凍てついた思い出(4)

 グナー族から抜け出したい。

 その想いが日に日にメリッグの心の中を埋め尽くしていたということに、ようやく気付いたのが最近だった。

 ラティスには申し訳ないが、このまま家にいては精神的にもおかしくなりそうなのだ。

 同じ血を引いている者に遠慮や気遣いをし、周りから向けられる期待の目に応えられるような行動をする。唐突に突き付けられた運命と重圧は、十代後半の少女が一人で耐えるのには難しかった。

 ヘラからたまに「笑顔になる回数が少なくなった」と言われることがある。その言葉から感情を無意識のうちに抑えていることを悟った。

 しかし、バルエールと出会ってからは、随分と笑う回数が増えた気がする。彼と話していると、心が穏やかになり、自然と笑みがこぼれてくるのだ。

 自然な自分でいられる人とずっと一緒にいたい――。


 それは後々振り返れば、精神的に成熟していない頃の愚かな想いだったのかもしれない。


 

 夜明け前、外では騒々しい声が飛び交っていた。それによって起こされたメリッグは、目をこすりながら窓を通して外を眺めた。家の裏庭に大量の人が松明を焚きながら集まっていた。先にあるのは――バルエールが寝泊まりしている、物置小屋。

 メリッグはベッドから跳ね起き、寝間着の上に薄手のカーディガンを羽織って、部屋から飛び出した。

 家の中は非常に静かで誰もいなかった。まるで予めメリッグだけを意図的に置き去りにしたようにも感じられる。

 家に戻ってきた時に、リナから水を差し出されたのを思い出す。それを受け取り、躊躇いもなく飲み――。

「姉さんが睡眠薬を飲ませた? どうして……」

 考えたくはなかったが、今も気だるい体なのは、それによる可能性が高い。デオンならまだしも、まさかリナにまで妬ましく思われていたとは、まったく気付かなかった。

 外に出て裏手に回ると、見知った顔の村人だけでなく、背中に剣を背負った武装した男たちも何人かいた。彼ら、彼女らは一人の銀髪の青年を取り囲んでいる。

 メリッグは野次馬の村人たちによってできた壁の隙間を探しながら、事の成り行きを見守った。

「さあ、今度こそ一緒に来てもらおうか、アスガルム領民のお兄さんよ」

 身長と同じくらいの大剣を背負っている一番体の大きい男がバルエールを見据えていた。彼を怒らせれば、すぐにでもその剣がバルエールに斬りかかりそうだ。

 バルエールは険しい顔をしたまま、丸腰の状態で突っ立っている。

「……僕を捕まえても何も得るものはない」

「特別な血を引いているのに? お前がいればレーラズの樹まで行けるんだろう? 金になる魔宝珠をたくさん生み出す樹に!」

 その台詞で男たちの意図を察したバルエールは深々と息を吐いた。

「なるほど。レーラズの樹まで連れていき、そこから出てくる魔宝珠を奪い、そして人々に売りつけることで金を得ようという目的か。――くだらないね」

「なんだと?」

 男の眉間にしわが寄り、剣をさらに強く握りしめる。バルエールは手のひらほどの大きさの深緑色の玉――魔宝珠を手にした。

「前にも言ったけど、もう一度言うよ。見逃してくれれば、僕から危害は加えない。ついでに言うと、現時点では僕がいてもレーラズの樹まで辿り着けない。鍵とそれを扱う者がいなければ――無理だ」

「はあ? アスガルム領民はレーラズの樹の守護者だろう?」

「僕が引いている血は、レーラズの樹の守護者である人間を護るための血。各地で生き残っている人のほとんどがそれ。つまり君たちとほとんど変わらない、ただの人間なんだよ」

「たとえそうだとしても、お前を捕まえて脅せば、その領民の中でも特殊な人間を捕まえられるんじゃねえか?」

「――どこまでも馬鹿な人だ」

 音量を下げずに、その場にいる人たち全員に聞こえる大きさで言葉を発した。その言葉により男の堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒が一瞬で切れた。

「その口、今から使えなくしてやる。――おい、村の奴らよ、少し下がっていろ、死にたくなかったらな!」

 男が剣を振りかざしたのを見て、取り巻き以外は慌ててその場から離れた。

 だが残っている村人もいる。デオンやリナもそちら側の人間だった。どちらかというとリナはデオンを説得しているようにも見えた。

「デオン兄さん、そろそろ下がりましょう。ここにいては危ないですよ!」

「お前は村の中に戻れ、俺はここにいる。妹が好きになった男が血みどろになった姿を見て、あざ笑ってやるんだ。そしてあいつの前に突き出してやる! あいつ、本当に馬鹿だよな。誰かを匿っているのを、俺たちが気付かないと思っていたんだぜ!」

 デオンの言葉を聞き、メリッグは歯噛みをした。

 この状況を見た時から、誰かが武装した男たちに密告しているだろうと察していた。

 そして、それが誰かということも――。

 皆が急いで村の中に戻るが、メリッグは逆方向に一歩一歩進みながら、バルエールの元に近付いていく。

 彼の実力がどの程度かはわからない。しかし、これから起きる争いにおいて無事でも無事でなくても、何も挨拶をしないでメリッグの元から去ってしまうはずだ。

「メリッグ、何をやっているの!」

 村の方に戻ってくるマリーンに目撃され、メリッグは彼女に腕を握られた。

「離してください」

 淡々とした口調で母親に言うが、彼女はそれに怯むことなく首を横に振った。

「駄目よ、離さないわ」

 やがて男の掛け声と共に、バルエールとの攻防は始まった。バルエールは突風を繰り出し、周囲に牽制をすることから始めている。

 マリーンの握る手が強くなった。

「貴女は跡取りなのよ。どうしてあんな危険なところに!」

「跡は継ぎません、いえ継ぎたくありません」

「メリッグ、それはどういう意味だ?」

 マリーンのすぐ後ろに来ていたラティスが、驚きの声を漏らす。メリッグは視線を父親に向けた。

「父さん、私は族長を継ぎたくありません。兄さんに継がせてください」

「理由を聞こうか」

「本来なら長男が継ぐはずです」

「それは建前だ。メリッグの方が遙かに能力が優れている。将来のことを考えると、力ある者が継ぐ方が大きく発展する可能性がある」

「そうでしょうか。たとえ予言する能力が優れていたとしても、それと族の先頭に立つ力は、別だと思います」

 引かないメリッグにラティスは沈痛な表情で呟いた。

「……その通りだ。だからこそ、能力云々以前に、メリッグに継いで欲しいんだ。わかるだろう、デオンやリナの性格。ああいう風になってしまったのは、私たちのせいだ。すまない」

 目を丸くしているメリッグの方にまで、突風が吹いてくる。バルエールはその場からほとんど動かずに、風の精霊シルフによる魔法のみで交戦していた。

 ラティスの本音に触れ、若干だがメリッグの心が揺れ動く。もし仮にデオンが族長になったとして、いい方向に導いてくれる保証はない。感情が上下しやすい性格は、むしろ悪化させる可能性がある。

 自分の保身や恋よりも、族の未来を考えた方がいいのではないだろうか。

「メリッグ、とにかくこの場から離れよう。ここにいては危険だ」

「でも彼が――」

「好きなのか、アスガルム領民の青年が。わかった、あとで話を――」

「バルエールさん!」

 ラティスの言葉を遮り、マリーンの手を激しく振り払い、メリッグは走り出していた。隙を突かれた彼が、男の剣によって右腕を斬られたからだ。切断とまではいかなかったが、その出血量は目を見張るものがある。彼の足元はあっという間に血で染められていった。

 動きが鈍った彼を捕らえようとしていた男たちが、今度は左腕と両足に狙いを付ける。しかしバルエールは冷静に対処をし、左腕を軽く動かすことで、風を生み出し、まるで刃のような風を次々と繰り出していった。

 メリッグが心配するのも杞憂のようだ。走る速度を少しだけ落とす。

「大丈夫……よね」

「心配なら、傍にいった方がいいと思いますが」

 突然横から声を出されて、メリッグはびくっとする。黒色の髪を二つに緩く結んだ少女ヘラがその歳にそぐわない微笑みをして、立っていた。

「メリッグさんも駄目ですね、彼の居場所をばらすなんて」

「……そうね、言葉に発していないけど、結果的には私のせいよ」

「真面目で責任感のあるご発言で。さすが未来のグナー族の長といったところですか。――本当に自分がすべて悪いと思っているんですか」

「何が言いたいの?」

「私が尊敬していたメリッグさんは、もっと物事を多角的な視点から見る人でした。今はただ恋愛に溺れている、そこら辺の女と同じです」

 ヘラは口元を手で押さえながら、くすくすと笑っている。この場の緊張感と不釣り合いな様子にメリッグは眉をひそめた。

「――手にはいらないなら、いらないわ。いっそのこと消えてしまえばいいのよ!」

「ヘラ、貴女まさか……!」

 心から気を許している相手ではなかった。それでも信用はしていた彼女が、バルエールの居場所を今交戦している男たちやデオンたちに教えた――!?

 戸惑う中、激しい爆音と共に土埃が舞う。そちらに視線を向けると、バルエールや男たちの影が辛うじて確認できた。

 その時、得も言えぬ殺気を感じた。メリッグは血相を変えて、銀髪の青年のもとに駆け寄る。

 そして感じた殺気を遮るように、バルエールの前で両腕を広げた瞬間――全身に激痛が走った。

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