第6章 動き出す時の針

21 静かなる旅立ち

静かなる旅立ち(1)

 かつてドラシル半島の中心にはアスガルム領が存在していた。そして、その地にあるレーラズの樹から生み落された魔宝珠は人々に恩恵を与え続けていた。

 特に周辺にあるミスガルム領、ムスヘイム領、ヨトンルム領、ニルヘイム領はその恩恵を強く受けることができていた。

 何もないところに人が望んだものを召喚する、さらには万物の事象を動かす精霊までも召喚する――。

 まるで世界を創生したものたちと同等のことを人々は行えたのだ。

 だが、召喚する際、体に負担がかかるため、一人の人間が持てる魔宝珠の個数は自然と決まっていた。


 一方、その創生の力をより多く得たいという者が、歴史を通じて幾度となく現れた。

 他者が持っている魔宝珠を使えば、自分が使用していたものよりも強力な召喚ができるのではないだろうか。

 他者を出し抜くためには、自分の力を高めるだけでなく、周囲の力を弱めればいいのではないだろうか。

 それらの意見から、相手の魔宝珠を奪うことで他者の力を抑えよう――という考えの持ち主が出てきたのだ。

 その者たちが多くいる時代には、魔宝珠を巡る争いが絶えず繰り広げられていた。村民同士の小さな奪い合いだけでなく、領同士の大規模な争いまで発展したこともあった。


 近年、もっとも激しい争い――戦争があったのは、今から四百年ほど前のことである。

 ドラシル半島の傍にある帝国が、自分たちが所有している魔宝珠だけでは物足りず、魔宝珠の根源である樹を奪いにこの地に攻め込んできたのだ。移動途中で近隣諸国の反発をおおいに買ったが、すべて力でねじ伏せて、ドラシル半島に侵入してきた。

 ミスガルム王国をはじめとする町や村なども必死に抵抗した。しかし、帝国には敵わず、あと一歩のところでレーラズの樹に辿り着かれるという時だった。


 魔宝珠が――消えてしまったのだ。


 正確にはその世界にあった魔宝珠が、レーラズの樹に吸い込まれてしまったのだ。

 魔宝珠に寄り添って生活していた人々にとっては、衝撃的な出来事だった。それでもなお魔宝珠を求めていた一部の帝国の人々は、レーラズの樹に向かったまま帰ってこなかったのである。


 それから数十年は魔宝珠がない生活が続いたが、ある日何の前触れもなく樹から魔宝珠が生み落とされ始めたのだ。アスガルム領民たちはその魔宝珠を大事に拾い上げ、樹を守るために奮闘してくれた近隣諸国や、帝国によって荒れ果てた大地に住まう人々に恩恵の源を渡して行った。

 そのような行為を地道に繰り返した結果、ドラシル半島や近隣諸国は再び魔宝珠の恩恵を受けることになった。

 以後、大規模な戦争の反省から、個人専用の魔宝珠に関しては物を召喚するものと、適正がある者には精霊召喚用のものの計二つのみと義務付けられた。

 しかし律したとしても、またいつレーラズの樹が狙われるかはわからない。それを踏まえてアスガルム領はある王国と密約をかわしたのだ。



 威力の強い魔宝珠を優先的に渡す見返りに、有事の際は護るよう――。



 * * *



 冷たく、重苦しい空気が漂っている。空はほとんどが黒き雲で覆われていた。

 たまに太陽の姿が見えると、子供たちは大人たちが見える範囲で外を駆けずり回る。その様子を見ることで、世界はまだ終わっていないのだと辛うじて感じることができていた。

「リディス」

 凛とした女性の声を聞き、外に出ていた金色の髪の娘は振り返った。長い紺色の髪をなびかせている女性は、以前よりも表情が柔らかくなったように思われる。

「なんですか、メリッグさん?」

「フリートが心配している。あまり彼の精神に負荷をかけるようなことはしないで欲しいわね」

「……私に自由はないんですか」

 リディスは軽く口を尖らせる。首元にはショートスピアを召喚する魔宝珠、首からは範囲は狭いが強力な結界を張れる宝珠が埋め込まれた鍵のペンダントが下がっていた。この二つがあればある一定水準のモンスターまでなら、一人でも充分対抗できると思っている。

 膨れているリディスを見て、メリッグはわざとらしく肩をすくめた。

「今の貴女に自由なんてあるわけないでしょう。……もし彼が自分の目を離している隙に貴女の身に何かあったら、彼、どうなるかしら?」

 にやりと笑みを浮かべながらメリッグはリディスの言葉を待つ。返答に詰まって言葉が出てこない。その話題を出されると、まともに返せないとわかった上で彼女は言っているのだ。

 月食時、リディスがさらわれたと知った直後、フリートは血相を変えて助けに向かったらしい。その結果、銀髪の青年が行ったことを飲みこめないまま戦闘に突入、重傷を負ってしまったのだ。

 リディスも何も考えずに銀髪の青年と行動し、事を起こしてしまったことに負い目を感じていたため、強いことは言えなかった。

「……わかりましたよ。もう戻ります。――あら?」

 空から白い小さな物体が舞い降りてくる。初めは僅かだったが、だんだんと量が増えていく。手のひらに乗ると、あっという間に冷たい水となってしまった。

「これは……」

「雪よ。ドラシル半島内ではニルヘイム領でしか見られないでしょうね」

 メリッグは斜め上に視線を向けて、雪を眺めていた。リディスは初めて見る天気の事象をじっと見る。雪は少しずつだが地面に降り積もり、それにより土の色は徐々に白色に変化していった。

「冷えるわよ。中に入りなさい」

「はい……」

 リディスは白に染まっていく地面を名残惜しそうに見ながら、メリッグと共に診療所の中へ入った。



 フリートが休んでいる部屋に戻ると、むすっとした表情で起き上がっている彼の姿があった。リディスの顔を見ると、ほんの少しだけ和らいだ。

 巻かれている包帯の量は日に日に少なくなっているが、完全に傷が塞がったとは言い難い。

 メリッグはリディスを部屋に入れると、廊下へと踵を返した。

「二人を呼んでくるわ。雪が降り始めた。積もり始める前にここを出ないと、しばらく出られなくなる」

 そう言ってから、メリッグは廊下を歩いていった。

 部屋の中に残されたリディスは、近くにあった椅子に腰をかける。

「移動するみたいね。動けるの?」

「歩くことはできる。だがまだ本調子ではないから、前よりも剣は振り回せないな」

 フリートはそっぽを向いて窓の外を眺めていた。地面が白くなっていくのを見て、軽く身を乗り出している。彼にとっても初めて見る光景のようだ。リディスは背を向けている彼を見て、ぼんやりと尋ねた。

「……ねえ、フリート」

「何だ」

「ロカセナって、今、どうしているのかしら」

「……さあな」

 素っ気ない返し方をされてリディスは眉をひそませる。長年共に歩んでいた相棒に対する態度だろうか。

「心配じゃないの?」

「あいつは強いさ。こんなにモンスターが溢れている世界であっても、死ぬはずがない」

「そういうことじゃなくて……」

 頭の中がもやもやとしてくる。ルーズニルたちを通じて、フリートがロカセナのことを気にかけていることは知っていた。しかし、今の言い方ではどのように気にしているのか、よくわからなかった。

「次に会ったらどうする?」

「止めるしかないだろう。既に数え切れない罪を負っているが、まだ最悪のことはしていない」

「扉を開け放つということよね。それを止められるの?」

「止めるしかない」

「その通りだけど……」

 リディスの質問に若干苛立ち始めたのか、フリートの語尾が強くなってくる。このまま話し続ければ、さらに口調が荒っぽくなるのは目に見えていた。

 彼の感情をあまり逆立てないように、と女医のエレリオから言われていたため、リディスは反論の言葉をぐっと飲み込んだ。

 沈黙が続く――。

 フリートは口を一文字にしたまま、真正面を見据えている。リディスは徐々に居心地が悪くなってきた。おもむろに立ち上がり、花瓶に入っている花の向きを直し始める。

 もともと出会った時の彼の第一印象は、あまりいいものではない。初対面の人から「馬鹿か」と一蹴されたのだ。だが、根は悪い人でないと、何日も時を共にしたことで、理解することができた。

 さらにこのような雰囲気の中で話をすればするほど、ドツボにはまり、しまいには口論状態になるのも身を持ってわかっていた。

 ここで部屋を出れば、空気に耐えきれずに逃げたと思われる。そう思われるのはリディスとしてはしゃくだった。

 メリッグたちが早く戻ってこないかと思っていると、フリートの射抜くような瞳がリディスに向かれた。

「リディス、聞きたいことがある」

「な、何?」

 花をいじるのをやめ、リディスは椅子に座った。フリートはほんの少し間をあけてから口を開いた。

「お前はロカセナのことをどう思っている?」

 彼からその名前が出されて、内心びっくりしつつもリディスは素直な言葉を述べた。

「どうって……甘いかもしれないけど、今でも大切な人だと思っている」

「大切な……人?」

 フリートの眉間にややしわが寄る。

「私を広い世界に導いてくれた大切な人ってことよ。まあフリートも同じような存在ね」

「そ、そうか……」

 視線を下に向けて、相槌あいづちを打ってくる。肩が若干小さくなったように見えた。

「……なら、お前はこれからあいつをどうしたい?」

「止める。それはフリートと同意見。ロカセナだって何か訳があって扉を開こうと思ったのよ!」

「けどあいつはお前に対して酷いことを散々したんだぞ。辛い映像を見させ続け、城を戦火の渦中にし、しまいにはお前の唇を――」

 フリートははっとした表情になり、言葉を止める。ごくりと唾を呑みこんだ後に、最後まで言い切った。


「――お前を殺そうとしたんだぞ!」


 どきりと心臓が波打つ。リディスは胸元あたりをぎゅっと握りしめた。

「……でも死ななかった。本気で私を鍵として使いたいのなら、フリートが来る前にさっさと使えばよかったのよ。召喚は詠唱後に最も威力が強くなる。つまり皆既月食の最大となる前に詠唱をし始めて、最後の一文を最大になった直後にすれば、もっと簡単にできたはずよ」

「だが……!」

「それにおかしいのよ。まるでロカセナはフリートを待っているかのように見えた。もし近づけさせたくなかったら、私たちがいた周囲にモンスターを大量に集めるなり、城内でフリートに傷を負わすなりしたはずよ!」

「あいつが待っていたのは俺に見せつけるため……って、お前、平気で物騒なことを言うな。仮にも姫だろう!」

「いいえ、私はただの一貴族の娘よ。お父様や国王様の口から本当のことを聞かない限り、私は信じない」

 フリートは視線を下げ、頭をかきながら、ぶつぶつと言い始める。

「……姫と性格は似ていると思ったが、頑固で自分の意見を譲らない、面倒な性格が一番似ているなんて……どんな血筋だ。そういえば今は亡き女王もとても気の強い人だったという噂が……」

「何か言った? その台詞、ミディスラシール姫にそっくり伝えるわよ」

「告げ口はするな、後で面倒だから。……おい待て。聞こえているのに、なんで聞き返すんだ!」

 フリートは頭を勢いよく上げてリディスを見たが、すぐさまさらに後ろに向けられた。リディスもちらりと背後を確認すると、メリッグが手の甲をドアに触れて、呆れた顔をしていた。

「何回もノックをしたんだけれど……。いい加減、夫婦めおと漫才は終わったかしら?」

「違う!」

「違います!」

 フリートとリディスは即座に否定すると、メリッグはくすっと笑いながら、にやけているトルと、にこにこと笑みを浮かべているルーズニルを伴って中に入ってくる。

「お二人とも顔が真っ赤よ」

「気のせいだ!」

「気のせいですよ!」

 またしても言葉が同時に発せられてしまう。リディスとフリートは視線が合うと、真逆の方に向いた。

 メリッグの笑みは消えないまま、リディスの横に立つ。トルとルーズニルは窓側の方に移動した。立ち止まったのを確認すると、メリッグは腕を組んで口を開いた。

「明日か明後日にでもここを出る。雪も積もり始めているし、敵側がこちらに再び来る前に去りたいから……。いいわね、フリート?」

 フリートはしっかり首肯した。怪我が治ってからでは遅いとわかっているのだろう。本当ならば完治を待った方がいい。だが今リディスは追われている立場。一刻も早く守りが堅い城に戻るべきだった。

「移動手段はニルヘイム領内では徒歩。ミスガルム領内に入り、可能ならば馬車に乗るつもりよ」

「全部歩きでいいんじゃねえか? ミスガルム領は平坦な道ばかりだったから楽だったぜ」

「誰もが貴方みたいに筋肉馬鹿なわけじゃないのよ、トル」

「ば、馬鹿だと……!?」

 トルは顔を真っ赤にしていく。メリッグに飛びかかろうとするのを、隣にいたルーズニルによって抑え込まれた。トルの動向を気にすることなく、彼女は続けていく。

「一番警戒すべき場所はニルヘイム領から他の領に抜ける時に通るトンネル。この領の南部は東西に広がる山脈で囲まれている。山を登るのは自殺行為だから人々はトンネルを通るわ。つまり誰もが必ず通る場所なのよ」

「待ち伏せには最適な場所ってことか」

 フリートは苦虫を潰したような顔をする。窓の先に見える山脈は非常に高く、ここから見ても圧巻である。その山を掘って作ったトンネル、おそらく長い距離を歩くことになるだろう。もしそんな場所に閉じこめられたり、挟み撃ちにでもされたら、通り抜けるのは困難なのが目に見えていた。

「心配ごとはいくつもある。けど移動するなら、今しかない。じきにトンネルの入り口も雪で覆われてしまうわ」

「……なら、行くしかないだろう」

 フリートがぼそりと呟くと、一斉に視線が彼に向いた。彼は右手を広げてから、握り拳を作る。

「何が起こるかわからないが、進まなければ何も変わらない。……あっちと衝突したら衝突したらでいいだろう。いつか直面する問題だから」

 黒色の瞳がリディスに向けられる。

「いいか?」

 リディスは微笑みながら首を縦に振った。自分のために皆危険を伴う道中を覚悟している。前に進むと決めたリディスに、それを否定する理由などない。

 朝方に降っていた雪はやんでいる。しかしまたいつ本降りになるかわからないので、一同は解散するなり、急いで支度をし始めた。


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