背中を護る者たち(2)
* * *
「私、貴方はもう少しまともな判断をする人かと思っていたけれど、この前の戦いを見てその考えを変えたわ。ただの感情論で走る、馬鹿ね」
「……馬鹿か。まあその通りだな」
「あら否定しないの」
「事実だろう。俺はどちらかといえば感情で行動をする人間だ。平時はそれを隠しているだけさ」
頭をかきながらフリートは投げやりに言葉を漏らす。
ヨトンルム領ミーミル村において、謎の老人がモンスターを指揮し、風の魔宝珠を奪うのを退けた翌々日、リディスがスレイヤと談笑している間に、メリッグに少し付き合ってくれないかと言われて、外に出た時だった。
彼女を前に進まして、時折投げられる言葉を返しながら歩いていた。おそらく目の前にいる紺色の長い髪の女性の力添えもなかったら、風の魔宝珠と守り人のスレイヤを守り抜くことはできなかっただろう。
二人は村の中心部から少し離れたところにある、人通りの少ない裏路地を進んでいた。
多少緩和されたとはいえ、ミーミル村の人たちの外部から訪れた人たちへの警戒心は薄れていない。村人の目から避けるように進むのはある意味当然だった。
「おい、どこに行くつもりだ?」
メリッグは何も答えない。フリートは肩をすくめながら、しばらく口を閉じていると、空き地に出たところで突然振り返られた。
「……サハギンが現れた井戸に連れて行きなさい」
「は?」
思いも寄らぬ言葉にフリートは間の抜けた声を出す。メリッグは髪を耳にかけて横目でぎろりと睨みつけた。
「私の気が変わらないうちに、サハギンが出た水辺へ連れて行きなさいと言っているのよ。どうせ一昨日は還しただけで、何も処置していないんでしょう。放っておくと、また繰り返されるわ」
「スレイヤさんが元気になったおかげで、結界の効力は上がっているはずだが……」
「貴方ね、もう少し頭を働かしたら? 一昨日の乱戦の最中に侵入してしまったとか考えられないの?」
その可能性は否定できない。フリートは軽く指で示して、その井戸に連れて行った。
井戸の近くに来ると、メリッグは
フリートは周囲を見渡した。特に違和感はない。地面も荒らされておらず、何かが侵入した様子はぱっと見ではないように思えた。
しばらくその場にいると、先日の乱戦の前に会った、ダリウスとエリーが息子のアレキを挟みながら歩いてきた。視線が合うと、エリーは頭を下げてから首を傾げる。
「どうかされましたか?」
慈愛の笑みを浮かべる、風の魔宝珠の守り人だった女性。頬が痩け、細身なのは変わりないが、以前よりも表情に生気が満ちているように見えた。
「その井戸には
「……残り香に惹かれて来たのが一匹いるわ」
目を細めているメリッグがぼそっと呟いたのと同時に、井戸の中から鋭い氷柱が飛び出た。それはすぐに溶けて水となり、何事もなかったかのように静けさを取り戻している。
フリートとダリウスたちは、目の前で起こった現象を見て、目を丸くしていた。
「な、何、今の!?」
アレキが驚きの声と共に目を輝かせている。そしてダリウスの制止の言葉も聞かずにメリッグに駆け寄った。彼女はアレキを見ると、軽く目を見開く。
「お姉さん、今何をやったの!?」
「……モンスターを還していたわ」
「お姉さんもモンスターを倒せるの?」
「違うわよ、在るべき処に還したのよ」
「在るべき処? それってどこ?」
「どこって……」
思いついたままに質問を投げかけるアレキを、メリッグは困ったような表情で眺めている。しばらくその状態が続いていたが、やがて彼女は肩をすくめると、エリーの横に来た。
「きちんと教えていないんですね、モンスターや還術のことは」
「ええ。この子には必要がないと思っていた知識でしたから……。でもこれからはこの世界で起こっているすべての事象を教えたいと思います。息子だけでなく、多くの人たちに」
「それは頼もしい発言だと思います。貴女のように実績がある人なら、耳を傾けてくれる人も多いでしょう」
「ありがとうございます。……貴女ももう少し素直に言葉を発することができれば、皆さんも話を聞いてくれるでしょうし、他の方も背中を護りやすくなるのではないですか?」
エリーが優しく微笑む。メリッグは一瞬その場で突っ立っていたが、すぐに踵を返して背を向けた。
「これが私のやり方です。お気になさらないでください。……では私はこれで。ささやかですが結界の効力を高めておきましたので、なるべく早く抜本的な解決をなさってください」
紺色の髪を揺らしながら彼女は裏路地へ入っていった。エリーは手元を軽く押さえて、苦笑している。
「なかなか素直ではない人ですね」
「あれでも多少良くなった方です」
「そうですか……。ねえ、もっと彼女を頼ったらどうでしょう。ああいう女性は頼まれたら一言発するかもしれませんが、きっと力になってくれますよ」
その言葉を聞いたフリートは表情を緩ませ、軽く会釈をしてからその場を離れた。
エリーの言葉はその通りであり、メリッグは頼めば嫌みを言いつつも、常に手を貸してくれていた。
皆既月食時に乱戦に巻き込まれた際には、自分の身を守るという名分もあったかもしれないが、躊躇いもなく力を貸してくれている。
なぜ一見して頑なな態度を貫いているのか疑問に思っていたが、過去の衝撃的な事件によって心を閉ざしてしまったと後々知り、何となくだがその理由を察することができた。
人に対して心を開くのを怖がっているのではないだろうか。
信じ過ぎてしまったために、大きな心の傷を負ってしまったから――。
そんな彼女もフリートたちと一緒に過ごす期間が長くなるにつれて、少しずつだが心の距離が狭くなっている気がした。
心を許し、真の仲間になるのもそう遠くないかもしれない。
* * *
「もう一つ、いいことを教えてあげる。実はね――リディスの誕生日は私と同日なのよ」
皆既月食の前日、ミディスラシールに呼び出されたフリートは、リディスの護衛の任に着くということと、リディスの誕生日も間近ということを知らされていた。
後者について言われた時、何を言われたのかすぐに理解ができなかった。仕事の話から突如として私的な話題を持ち出されたのである。混乱するのは当然だろう。
「姫、リディスの誕生日をここで持ち出される理由がわからないのですが……」
眉間にしわを寄せて素直に質問すると、ミディスラシールは腰に手を当てて、あからさまに溜息を吐いた。首を何往復か横に振りながら、緩いウェーブの金髪を揺らした。
「……可愛いあの子のことを想って言ったのに、相手がここまで鈍感だと本当に厄介。傍から見れば楽しめる関係だけど、当事者からすればたまったものじゃないわね」
「はい?」
「何でもないわ。……当日は私もリディスのことを構っている暇はない。せっかくの二十歳の誕生日なのに、育った町から離れた地で、自分の誕生日を祝ってもらえず寂しくその日を過ごすのはどうかしら。フリートが二十歳になった時には第三部隊の中で盛大に祝ってくれたんでしょう。嬉しくなかったの?」
「それは嬉しかったですが……」
その日のことを思い出すと、つい乾いた笑いをしてしまう。
たしかに二十歳の誕生日は盛大に祝ってもらえた。豪勢な食事をとり、多少お酒を飲み、話をしながら楽しいひと時を過ごしていた。
だが、会の終盤に周囲の部隊長から御咎めがくるほどの、少々度が過ぎることが起きてしまったのだ。
泥酔状態に陥ったカルロットが、部屋の中で剣を振り始めるという事件が。
盛り上がっていた会が、一転して緊迫した雰囲気となる。大きく素振りをしながら歩き出すカルロットから騎士たちは逃げ回る。そのうち疲れて寝るかと思ったが、だんだんと研ぎ澄まされていく動きに顔を引きつらせていった。
これは一刻も早く手を打って、カルロットを沈ませなくては。
その考えで一致した騎士たちは、逃げ惑いながらも考えを巡らせた。隊長以外の者たちは酔いが冷めてしまったのはいうまでもない。
隊で支給されている小振りな剣とはいえ、カルロットの動きには無駄がなかった。隙を突いて剣を弾き飛ばそうと思っても、鉄壁の守りの前では迂闊に飛びかかれない。
さてどうしようかと思っている中で、にこにこしているロカセナが一つ提言した。
今回はフリートのために会を開いてくれた結果、このようなことになった。
だから二十歳になった一つの試練として、フリートにこの場を納めてもらおう。
この時ばかりはいつも背中を護ってくれる有難い相棒に殺意を抱いた。
一人で挑むなど危険過ぎる。大怪我または最悪死すら覚悟する必要があった。
せめて共に納めようなどといった気の利いた言葉でもかけてくれれば、彼に対する評価は変わっただろうが、その後に続く言葉は何も出てこなかった。先輩騎士たちに剣を持たされ、軽く背中を押される羽目になる。
そして剣を持ったフリートに、カルロットは本気で剣を振ってきた――。
結果として、二十歳になった翌日から一週間ほどフリートは医務室のベッドで横になっていた。
苦笑される内容であるが、ある意味では楽しい思い出ではあった。
幼い頃の誕生日は母が振る舞うご馳走を楽しみにしていた。だが、食卓で共に食事をとるのはだいたいフリートと母、そして兄の三人だけ。父が参加した時など数えるほどしかない。
騎士見習い時代はひっそりと誕生日を過ごしていた。下手に目立ちたくなかったし、一緒に祝ってくれる親しい友人もいなかった。せいぜい気になっていた蔵書やご飯を自分で奮発して購入するくらいだ。
そのようにあまり人と触れ合わない中で過ごしてきたフリートにとって、第三部隊に入って世界が変わったといっても過言ではない。
口うるさくお節介ばかりかける人たちで大変だったが、心を許し合うことで一つの家族となりつつあった。
記憶に新しい二十歳の誕生日を思い出し、フリートは金髪の少女にも少しでも記憶に残る日にしたいと思った。
「たしかに二十歳の誕生日は特別ですから、せっかくだからリディスも祝ってやりたいですね。しかし当日は姫の誕生日会に出ていますから、あいつにも何かするっていうのは……」
フリートは腕を組んで首を傾げていると、ミディスラシールは扇子を口元にあててくすっと笑った。
「少しでもいいから、行動で示せばそれでいいんじゃない? 盛大でなくても、そこに気持ちがこもっていれば充分よ」
その言葉を聞き、フリートは一つの案が思い浮かんだ。
そして軽く首を縦に振って踵を返すなり、小走りにミディスラシールの部屋を後にした。
肩をすくめ、微笑んでいる姫は、その背中に向けて手を振りながら見送った。
なぜ、リディスに対していつも必死になるのだろうか。
彼女がショートスピアを持ってモンスターに向かっていく時、常に心配の種がつきまとう。
護衛対象だから――その言葉でまとめることができるかもしれない。だがそれとは違った感情があるのも、ぼんやりとだが気付いていた。
誕生日にリディスにあげる品を見ながら、どれが最適なプレゼントか考えていた。
彼女は決して強くはない。
もし、今後も彼女が何らかの争いに巻き込まれるのならば、誰かが彼女の周囲を護らなければ、命すら危ういかもしれなかった。
それほど真っ直ぐに生き過ぎている。
冷静に振る舞えない、もう一人の自分と似過ぎているリディス。
そんな彼女にプレゼントするのならば、やはり身を守るための道具だろう。
そして惹かれたのが、鮮やかな緑色に輝く魔宝珠が埋め込まれた、鍵の形をしたペンダントだった。
だが、それを当日渡すのは叶わなかった。
騎士になってから二年強、フリートのことを援護し、背中を預けてやってもいいと思っていた青年に裏切られたために。
その事実を知った時、非常に狼狽し、同時に彼のことを頼りすぎていたと痛感していた。何かをしようとする度に彼の顔が脳裏を横切る。巨大モンスターのガルームや
しかし、今、彼はいない。
その事実を受け入れ、たとえ自分が犠牲になったとしてもリディスの未来は護ろう――そう決めて前に踏み出したが、逆にその娘にフリートの未来を護られる形となった。
命を投げ打つ覚悟をした時、颯爽と現れた金色の髪の娘。ショートスピアを華麗に操り、次々とモンスターを還していく。
だが、まだ彼女の背中はがら空きだった。以前よりは背中に気を配っているようだが、素早いモンスターが来たら真っ先に背後を狙われるだろう。
やれやれと肩をすくめ、今度は彼女にそっと伝えた。
理不尽な現実を正面から見据え始めた娘に、かつての自分がかけて欲しかった言葉を。
「俺がお前の背中を護り抜く」
そして彼女はくすりと笑ったのだ。
「私の背中、フリートに預けた」
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