18 凍てついた思い出

凍てついた思い出(1)

 ニルヘイム領に、まだある村の名が存在し、多くの人々が生活していた七年前――紺色の髪を短く切りそろえた、もう少しで十八歳になる少女は、水瓶を抱えながら村の中を歩いていた。

 村の規模としてはそこまで大きくなく、農作業をして自給自足をしている村だったが、ある職業の出身者を多く輩出しているため、それなりに名の知られた村だった。

「メリッグちゃん!」

 呼びかけられた少女は目を瞬かせて振り返る。近所に住んでいるお婆さんが、杖を突きながら近寄ってきた。

「何でしょうか?」

「今日、お父様はお暇そうかね、孫娘の未来を予言して欲しいんだよ」

「たしか……、父は特に大きな仕事はないと聞いています。ただ、人の未来を、しかもまだ赤ん坊の未来を予言してもらうことは、あまりお勧めできません。正確なものを読み取れる可能性が限りなく低いので」

「あらまあ、最近はお父様と言うことがそっくりだわ。さすが後継者ね」

「……予言して欲しいのなら、早めに来てください」

 メリッグは顔色を変えずに言い切ると、足早にお婆さんから離れる。お婆さんはニコニコとした表情で、その後ろ姿を眺めていた。

「何も知らないのに、勝手なことを言わないで……」

 ぽつりと呟いたのはメリッグの本音。

 メリッグ・グナーにとって、跡継ぎのことは最も話題に出して欲しくない内容だった。



 その村は“プロフェート村”と呼ばれており、優秀な予言者の一族が数多く連なる“予言者の村”として有名な村だった。

 グナー族の活躍が特に目立っているため、プロフェート村とはグナー族が治める村と思われるときもあった。しかし実際には他の部族も多くおり、予言の種類によってはグナー族よりも的確な内容を言う部族も多々あった。それゆえ全体的な予言の質が上という理由で、グナー族が代表族と思われるのを気に入らない部族がいた。大半がグナー族と友好的であるため、その人たちはやや煙たい目で見られていたが、彼らは根強くこの村に居座っていた。

 なぜそこまでしてプロフェート村にいるのか。

 それはこの村がニルヘイム領において、精霊の加護を最も強く受けている村だからだ。

 水色に光輝いている球状の物体――水の精霊ウンディーネの大元が存在すると言われている水の魔宝珠まほうじゅを中心として、村は同心円状に発展。それはただ佇んでいるだけでなく、村全体に加護を与え、綺麗な水を流し続けていた。


 その日もメリッグは少しずつ流れ出ている水を瓶に入れる。それを終えると、魔宝珠に対して一礼をした。

「今日も加護をありがとうございます、水の精霊」

 何もないところから水が出てくる。それが精霊の仕業と知っていても、メリッグはいつ見ても感嘆していた。

 魔宝珠の周りには薄い結界が張ってあるため、その結界を張った者以外は直接触れることができず、いつも眺めているだけである。じっと見ながら、いつかはメリッグも水の精霊の加護にあやかりたいと思っていた。

 しかし、今は十八歳になった時に得る魔宝珠から何を召喚するかの方で頭がいっぱいだった。世のために役に立てる召喚物にしようとは決めていたが、具体的なものはまだ決めていなかった。

 一息つくと、重くなった水瓶を抱えて、メリッグは村で一番大きな家に戻り、肩でドアを押して中に入った。

「お母さん、ただいま。水を汲んできたよ」

「重いのにありがとう、メリッグ。これで一日がもつわ」

「たいしたことないって、これくらい。――他のみんなはお仕事中?」

 凝り固まった肩をほぐしながらメリッグは聞くと、母親のマリーンは軽く頷いた。

「ええ、お姉ちゃんもお兄ちゃんも予言しているわ。お父さんは書類整理に追われているみたいね。どうしたの? また予言をして欲しいと頼まれたの?」

「そう。近所のお婆さんが孫の未来を予言してって。お父さんのところに行って、一応頼んでくる」

「そんなことしなくても、メリッグが予言すればよかったじゃない。いい経験になるわよ?」

 その言葉を聞いて、メリッグは若干苛立ちを覚えた。悪気がないのはわかっているが、もう少し物事を考えてから発言をして欲しい。その天然さは幸いにもメリッグではなく、姉のリナに受け継がれている。

「お母さん、私はまだ借り物の水晶玉でしか予言ができないし、正確ではない。失敗したら一族の名に傷が付く」

「あら、お姉ちゃんやお兄ちゃんはいつも失敗しているわよ。いいじゃない、予言なんてそんなものよ。どうせただの推測でしかないのだから」

「……ちょっと行ってくるね」

 会話を強制的に終わらすと、メリッグは首を傾げている母に背を向けて、廊下に出た。

 メリッグの父――ラティス・グナーは有名なグナー族の族長を務めている、その名に恥じない優秀な予言者である。対してマリーンは他の村から来た女性で、予言をする能力はなく、召喚物もどこでも料理ができるように包丁……と、安易な考えの持ち主だった。

 だからラティスの血を最も色濃く受け継ぎ、子供たちの中で予言を的中させる確率が一番高いメリッグには、彼女の予言への適当な発言に関して理解できないことが多々あった。

「予言どおりにならなくて、『それはあなたが予言後に未来を変えた結果です』って言えば丸く収まる。だけど、それは誤魔化しているだけじゃない。そんな中途半端なことはしたくない……!」

 独り言を呟きながらラティスの部屋へ向かっていると、長い髪をまとめている女性が曲がり角から現れた。

「あら、メリッグ、どうしたの?」

「姉さんこそ。お仕事は終わったの?」

 爽やかに微笑む四歳年上の姉を見て、メリッグは怪訝な顔をした。

(いくら何でも早過ぎる)

 メリッグは練習のため、たまにラティスの古い水晶玉を借りて予言をするが、そう短い時間で終わるものではない。能力が乏しい者が行えば、水晶玉の中身は靄がかかったままで、その先を見るのにはかなりの時間を要するはずだ。疑り深く見るメリッグに対し、リナは笑顔で答えた。

「ええ、仕事は終わったわ。飼っている犬の行く末ですって。そんなのわかりきっていることだと思わない? 飼い主よりも先に死ぬのは自明のことよね?」

「それはそうだけど……」

 嫌な予感がする。リナは予言する能力はほとんどなく、数日先のことでさえ、おぼろげな予言しかできない。そんな彼女が数年先の命の終わりについて予言できるとは――。

「たしか犬って十五年くらいで死ぬって聞いた。それより少しだけ早い時期で言っておけば、立派な予言になるわよね?」

 開いた口が塞がらなかった。おそらくリナは水晶玉の先にあるものは何も見えなかったが、その犬の年齢と一般的な死亡年齢を比較して、適当に言い放ったらしい。

 それは予言ではなくただの推測だ。予言者のすることではない。

「姉さ――」

「ごめんね、今から友達と約束があるの。またあとでね」

 メリッグが口を開く前に、リナはそそくさとその場から去った。

 行き場のない怒りが、メリッグの中で循環し始めた。

 グナー族の偉大さや歴史は、初めて水晶玉に触れる時にラティスから事細かく教えられている。予言者として生きていくのなら、それなりの覚悟を持ってやって欲しいという意味も込められていた。リナもその教えを説かれているはずだが、そのような素振りはまったく感じられなかった。彼女の態度を見ていると、怒りを通り越して呆れてしまいそうだ。

 どうにか心の中で怒りを沈め、メリッグは再び歩を進めていると、今度は髪を刈り上げた青年が部屋から出てきた。

「メリッグじゃないか。親父に用か?」

「お父さん宛の仕事の依頼を受けました。兄さんの手は煩わせません」

 きっぱり言い放ち、足早に去ろうとしたが、兄のデオンは自ら壁となってメリッグの行く手を阻んだ。

「……何?」

「そうやってまた親父に自分の株を上げようっていうのか? そうはいかないぜ」

「誰がそんなことを。どうしてお父さんに対して、株を上げる必要があるのよ?」

「そんなことって言いきれるくらい、余裕があるって事か。羨ましいな、跡取りはよ!」

 鼻息荒く声を発しながら、デオンは手を伸ばし、メリッグの左肩を強く押した。その反動で壁に打ち付けられる。

「……痛っ!」

「その程度で呻くのか、たいしたことないな、跡取り!」

 そう吐き捨てながら、デオンは大股でメリッグから離れた。

 メリッグは壁に寄りかかりながら唇を閉じ、視線を下げる。

「何なのよ、本当に。私が悪いわけではないのに……」

 デオンはメリッグより七歳上、現在二十四歳の青年であり、長男としてグナー族の族長を継ぐ予定だった。

 しかし三年前、ラティスがメリッグに初めて予言のやり方を教えると、デオンより遙かに才能があることに彼は気付いた。そしてメリッグが幾度もなく的確な予言をし続けた結果、一年前、ラティスは次の族長をメリッグにすると宣言したのだ。

 まだ自分専用の魔宝珠を持っておらず、ラティスの古い水晶玉でしか予言をしたことがない状態での宣言。

 当時は、使っている物がいいから予言ができたのだ、という妬みも込めた声も少なくなかった。

 だがその後もメリッグが予言したことが次々と未来に発生したため、周りは彼女の才能を認め始めたのだ。一年も経てば、多くの人から賛同を得ることができ、騒ぎも収まりつつあった。

 同時に悪化したものもある。跡継ぎ候補だったデオンとの関係だ。

 予言者としてそれなりの素質があり、跡を継ぐ気だった彼にとっては、メリッグのおかげで立場がない状況になった。そのため彼は以前よりも荒れ、メリッグを見る度に嫌みの言葉をこぼし、去っていくという日々が続いている。

 予言に対して無知なマリーンやリナ、そして一方的に妬んでくるデオン。

 正直言えば、この家にいるのが窮屈だった。いっそ旅に出てしまいたい――そう思ったが、一族の跡継ぎと言われた今では自由な行動も制限されつつある。

 落ち着いてきたところで、メリッグは重い足取りでラティスの部屋へ向かった。



 グナー族の長である、ラティス・グナーはこの家の最も奥に部屋を確保している。広い部屋だが、中は非常に多くの本で溢れていた。

「お父さん、メリッグです。少しお話があるのですが……」

 壁のように積まれている本を崩さないよう、左右に気を付けながらゆっくり前に進む。油断をすれば本の壁は崩壊するだろう。

 常人よりも遥かに多い本を所有しているのには、理由があった。

 水晶玉を利用して何かが見えたとしても、それがそのまま未来を予言する内容を映し出すのは稀である。たいていが何らかの物や風景の断片であり、そこから推測しなければならない。

 それを正確に推測し、予言として導くためには、非常に多くの知識が必要となる。一番いいのは実際にそのものに対し、五感をすべて使って感じ取ることだが、それはさすがに難しいため、記録から探すことで知識を得ていた。最近のメリッグは水晶玉を覗くことをあまりせず、知識の蓄えを集中して行っている。

「どうしたメリッグ?」

 後ろから話しかけられ、メリッグはびくっとする。振り返ると、僅かに白髪が見えるようになった、紺色の髪のラティスが立っていた。

「出かけていたの?」

「いや、他の部屋で探し物をしていただけだ」

「そうだったの。あのね、さっき近所のお婆さんに、この前産まれた孫の将来を予言して欲しいって言われた」

「その依頼、受けたのか?」

「いいえ、まさか。ただこれから来るかもしれないから、気を付けてね、と言いに来ただけよ」

 眉間にしわを寄せていたラティスは表情を緩めた。本を何冊か持って、窓枠に手をかける。

「留守にするの?」

「昼過ぎには帰るさ。少し出かけてくる」

「お婆さんが来たら、どうするの?」

「既にいなかったと伝えてくれ。人生の行く末を予言すること、特にまだ生まれて間もない赤ん坊にするのは、非常に難しい。私でさえ、まともに靄の先を見たことはない。人生を自ら歩んでいない子に対して、いくら予言しても無駄なんだよ。――鍵は締めておいてくれ、それじゃ」

 メリッグが肩をすくめている間に、ラティスは軽やかに窓を飛び越えて、右脇に広がる雑踏の中へ紛れ込んだ。その後ろ姿を見ながら、言われたとおりに鍵を閉めた。



 ラティスの言っていることは正しい。予言というのは、その人が歩んできた人生を元にするもので、ほとんど始まっていない相手にするのは、はっきり言って無理がある。

 だがその教えを間に受けていないデオンやリナは、これから生まれてくる子供の未来を予言する仕事を簡単に引き受けていた。

 手っ取り早くお金を得るために適当な予言をするのか、それともこだわりを持って、時間をかけてでも正しい予言をするのか――。

 同じ血で繋がっているはずなのに、考えや想いがまったく違う。それが共有できず、悔しくも寂しかった。

 メリッグは鍵をかけた窓の先を何気なく眺めると、剣を携えている銀髪の青年が歩いているのが目についた。整った顔の眉間にはしわが寄っており、傷ついた足を引きずっている。綺麗な顔を見た瞬間、胸の高鳴りによって動きが止まったが、すぐに我に戻るなり、窓を開けて彼に声をかけていた。

「どうかされましたか!?」

 彼はメリッグを見ると肩をびくりと震わせた。数瞬後、周りの目を気にしながら寄ってきた。

「……突然すみません。よろしければ場所を貸して頂けないでしょうか。ほんの少しだけ休みたいのです」

 弱々しい薄茶色の瞳がメリッグを見上げてくる。

 見ず知らずの男を簡単に信用してはいけない。だが、速くなる鼓動は止められなかった。

 メリッグは止めようとしているもう一人の自分を振り切って、静かに微笑んだ。

「狭いところでよければ構いませんよ。……どうやって部屋の中に入りますか? 玄関は逆方向なのですが」

「差し支えなければ、ここからあがらせて頂きます」

 彼はそう言うと、窓枠に手をかけ、怪我をしているにも関わらず、軽やかに舞い上がった。そして青年は部屋の中にするりと入りこむ。僅かだが精霊の気配がする。おそらく風の精霊シルフの加護を受けているのだろう。

 彼は微笑みながら着地をしたが、途端に顔をひきつらせてその場にうずくまった。

「大丈夫ですか!? 血が流れていますし、腫れているじゃないですか。今、医者を呼んで――」

「それだけはやめてください!」

 拒絶の声を発せられ、メリッグは動くのをやめた。そして息を吐き出してから、落ち着いた声を出した。

「それなら家に応急処置の道具があるので、それを持ってきます。それでいいですか?」

「……お願いします」

 メリッグは表情を緩めて頷くと、すぐに廊下に出て、静かにドアを閉めた。そして足早に台所に行き、マリーンの目をかいくぐりながら木箱を手にとって、部屋に戻った。中身を開けると、あいにく必要なものは揃っておらず、止血しかできなそうだった。青年の足に止血用の布を傷口にあてるが、あっという間に赤色に染められていく。

「このままでは危険です。私、診療所に行って、血止めの薬などをもらってきます」

「そこまでしてもらわなくても大丈夫です。そのうち血は止まりますよ」

 青年は力ない笑顔でそう言った。まったく説得力が感じられない笑顔である。

 傷は鋭利なもので切られたようだ。なぜ彼がそのような傷を負わなければならないのか聞きたい衝動にかられたが、それらの言葉を飲み込んで、事務的なことを淡々と述べた。

「傷口付近で炎症が発生しています。適切に処置しないと、後遺症にでもなりかねません。下手をしたら壊死えしする可能性もあります。――安心してください、この部屋にはしばらく人は来ません。たとえ来たとしても、それは私の父。貴方の状況を見れば、必ず力になってくれる人ですよ」

 メリッグは立ち上がり、血の気が引き始めている彼を見下ろした。

「……すみません、色々と迷惑をかけてしまい……。つかぬ事をお伺いしますが、貴女は――」

「私はメリッグ・グナー。どうぞ好きに呼んでください」

「メリッグさん、ありがとうございます。僕はバルエールです。気を付けて行ってください」

「なるべく早く戻ってきます。よかったらしばらく横になって休んでいてください」

 バルエールの視線を背で受けながら、メリッグは再び部屋から出た。

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