槍術と秘めたる想い(3)

 * * *



「リディス、ここに水を置いておくからな。水分はまめにとっておけよ」

「ありがとうございます、フェルさん。助かります……」

 木に寄りかかって、リディスはフェルに渡された水が入った筒を手に取った。それを口に当てて一口飲んだ。

「意外と根性があるんだな。リディスのこと、お淑やかなお嬢さんと思っていたけど撤回する。スレイヤと同じ、負けず嫌いの女だ」

「お褒めの言葉として受け取っておきます……」

 苦笑いをして言葉を受けつつ、リディスは再び水を飲んだ。

 スレイヤに槍術を教えて欲しいと言ってから早一ヶ月経過したが、未だにスピアは握れていない。


 初日は必死にスレイヤの後に付いていき、細かに休憩を入れてもらいながら、どうにか屋敷に戻ってきた。慣れないことをし、へとへとになっている中、追い打ちをかけるかのように彼女はばっさりと言い切った。

「基礎体力がなさ過ぎる」――と。

 それ以後、早朝は人気がない町の中を走り、昼は屋敷の裏で体を動かし、夕方はそのどちらかを行っている。それらの間は、体が慣れるまでは大半の時間を体力の回復にあてていた。あまりに疲れすぎて、ご飯時に眠気が襲ってくることもあった。少しずつ慣れてきたところで勉強もしていたが、本のページが勢いよく進むことはなかった。

 当初、オルテガはあまりいい顔をしていなかった。今まで家の中で勉強していた娘が、突如として外に出て体を動かしている。さらには日常生活に支障が出るほど、疲れ切っている。親としては好ましい状況ではない。 しかし、スレイヤが何かを言いくるめた後からは、見守る雰囲気がやや柔らかくなっていた。

 休憩をしながら屋敷の方を眺めると、マデナがバスケットを片手に歩いてくるのが見えた。

「リディス様、スレイヤ様、フェル様、差し入れでございます。疲れた時は甘いものがいいと聞きましたので、それを多く作ってきました」

 リディスの傍に寄ったマデナは膝を付けると、バスケットからたくさんの果実を含んだ、パウンドケーキを取り出した。焼きたてらしく香ばしい匂いが漂ってくる。

「今日も美味しそうですね、マデナさん!」

 スレイヤがとびっきりの笑顔でパウンドケーキを見つめると、マデナはにこりと微笑み返した。

「ありがとうございます、スレイヤ様。たくさん作っていますので、遠慮なく食べてください」

「嬉しいです! では遠慮なくいただきます!」

 ケーキを口の中に入れると、スレイヤは頬をほころばせて、黙々と食べていく。その食べっぷりを見たマデナはとても嬉しそうだった。

「いつもすみません。ご飯だけでなく、おやつまで」

「いいんですよ。リディス様のことをよく見ていただいている、お礼です」

 飲み物をコップに注ぎ、それをスレイヤに渡す。

「体力がないのをご心配になったのがきっかけと聞きました。何かをする上で体力があった方が何かと有利ですからね。さらに体力だけでなく、集中力、周りを見渡す力なども付けさせたいと仰っていたと、オルテガ様から伺いました。とても素晴らしいことです。是非ともリディス様には、そのような力を付けていただきたいです」

 初めて聞いた内容を受け、リディスは目を瞬かせる。

 とにかく体力を付けろとしか言われていない。何かをする上でも常に考えろとは言われているが、そこまでたいそうな能力を付けさせたいとは聞いていなかった。

 水を飲んだスレイヤは、コップを膝の上に置く。

「根本的に付けさせたいのは体力です。彼女はきっと将来体力がなければできないような仕事に就くと思っただけですよ」

「男性たちが活発に議論している場面では、多少なりとも強気な女性の方が残れますからね」

「その通りです」

 スレイヤとマデナは顔を合わすと、二人で微笑み合った。

 やや誤解されている部分はあるが、真実を言えばオルテガたちは反対するかもしれない。本筋はずれていないが、若干違う内容で言いくるめることも大切なのだろう。

 マデナが届けてくれたパウンドケーキを味わいながら食していると、町の方が騒がしくなっていた。異変を知らせる鐘が町の中に鳴り響く。

 強ばった表情のマデナが屋敷の方を見ると、スレイヤたちと共に行動していた中年の男性が血相を変えて駆け寄ってきた。

「スレイヤ、フェル!」

「どうかしたんですか?」

 スレイヤたちが立ち上がると、眉間にしわを寄せた男性は町の方をちらりと見た。

「町にモンスターが侵入した。小型犬が五匹、獅子のような体格のモンスターが一匹入り込んでいる」

「そんなにたくさんのモンスター、それらが自ら町の中に入ってきたんですか?」

 男性は視線を逸らしている。見かねたスレイヤは彼を促して、屋敷の方に歩いていく。いつもより足の動きが速い。

「……闇売買の関係ですか」

 黙っていた男性は躊躇いながらも首を縦に振った。

「シュリッセル町は取り締まりが厳しいですから、商人が入り口付近に馬車を置き、町の中に買い出しに行っている隙にモンスターが脱走、中に入ったというところでしょう。その商人がモンスターの皮でも持っていたら、臭いで惹き付けられますからね」

「お前は本当に察しがよすぎるな。兄さんやご両親にも驚かされたが、お前にまでずばっと言われると、長年還術士をやっている俺たちの立場がなくなりそうだよ」

 男性は肩をすくめてスレイヤを見下ろしている。体格的にはまったく違うが、今は男性の方が小さく見えた。

「あの、闇売買って……」

 スレイヤが背中越しからリディスのことを垣間見る。

「違法な物を取り扱う売買のことよ。代表的なのがモンスター関連のもの。モンスターの皮や目玉、肉とかかしら。珍しいものだから、いい値で売れるらしい」

「でもモンスターは還してしまえば、たとえ切り離したとしても、消えてしまうんじゃ……」

「それは一般論よ。長時間切り離した後に還せば、その物は消えないという逸話はある。本当かどうかはわからないけれど。あとは切り取って、そのまま還さずに逃がしたという可能性もある。気になるのなら後で調べてみるといい」

 屋敷の前に着くと、町長に知らせに詰め所の者たちが、オルテガや護衛の人たちと話し合っていた。リディスたちを見ると、オルテガは表情を緩ませる。

「お父様、モンスターが侵入したと聞きましたが……」

「ああ。既に町の中には緊急事態を知らせる鐘を鳴らしている。建物の中に避難するよう個別にも言い回っているところだ」

 スレイヤがオルテガに歩み寄る。

「オルテガさん、モンスターを侵入させたと思われる人物は捕まえたのですか?」

「今、手配している。あまり見かけない服装だったから、門番たちが覚えていたよ」

「では、私たちはモンスターを還すことに尽力します」

「すまないが、頼む。――彼女たちを案内してやれ」

 詰め所の者が一人、スレイヤたちを先導し始める。

 リディスはつい踏み出そうとしたが、すんでのところで思いとどまる。一緒に行っても、足手まといになるのは目に見えていた。

 感情をぐっと押し殺して、その場に足を張り付ける。

 オルテガの周囲にいた詰め所の人たちも様々な報告を終えると、次々と散開していく。その後ろ姿を見届けてから、オルテガに促されてリディス、マデナ、そして護衛の者が二人、屋敷の中に入ろうとした。


 ふと背後で草を踏む音が聞こえた。音の間隔から考えて、二足歩行しているものとは考えにくい。

 一番後ろにいたリディスがごくりと唾を飲み込みながら振り返ると、一匹の小型犬が歩いていた。牙が口の中から飛び出し、耳は不自然なほど尖っている、ぎょろりした目玉の生き物がリディスたちを見ている。

 モンスターだと察するや、それが駆け寄ってきた。

 護衛の者がリディスの肩を持って、無理矢理後ろに下がらせる。二人はリディスたちの盾になるかのように立ちはだかった。

 たたらを踏みながら下がったリディスは、とっさに脇にたてかけていた竹箒を手にした。壊れていたらしく、持ち手の部分だけが抜け、リディスの背よりもやや低い細長い棒を抜き取った。

 護衛たちが長剣を引き抜き、モンスターに切っ先を向けるが、あっさりと剣をはねのけられてしまう。盾にするものがなくなった護衛たちは、モンスターの突進を腹に受け、その衝撃で気を失ってしまった。

 背後でマデナが声を上げた。リディスは振り返らず、モンスターを見据えた。

 モンスターは傍にいたリディスにはすぐに飛びつくことはせず、睨み付けている。

 なぜだろうか。護衛たちには真っ先に襲ったのに、なぜリディスには襲わないのか。

 棒をぎゅっと握りしめ、先端をモンスターに向けようとした。

 瞬間、モンスターはびくりと耳を動かした。僅かな変化も見逃さず、リディスは頭の中に情報を入れ込む。

 ゆっくりと屋敷から離れるようにリディスは移動する。モンスターもそれに伴って、屋敷に背を向けて付いていく。

(私のことを認識はしている。無差別に襲うモンスターではない……?)

 モンスターの視線はリディスの方に向けられているが、やや逸れているようにも見られた。僅かなずれの先を察知したリディスは一つの考えに至る。

(まさか、このモンスター……)

「リディス様、動かないでください。今、武器になるものを持ってきますので!」

「待って、マデナ、余計なことをしないで!」

「な、何を言っているんですか。今は大人しいものの、いつリディス様を襲うか――」

「このモンスターは襲わない。私たちが余計なことをしなければ!」

「どういう意――」

 リディスの背後にある町が、急に騒がしくなった。その先を見たモンスターの目の色が変わる。歩調が速くなり、視線をリディスから外した。

(まずい……!)

 抱えていた棒をリディスは音をたてて、前に突き出した。

 モンスターの意識が瞬間的にリディスに移る。勢いよくリディスに向かって突進してきた。

 体の正面に来たところで、リディスは足を素早く動かして横に動く。通り過ぎた瞬間、風がリディスの髪をなびかせた。

 少しして止まり、すぐに振り返ってリディスに再び突進してくる。リディスは棒の切っ先をモンスターから逸らし、抱えるようにして棒を持った。途端モンスターの動きが遅くなった。

 思った通りである。このモンスターは鋭い先端を見せる相手を襲っているのだ。

 町の方の被害は聞いていないが、屋敷への人の出入りの量を考えると、人的被害はあまりないと思われる。なぜなら人々はモンスターに刃などを向けずに、逃げに徹しているからだ。

 行動の癖を頭に叩き込めば、リディスであっても時間稼ぎはできる。

 町の方に意識が向き、駆け出しそうになるモンスターの気を引きつけるために、切っ先を見せた。そして襲ってきたところで避けるか、先端を引っ込ます。

 慎重に動向を見定めて、単調な作業を繰り返していると、何かが空を切る音がした。

 リディスとモンスターの間に一本の矢が突き刺さる。

 モンスターが動きを鈍らせた隙に、横から一人の女性が先端をちらつかせながら、走り込んできた。

 モンスターの意識はその女性に向く。先端を見せようとしたリディスの存在など無視し、スピアを持った女性にモンスターは突進していった。

 女性が持っていたスピアに光が集まる。モンスターの突進を軽やかに飛んでかわした。背後に降り立ち、振り返りながらモンスターの体に突き刺した。

「還れ!」

 深々と刺さったスピアは心臓に達し、モンスターの動きを完全に止めた。

 モンスターは黒い霧となり、その場から還っていく。スピアを抜いたスレイヤはその様子を険しい表情でじっと見つめていた。

 リディスも棒を握りしめたまま、その霧が風に乗って消えていくのを見届けていた。



 やがてスレイヤがリディスの目の前でモンスターを還してから、そう時間もたたずに、侵入したモンスターをすべて還したという連絡が入った。

 怪我人もいるが、突進による攻撃で頭や腰を打ったというものが大半で、命にかかわるような人はいなかった。

 獅子のモンスターがもっとも苦戦したらしいが、スレイヤが広場におびき寄せ、鐘楼がある建物に登っていたフェルによって即座に矢で射抜かれたらしい。連携のとれた二人の還術に、町の人たちは感嘆の声を上げるほどだった。

 モンスターを売買しようとしていた男も早々に捕まえている。どうやらモンスターを大人しくするために、尖った棒を突き刺していたらしい。それが原因でそのような物を持っている人間を敵と見なし、襲っていたようだ。

「よくモンスターの行動基準を弾き出して、耐えるという選択肢をとれたわね」

 夜ご飯を終えて、一息ついている時に出たスレイヤの言葉だった。

「本当は初めに棒を突き出そうとしたんです。間合いを取るよう動いた方がいいって聞いたことがあったので。でも、その棒を動かそうとしたら、モンスターが反応したんですよ。それで試しに棒を突き出してみたら……という感じですね」

「その試した行為が、私の寿命を縮ませたということもわかってくれよ、リディス。あの突進を見せつけられて、生きた心地がしなかった」

「ごめんなさい、お父様。次からは極力気を付けます」

 オルテガが肩をすくめて、リディスのことを横目で見る。適当に相づちを打って受け流そうとした。

 だがスレイヤによる、思わぬ助け船が出された。

「オルテガさん、何事も試すということは必要ですよ。政治でもいろいろな駆け引きでも、思い切ってやらなければ前進しません」

「その通りではあるが……」

「リディスにはもっとうまい立ち回り方を教えておきますので、ご安心ください」

「おお、そうか。それは有り難い。頼みましたよ、スレイヤさん」

 その言葉を聞いたスレイヤは、僅かながら口元に笑みを浮かべていた。



 翌朝、軽く走った後に、スレイヤに一本の棒を手渡された。リディスの背丈よりも少し短い棒で、片側には重りのような物が備え付けられている。

「スレイヤ姉さん、これは何ですか?」

「私が父親から教えてもらう時に使ったのを似せた物よ」

「いや、そうではなくて……」

「スピアを模した物っていえば、わかる?」

 リディスが目を大きく見開いていると、スレイヤは魔宝珠からスピアを召喚した。それをリディスが持っている物の横に合わせる。

「スピアの先端は刃が付いているから、重みを付けた方が本物に近づけられる。均衡がとりにくければ、重しの量と長さを調整しよう」

「私に槍術を教えてくれるんですか? ですが、私は結局、昨日も助けられて……」

 昨日のモンスターとの対峙では、時間稼ぎしかできなかった。スレイヤに認めてもらえるような動きは何一つしていない。もし棒切れだけでモンスターを大人しくさせることができていれば、この棒を持ってもいいとは思っていた。

 リディスが棒を戻そうとすると、スレイヤはさっと手で制した。

「ただ相手を叩き潰すだけが、世を渡っていく手段ではない」

 朝日がスレイヤの顔にあたる。それを背景にして微笑んだ表情は美しかった。

「モンスター相手にもそう。ただ還すだけが最善ではない。状況を見極めて還せざるを得ないときだけ還す、それが本来の還術士のあり方だと、私の父さんは言っていた」

 空を見据えて、スレイヤは続けていく。

「そして父さんは、何事も流れるように動けと言っていた。昨日、リディスは私に状況を見極める力と、無理せず受け流す力を見せてくれた。それさえできれば、槍術の基礎的な部分はできたも同然よ」

 スレイヤはスピアの切っ先をリディスの棒切れの先に合わせた。

「オルテガさんにも、うまい立ち回りの仕方を教えることを承諾させた。だから貴女が槍術を始めるにあたって遮るものは何もない。もう遠慮しなくていいのよ」

 切っ先を離し、召喚を解く。そして笑みを浮かべて、もう一本の棒切れをリディスの前に突き出した。

「リディス、槍術を使って、多くの人を護る?」

 今になってわかる。

 スレイヤがオルテガの首を縦に振らせるために、いくつもの巧みな言葉を散りばめていたことを。そしてまんまとオルテガはリディスが槍術をするのを承諾してしまったことを。

 槍術でも話術でもかなわない人だと、常々実感した。

 いつか彼女のように立ち回る人になりたい。彼女のように多くの人を護る人になりたい。

 そう思い、リディスは棒切れの先端をスレイヤに突き出した。

「はい、護ります。だから稽古、よろしくお願いします!」



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