静かなる旅立ち(2)

 * * *



 翌日、リディスたちは昼前にエレリオの診療所から去ることになった。皆それぞれ防寒着を羽織り、食糧や寝袋をいれた大きめのリュックを背負っている。

 この時期のニルヘイム領は、日によって夜は非常に冷え込むため、凍死の可能性も念頭にいれて行動しなければならない。

 メリッグは目を細めて、ニルヘイム領と他の領を隔てる山脈を眺めた。

「この村を出てからトンネルに入るまでは徒歩で三日くらい。その間に村はあるけれど、どこも寂れた所だし、治安もよくないから、満足のいく休息はとれないと思っておいて」

「わかった。ニルヘイム領内の道案内は予定通り頼む。ミスガルム領内に関しては、俺が先導する」

 フリートはメリッグと視線を合わすと、お互いに頷きあった。ミスガルム王国の騎士として幾度となく遠征に出ているため、道や町村などの領内に関する知識はかなり持ち合わせているらしい。

 昨晩、皆で地図を広げながら移動に使う道について話し合った時、リディスが脱帽してしまうほど彼の知識の量は半端なかった。

「扉が閉じきっていない今、モンスターは依然として増え続けている。非常に強力な個体もいる可能性が高い。最低限自分の身は自分で守りなさいよ。何があっても私は知らないわ」

 メリッグは涼しい顔で言ってから、診療所の前に立っている女医の傍に歩み寄った。エレリオは静かに微笑みながら彼女を見返している。

「お前が仕切るとは珍しいな。長としての資質か」

「関係ありません。この領は私が一番知っているだけです。他の領に入ったら案内人は交代します」

「メリッグらしい言い方だな」

 エレリオは肩をすくめてから、メリッグやリディスたちを眺めた。

「……いつまでもお前たちがここにいてもいいと思う自分もいるが、やはり怖がっている自分もいる。結果として追い出すような形となり、すまない」

「何を言っているんですか! 既にこちらが散々ご迷惑をかけているんですよ。謝るのはこちらの方です」

 頭を下げそうになったエレリオを、リディスは慌てて止める。プロフェート村はかつて部外者が立ち入ったために悲劇がもたらされた。この前もリディスという部外者がいなければ、ヘラは襲ってこなかったはずだ。

 ヘイム町であれ、ミーミル村であれ、間接的だがリディスを中心として多数の人々を巻き込んでしまった。今後は直接的な要因で、皆を巻き込み、傷ついてしまう可能性が高い。

「エレリオ先生には本当に感謝しているんです。フリートの大怪我を治療してくれただけでなく、私が記憶を失っている時も大事に接してくれたじゃないですか……」

「だが、記憶を蘇らせることはできなかった。むしろ記憶を取り戻すのを止めようとした。患者の容体を良くするのが仕事なのに、それを避けるなど……本当に恥ずかしい」

「そんなことありません。無理に記憶を取り戻したら、精神が崩壊する可能性もあったんですよね? 患者への危険を考えた上で止めたのは、医者として当然の判断だったと思います」

 リディスが必死に説得すると、浮かない顔をしていたエレリオの表情が多少和らいだ。

「今、世界がとんでもない状況に置かれていることは、この私でさえも察している。これから何が起こるかわからないが――自分の命を投げ捨てることだけは、絶対にするな。これが医者である私からの餞別の言葉だ」

 エレリオの視線はリディスからメリッグに移動している。その視線を感じ取った彼女は目を伏せて静かに頷き返した。

 空は厚い雲で覆われ始めている。冷たい風が吹けば、反射的に首をすぼめてしまいそうだ。

 だが、予言者の女性が意図的に凍らせていた想いは、少しずつ溶かされているようだった。



 エレリオや村人たちに別れを告げたリディスたちは、メリッグの案内に従って森に覆われ、整えられていない不慣れな道を進んでいた。

 メリッグ、トル、リディス、フリート、ルーズニルと縦に並んでおり、各自が結宝珠けつほうじゅを持って歩いている。先頭が女性であるため、同姓であるリディスにとっては比較的楽に歩くことができていた。本調子でないフリートや後ろを気にしているルーズニルにとっても、これくらいの速度が丁度いいようだ。

 その中でトルは一人不満そうな表情をしていた。

「なあメリッグ、もっと速く歩かないか?」

「私は貴方のような歩幅で歩くことはできないわ」

「あんまりちんたら歩いていると、モンスターが集まってくるんじゃねえか?」

「だから念のために結宝珠を各自で持っているのよ。それに慌てて進んで道を間違えるよりはいいと思うわ」

「けどさあ……」

 メリッグは唐突に立ち止まり、後ろにいたトルをきりりとした表情で睨みつけた。

「なら、貴方が先頭を歩く? 一切迷わないで、所定の場所に、所定の時間までに辿り着ける? 先に言っておくけど、この森は神経を尖らせないとすぐに迷うわよ。――もしかしてその表情、心当たりがあるのかしら」

「……うるせえ!」

 吐き出した後に、トルは黙り込んだ。

 メリッグは右手を腰に当てて、大げさに溜息を吐いている。

 プロフェート村の跡地まで、トルは一人で来たと言っていた。今の様子から察すると、彼は往路にて迷ったのかもしれない。

 メリッグにからかわれて少しだけ気の毒だと思いながら、リディスはトルの小さくなっている背中を眺めた。



 しばらく真っ直ぐ進んでいたが、陽が下がり始めたところで近場にある村に向けて進路を変えた。最短距離から外れるが、野宿は避けたいという考えだ。メリッグは地図とコンパスを片手に、躊躇うことなく突き進む。

 やがて夜の帳が訪れる前に、物寂しい小さな村に辿り着いた。その村は随分前に人が去ってしまったのだろう。どの家も寂れており、人の気配など微塵も感じなかった。

「この村で何かあったんでしょうか」

「近くにあったプロフェート村が消えて、次は自分たちかもしれないと思い、慌てて村を放棄したというところね。……事情も知らないのに、何を馬鹿なことをしているのかしら」

 メリッグはぼそっと呟いた後に、比較的綺麗な一軒の家を指した。その家まで移動した一同は中に続々と踏み込んだ。中も外観と同様に寂れており、割れた窓の隙間から風が吹き込む。部屋の隅には埃が積もっていた。

 汚いのは仕方ない。腰を据えても大丈夫なよう簡単に掃除をすると、怪我が治りきっていないフリートは壁に寄りかかるようにして座り込んだ。

 他の者で煙突付きの暖炉の中に適当な量の薪をいれ、トルの精霊召喚で火をつけた。薪は勢いよく燃え、家の中は仄かな暖かさで包まれる。

「暖かい……」

 リディスは手を火元に近づける。すると横からメリッグが毛布を一枚差し出してきた。

「これから冷えるし、いつまでも炎が燃え続けるとは思わない方がいいわ。毛布にくるまって、内側から暖まるようにしておきなさい」

「ありがとうございます」

 メリッグはトルにも同様に渡している。こういうさりげない気の使い方から、内心はとても優しい人だと実感していた。

 リディスたち五人は暖を囲みながら、乾パンや保存食を細々と食べた。おそらくトルは足りないだろうが、食の大切さは一人旅で経験していたようで、何も言わずにパンの味を噛みしめていた。

 与えられた水を飲み干すと、トルは腕を組んで唸り声をあげた。隣にいたメリッグは非常に不愉快そうな顔をしている。

「何なのよ」

「どうしてもわからねえことがあってさ」

「どんなことかしら」

「リディスを狙っている奴らは、どうして扉を開きたいのかって。理由がわからねえ」 

 その言葉を発されると、ほんの一瞬だけ皆の動きが止まった。

 次の瞬間、一斉にトルの方に振り向く。大量の瞳が向けられ、彼は慌てふためいた。

「お、俺、また馬鹿なことを言ったか!?」

「違うわよ、トル。悔しいけれど、いいところを突いてきたわ。野生の勘はそういうところも働くみたいね」

 メリッグは余計なことを言いながら、他の三人を見る。リディスも狙われている張本人としてさらに奥にある理由を知りたかった。フリートは左手を顎に添えながら、思索を巡らす。

「鍵を使うことで、扉を開けるというのはわかる。実際にこの世に現れた扉は、鍵を使ったことで半分開いたからな。だが扉を開いたことで何を得るんだ? 扉の向こう側にいるモンスターを大量にこちら側に雪崩れ込ませることで、あいつらはこの大陸にいる生物を消し去りたいのか?」

「それは理由としては弱い気がするわ。ただ殺すだけならば、強力なモンスターを大量に召喚すれば事足りるでしょう。――鍵と四大元素の欠片を探し出し、扉を開くという行為――時間がかかりすぎるとは思わない? そこまでするのには、何らかの強い理由があるはずだわ」

 メリッグは即座にフリートの意見を却下した。

 ならば、いったいなぜ――?

「……扉を開くという行為よりも、その先にある樹が関係あるんじゃないでしょうか?」

 リディスは思っていたことを口にすると、ルーズニルが左の手のひらに右手で作った拳を叩いた。

「なるほど、そういう考え方もあるね。モンスターを出現させるのは二の次で、本当は樹の傍に行きたいとか?」

「そうだとしたら、樹の傍に行って何がしたいのでしょうか。樹は宝珠を生み出すと言いますけど、彼らが宝珠を欲しがっているようには見えなかったですし……」

「もしかしたら僕たちが考えられないような、とんでもない理由があるかもしれない。……今は情報が少なすぎる。ミディスラシール姫たちときちんと話をしてから、再考するのがいいと思う」

「そうですね……」

 ルーズニルの言うとおり、推測で思いを巡らすには限界があった。

 ほんの少し沈黙が続いた後、フリートは顔を上げ、ルーズニルに視線を向けた。

「そういえばルーズニルさん、ニルーフという少年を知っていましたよね。彼はどんな少年なんですか?」

 ルーズニルは自分のリュックから本をとり、その間に挟まっていた、黄ばんでいる一枚の紙を差し出した。それはヨトンルム領のある町で配られた号外。かなり急いで書いたのだろう、非常に乱雑な字だった。

 内容は、隣の村の結界が盗賊たちによって壊され、その隙にモンスターが侵入、混乱している中、盗賊たちが金品を奪いつつ、抵抗する者には刃を向けた――。結果として、ほとんどの村人たちが殺されてしまったという衝撃的なものだった。

「ニルーフと初めて出会ったのは四年前、ある村の孤児院で出会ったんだ。遠目で見ていたから、おそらく彼は僕のことなんかは知らないだろう」

「ニルーフは惨殺されたこの村の生き残りってことですか」

 フリートが苦々しい思いで言葉を漏らす。ルーズニルは記事を引っ込めると、淡々と述べていく。

「当時、彼はかなりショックを受けていたようで、しばらく食事もまともにとれなかったらしい。僕ができることもたかがしれていて、孤児院に金銭や書物を寄付するくらいしかできなかったよ。――そんな彼と再会したのが五ヶ月前のことだった」

 目を細めながら、数か月前のことをルーズニルは思い出す。

「ムスヘイム領寄りのヨトンルム領内にある小さな村まで、物資を運ぶ馬車に乗せてもらっている時だった。その村にある希少な魔宝珠が気になって向かっていたんだが、その道中で彼が現れたんだ。彼はニーズホックを使って、進行を阻止してきた。……たとえ子供でもやっていいことと悪いことがある。それを言うために馬車を降りたけど……こちらの言い分も聞かずに本気で攻撃を仕掛けてくるものだから、本当に参ったよ」

 ルーズニルは深々と息を吐く。話を聞かない人ほど面倒な者はいない。分別が付いていない子供なら尚更だ。

「結局は僕の負け。子供相手の召喚合戦だから遠慮したのを差し引いたとしても、潜在的な能力は彼の方が上だった。村に行くのは渋々諦めたよ。――あとで聞いた話では、その村はニルーフが住んでいた村と雰囲気が似ていたようだ。もしかしたら彼は過去のことを思い出して、部外者を中に入れたくなかったのかもしれない」

「そんな理由で……」

「無意識下で働く防衛意識というのは、とても強いものだよ」

 仮にニルーフがリディスたちはかつて村を襲った盗賊たちと関係がある、という嘘を吹き込まれたとする。

 過去の衝撃的な出来事を強く意識していたとすれば、彼がそれを信じてしまう恐れがあった。

「誰かが彼の過去を踏まえた上で、言葉巧みに操っているのではないかと思う。おそらく話し好きなゼオドアあたりだと思うけど……。どちらにしてもニルーフも面倒な相手であるのは変わりない」

 それでもニルーフの過去を少しだけ垣間見ることができたのはよかった。心をうまく突けば、彼の破壊願望を抑えられるだろうか――そのようなことをぼんやりとリディスは思っていた。

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