背中を護る者たち(3)
* * *
長い時間をかけて、いくつもの夢を見ていたようだ。
母の死に際、ロカセナとのシュリッセル町までの旅、ヘイム町でリディスのスピアと剣を交じり合わせたこと、ミーミル村でのメリッグとの会話、ミディスラシールからリディスの誕生日について助言されたこと、そしてリディスの背中を護ると言ったあの日――。
フリートは一つ一つの記憶を租借しながら、瞼をゆっくり開けた。汚れた天井が見える。もともと古い建物をさらに長く使っているため、埃が溜まったり、汚れが酷くなるのは必然だろう。
起き上がろうとしたが腹部に若干の痛みが走った。一時は塞がった傷が、ガルームとの戦いで再度開いたものである。しばらくは無理せず安静にしておくのが一番のようだ。フリートは大人しく頭を枕の中に深く沈めた。
その僅かな揺れで、フリートの傍で顔を腕の中に埋めていた人間が顔を上げた。そしてフリートを見るなり、目を大きく見開いた。
「フリート……?」
「リディス……か。元気そうだな。よかった――」
「……よかったじゃないわよ、この馬鹿!」
目を潤ませたかと思ったが、途端に馬鹿呼ばわりされる。呆気に取られていると、リディスが怒涛のように言葉を並べ始めた。
「傷が塞ぎきっていない状態で、通常時でも勝つのが難しい相手に挑んでいくなんて、どういう神経しているの!? しかも一人で対峙するなんて、自殺行為にしか見えない。――そんなに死にたかったの!?」
「死ぬ気で挑まないと、あれは……」
「カッコつけもいいところよ! もっと鈍くさくてもいいから生きなさい、どんなことがあっても生き抜きなさいって、ミディスラシール姫も言っているでしょう」
「別にカッコつけてなんか……」
「私は誰かの犠牲の上で成り立つ人生なんて、生きたくない!」
はっきり言い切ると、リディスの瞳から一筋の涙が流れた。彼女はすぐに拭うが、目元が赤いのは隠しきれていない。視線を横に向けて淡々と呟く。
「……目が覚めてよかった。三日も眠っていたから心配した。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっているから数日はしょうがないって、エレリオ先生は言っていたけど……」
「ここ最近、俺は休んでばっかりだな」
「それだけ負った傷は深かったってところでしょう」
リディスは傍にある机の上にあった水差しを手にし、コップに水を汲み、それをフリートの口元に持っていく。
だが、この傾斜ではこぼれると判断したのか、近くにあったクッションをフリートの枕の下に無理矢理入れて、若干の傾斜を作り出した。それから再度コップを口に近づけてくると、途中でフリートはそれを受け取り、自分で飲み干した。久々に得る水分が全身に行き渡っていく。
リディスは飲み終わるのをじっと見て、それから手を伸ばしてコップを回収した。フリートはほっと一息を吐く。浮いていた足がようやく地についてきたようだ。
視線を下げていたリディスは立ち上がると、入り口に向かって歩き出した。
「エレリオ先生呼んでくる」
「あ、ああ。ありがとう……」
そこで見えた背中は小さかったが、以前よりも大きく見えた。
特に異常はなかったため、女医からは無理をしない範囲で行動をするように、というお達しをもらったフリートはぼんやりと日中を過ごしていた。時々リディスが顔を出しており、彼女の顔を見る度にほっとしたものだ。
窓の外からリディスがトルと切磋琢磨に武器を交じり合わせているのを見ると、フリートがいつまでも構う必要はないのかもしれないと思った。
「大丈夫よ、あの子にとっての一番は貴方だから」
丸く赤い果実を剥き、食べやすい大きさに切ったものを持って、メリッグがフリートを尋ねてきた。その果実を口の中に入れると、程良い触感で噛め、心地よい香りが中を充満していった。
「リディス、まだまだフリートに護られっぱなしだから、もっと強くなりたいと言っていたわよ」
「そうか。そのうち俺がいなくても大丈夫なようになるだろう……」
「あら、そういう意味じゃないわ」
メリッグは一度椅子に下ろした腰をすぐに上げ、フリートのことを見下ろしながら微笑んだ。
「貴方の背中も護りたいから、強くなりたいと言っていたのよ」
「は……?」
護衛対象に護りたいと言われ、驚きのあまり思わず声を漏らす。
メリッグは真顔で続けた。
「そろそろあの子を護衛対象ではなく、一人の仲間として見てあげたら? 大事にしていないで、対等な位置にまで持っていきなさいよ」
「あいつはこれから狙われる立場だぞ。護衛対象っていうのは変わらないだろう……」
「相手からの攻撃に対して共に反撃するとか、そういう発想にならないわけ? 頭堅いわね。これだから堅物男は嫌いなのよ」
メリッグは手を腰に当てて溜息を吐く。眉をひそめるフリートに対し、彼女は顎で窓の外を促した。
「もう少し近くであの娘の様子を見てきなさい。エレリオ先生から少しずつ動いてもいいと聞いているわ。それを既にフリートに伝えたことも」
「なっ……」
「いつまでもここに居続けることはできないわ。早く動けるようになりなさい。先生に動いてもいいと言われたのに未だに動かないのは、リディスを心配させたくないから?」
遠慮なく核心を突いてくる。フリートは誤魔化すこともできずに、その場で黙った。メリッグはその様子をじっと見て、部屋から出て行った。
彼女の足音が遠ざかるのを聞きながら、嘆息を吐く。そして常備しているショートソードと緋色の魔宝珠を手に取ってから、床に足をつけた。
外に出ると、ショートスピアを持って素振りをしていたリディスが手を動かすのをやめて、血相を変えて駆け寄ってきた。
「もう動いても大丈夫なの?」
「ああ。そろそろ体を慣らさないと、とっさに動けないからな」
「そう。でも無理はしないで……」
「リディス……」
俯いているリディスの肩に手が伸びる。だが彼女が顔を上げるなり、すぐに手を下げた。
「感覚は戻ってきたのか?」
「多少はね。上手く動かなくても精霊たちが導いてくれるから、端から見たら感覚が戻っているように見えるかもしれない」
「精霊たちが?」
リディスが四つの石をポケットから取り出した。それぞれ緑、赤、青、茶色と四大元素を連想させる色となっている。ガルーム戦では光輝いていたが、今は綺麗なだけの石だ。その石を両手で優しく握りしめた。
「握っていると伝わってくるの、精霊たちの気配が。その気配を感じ取って行動を起こすことで、無駄のない動きができている。……本当に不思議、精霊って」
「精霊たちがレーラズの樹を育てたって言われているだろう。そんな精霊たちが力を貸してくれるんだ、多少不可思議なことをされてもおかしくはない」
「そうね。……ねえ、フリートは
リディスが口を開いている途中、殺気を感じ取った。結界の外から中にいる獲物を狙っている尖った殺気だ。
彼女は目を細めて、ショートスピアの先端を殺気が感じられる方に向けた。フリートもショートソードの鞘を抜こうとするが、リディスが手で制してくる。
「一体だから、私だけでも充分よ」
そう言われたが、フリートはすぐに承諾できなかった。わざわざ一体で結界に近づくからこそ、逆に強敵である恐れもある。
なかなか首を縦に振ろうとしないフリートを見て、リディスは肩をすくめ、躊躇いつつも口を開いた。
「じゃあ……一緒に来て、いざというときに私の背中を護ってくれる?」
リディスが発したその言葉の意図について、僅かな思考時間を要した。
条件付きの護衛――それにより導かれた答えから、フリートは首を縦に振った。
「わかった。お前が危険なときだけ力を貸す。一緒に戦おう」
その言葉を聞いたリディスの表情はやや緩んだが、すぐに引き締めて軽やかに走り始めた。
鋭い殺気を送っていたのは、結界のすぐ傍にいた巨大な鳥型のモンスターだった。羽をばたつかせ、甲高い鳴き声を上げて威嚇している。反射的にリディスには分が悪いと思い、剣の柄に手が伸びそうになったが、振れたところで止まった。
リディスはスピアの柄を持つ幅を長くし、両足でしっかりと立った。姿勢の正しい姿に思わず見とれてしまう。
先に動いたのは鳥型のモンスター。鋭い嘴でリディスを貫こうと滑降してきた。勢いよく攻められれば体が貫通する鋭さだ。
リディスは慌てず、スピアで嘴を正確に弾き飛ばした。鮮やかな対処の仕方に息を呑む。
モンスターが驚いている隙に、リディスは次々と突きを繰り広げる。相手はその素早い動きに対抗できず、何カ所か羽が刺された。一旦攻撃の手が止むとモンスターは上昇し、リディスを見下ろした。
空に逃げられては、武器召喚を主体としている者にとっては攻めにくい。
「メリッグかルーズニルさん、どちらか呼んでくるか?」
精霊召喚ができる者がいたほうが、より簡単に物事を進められると思って提案したが、リディスは断固として首を横に振った。
「メリッグさんの傷は癒えていないし、ルーズニルさんまで診療所から離れさすにはいかない」
「それならお前がモンスターを叩き落とせ。この前もやったんだから、できるんだろう?」
「その後は任せたわよ」
リディスは数歩下がってから助走を付け、モンスターの真下を跳躍した。所有していた緑色の欠片が発色するなり、まるで羽が生えたかのように浮かび上がる。
モンスターの背中にまで上昇し、背骨に向かって全身全霊を使って振り下ろした。
人間から空中での攻撃をくらったモンスターは、一直線に地面へ落ちていく。
フリートはショートソードを手放し、バスタードソードを召喚すると、落ちてきたモンスターを下から突き上げるかのように切り裂いた。
胴体から一枚羽がちぎれる。地面の上でばたついている中、落下してきたリディスが全体重を乗せてスピアを心臓めがけて突き刺した。
「還れ!」
そして断末魔と共にモンスターは還っていった。
ほっとしたのも束の間、周囲からモンスターの気配が漂ってくる。フリートはリディスに視線で促すと、すぐさま結界の中に戻った。
彼女は多少息が上がっているが、酷く辛そうには見えなかった。フリートの視線に気付いたのか、首を傾げながら顔を覗きこんでくる。
「何?」
「体に異常は?」
「ないわよ。フリートこそ大丈夫? ごめんね、結局力を借りることになって……」
「一振りくらいで傷が開くようなら、歩き出した時点で血が吹き出ている」
「それもそうね」
沈黙のまま静寂に包まれた森の中を二人で歩いていく。音といえば土を踏みしめる音、風に吹かれて擦り合う葉と葉同士くらいだろう。
「伸び伸びと動いていたな。出会った頃のお前は、どことなくモンスターに対しても遠慮があったと思ったが」
リディスは地面を見ながら、ぽつりと呟く。
「あの時は自信がなかったから。フリートに駄目だしもされたしね。でも今は精霊たちの力によるかもしれないけど、少しだけ自信を持って槍を振れることができるのよ。……それとこんな状況下、躊躇ったら死ぬでしょう」
その言葉がぐさりとフリートの胸に刺さる。
たとえ相手がどのようなものであっても、躊躇すればそれ相応のしっぺ返しが来るのは必然だ。
「あと……ね」
少し前を歩いていたリディスが軽く振り返り、微笑んでいる横顔を見せる。
「周りに頼ってもいい、弱い女ではなく仲間として一緒に戦おうって皆が言ってくれるから、私はその想いに応えたいと思ったの。たとえ自分の未来への道が暗いものであっても……」
(こいつはどうして俺が長年悩んでいることを、こうもあっさり口に出せるんだ。本当に油断ならない奴だ)
心の中で苦笑して、フリートはリディスに歩み寄り横に並んだ。そして正面を向いたまま、はっきりと言い切った。
「お前が戦っている最中の背中を俺が護ってやるよ。とにかく前に進め。お前は皆の未来へ続く鍵なんだから」
リディスの目が大きく見開いたが、フリートは何事もなかったかのように前へ進んだ。すぐ後ろを金髪の娘が付いてくる。そして二人で他愛もないやりとりをしていると、すぐに開けた場所にある診療所に辿り着いた。
窓からはメリッグやトル、ルーズニルが顔を出している。フリートたちの姿を見ると、誰もが安堵の表情を浮かべていた。
皆のもとに戻ろうと歩き出しながら、フリートは何気なく視線を上に向けた。
長い時間薄くかかっている雲は今もなお消えていない。
だが、いつかは消えると信じて、新たな決意と共に、フリートはリディスと一緒に護りあえる仲間たちのもとに帰っていった。
背中を護る者たち 了
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