凍てついた思い出(3)

 その後、メリッグはバルエールを秘密裏に世話をする日々を送ることになった。

 彼の傷口が癒えるまで物置小屋で休んでもらい、その間の食事の提供や包帯の巻き直しなどをメリッグが行うというものだ。

 ある日、物置小屋に顔を出すと、ヘラがバスケットを脇に置いて、バルエールと談笑していた。多少整理したが、まだまだ埃っぽい物置小屋の中にいるヘラを、メリッグは左手を腰に当てて見下ろす。

「ヘラ、何をしているの?」

「バルエールさんにお食事を持ってきました。迷惑でした?」

「別に……。ただこの前も言ったとおり、事前に言って。そうしたら私もいちいちここに来ないから」

 肩をすくめながらメリッグは呟く。昼食の余りと清潔なタオルを持ってきたが、どうやら今回も必要なさそうだ。


 バルエールと出会ってから十日近く経過。たいていはメリッグが世話をしていたが、今日のように不意にヘラが横槍を入れてくることがあった。予告もなく来るため、調子が狂いやすい。せめて一言伝えてくれれば、二度手間をすることはなかっただろう。

 一方、二人が仲良くしている姿を目の当たりにすると、メリッグの感情は予想以上に揺さぶられていた。

 ヘラはただ包帯を巻き、食事を渡しているだけだったが、どれをとっても大袈裟に見えるのだ。手の仕草や目線の使い方、まるで男を落とそうとしているかのようである。また、それらの行為がメリッグに見せつけているようにも感じられたため、さらに不愉快な気分になっていた。

 感情を抑えて、メリッグはヘラの横を通り過ぎ、バルエールの隣に膝を付けた。

「バルエールさん、よかったら読んでください」

 彼の隣に置いてある数冊の本を回収して、メリッグは持ってきた本をその場所に積んだ。ヘラができなくて、メリッグができることといえば、ラティスの部屋にある本を貸すくらいだろう。

 バルエールは新しい本を受け取ると、嬉しそうに本の表紙を眺めた。

「いつもありがとう。本当に勉強になっているよ。ニルヘイム領のことはあまり知らなかったから」

「喜んでもらえたようで、こちらとしても嬉しいです」

 何気ない会話の断片から、メリッグはバルエールの立場を推測していた。彼はニルヘイム領外の者で、彼の意志とは関係なく怪我を負わされてしまったと現時点では察している。彼の口から直接聞いていないため、推測の域から脱していないが、おそらく濃厚だろう。

 つまり彼は誰かに狙われ、追われていると思われる。

「ヘラ、バルエールさんの傷の治りはどう?」

「良好だと思います。たぶんゆっくりであれば歩けると思いますよ。完治まで一週間というところでしょうか」

「あと一週間ね――わかった」

 その言葉をしっかりと脳内に入れ込んだ。

 食事の余りや傷口を覆うタオルなどを持ち出すのも、そろそろ家族に勘付かれ始めている。昨晩もデオンが鍋に入っているスープの量が多い、これは絶対に余るだろとぼそっと言っていた。夕飯をマリーンと一緒に作るとき、意図的に量を多くしているのが気付かれているようだ。

 タオルなどは自分で購入したり、洗濯を繰り返すなどして、家にあるものに極力手を付けないようにしているが、いつ不信がるかはわからない。特にデオンは厄介だ。

 口を閉じていると、バルエールが優しい声で話しかけてきた。

「もう充分だよ。さっきどうにか歩けた。明後日の朝にでもここを出ようと思う」

「けど、村から離れたらモンスターが!」

「その心配は無用だよ」

 メリッグが視線を彼と合わせると、そこには物寂しい雰囲気を出している青年がいた。

「僕は二種類の精霊に愛されているから、モンスターが近寄ってきても護ってくれる。風と火の精霊にね」

 その言葉を聞きメリッグは目を大きく見開いた。精霊の加護を受けている者さえ少ないのに、さらには二種類も加護を受けている者など、実際に会ったことがない。

「ああ、驚いてしまうよね。少し特殊なんだ、僕が引いている血――アスガルム領民の血は」

 にこりと微笑んでいるバルエールに、メリッグもヘラも言葉が出てこなかった。

 四十年以上前にこの世界から消えてしまったアスガルム領――その生き残りが目の前にいるなど、誰が思うだろうか。

「……その怪我は誰かに襲われたものですよね」

 メリッグは低い声で彼に尋ねる。彼は隠そうという素振りもせずに返答する。

「ニルヘイム領に入ったら、ある集団に絡まれてね。捕まえて、話を聞かせてもらうと言って強行的に迫ってきた。どうやら僕の素性を知った上での行為らしいが……。結果として僕も怪我を負い、相手側にも随分と怪我をさせてしまった、下手をしたら命まで……。これは報復が怖いね」

「でもそれは正当防衛です。バルエールさんは悪くありません」

 メリッグは平静を装いつつ返したが、語尾は上擦っていた。

「ありがとう。けど世の中にはそう思わない人がたくさんいる。どんな理由であれ、傷つけた以上のことをすれば、そこから争いは確実に始まる。だから何かが起きる前に、ここを去るよ」

 バルエールはそれ以上語らず、メリッグも俯き口を閉じた。予想以上に彼は危険な状況に置かれているのかもしれない。

 静寂が小屋の中を巡る――。

 最初に口を開いたのは、いつも笑顔を振りまいている少女だった。

「ねえ、こんなにしんみりした内容はやめて、話題を変えましょう! バルエールさんって、その話し方だと色々なところを旅しているんですよね? どこに行ったんですか?」

「ニルヘイム領以外は一通り回っている。ミスガルム王国やヘイム町など、色々な所に行ったよ」

「ミスガルム王国って、お姫様や王様がいるところですよね。どんな感じの場所だったんですか? 是非教えてください!」

 明るい表情で話しかけてくるヘラの姿は、バルエールの表情までも緩ましていく。今回は彼女の存在が少しだけ有り難かった。メリッグだけでは沈痛な面持ちのまま、解散になっていただろう。

 ヘラの話す声は可愛らしく、魅力的であり、聞いている者の心をすぐに掴んでしまう力を持っている。

 両親に愛情をたっぷり注がれて、大切に育てられた一人娘。そして彼女の質問を楽しそうに返すバルエール。

 二人の楽しげな様子を見ているのが居たたまれなくなり、メリッグは家に戻るとだけ言って、そっと小屋から出た。

 歩きながらメリッグの脳内に巡るのは、二人が笑顔で話す姿と、バルエールが明後日の朝にここを離れると言ったこと。

 彼と出会い、匿うようになってから、そう日にちはたっていないが、仄かにある感情が芽生えているのには気付いている。それを知った上で二人とどう接し、そしてどのような顔で見送ればいいか、わからなくなっていた。

 家に戻ると、デオンと廊下ではち合わせた。ぼうっとしていたとはいえ、直前まで気付かなかったのは失態だった。彼はメリッグに胡乱気な目を向ける。

「なんだ、メリッグ、俺に喧嘩でも売っているのか?」

「すみません。私の不注意です。以後、気を付けます」

 頭を深々と下げると、デオンは舌打ちをしながら去っていった。その背中が消えると、メリッグの肩の荷は一層重くなった。

 このまま兄からの嫌みを受け続けるしかないのだろうか。

 いつになれば周りの期待による圧力から解放されるのだろうか。

 この地で予言者を目指す限り、それは無理なのか。

 そう考えているとバルエールの立場が魅力的にも見えた。放浪者という、誰にも流されずに毎日を過ごす立場。今あるすべてを捨てて、自由な立場が欲しくなりつつあった。



 翌日、ぼんやりと過ごしながら一日を終えようとした夜、メリッグは夕飯の残りを持って物置小屋に行くと、そこから出てきたヘラと偶然出会った。彼女の目には薄らと涙が溜まっている。

「ヘラ?」

「メリッグさんもまめですね、最後の夜まで。早朝には出ていくそうなので、これが最後の食事となりますよ」

「……そうね」

「実は私、さっき告白して、一緒に連れていってくださいって言ったんですけど、振られちゃいました」

 苦笑しているヘラからの思いもよらぬ発言に、メリッグは目を丸くする。同時にどことなくほっとしていた。

「私の魅力に気付かない人っているんだなって思いましたよ。悔しいですね」

「人にはそれぞれ好みが違うのよ。たまたま彼には貴女が当てはまらなかっただけでしょう」

「メリッグさんに言われても、あまり説得力はないです。……そうだ、今度、私の恋愛事情を予言してくださいよ。どんな人と出会うのか、その程度でいいですから!」

 ぼそりと呟かれたヘラの言葉が気になったが、メリッグは今までの恩を多少感じていたため、仕方なく首を縦に振った。

「簡単なのならいいわよ。それまでに勉強しておくわ」

「ありがとうございます。では、私はこれで。――メリッグさんも言い残しがないようにしてくださいね」

 去り際に耳元で囁かれ、メリッグは目を瞬かせたが、ヘラはそれ以上言わずに行ってしまった。彼女の背中を見送ってから、メリッグは物置小屋に入った。

 途中でヘラが立ち止まり、非常に醒めた目でじっと見られていたことは知らずに。


 小屋の中に入ると、窓から差し込む月の光を浴びている青年がいた。その横顔がとても美しく、幻想的な雰囲気を漂わせている。

 アスガルム領民はかつて存在していた、魔宝珠を生み出すレーラズの樹を護る人々だ。人々に恩恵を与える、不思議で神秘的な魔宝珠は、様々な物から精霊までを召喚する元となる。

 史実を見ると、遥か昔にはその所持数で優劣を競っていた時代もあったらしく、一人で専用の魔宝珠を大量に所持している時代もあった。だが魔宝珠には限りがあるため、持てない者も多くなり、結果として彼らとの間で争いが発生。そのような中、ある日突然魔宝珠が消えてしまったのだ。

 まるで樹が人々の愚かな争いを見ていられなくなり、魔宝珠を消してしまったという光景だったらしい。

 その後、しばらく落ち着いてから、少しずつではあるが樹から宝珠は生み落とされ、再び人々に恩恵を与え始めていった。人々は有り難く宝珠を受け取り、二度と同じ状況を作りださないよう、魔宝珠に関して一つのきまりを作った。

 物体を召喚する自分専用の魔宝珠は、一人一個とすること。

 そして、それ以上の数を求めて樹に近づく者は、アスガルム領民によって対処されるようになることを。

 そのような歴史がある、宝珠を生み出す樹の恩恵を直に受け継いでいる、バルエール。

 いったい彼はこれからどこに行くのだろうか――?

「メリッグさん?」

 いつの間にか、バルエールが傍に寄ってきていた。メリッグは慌てて食事が入ったバスケットを突き出す。

「すみません、少し考えごとをしていまして。今晩の食事です。いつもより多めに持ってきました」

「いつもありがとう。大丈夫だったかい? ほら……家の人に隠しているって聞いたから」

「大丈夫ですよ。ほんの少し量を多くしているだけですから、気付かれません」

 そう言いつつも、今日の夕飯に関してはバルエールが来る前の量に戻していた。メリッグがあまり喉に食べ物が通らなかったため、その量を分け与えている。

「いつも残り物ですみません」

「構わないですよ。本当にありがとう」

 籠を渡す際にバルエールの手が触れた。不意に鼓動が高鳴る。

 顔を上げると、彼の顔が目と鼻の先にあった。とても寂しそうな薄茶色の瞳がすぐそこにある。

「メリッグさん……」

 彼の手がメリッグの頬をそっと触れると、瞳がゆっくり近づいてきた。拒絶することなく、メリッグは目を閉じる。やがてほんの僅かだが唇が重なった――。

 それは生きてきた中で最も幸福な時間。

 誰かを愛おしいと思ったのも初めてだが、この人とどこまでも一緒に行きたいと思ったのも初めてである。

 唇が離れると、メリッグはバルエールの両腕の中に包み込まれた。

「……好きです、メリッグ・グナー」

「……私も……です」

「よければ、僕と一緒に――」

 温もりが直に伝わってくる。このまますぐに彼と共に一緒に行ってしまいたいと思うが、それは彼女の中にある責任感や立場が許さなかった。

「一緒に行きたいです。ですが、もう少し待ってくれませんか?」

 メリッグはバルエールを微笑みながら見つめた。

「私はもう少しで十八歳。ようやく自分専用の魔宝珠が持てるようになります。基本的に宝珠は親から渡されるもので、今旅立ってしまえば、もらうことは少々難しくなるでしょう。だから、それをもらって、両親とも話しを付けたら、追いかけに行きます」

「本当ですか?」

「ええ」

 そう言うと二人の唇は再び重なる。心が繋がったことを確かめ、一時の別れを惜しむかのように、深く口づけをしあった。

 次の日の朝は早いため、メリッグとバルエールの関係がそれ以上進むことはなかった。名残惜しくも小屋を後にする。家に戻ってリナと軽く話をしてから、早朝の別れのためにいつもより早くベッドに入った。唇を触れればバルエールの優しい温もりが思い出される。女性としての幸福を感じながら、メリッグは目を閉じた。

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