凍てついた思い出(2)

 ラティスの部屋から玄関に向かう途中でデオンと接触しそうになったが、物陰に隠れるなどして、どうにか難を逃れた。同じ血を引き、昔から一緒にいるにも関わらず、このような行動をとってしまうなど、傍から見えれば笑ってしまう行為だろう。メリッグも感情を殺して笑うしかなかった。

 窮屈な家から出て、村を走って横断しながら、メリッグは村外れにある診療所に向かった。最近、診療所の主治医が老年の男性から若い女性に変わり、彼女はメリッグと顔見知りだったため、以前よりも気兼ねなく尋ねることができていた。おそらく深い事情を話さなくても、薬を提供してくれるだろう。

 息切れをしつつ診療所に入ると、ちょうど患者がいない時だった。まだ二十代半ばの女医、エレリオは汚れていない綺麗な白衣を着て、薬の調合を行っていた。彼女はメリッグを見ると、眼鏡の奥で目を丸くする。

「メリッグか。走ってきたようだが、どうした、急患か?」

「エレリオ先生、すみませんが傷薬を少々分けてもらえませんか? あとは腫れをひかせるものを」

「何の傷だ、転んだ時にできた擦り傷か、誤って包丁で指でも切った傷か――」

 棚から調合した塗り薬をいくつか出していく。メリッグは視線を下げて、エレリオだけに聞こえる小さな声を出した。

「……剣や何かで切られた傷」

 エレリオの眉がぴくりと動いた。無言のまま棚の一番奥から小さな箱を取り出す。中には色の濃い化膿止めが入っていた。

「深い理由は聞かないが、メリッグはそれなりの覚悟を持って、誰かを助けたいのだな」

「いえ、そこまでは……」

「だが、事件に巻き込まれている可能性が高いのはわかるだろう。その人を治療したら早々に去ってもらわないと、厄介なことになるんじゃないのか?」

「そうかもしれませんが……」

 メリッグは視線を逸らして、曖昧な言葉を零す。

 切り傷だと判断する前に、苦しそうだから助けようと思った。だからエレリオの言うような覚悟を持って来たわけではない。だが冷静になって彼のことを考えると、バルエールは誰かに追われているようだった。つまり助ければ、こちらにも火の粉が降りかかるかもしれない。

 黙り込んで考えを巡らしていると、エレリオが軽く肩を叩いてきた。

「メリッグ、お前なら少し先の未来ならあてられるだろう。考えを出すのに、この場で予言してからでも遅くはない」

 エレリオは棚に飾っていた透明な丸い玉を差し出してきた。

「そこら辺で売られているものだ。一応は見えるらしい。使うか?」

「……お借りします」

 両手でその玉をしっかり受け取った。

 愛用のものが一番いいが、簡単な予言であれば、それなりの能力がある水晶玉でも構わない。

 メリッグは近くにあった椅子に腰を下ろして水晶玉を机の上に置き、手を掲げた。そして頭の中で先を見たい人物の顔を思い浮かべた。

 すると反応した水晶玉の内部は、みるみるうちに白い靄のようなもので覆われていった。この靄が晴れれば、未来は見える――つまり予言は終わる。心なしか速くなっている鼓動を抑えるかのように、深呼吸を繰り返しつつ水晶玉を見つめた。

 しかし、なかなか晴れ間は見えない。しばらくじっと待ったが、まったく代わり映えがなかった。

 予言に関して触り程度しか知らないエレリオでさえも、眉をひそめ始めている。

「遅くないか? 前にメリッグに占ってもらった時は、即座に晴れただろう」

「遅い……です。怪我をした人の未来を予言しようと思ったのですが、まったく見えないなんて。――あら?」

 注意深く見なければわからないが、若干靄がなくなっている部分が二カ所あった。水晶玉に顔を近づけて、その部分を凝視すると、辛うじて確認できた。

「これは木と……何もない土地――更地でしょうか? ……それしか判断できません」

「何を意味しているんだ、それは」

「これだけですと予言ではなく、ただの推測しかできませんが……。おそらくその人の人生には何らかの木が関係することになる、そして更地のように何もない空白の時間や空間ができる……としか」

「なるほど。つまりは先が見えない、不安定な立場の人間なんだな。さて……予言してみてどうだ。正直言って私は勧めない。その人の治療が終わったら、早々に立ち去ってもらった方がいいだろう。この村に……血は似合わない」

 医者としてではなく、村民の一人としてエレリオは言い切った。争いと縁がない、保守的な考えを持っていれば、誰もが行き着く結論だろう。

 プロフェート村はモンスターによる強襲は多々あったが、水の魔宝珠による強力な結界を利用することで、一致団結して耐えしのいでいる。そのため人間同士で争うことはほぼなく、血が流れるのは稀であった。

 メリッグは重い腰をあげて、水晶玉をエレリオに返すと、渡された薬を手に持った。

「治療だけします、それ以上のことはしません」

「その方がいい。もしその人が出ていく際に薬が必要だったら言ってくれ。調合しておいてやるから」

「よろしくお願いします」

 軽く頭を下げてから、メリッグは診療所を出た。

 浮かない顔で家まで歩いていると、前から嬉しそうな顔をした黒髪の少女が寄ってきた。可愛らしい笑顔と振りまく愛嬌により、村の中でも人気が高い、メリッグより二歳下の少女だ。

「メリッグさん、ちょうどいいところに!」

 髪を二つに分け、下の方を緩い三つ編みで縛った少女が、今にも飛びつきそうな勢いで来た。

「何の用、ヘラ?」

「また本を借りたくて。メリッグさんの家、蔵書の量が凄いじゃないですか!」

「そういう貴女の読書量にも驚いているわ。この前十冊近く借りたばかりじゃない。もう全部読んだの?」

「はい! 少し難しいのもありましたけど、どれも面白かったです!」

「あれを面白いと言うの……。やっぱり貴女変わっているわ」

 この前ヘラが借りたのは、小説や随筆ではなく、辞書などが多数占めていた。絵付きであれば彼女の感想に多少頷けるだろうが、借りたのは文字が並んでいるだけの本。普通の感覚の持ち主であれば、それを面白いというわけがない。

「せっかくですから今から行ってもいいですか?」

「……今は駄目よ。父が部屋にこもっているから」

「ええ? さっきラティスさんが村の中を歩いているのを見ましたよ? もう帰ってきたんですか?」

 疑問符を並べて純粋無垢な瞳を向けてきた。だが、ヘラは見た目以上に鋭い感性を持ち合わせている。上手くかわさなければ、一緒にあの部屋まで来てしまうだろう。ここは一芝居打つことに決めた。

「あら、出かけていたの? 知らなかったわ。でもね、それでも無理。今、部屋の中が散らかり過ぎて、その上埃っぽくて、さすがの貴女でもあげるわけにはいかないわ」

「大丈夫ですよ、この前行った時も本の雪崩にはびっくりしましたが、他は気にならなかったです」

 ヘラは笑顔で返答してくる。適当な理由を並べて追い返そうとするが、一筋縄ではいかない。

「少しでいいんですよ、本を数冊借りていくだけですから」

「だからこっちも都合というものがあるのよ。明日以降でいいかしら?」

「……メリッグさん、何だか変ですね。何か隠しています?」

 目を細めて、口元を釣り上げる。人を小馬鹿にしたような態度を見て、メリッグは思わずむっとした。

「何も隠していないわよ。いいから今日は駄目。次に家に来るときは、前もって連絡をいれなさい」

 このままでは埒があかないと判断をしたメリッグは、強制的に会話を打ち切った。不服そうな顔をしているのが見えたが、それもすべて無視し、横を通り抜けようとする。瞬間、彼女は口元を素早く動かした。


「――この村に部外者が侵入したって知っています?」


 鼓動が大きく波打った。表情は変えずに、努めて冷静に返す。

「いいえ、知らないわ。どんな人かしら?」

「詳しいことはわかりませんが、妙な違和感がしたんですよ。まだ村の中では騒いでいないようですが、おそらく部外者が中にいます。……嫌な予感がします。気を付けてくださいね」

 にこりと微笑むと、ヘラは軽やかにその場から去っていった。

 おそらく彼女は部外者がバルエールだということはわかっていない。ただ村を囲む結界に部外者が通ったことを察知し、そう判断したのだろう。

 ヘラは生まれつき精霊と相性がよく、水の精霊ウンディーネの加護を直に受けている。そのため他の人よりも周りの気配に敏感だ。魔宝珠を持つ年齢になれば、彼女は群を抜いた精霊使いになるだろう。

 今、村に出回っている情報が気になりつつも、メリッグは足早に家へ戻った。



 ラティスの部屋に戻ると、バルエールが仰向けの状態で瞳を閉じていた。整った顔立ち、汗で濡れている綺麗な銀色の髪。まるで一枚の絵画のような美しさに、思わず見入ってしまいそうである。

 彼はよほど疲れていたのか、メリッグが近づいてもなかなか反応せず、肩を揺らすとようやく目を開けた。

「バルエールさん、起きてください。傷口の消毒をしてから布で巻きますよ」

「……あ、メリッグさん、すみません。つい睡魔が……」

「いいんですよ。休める時にゆっくり休んでください」

 脳裏にエレリオの言葉がよぎるが、目の前にいるのは傷ついた一人の男性である。メリッグにはその男性の今しか見えなかった。

 出血は少なくなっていたが、傷口がある程度塞がるまでは完全に止まらないだろう。消毒をしてから薬を塗り、その上から綺麗な布できつく縛り上げる。時折、バルエールのうめき声が聞こえたが、心を鬼にして治療を進めた。

 やがてやり終えると、メリッグの額にはうっすら汗が浮かんでいた。

「応急処置は以上です。とりあえず血が止まるまでは安静に――」

 バルエールの視線がメリッグから逸れている。つられて振り返ると、目を大きく見開いた。

「メリッグさん、こういうことだったんですね。逢い引きしているって言ってくれれば、来なかったのに」

「ヘラ……!?」

 思いもよらぬ展開に頭が一瞬真っ白になる。この現場を見れば、メリッグが周りの目を気にしながら処置をしていたのは一目瞭然だ。どうにかして黙らせなければ。

 鋭い視線をヘラに向ける。

「誰が逢い引きなんか」

「違うんですか? こんな素敵な男性なのに」

「……来るなって言ったでしょ。このことは他言無用よ、絶対に。もし喋ったら二度とこの家の中には立ち入らせない」

「メリッグさん、怖いですって。はいはい、わかりましたよ、誰にも言いませんから。……でもどうするんですか? ここに彼を置いておくわけには、いかないんじゃないですか?」

 ヘラの笑顔は正直言って苦手だ。いつもにこにこしており、何を考えているかまったく読めない。

「だってその人、部外者ですよね?」

 そして顔色一つ変えずに、核心を突いてくる。メリッグはちらりとバルエールの顔色を伺う。彼は口を堅く閉じていたが、返答に困っているメリッグを見ると、口元を緩めた。

「安心してください。一眠りしたら、ここから――」

「待ってください!」

 自分でも驚くような反応の速さで彼の言葉を遮る。ここまで言ってしまったら、もう戻れない。

「……物置小屋が裏にあります。そこでよければ、傷が塞がるまでいてください」

 バルエールの寂しそうな表情を見ると、エレリオの言葉など忘れてしまった。

 見つからなければ問題はない。そう自分に言い聞かせて、バルエールを説き伏せた。

 その様子をヘラは驚きつつも口を挟まずに見守っていた。二人のやりとりを見て、くすりと笑いながら。

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