遠い夜明け(5)
* * *
うっすらと朝日が昇り始めた頃、ようやくミスガルム城内は安堵の空気で包まれていた。談笑しつつ汗を拭う者、その場で治療を受ける者、医務室に運ばれる者など様々だが、誰もが疲労に満ちた表情だった。
ミディスラシールはスキールニルや他の騎士たちと共に戦闘に参加していた。そして戦いが一段落したのを確認すると、彼を連れて城の中に戻っている。
「今日の襲撃は比較的激しくなくてよかったわ」
「姫、いくら城下町にいる民を護るためとはいえ、こちらにモンスターを引き付けているのは、あまりにも危険だと思いますが……」
「王も承諾してくれたことに対して、意見しないで欲しい。力がない文官たちも町に移住させたことで、城に戦闘能力がない者はいなくなった。少しでも多くの人を護りたいのなら、力がある側にモンスターを引き付けるのが定石でしょう?」
皆既月食の日に扉が開いた直後は、何も起こらなかった。
だがリディスが生きていて、記憶喪失になったという知らせが入ったその晩から、突如夜中に大量のモンスターがミスガルム王国に攻めてきたのだ。土の魔宝珠の真上にあった城は激しい攻撃を受けることはなかった。
一方、王国全体の結界はまだ完全に構築できていなかったため、城下町では怪我人や建物の倒壊などの多数の被害が出てしまった。
それを見たミディスラシールは秘密裏に土の魔宝珠を町側に移動、結界の対象を町へ移させたのだ。それ以後、町は魔宝珠により護られ、城は騎士たちが奮闘しながら護っている。
「結術士によれば、王国全体の簡易的な結界の再構築まで、あと数日。それまでの辛抱よ」
「わかりました。それまで耐え凌いでみせましょう。しかし妙です。なぜ今の時期にモンスターが襲ってくるのでしょうか」
それはもっともな意見だ。月食直後に襲っていれば、確実に被害を拡大できるが、あえて十日以上も経過してからの強襲。その理由に関して、ミディスラシールは一つの考えを持っていた。
「今、私たちに動いて欲しくないから、慌てて差し向けた。つまり時間稼ぎという感じかしら」
それはあながち間違っていない回答だろう。スキールニルも眉間にしわを寄せながら、首を縦に振っている。
「実はね、スキールニル、気になっていることがもう一つあるのよ」
ミディスラシールはある人物を探しながら歩く。そして先ほどの戦闘時に後方から支援していた、還術部隊長のクラルを見つけた。若干疲れた顔をしているのは、双子の大鷲のうち、片方を召喚していたためだろう。近づくと彼は背筋を真っ直ぐに伸ばして、姫を出迎えた。
「クラル隊長、少しよろしいでしょうか?」
「ミディスラシール姫、何でしょうか。私でよければ何なりと」
「たしか隊長はミーミル村出身で、
「はい。大鷲を召喚して操ることが主戦ですが、多少は精霊の力を借りて風を起こすことも可能です」
「……最近、常に精霊を召喚できますか?」
クラルの目が自然と細くなった。そして胸元にある魔宝珠に触れて、首を小さく横に振った。
「いえ、必ず召喚できるとは言い切れなくなっています。今までは、明らかに己の体力や力量が足りない時だけはできませんでした。ですが、今は召喚できるか否かは、まったく予測が付かない状態です」
「そう、やはり貴方もなのね……」
「では姫様も」
「私だけではない。精霊召喚ができる人間に一通り聞きましたが、皆揃って同じことを言っていました」
ミディスラシールは
ここ数日の戦闘で、精霊を召喚し、その力を利用した攻撃が発動しないことが少なくなかった。召喚できなかったり、召喚物が途中で消えてしまったりと、使い手としては非常にやりにくい状態にある。
(扉が開いた関係で、精霊たちに影響があったと考えて間違いはないと思うけど……理由がわからない。このまま原因がわからなければ、そのうち物体召喚にも影響があるかもしれない。とりあえず精霊召喚に頼らない方がいいわね)
「クラル隊長、おわかりのようですが、しばらく精霊召喚は控えてください」
「承知しました。小回りが利かないのは辛いですが、フギンとムギン、そして拙い剣で挑みます」
「この件に関しては私の方でも調べてみます。何かわかったらまた連絡します。本日もお疲れ様でした」
「姫様もこそ、お疲れ様です。くれぐれもご無理なさらないように」
部下に労われながら、ミディスラシールは城内に入った。
中は戦闘によって体力が消耗し、それを補給するために食糧を求める人で溢れていた。
妙なところに人だかりができているのに気付く。その中心にいる背が高く、筋肉がしっかりついている焦げ茶色の髪の男性を見て、ミディスラシールは思わず目を丸くした。
「ファヴニール様?」
「その声は……姫様か?」
「はい、そうです! お久しぶりです!」
ミディスラシールがファヴニールに寄っていくと、すぐに人だかりが分かれた。そして三年ぶりに城の元専属還術士と再会した。
「突然いなくなってしまったので、心配したんですよ?」
「あの頃は色々あってな。迷惑かけてすまなかった。今回も偶然が重ならなければ、来る予定ではなかったが」
視線を背後に向けると、彼から少し離れたところに、深い傷を負った騎士たちが横になって治療を受けていた。ミディスラシールの記憶が正しければ、彼らの部隊の担当は王国外の見回りである。
「たまたま王国の近くに行った時、不意を突かれてモンスターに襲われた騎士たちを見つけた。さらにモンスターたちが攻撃を加えようとしてきたから、適当に追い払っておいた。そして、そのままこいつらを放置するのも危なかったから、城まで連れてきただけだ。――俺はすぐにここから去る」
「待ってください!」
ファヴニールが歩き出そうとしたのを、ミディスラシールは大声を発して止めにかかった。驚いた顔で振り返られたが、途端に微笑まれる。
「――そういう必死なところが本当に似ているんだな、お前たちは」
「その台詞……知っていたのですか?」
ミディスラシールとリディスが姉妹であることは、皆既月食での事件の関係で城内の上層部に若干漏れた。しかし、それ以前はミスガルム国王やミディスラシール、アルヴィースなど、一部の者しか知らなかったはずだ。
ファヴニールは軽く顎をかいた。
「ぼんやりと国王から聞いていたし、あっちの父親からはっきり言われたよ。だからつい目をかけちまった」
リディスと話をしている時に、ファヴニールから還術印を施してもらったと聞いた。おそらくそのことを言っているのだろう。
「そういえばリディスはどうしたんだ。一度くらいは城に来たんだろう。たしかフリートとロカセナとかいった騎士が連れてきたはずだ」
周囲にいた人々がある人物の名を聞くなり、静まり返った。状況がわからないファヴニールは眉をひそめる。
「何かあったのか?」
「……ファヴニール様、貴方には是非ともお聞きして欲しいことがあります。再び旅に出るのであっても、聞いておくべき話です」
ミディスラシールがきりっとした表情でファヴニールを見据えた。それを受けた彼は、何も発さずに口を閉じた。そして彼と共に、自分の部屋の方へ連れて行った。
ミディスラシールの部屋の横にあり、親しい人間とお茶会をする時に利用している部屋で、ファヴニールは呆然とした状態で座っていた。ミディスラシールがリディスたちの旅、皆既月食の事件、そしてリディスの現状を伝えた後だ。
「二人が姉妹なのは、オルテガさんから聞いていた。ロカセナという男が少し妙だというのも気付いていた。だが本当なのか、リディスが記憶喪失になっているのは」
「手紙でしかわからないことですが……おそらく。アルヴィースから樹へ続く扉に関する話を聞いたところ、本来ならば扉を全開にするためには、命を差し出す必要があったらしいです。ですが今回は片方しか開かなかった。その影響として命は失われず、記憶だけ失った……と推測していました」
「そうか。最悪の状況は免れたと考えた方がいいだろう」
「はい……」
ファヴニールなりの些細な優しさが、ミディスラシールにとっては嬉しかった。
ただ実際にリディスの状況を見ていないから、そのような感想を抱けるのかもしれない。親しい人間が記憶を失っているのを目の当たりにしたら、人はどういう反応をするだろうか。
「……フリートは大丈夫かしら」
「あの黒髪の男か? どうして心配する必要がある。リディスのこと嫌っていたぞ。口悪く、ののしって」
「……知らない人から見れば、そう感じるかもしれませんね。フリートが他人に対してあんなに反発するのは、むしろ珍しいことなんですよ。本当に嫌いなら、そもそも相手にしません」
初めてリディスが城に来た時、ミディスラシールは二人のやりとりをこっそり見ていた時があった。端から見ればただの口喧嘩だが、フリートの奥底にある気持ちを察することができていた。
二人の出会いは戦闘中で、油断したリディスをフリートが助けたというものだった。たいていの人なら彼に厳しい言葉を述べられれば、沈み込むのがほとんどだが、彼女は負けなかった。彼女なりに努力をし、その後にあった様々な戦闘や行動を通じて、フリートに一目置かれた……というのが表面的な状況。
だがそれだけでなく、大切な人間だからこそ、余計に強く言っている風にも見えたのだ。
そして二人の関係が無意識のうちにできあがっていたと気付いたのは、再び城に帰ってきてから。口うるさく言いながらも、彼の目元は以前より穏やかだった。フリートの変化が兄を始めとする家族との確執が薄れたからとリディスは言っていたが、それだけではないだろう。
(いつのまに大切な人ができちゃって、この人は)
ミディスラシールにとって、フリートとは歳も近かったため、良き友達だった。そこまで気負わず話せる間柄で、心許せる数少ない人間でもある。そんな彼に対して、恋愛感情が一切ないわけではなかった。
しかし彼からの応対は、姫と騎士という主従関係から決して外れなかった。常に一定の距離は置いている。彼らしいといえばその通りだが、リディスと遠慮なく接している姿を見ると、どことなく寂しく感じていた。
大切な妹と大切な友人――そんな二人だからこそ、お互いの関係を大切に築きあげて欲しい。
だが、今の状態では――。
一人で考え込んでいると、ファヴニールが腕を組んで、思いついた質問を投げかけてきた。
「城側から、リディスたちに対して何か手を打ったのか?」
その言葉を聞くと、ミディスラシールはうっすらと笑みを浮かべた。
「城側は何もしていません。万が一、敵に尾行されて、あの子たちのいる場所が知られたら、すべてが終わりますから。騎士団なんて目立つ人が多いですし、力のある騎士がミスガルム城を離れたら、こちらも困るでしょう?」
「……言い方を変えよう。誰か差し向けたのか?」
ファヴニールのその質問には、ミディスラシールはただ静かに微笑んだ。さらに追及されることを覚悟したが、不意に部屋のドアが控えめにノックされた。
スキールニルに視線を送ると、彼は頷き返してからドアを開ける。相手の顔を確認して開くと、松葉杖を突いている赤色の短髪の女性が立っていた。さらに後ろには白髪の老人と、穏やかな表情をしつつも威厳のある風格を醸し出している男性がいた。女性の後ろにいた人物たちを見て、ファヴニールは腰を浮かせる。
「セリオーヌにアルヴィース、そしてどうして国王までが!」
「もちろん私が呼びました、貴方がまたどこかに行かないように」
にっこり笑顔を向けると、ファヴニールは頭を抱えた。
「……いない間に、随分としたたかな女性になったな」
「あら、もともとこんな感じです。気付かなかっただけのようですね」
ファヴニールはこの部屋から出ていくのを諦めると、背筋を伸ばして国王へ向き、深々と一礼をした。
「報告が遅くなりまして、申し訳ありません。ファヴニール・ヨセフス、今朝方城に帰還しました」
「挨拶はいいから顔を上げてくれ、久々にお前の顔を見たい」
その言葉につられて顔を上げると、王は従者に対して頭を下げた。ファヴニールの目は丸くなる。
「何をしているのですか!」
「この状況下でお前が戻ってきてくれて本当に助かった。……よかったら、また力を貸してくれないか?」
ミスガルム国王が顔を上げる。ファヴニールは奥歯を噛みしめた後に、躊躇いながら口を開いた。
「申し訳ありません、実はまだ還せる状態ではないのです。ですから、お力になるのは難しいかと……」
「本当にそうなのか?」
「はい。感覚が戻っていませんから……」
「いや、私が聞きたいのは、還術だけが果たしてすべてなのか?」
国王ははっきりとした口調で言葉を貫いてきた。
ここ数年はミディスラシールが成長し、彼女が発言する機会も増えてきたため、国王の存在は少しずつ薄れつつあった。だが、常に冷静に国を見守り、支えているのは国王である。
国のためにファヴニールに迷いもなく頼むのは、未来が見える国王だからだろう。
「ファヴニールを国の専属還術士ではなく、騎士団員の指導者として再度迎え入れたい。こんなご時世だ、一人で旅をしていたら、いくらお前でも危険だろう。今まで得た知識を城で熟成させぬか?」
「私などが、そんな大役を……」
「ミディスラシールから月食時の戦闘は聞いたはずだ。今はとにかく人がいない。あのカルロットでさえ、前線に戻るには相当時間がかかる」
やや後ろで待機していたセリオーヌが視線を下げて、頷いている。口うるさく、手が出やすい困った部分はあるが、いざというときは頼れる隊長を、生死をさまよう状態にしてしまったのを悔いているようだ。
「国王、敵がまたここに来るのでしょうか?」
「いつになるかはわからないが、その可能性は高い。今、あれほどの実力を持つ人間が二人以上来たら、この城は危ない。――普通の人間たち相手だ、還すという行為は無意味だろう。そう思わないか?」
ファヴニールは口を閉ざした。この状況を作り上げたミディスラシールにとっては、彼が口を開く時が緊張の瞬間である。
正しいことを堂々と振る舞っているように見せているが、間違ったことをしている可能性もあった。そう考えると怖くて仕方なかった。
かつてはよく夜中に部屋を抜け出し、屋上から夜空を眺めながら心を落ち着かせていたものだ。ある満月の日以降には、屋上でとある少年の姿を見かけるようになっていた。物寂しそうな表情で月を見ていたのが、記憶に残っている。
彼のことが気になり、話しかけたくても話しかけられずにいたが、あの日を境にして、少しだけ会話をするようになった。そしてその時彼の口から出た言葉は、今でもミディスラシールの心の中に生き続け、前に進む原動力となっている。
ぼんやりと過去を思い出していると、ファヴニールが口をしっかりと開いた。
「――国王からの命令、喜んでお引き受けしたいと思います。再び貴方様の盾となり、最期まで必ず護り抜きましょう」
「ありがとう。だがこれだけは言っておく。どんな状況になっても死ぬな。生き残ることを最優先に考えろ」
その言葉はこの場にいる、全員に言っているものだった。
不安要素は依然として多くある。しかし、不安定な時世だからこそ、一人でも多く信用できる者を傍に置いておくべきなのだろう。
「そういえばアルヴィースはどうしてここに?」
ミディスラシールはミスガルム国王を連れてくるようにセリオーヌに言った。まだ完全に体調が戻っていないアルヴォースを歩かせたくはない。
アルヴィースはその言葉を受けて近づいてきた。その手には靄がかかった水晶玉がある。
「姫様に先ほど見えた水晶玉の内容をお伝えしようと思い、失礼ながら国王と同席させていただきました」
「つまり予言……!? どんな内容なのですか!」
この先を明るくしてくれる、いい話題だろうか。
アルヴィースはただ黙って水晶玉を差し出した。ミディスラシールが見ても変化はなく、依然として靄がかかっているだけだ。
「何も見えませんが」
「はい、何も見えません。しかし、昨夜までは一点の曇りもない透明な水晶玉でした」
思わず眉をひそめた。
水晶玉は今後の行く末を導くもの――それが見えない状態になっている。
「これはつまり……」
「これから何か起こりますが、何が起こるかはわからないということです。そしておそらくその結果が、今後を大きく左右するかと思われます」
ミディスラシールの脳裏に同じ顔をした娘の顔がよぎる。記憶を失っていても、敵側としては関係ない。真っ先に狙ってくるはずだ。今度こそ捕まれば、世界は――。
「リディス……」
手を胸の前で握りしめて、たった一人の妹の名前を呟いた。
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