士としての勤めを果たそうとしているのは、とてもいいことである。だがそれを優先してまで、自己を犠牲にする必要などあるだろうか。いやないと思われる。
ロカセナに斬られたのを目の当たりにした時、そしてガルームに自らの命を使って一矢報いようとしたのを見た時、リディスは言葉で表すのが難しいくらいの恐怖を感じていた。
誰かがいなくなってしまう恐怖――それはマデナの死を見て、さらに強くなっていたのだ。
(傍にいて当たり前だと思っていた人がいなくなることをフリートは経験しているのに、何を考えているの?)
フリートは必死に話かけてくるが、リディスは決して口を開こうとはしなかった。
* * *
その日の夜、リディスは寝ているメリッグの横をこっそり通り抜けて、一人居間で水を飲んでいた。
冷たい水が喉を潤してくれる。シュリッセル町は湧き水が美味しいので密かに有名な町でもあった。
椅子に座りながらコップに入った水を飲み干すと、リディスは深々と息を吐いた。すると廊下の床を踏みしめて誰かが近づいてくるのに気づく。若干警戒をしつつ視線を向けたが、現れた人物を見てほっと胸をなで下ろした。
「こんな時間にどうしたのですか? お父様」
「それはこっちの台詞だ。……眠れないのか?」
「喉が乾いてしまっただけです。お気になさらずに」
澄ました顔で立ち上がり、流しにコップを置いた。
「リディス……」
「何ですか?」
振り返ると、オルテガが神妙そうな顔つきで見つめていた。
「決して無理だけはするな」
「……お言葉、ありがとうございます。けれど甘い考えを言っていられる状況でもないと思います。死は常に隣り合わせの状態にあるということに、最近ようやく気づきました。その状態を脱却するのに、多少の無理は仕方ありませんよ」
ガルームやヘラとの交戦では、無理をしなければ、あの場を突破することはできなかった。
今後何か大きなことを為すならば、体に多大な負荷をかける必要があるのは容易に想像ができていた。
リディスはオルテガの元に歩き、真正面に来ると軽く一礼をした。
「おやすみなさい。――お父様は死なないでくださいね」
オルテガの表情が一瞬固まった気がした。だがそれを見ることなく、リディスは客間に向かった。
廊下に出て、右手でそっと胸の辺りを触れる。規則正しく心臓は脈打っていた。生きていることを実感しつつ、マデナの微笑みを思い出した。
彼女の笑みを二度と見られないと思うと――他の誰かの笑顔も永遠に見られなくなるのが、とても怖かった。
* * *
翌日の早朝、まだ町に霧がかかっている時間帯、リディスたちはミスガルム王国まで移動する荷馬車に乗り込んでいた。
オルテガの手配もあり、顔見知りであるウリウスが御者を引き受けてくれたため、滞りなく物事を進ませることができていた。
荷馬車の上から、リディスはオルテガに別れを告げる。
「リディス、くれぐれも気をつけてくれ。扉が開く前より、依然としてモンスターは世界に溢れている」
「わかっていますよ。お父様、シュリッセル町をお願いします。どうかお体にはお気をつけて――」
深々と頭を下げ、最後の挨拶を伝えると、ウリウスは馬車を走らせ始める。
シュリッセル町の門を越え、リディスは小さくなっていく町を見えなくなるまで見つめていた。
もしかしたら、もう二度と訪れることはないシュリッセル町やオルテガとの別れを惜しむかのように。
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