遠い夜明け(4)
フリートは部屋の中で、一人悶々と想いを巡らせていた。
目を瞑れば、リディスに拒絶される行為やロカセナの冷めた表情が思い浮かぶ。一緒にいるのが当たり前だと思っていた二人が傍を離れ、気力が沸き起こってこなかった。
早急に傷を癒さなければならない状況にもかかわらず、その意に反して経過は芳しくない。
ドアをノックする音が聞こえる。夕食にしてはまだ早い、誰だろうと思いながらフリートは返事をすると、亜麻色の少し長い髪を結んだ青年が入ってきた。
「今、大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ、暇ですから。ルーズニルさん、どのようなご用で? 城から連絡はあったのですか?」
ルーズニルは椅子をフリートの近くまで寄せてから座った。
「城から連絡はない。むしろ連絡するのを渋っているんじゃないのかな。城の周りを敵側が見張っているかもしれない。そんな中で伝書鳩なんて放ったら跡をつけられる」
「……その通りです」
判断能力まで鈍っているようだ。体の傷が癒えたとしても、判断能力の欠如から、しばらく戦闘では思うように動けないかもしれない。
「城からの連絡は当てにするのはやめよう。――フリート君、一刻も早く傷を治して、移動しよう」
「わかっています。できるだけ早く治します……」
弱々しい返事をすると、ルーズニルは肩をすくめた。
「二人はまだ死んでいない。以前のように三人で旅ができる日々が戻ってくる可能性は、ゼロではないんだよ」
「そうですね。けど現実問題無理じゃないですか。ロカセナは人を殺めて、戻れぬ道を歩き始めました。あいつと剣を交じらせた時に、俺は必死に止めようとしましたが、まったく聞き入れられず、この
今でさえ傷の痛みが広がれば、寝るのが辛い状況だ。
「本当に聞き入れられなかったのかい? 彼が少しでも動きを止めたとか、そういうのはなかったかい?」
フリートは少し間を置いてから、首を横に振った。
「……所詮俺は温室で育った、厳しい現実を知らない人間。あいつは俺があいつ自身のことを理解できていないと思っていますよ。俺に言ったんです、『温室育ちが……』って。あの言葉は辛かった」
ルーズニルは目を丸くしている。フリートは視線をやや上げて、壁を見た。
「騎士団は身分や年齢に関係なく、実力さえあれば入団できる。だから町民はもちろんのこと、孤児院育ちや劣悪な環境で育った人もいた。その人たちからそういった内容の陰口を叩かれるんですよね、自分より断然いい環境で育てられた俺に対して」
見習い時代は今まで外の世界に触れていなかったため、度々ある陰口に対し、時として反感もした。だが、その行為は逆に場を悪化させると気付いたため、怒りを抑えつつ、意識して我慢するようになっていた。
また、騎士には向いていないと言われないよう、必死に剣術を磨きあげ、並行して勉強もし続けた。
しかし、貴族育ちだから、金があるから、などの一言で努力を一蹴されることはあった。奮闘していることを理解されず、悔しさを感じたものだ。
「そんな中、見習い期間を終えて、第三部隊に所属する直前にロカセナと面と向かって会ったんですよ。実は俺、あいつのことは見習いの時はほとんど知らなかったんです、銀髪だ、珍しい色だなくらいしか」
自嘲気味に呟きながら、視線をルーズニルに向けた。
「そしたらあいつ、俺と会った時になんて言ったと思いますか? 『努力家のフリート・シグムンド君だね。君があんなに優秀なのは、才能ではなくて努力だって知っているよ』って言ったんです。初めて真正面からそう言われて、すごく嬉しかった。身分とか家柄とか、そういうのは関係なく、俺自身を認めてくれる人間がいる。だから俺はこいつなら背中を預けてもいいと思ったんです」
その後、フリートはロカセナと組んで行動し、演習で剣を交じり合わせ、戦闘時では背中を合わすことが多くなった。
そして運命の出会いをしたシュリッセル町にも、王の命令により二人で行くことになったのだ。
「ですが、結果としてはこの通り。……俺を欺きつつ、実はずっと陰で嫌みを言っていたのかもしれません」
斬られた瞬間、積み上げていたものが一瞬で消えてしまったように感じられた。
それほど彼に裏切られたことは、フリートには衝撃的だった。
「それにリディスを護れなかった。姫に言われていたんですよ、『何があっても傍にいなさい』って。だけどその命令に背いた。……あいつの記憶が無くなったのは、俺のせいだ」
日常生活で必要な記憶は失われていなかった。喪失したのは過去の人との思い出。フリートだけでなく、メリッグやルーズニル、そして育ての親であるオルテガとの記憶までない。
「ミディスラシール姫と同様に、あいつもどことなく人を引きつける雰囲気を漂わせていました、今思えば同じ血を引いているのも理由の一つだったのかもしれません。鍵であってもなくても、リディスはきっと今後の状況に、光を射し込ませる人物になっていたはずです。ですが……」
そんな彼女をフリートは――護りきれなかった。
いったい何のために今まで努力してきたのか。
誰かを護るために、妬まれつつも剣を振り続けたではないか。それなのに――。
ルーズニルはじっとフリートを見たまま黙っていた。その間に小鳥が窓の向こう側で鳴いていた。二匹いるようで、お互いに鳴き合っている。
しばらくして飛び立ったのを耳で確認すると、ルーズニルは軽く目を伏せた。
「……それがフリート君を立ち止まらせている元凶か。君らしくないね」
「俺は本来こういう人間ですよ。意地を張り続けていただけです」
「意地を張り続けていたのは、君だけではない」
目を大きく開いてルーズニルを見ると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「知っているかい? 部屋を覗くと、時々リディスさんが泣いているんだ。止めようと思っても涙が止まらないらしい。理由を聞いてもわからないと言っていたが、僕にはまるで何かの枷が外れたように見えた。彼女はずっと笑顔を振りまき、意志の強い発言をして前に進んでいた。けれどそれは迷いや弱さを隠すための行為だった。……ずっと無理していたんだよ」
フリートはリディスが弱音を吐いているのをほとんど見たことがなかった。
唯一吐かれたのが、出会った当初、リディスの脳内に惨劇の映像が流れた時である。その時はフリートの言葉によって、再び歩き始めた。旅をしてからは弱音を聞いていない。
「精神的に負荷が掛かっていたのは間違いないね。長期に渡って慣れない旅をした。しかも時に攫われたり、傷を負わされたり……町に住んでいた貴族が対応できる範囲を超えている。けど彼女は弱音を吐かなかった。
それはどうしてだろう? 意地や誇りもその一つだが、僕にはそれ以上に他の要因があると思う」
「モンスターの脅威から町を護りたかったから。あいつはそう言って俺たちと一緒に町を出たそうですよ。還術を始めたきっかけも、そのように聞いています」
「スレイヤがとても真っ直ぐな想いを持った女の子に槍術を教えたと言っていたよ。でもね、妹はこうも言っていた。『誰かが手を伸ばしてくれなければ、外には出なかった。そこまで強い女の子ではない』って」
「え……」
「君たちが手を伸ばした。その手を握り返したのは、きっと握るのに適した人物だと察したからだよ」
「いや、俺たちはあいつの目的を達成するための、ただの土台……」
「あの優しい彼女が、君たちのことを土台扱いするかな。……色々な感情を抱きながらも君たちを認めていた、だから一緒に行こうと思った、僕はそう感じている」
ルーズニルは背筋を伸ばして、フリートの黒色の瞳を、眼鏡の奥から覗いてきた。
「ねえ、どうしてフリート君はリディスさんに手を差し伸ばしたの?」
フリートは自分の中で出始めている感情を抑えながら口を開く。
「……あいつの意志を汲んだのと、姫の命令だからです」
「そういう内容ではなくて、僕が聞きたいのは率直な気持ち。ミーミル村の戦いの時かな、リディスさんのために危険すぎる攻防に出た。僕はあの時、命令からくる騎士の義務以上のものを感じたよ」
「あれはリディスしか突破口を開くことができないと思ったから、あいつを護ろうと思っただけです」
フリートの言葉を聞いたルーズニルは肩をすくめた。
「じゃあ、ミディスラシール姫からリディスさんやロカセナ君の真実を言われて、どうしてあんなに焦ったの?」
「俺の不注意で護衛対象が危険に晒されていると知ったから……」
「本当にそれだけ? 彼女に対して何も感情を抱いていなかったの?」
一呼吸してから、ルーズニルは端的に言い放った。
「フリート君にとって、リディス・ユングリガはどんな存在?」
余韻を残したまま、ルーズニルは立ち上がり、背を向けた。
「おそらく君はその答えを持っている。けどはっきりと口にできるほど、考えがまとまっていないようだ。まだ時間はある。しっかり考えをまとめ、その答えを自分に言い聞かせて、これから何を為すべきなのか考えるといい。――強い意志を持って、再び剣を持てる日がくることを、楽しみにしているよ。じゃあ、ゆっくり休んでね」
言い終えると、亜麻色の髪の青年は颯爽と出ていった。部屋には軽く拳を握りしめているフリートのみ残る。
「自分の考えをまとめろ……っか」
深々と息を吐き出した。リディスやロカセナのことをじっくり思い返すのには、いい機会なのかもしれない。揺らぐ感情が戦場では致命傷に繋がる。
「俺にとってリディスは――きっと――」
命をかけても、護らなければならないと初めて思った、特別な女性。
あの月食の夜にようやく気付いた想い。
それを声には出さずに、心の中で呟いた。その言葉は脳内に反響していった。
「どうだったかしら? 彼への助言は」
「聞いていたのかい、メリッグさん。難しいものだね、それとなく諭すのは」
部屋を出て数歩進むと、紺色の髪の女性が笑みを浮かべて立っていた。
「僕、こういうのは得意じゃないんだけど……」
「話術力が問題ではないわ、こういのは信頼している人間に言葉をこぼすものよ。私じゃ微妙に警戒されるのよね」
彼女は手を軽く頬に当てて、溜息を吐いていた。その横顔を見て、ルーズニルは素直にメリッグ・グナーという女性は美人だと思った。どんな仕草でも洗練されており、リディスとは違った魅力がある。
しばらく眺めていると、メリッグはじろっと横目でルーズニルを見てきた。
「……見ても何も出てこないわよ。私、自分と同じような人は好みじゃないから」
「別にそういう意味で見ていたわけではないよ。――ねえ、フリート君は再び進むことができるのかな?」
「立ち止まったままなら、この戦いはリディスの記憶が戻る前に決着を迎えるだけ。彼も馬鹿じゃないでしょう。なんとなく自分の気持ちには気付いているみたいだから、もう少し頭が冷えれば答えを出すはずよ」
辛辣な言葉を吐きつつも、ほんの少し心配そうな表情をしているメリッグをルーズニルはちらりと見ていた。
各地を放浪している前は、どんな生活を送っていたのだろうか。おそらく思いやりのある女性として故郷では振る舞っていたのだろうと、ルーズニルはぼんやりと思っていた。
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