万物は流転する(3)

「地震……!?」

 初めはグラスや食器類が音を立てて揺れているだけだったが、次第に揺れは大きくなり、立っているのも困難な揺れがリディスたちを襲う。

 その場にしゃがみ込み、揺れが収まるのを待った。

 美しく着飾られた金色の髪の女性に視線を向けると、彼女は悔しそうな顔で空に向かって睨みつけていた。そしてメリッグと似たように、胸の辺りを押さえ付けている。

「まさか直接侵入させてくるなんて! 空間転移の召喚を使って侵入させた……ようね。いい加減事実を認めなさいって、言っているみたい……」

 噛みしめながら、ミディスラシールは俯いていた。

 揺れが収まると、今度は廊下から悲鳴が聞こえてきた。フリートや騎士たちは腰から下げている剣を即座に抜く。

 そして地響きのような足音と共に、鋭い角と爪を生やした二足歩行のモンスターが入ってきた。その爪には赤い血が滴っている。

 バルコニー内で悲鳴が飛び交う。モンスターはぎょろりと中を見渡した。フリートは舌打ちをし、モンスターの視界を遮るように立つ。

「くそ、どうして、城内にモンスターが! 急いで還さないと――」

「フリート、待ちなさい」

 ミディスラシールが凛とした声で、飛び出しそうなフリートを呼び止める。背筋を伸ばした彼女は、何かを決意したような顔つきをしていた。

「あの人の能力を見誤り過ぎて、直接雑魚を侵入させてしまったのは私の責任だわ」

「どういう意味ですか?」


「フリート、よく聞きなさい。これからもっと強い相手が貴方の前に現れる。だからその時は――、命をかけてもリディスを護り抜きなさい」


 不敵な笑みを浮かべたミディスラシールは、唖然としているフリートを一瞥してから、バルコニー内に聞こえるよう高らかと声を上げた。

「緊急配備に付きなさい! 最優先順位は、参加者や城内にいる一般人を所定の場所に避難させること。その間におけるモンスターは、私と近衛騎士を中心に排除する!」

 モンスターの視線がミディスラシールに向けられた。一直線に駆け寄ってくる。

 彼女のすぐ近くで護衛のスキールニルが柄に手を触れているが、抜きはしなかった。

 リディスはフリートの背中越しからミディスラシールを見ていると、彼女は胸元からペンダントに埋め込まれている魔宝珠を取り出した。魔宝珠に向けて口を開く。

「――大地が誕生したからこそ、人類は生を受け、発展することができた。土から得られる恵み、温もり、優しさ――そのすべてに感謝しております。我が名はミディスラシール・ミスガルム・ディオーン、我を守護する精霊――地の精霊ノーム、力を貸したまえ!」

 言い終えると、緑色の帽子を被り、顎髭を伸ばした小さな老人――地の精霊が現れた。目は鋭く、それだけで見る者を圧倒しそうだ。その視線がモンスターに向けられたかと思うと、一瞬でモンスターの動きは止まった。足元を見ると、そこから石化し始めている。瞬く間に石化現象は全身に渡った。

「あなたはここにいるべきものではない。在るべき処に還りなさい」

 声と共に石化した全身にヒビが入り、音を立てて砕け散る。それは風に乗って、外の世界に消えていった。

 精霊を召喚し、即座にモンスターを還した。

 ミディスラシールの底知れない能力が、リディスの目に焼き付く。

 華麗な還術を見て、拍手でもしたかったが、そのような暇も与えまいという勢いで次々とモンスターは現れる。それらを土の精霊の力を借り、ミディスラシールは一瞬で還していく。

 しかし無限にいるかのように、バルコニーに侵入してくる量はなかなか途切れなかった。それを見た彼女はぽつりと呟く。

「――一度、弾き飛ばす」

 ミディスラシールは右手を軽くももに触れると、先端に魔宝珠がはめ込まれている杖を召喚した。散りばめられた宝石が輝いている。非常に作りがしっかりしており、叩いても簡単には壊れない代物だろう。

 彼女は空とバルコニーから見える範囲の地面を睨みつける。

 リディスが目を凝らして夜空を見ると、大群で何かが近づいているのが見えた。その量に圧倒され、足が竦みそうになる。

 だが、ミディスラシールは表情を変えずに、冷たい視線で大群を見据えた。

「外壁内を包む結界に関しては、後日もう一度検討するわ。今は時間もないし、とにかく――還す」

 深く息を吸って吐くと、緑色の瞳を大きく開き、杖を床に叩きつけた。

 その場から同心円状に風圧と揺れが広がる。

 そう強い風ではないが、リディスはとっさにフリートにしがみついた。彼の表情を垣間見ると、拳を握りしめ口元に笑みを浮かべていた。

 彼の視線の先にいるのは――、彼と昔から親しいミディスラシール姫。

 その事実に気づくと、心の中が少しだけ疼いた。

 まもなくしてモンスターの断末魔が周囲に響き渡り出す。リディスがモンスターの方に視線を向けた時には、原型を止めておらず、黒い霧となって還っている時だった。飛んでいた風系、地面を張ってきたそれ以外の系統の百近い大量のモンスターが、すべて黒い霧となっている。

「凄い……!」

 これだけの量、もしくは広範囲のモンスターを還してしまう人など、リディスは今まで見たことがなかった。

 相当体に負担がかかるのではないかと心配したが、ミディスラシールは受け取ったタオルで汗を拭っている程度である。あれだけ大規模な還術をしたのに、ほぼ疲れていないとは驚きの事実だ。

「どうか安らかに還りなさい。ここにいるのは場違いなのだから――」

 タオルを握りしめ、彼女は憂いを含んだ瞳で黒い霧を見届けた。

 それを終えるとすぐに切り替え、バルコニー内にいる貴族たちに向かって叫ぶ。

「一通りいたモンスターは還しました。今のうちに指示に従って避難をし、城内の所定の場所で騒ぎが落ち着くまで待機して下さい! これは姫の命令です。破った者は――わかっていますね?」

 にこりと微笑むミディスラシールだが、それがかえって怖い。まとめて守った方が楽だという判断から出た言葉だろう。貴族たちはドアに殺到しようとしていたが、彼女の無言の圧力によって高ぶった感情がやや抑えられる。順番にバルコニーから廊下に出ていった。

 モンスターの気配はまだ感じられないが、リディスは無意識のうちに魔宝珠に手を触れ、ショートスピアを召喚していた。フリートも同様に召喚したバスタードソードに持ち変えている。

「お前、その格好じゃ、動けねえって言っただろう。足手まといだ避難しろ」

「動けなくないわ、動きにくいだけ。最優先すべきことは還術ができない、貴族様たちを護ることよ。厳しいと判断したら、適当に離脱するわ」

 目を光らせて、周囲を見渡す。ミディスラシールの還術により、脅威は去ったと思い込んでいる貴族たちに何かがあってからでは遅い。

 頭上ががら空きのバルコニー内で空と地面を注視しながら、リディスは言葉をこぼす。

「突然すぎるモンスターの襲撃、狙いは何かしら?」

「ミーミル村のことを考えると、四大元素の源の魔宝珠だろう」

「城内にあるの?」

「おそらく。姫の召喚、王国外で見た時よりも威力が桁違いだからな。……襲い方から判断すると、今後もここから城内に侵入しようとするものが多いだろう。姫が再び軽い結界を張り直したから、もし次に来るなら相手は腕の立つ精鋭揃い――」


「ぴんぽーん、当たり!」


 陽気な少年の声が前方から耳に入ってくる。あまりにも場違いな声質に、その場にいた人は目を丸くして、バルコニーの先にある何もない空間に体を向けた。すると柵の外から一人の少年が徐々に頭を覗かせ始めていた。十歳を少し過ぎたくらいの、赤色の髪の少年がにこにこ笑っている。

「あの結界、相当強力だねえ。僕じゃなかったら突破できなかったかも」

「君はいったい誰?」

 ミディスラシールが鋭い目つきで言い放つ。

 幸いにも、バルコニー内にいた力を持たない貴族たちの避難は終えていた。今は近衛騎士を中心とした騎士たちや、リディスやルーズニルといった、還術を使える者だけが残っている。

「僕はニルーフ。土の魔宝珠を貰いにきたよ。余計な死人を出したくなかったら、さっさと出して」

「あら、そんなものはここにはないわ。他を当たったらどう?」

「そんなこと言われて、引き下がると思う? 明らかにこの付近から大量の土の精霊ノームがうごめいているのがわかる。つまり魔宝珠があるってことでしょ。――忠告はしたからね、もう知らないよ」

 少年は全身を見せつつも、さらに上昇を続ける。その下から鷲のように鋭い眼球と嘴を持ち合わせたモンスターが顔を出していた。

 モンスターの背に乗っていた少年は軽やかにバルコニーに降り立つと、近くにいた騎士に取り囲まれる。

「何人殺せば口を割ってくれるかな、お姫様?」

 笑顔の裏に含まれた黒い影が見える。ミディスラシールは眉をひそめて、ニルーフを見返した。少年から一番離れているリディスでさえも、彼の殺気が肌に突き刺さる。ショートスピアを持つ手が震えていた。

 ここから先、この場は戦場になる、今まで体験したことのないような恐ろしい場に。

 震える手を恐る恐る触れる青年がいた。剣を握り続けた手は豆がたくさん潰されており、幾度も戦歴をくぐり抜けた傷だらけの手だった。間近で見るのは初めてである。彼の手に触れると、少しだけ心が落ち着いた。

「……リディス、様子を見て、逃げるぞ」

「フリート!?」

 彼らしくない言葉を聞き、驚きを隠せない。

「俺は姫からお前を護り抜けと言われた。それを実行するにはこの場を離れる必要がある。――あいつ相手に、今の俺では一人で護りながら戦うことはできない」

 悔しそうに、ぎりっと奥歯を噛みしめる。

 いつもフリートはロカセナと二人で組んでいた。攻めのフリートと守りのロカセナ。そうはっきり言われるほど、彼らの戦い方は違っていた。そのためリディスが加わって三人になったとしても、大きな支障はなかったのだ。

 今、ロカセナがこの場にいたらどうなるだろうか。

 フリートはリディスを彼に託して、戦いに赴くのだろうか。

「まずはバルコニー内にいる人を殺そうかな。貴族のぼんぼんはあとで簡単に殺せるし」

 ニルーフはにやりと笑みを浮かべて、右手を真っ直ぐ突き上げた。

「ああ、けど一人だけは殺せないんだ。ちょっとめんどくさいな。まあ気を付けるけどさ、誤って死なないよう、頑張って逃げてくれよ」

 手のひらの上に彼をすっぽり入ってしまうくらいの真っ黒い球体が現れた。

「僕は他の人みたいに、剣術が優れているわけでも、ある精霊の能力を最大限発揮して召喚するわけでも、話術が優れているわけでも、特別な召喚を使えるわけでもない。でも、この一匹だけは――誰にも負けない」

 一気に黒い球体が大きくなる。


「さあ、僕と一緒に遊ぼう! 召喚――ニーズホッグ!」


 音をたてながら黒い球体にヒビが入り、砕け散った。開いた瞬間、背筋に悪寒が走るような殺気が見た者に襲い掛かる。

 ニルーフより遙かに大きく、真っ黒な羽を生やした黒竜が、威嚇をしながら黒い球体から出てきた。

 彼は手を挙げ、ミディスラシールに向かって振り下ろす。それを合図にニーズホックは羽を動かして彼女に体を向け、口を大きく開いた。彼女は逃げもせず口を一文字にし、土の精霊ノームに指示を出して迎え撃とうとした。


 この時、月はもう半分ほど欠けていた――。

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