万物は流転する(4)

 フリートは震えつつも、立ち向かおうとしているリディスと、気を抜けば意識を持って行かれそうな殺気を放つニーズホッグを見比べながら、必死にこの場から脱出する術を考えていた。

 一瞬で大量のモンスターを還したことからわかるように、ミディスラシールはずば抜けた能力があり、戦闘時の頭の回転も速い。ドラシル半島内で最も頭がいいと言われる国王の血を色濃く受け継いでいるようだ。

 ニーズホッグとの戦闘も引けを取らないはずだが、たった一つだけ問題があった。

 戦闘の大規模化だ。

 フリートも隙さえあれば参戦を考えたが、精霊魔法対大型モンスターの戦闘に、武器召喚だけで加勢するのは危険過ぎる。むしろ足手まといになる可能性があった。

 また激しい攻防の中では、リディスを護りながら攻めるのは厳しい面もある。

 近くにいるルーズニルやメリッグは精霊を召喚して、出方を伺っていた。二人ともやり手の精霊使いだとは実際に見てわかっていたが、それでもミディスラシールと肩を並べて対抗することはできないだろう。

 リディスはしばらくじっとしていたが、突然血相を変えて、廊下を繋ぐドアに体を向けた。

 閉じられていたドアが何度か激しく叩かれると、あっさりと砕け散った。そこからモンスターの一種である、皮膚が異様に硬い、二足歩行をするトカゲ型のリザードマンが現れる。

 ニーズホッグに乗り移ったニルーフはそのリザードマンには目もくれず、ミディスラシールと睨み合っている。それを見て一つだけ察したことがあった。

(ニルーフ以外にリザードマンを召喚している人間がいる)

 ルーズニルが出現した五匹のリザードマンに目をやる。どれもが古めかしい剣を握っていた。

「気づいているのは入り口に近い、僕たちくらいかな」

「そのようね。あちらの殺気が禍々し過ぎて、こちらの殺気がかき消されている。このモンスターも充分に強いのに」

 メリッグは忌々しげに吐き捨てる。

「ここは俺たちで還すしかない」

「争いごとは好まないのに、ついていないわ」

「手早く還さなくちゃ。まだ廊下にいるかもしれないし」

「元を絶たなくては意味がないけど、まずは目の前のものを還そうか」

 フリート、メリッグ、リディス、そしてルーズニルはそれぞれ言葉をこぼしながら、部屋の中に侵入してくるリザードマンを見据える。

 フリートが先陣を切ったのを皮切りに、膝上辺りでドレスを結んだリディスもショートスピアを持って飛び出し、ルーズニルもそれに続いた。メリッグは深呼吸をして、周囲に目を光らせる。

 フリートは一番大きなリザードマンに突っ込み、それに向かって斬りつける。

 だが、思った以上に皮膚が硬かったため、軽い振りではまったく傷つかず、むしろ跳ね返された。次は力をいれて剣を振り降ろすと、うっすらと傷が入った。

 力の入れ具合を把握できたが、この方法では連続攻撃ができない。大振りをしている最中に、他から攻撃を受ける可能性がある。

 乱雑に剣を振り回して攻めてくるリザードマンを、適宜足を踏み分けながらかわしていく。それに釣られた一匹が群れから飛び出てくる。

 フリートはそれを見るなり大きく踏み出し、両手持ちしたバスタードソードを胸に深々と刺し、引き抜いた。

「還れ!」

 赤黒い血が流れ、致命傷を負ったリザードマンは黒い霧となって還り始める。返り血を浴びたフリートの顔からもその血が消えていく。見届けることなく、次なる相手を探した。

 リディスもフリートと同様にリザードマンを一匹にしてから、ショートスピアで突き刺して、還術している。表情は一貫して険しいままだが、還した直後に極端に動きが鈍ることはなかった。

 今はあの現象がでていないのだろうか――脳内に流れる断末魔や目を伏せたくなるような映像が。

 彼女を気にかけつつも、フリートは周囲を見渡す。

 視線を移動すると、生身のまま一匹のリザードマンを相手にしているルーズニルの姿があった。いや、正確には両手にグローブをはめ、両足に硬質なブーツをはいて戦っていた。襲ってくるリザードマンに拳を突き出し、足を振り上げて牽制していく。

 相手の動きがもつれたところで、風の刃が付けられたグローブを胸に入れ込んだ。引き抜くと、すぐ後ろに寄っていたリザードマンにも慌てることなく蹴りを入れる。

 流れるような隙のない動きに、息を呑んだ。これが戦場でなければ見入っているだろう。

「“博識の武道者”――予想以上だな」

 メリッグは三人の接近戦から漏れた一匹のリザードマンを、水の精霊ウンディーネで足下から全身を凍らせていく。黒い霧も見えたため、そちらも問題はないとフリートは判断する。

 ミディスラシールたち近衛騎士対ニルーフとニーズホッグの戦闘を随時見ながら、戦況を分析した。

 モンスターとしても危険な方に部類されるリザードマンが廊下から入ってくるが、一度に一、二匹と、四人でも充分に相手をできる量である。これなら慌てることなく還していけるだろう。

 ふと、リディスの動きが鈍くなっているのに気付いた。ドレスが張り付いており、動きにくそうである。

 戦闘がひと段落したら、リディスだけでも戦場から離れさせる必要があるな、とフリートは思っていた。



(後ろでもモンスターが出ているけど、こっちには流れていない。少年と黒竜一匹の戦闘に集中できる環境にしてくれた、フリートたちに感謝ね)

 ミディスラシールたちは目の前の相手をじっと見つめていた。

 ニーズホッグの口から吐き出される炎の玉やブレスを、土の精霊ノームによって作り出した土の壁で遮っていく。その隙を狙ってこちらから攻めていくという型が、必然的にできていた。

 厄介なこととしては、ニーズホッグが地に足をつけていないことだ。少しでも触れてくれれば、土の精霊の能力をおおいに発揮できるのだが――。

 相手側がこちらの事情を考慮した上で、襲っているのは明確だった。

(少年の動きも読めないから、私が率先して攻めるわけにはいかないし……。殺すと言いながら、本気を出しているようには見えない。何が狙いなの?)

 ミディスラシールは眉をひそめながらニルーフを見ると、彼はにやりと笑みを浮かべた。

(目的は土の魔宝珠やその他の欠片の確保。でも中に侵入しなければそれは達成できない。まさかこちら側の体力を削って、怯んできたところで一気に皆殺しを?)

 ニーズホッグの火力が上がり、右から左まで一気にブレスを吐いていく。土の壁を何重にもしつつ、隙間から鋭く尖った石の固まりを突き刺そうとした。だが、石の固まりは直前で粉々になる。

(リディスがまだこの場にいるのね。早く誰にも目が付かない場所に避難してくれないかしら)

 想いを巡らしながら次なる行動を検討していたため、ニルーフの口が僅かにつり上がったのをミディスラシールは見逃していた。



 一匹、一匹は強いが、単体で襲ってくるため、リディスは比較的落ち着いて還せていた。脳内にあの光景が現れないことも大きいだろう。

 剣を無造作に動かすリザードマンの背中に回り込み、思い切って腰の辺りを突き刺した。

 途端、視界が真っ赤に染まった。鮮明に映し出される赤い色。憎悪に溢れた感情で誰かが誰かを刺した光景が、生々しく映し出される。

「な、何……?」

 驚く間もなく、返り血がリディスの顔にかかった。震える手で触れてみると、赤い血が手に付いていた。

 足の部分がぼやけ、全身が靄で覆われている幻の少年が短剣をぶら下げて寄ってくる。


『人の心は誰しも憎しみで溢れている。それをどこに爆発させようか。それともどこに隠そうか。君はどっち?』


 そのものから視線が逸らせない。

 戦況がどうなっているかもわからず、リディスはその場に突っ立っていた。

「リディス!」

 フリートの声でようやく我に戻ったリディスだが、背後にはリザードマンがすでに剣を振り上げている途中だった。

 己の浅はかさを恨みつつ、何とかして避けるために体を動かそうとする。その前に銀髪の青年が目の前を横切った。そして襲ってきたリザードマンを的確に突いて還す。

 彼は肩で呼吸をして振り向く。顔には返り血が付いている。なぜか先に見たあの幻の少年と被った。

「リディスちゃん、大丈夫?」

 ロカセナは表情を緩めて、リディスを優しく見てくる。

「え、ええ。ありがとう、ロカセナ。警備の方は? そっちはモンスターが出ていないの?」

「現れたけど、一緒に組んでいた先輩が対処してくれている。その人が上の方にモンスターが集中しているから、加勢してこいって言ってくれた」

「そうなの。よく一人でここまで来られたのね。廊下に相当数のモンスターがいたんじゃない?」

「意外にいないよ。既に結構還されたみたい」

 戦場の中で言葉をかわしている二人に、リザードマン以外のモンスターが近寄ってくる。寄ってくる相手に、リディスは振り返って突き刺し、ロカセナは振り返りもせずに、サーベルを薙いで還した。

「でもここにいれば、もっと恐ろしいモンスターが膨大な量で来るかもしれない。その前に一刻も早く逃げた方がいい」

「でも、ミディスラシール姫たちは今も強敵と対峙している。置いていくわけには……」

「モンスターが発生する元を断てば戦況は変わると思う。……実はね、そこに心当たりがあるんだ」

「本当!?」

 いったいどこだろうか。城の中なのか外なのか――。早急に元を絶たねば、このままでは消耗戦となり、こちら側が窮地に陥るのは目に見えていた。

「リディス、ロカセナ!」

 フリートはモンスターを還しながら駆け寄ってくる。彼に向かって大声で叫ぶ。

「フリート、ロカセナがね、モンスターが発生する元に心当たりがあるって!」

 身を乗り出してフリートに向かって歩こうとしたが、ロカセナに肩をぎゅっと握られる。目を瞬かせ、振り返ろうとした瞬間、激しい地響きが鳴り響いた。リディスたちの足下に亀裂が入る。

「なっ……!」

 ニーズホッグが空からバルコニーに向かって勢いよく落下した衝撃で、ヒビが入ったのだ。激しい音を立てて、床が壊れ始める。

「リディスちゃん、危ない!」

 ロカセナに抱えられて、バルコニーから廊下に飛び込む。

「リディス――!」

 呼び声がした先では、フリートが今まさに崩れゆくバルコニーの上で腰を屈めていた。

「フリート!」

 リディスが呼び返すと、ほっとしたような顔つきをされた。自分の方が遥かに危険な状態だが、どうしてそのような表情を浮かべられるのだろか。

 胸のざわめきが止まらなかったが、次の言葉を聞いて思考は無意識のうちに固まった。

「――姫!」

 土埃と崩壊する音で他の人の声は聞こえなかったが、確かに聞こえたのだ――その言葉だけが。


 以前からわかっていた。

 騎士のフリートにとって真っ先に護らなければならないのは、町貴族の娘ではなく、一国の姫である――と。


 やがて崩壊音は収まった。三階にあったバルコニーは二階を突き抜け、一階へ崩れ落ちている。

 皆、無事だろうか。崩れた部分は土埃で覆われているため、視覚で確認することは難しい。武装した騎士や精霊の加護が付いている者たちだから、おそらく大丈夫だとは思うが、目で見ないと安心はできなかった。

「リディスちゃん?」

 呆然と見下ろしているリディスに、ロカセナが恐る恐る話しかけてくる。そして彼は持っていたハンカチで、リディスの頬から微かに出ている血を拭った。

「やっぱり避難しようか、随分疲れているし。それとも皆の救出に向かう?」

 彼の優しさに触れつつも、リディスは首を横に振った。

「疲れなら気にしないで。それに皆も大丈夫よ。この土地は土の精霊に護られているから。だから行こう。モンスターの発生を止めることが、今後のことを考えると最も優先すべきことよ」

 真っ直ぐ視線を送ると、ロカセナは頷いた。

「わかった、行こう」

 そしてリディスはロカセナの手を取った。彼は驚きつつも軽く握り返してくれた。

 月はもう三日月程度まで欠けている。


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