万物は流転する(2)

 会が始まる直前、リディスは人でごった返す会場で銀髪の青年と会っていた。彼もいつもより質がよく、かっちりとした服を着ていたため、近くに来るまで気付かなかった。フリートは若い近衛騎士と話し込んでいる。ロカセナはリディスを見るなり、頬を綻ばせた。

「リディスちゃん、すごく綺麗だね。この会場の中で一番綺麗なんじゃないかな?」

「私より綺麗な人はたくさんいるよ。いつもと違う服を着ているから、そう見えるんじゃない?」

「そんなことないよ。内に秘めた魅力が、ようやく外見にも現れたって感じ」

 恥ずかし気もなく、ロカセナは褒めちぎっていく。リディスは視線を下げつつ、両手を軽く握り直す。

「ロカセナは外の警備?」

「そうそう、五歳上の先輩と組んで、裏門近くの見回り。フリートとよく組んでいたから、少し変な感じだよ。トイレ休憩の隙に、是非ともリディスちゃんの素敵な姿を見ようと思って、顔を出したんだ」

「あ、ありがとう……、忙しい時に」

 頬に熱を帯びているのが、内面からでも感じ取れていた。フリートとロカセナ、二人で共に行動することが多いが、あまりに言動が違いすぎて、ある意味面白い。

 不意にロカセナがリディスの耳元に顔を寄せてくる。彼の息が耳にかかってきた。突然のことに、体が固まってしまう。そしてとても小さな声で囁かれた。

「警備の仕事が終わったら、久々にゆっくり二人で話をしよう。その時、会の雰囲気や様子とか教えてね」

「え、ええ……」

 舌が回らない中、辛うじて返事をすると顔を戻される。何事もなかったかのように、いつも通りに微笑んでいるロカセナがいた。

 そして彼は手を軽く振って、バルコニーから出て行った。彼の背中を見送り、リディスは一人でぽつんとその場に立ち尽くす。胸の前に軽く手を置いた。

 速くなった鼓動が収まらない。頬の赤みも引かない。


 いつも優しく接してくれるロカセナよりも、一歩踏み出した行動。何か特別な意味でもあるのか――?


「リディス!」

 我に戻って振り返ると、怒ったような表情をしている黒髪の青年が両手にグラスを持って寄ってくる。

「ウェルカムドリンクだとよ。アルコール入りでいいか?」

「ええ、ありがとう。……ねえ、どうしたの? 怒っているの?」

「別に怒ってねえよ」

 フリートはリディスにグラスを押しつけると、自分用のノンアルコールドリンクを一気に飲み干した。

「なんかむかむかするな……。仕事中じゃなかったら、酒でも飲みたい気分だ」

 ぶつぶつと呟き、近寄ってきたボーイが持っているお盆から、もう一杯グラスを奪い取り、即座に飲みきる。

 フリートの様子を見ていると、リディスの全身に渡っていた妙な緊張感がなくなってしまった。口に手をあてて笑い、受け取ったグラスに口を付けた。炭酸が若干含まれている、甘いお酒。好みの味だった。

 ざわ付いていたバルコニー内が少しずつ静まり返っていく。会合で司会役をよく務めている貴族の男性が壇上にのぼっていた。彼はバルコニー内を見渡すと、大きな声を出した。

「お集まりの皆様、長らくお待たせ致しました。これから今晩の主役であるミディスラシール姫と父親のミスガルム国王が入場されます。皆様、盛大な拍手でお迎えくださいませ!」

 その言葉を皮切りに、割れんばかりの拍手が鳴り響き始めた。リディスやフリートも同様に手を叩いて、主役の登場を出迎える。

 金色の髪を巻いた女性が、ピンク色のドレスを着て、凛とした歩き方で現れた。

 レースを多数あしらった、ふんわりしたドレスの上に、鮮やかな宝石がばらまかれている。いつもより化粧は濃くしているが、ドレスの派手さとのつり合いが上手くとられていた。頭には公の場でしか使わない、銀色のティアラがささやかに乗せられている。

 見る者誰もが溜息を吐いてしまうほど、美しい容姿の彼女は、指定された椅子の横にまで歩き終えた。

 その後ろから国王が現れ、ミディスラシールの隣にある椅子に一礼をしてから腰をかける。そして拍手が止むと、姫は深々と頭を下げ、一歩前に出て口を開いた。

「皆様、本日はお忙しい中、わたくしの二十歳の誕生日会にお越し頂き、誠にありがとうございます。ささやかではありますが、食事の方を用意させて頂きました。どうぞそちらも楽しんでくださいませ」

 一度言葉を切ると、再び拍手が沸き上がる。ミディスラシールは辺りを見渡して話を続けた。

「またこの場を様々な情報交換の場として、利用して頂ければと思います。――最近、モンスターなどの動きが活発化している傾向が見られます。さらに動きが激しくなれば、今までのように結界をただ張れば良いという問題ではなくなるでしょう。しかし単独ではなく、結界が二つ交われば、もしかしたら護り抜くことができるかもしれません。そのようなことも頭の隅に入れながら、本日は楽しみつつも、是非とも交流を深めて頂ければ、私としては嬉しい限りです」

 笑顔で言い終えると、ミディスラシールは頭を深々と下げる。彼女の言葉に圧倒されていた聴衆だったが、まばらに拍手が起こり、やがて盛大な拍手へと変わっていった。

 これでこの会は、ミディスラシールを祝うものだけではなく、他の貴族と力を合わせるきっかけを作り出す会となった。不穏な空気が漂う日々だが、集まっただけの価値はあるように思われる。

「ミディスラシール姫、ありがとうございました。続きまして乾杯の挨拶に移りたいと思います。乾杯の音頭を――」

 司会が城内で主に経済に関する業務に当たっている貴族の男性を呼んだ。老人といっても差し支えのない年齢だが、背筋が真っ直ぐ伸びており、非常に頼もしく見える。彼は簡単に挨拶を済ませると、グラスを掲げた。それに見習って、出席者たちもグラスをミディスラシールの方に向ける。


「――では、ミディスラシール姫のますますのご活躍と、ミスガルム王国の繁栄を願って――乾杯!」

「乾杯!」


 グラスとグラスが当たる音が鳴り響く。リディスは一瞬戸惑ったが、隣にいるフリートと視線が合うと、小さく音を鳴らしあった。そしてグラスの中身を軽く口に含ませた。

「それでは皆様、どうぞご歓談ください」

 それを皮切りに料理が並べてある机へ寄る者、近くにいた者と話し出す者、姫や王がいる席へ足早に移動する者などに分かれた。

 リディスたちはミディスラシールへの祝いの言葉は後にして、まずは食事を頂くことにした。真っ白な皿の上に、料理を一種類ずつ丁寧によそっていると、後ろから誰かがフリートの名を呼んでいるのが聞こえた。振り返ると、にこやかな表情をした、壮年の男性が立っている。フリートは本当に些細であるが、眉をぴくりと動かしていた。

「フリートではないか、久しぶりだな」

「ダリオット様、お久しぶりでございます」

「もしかして父親の用事で来ているのか? 顔を見ていないのだが……」

「いいえ、違います。今回、父は参加していないようですよ。自分は騎士の立場でこちらの女性の護衛にあたっているだけです」

 心なしか騎士という言葉を強調して出したように思われた。貴族の父を持つ息子ではなく、自立した一人の人間として見られたいのだろう。

 ダリオットは視線をフリートからリディスに向ける。見られるなり、かなり近くまで寄られた。

「ここまで美しい女性は見たことがない。どちら様だろうか?」

「初めまして、リディス・ユングリガと申します。シュリッセル町を治めているオルテガ・ユングリガの娘で、現在諸事情のため城の方に滞在しております。今回はせっかくの機会、是非出席してみるといいと言われまして、この場に参加させて頂いています」

 微笑みながら、ダリオットにすらすらと言葉を述べた。彼は思案気な表情を浮かべる。

「シュリッセル町……、ああ北部で比較的繁栄しているあの町か。まさかあのような町に貴女のような美しい人がいるとは、知らなかった」

 さりげなく馬鹿にされた言葉を聞き、作っていた笑顔が壊れそうになる。

 フリートの知り合い、つまりシグムンド家と交流がある人物だと考えると、少なくとも彼はミスガルム王国内に屋敷があるはずだ。王国以外に住まう者は田舎人と見なしている、典型的な人物なのだろう。

 シグムンド家のめにも今の表情を崩してはいけない。

「お褒めの言葉、ありがとうございます。しかしながら、ミスガルム王国以外にも非常にお美しい女性はたくさんいらっしゃいますよ。私だけが特別という訳ではありません」

「いや、外に出かけたことは何度かあるが、君ほどの人はいなかった。どれも田舎っぽいっというのか、目立つ特徴がないというか……。それに比べてとても魅力的だよ、お嬢さん」

 視線が顔から胸元の辺りに下げられている。リディスはほんの少しだけ後退した。

「どうだね、今度三十五になる息子がいるんだが、そいつと食事でも――」

「ダリオット様」

 リディスの作り笑顔が完全に崩壊しそうになった時、フリートがやんわりとダリオットの言葉を遮った。彼の横顔がいつもよりも凛々しく見える。

「先日、父上と話をする機会があったのですが、未だに提出されていない書類があると聞きました。なるべくなら、早急に頂きたいようでしたが?」

 にやけていたダリオットの表情が一瞬で消え、途端に顔をひきつらせる。

「わ、わかっている。すぐに用意しておくと伝えておけ! 多少期限が過ぎたくらいで、ぶつぶつ言うな!」

 そしてダリオットは踵を返して、そそくさと二人の前からいなくなってしまった。

 意外な追い払い方をした青年を見上げると、彼は肩をすくめて、去った方向を眺めていた。リディスが知っているフリートなら、穏やかな言葉で切り抜けるのではなく、きつい口調か、もしくは力でねじ伏せるはずである。場を考えて、いつもとは違う穏便な済ませ方をしてくれたようだ。

「フリート、ありがとう……」

「いや、お礼を言われるほどではない。どっちかというと俺が謝ることだ。あの人、俺も苦手で、すぐにああいう話をしたがるから、お前に会わせたくはなかったんだが……」

「いいわよ、気にしてないし。私もそれくらいの年齢だっていうことを忘れていたから、いい機会だったわ」

 幼い頃、知見を広めるためと言われ、オルテガが町の外で式典などに呼ばれた際には、よく行かされたものだったが、ここ数年はむしろ行かせない傾向にあった。

 不思議に思いつつも昔からの習慣として、リディスも行くと言ったことがあったが、万が一家族揃って何かあった場合にはどうするんだ、と言いくるめられて、仕方なく屋敷で留守番をしていたのだ。その意見も一理あるだろうが、裏の理由としては、今のように言い寄ってくる者たちの存在を危惧していたのかもしれない。

 リディスはフリートに促されて、人が大勢いない壁側に移動する。バルコニー内を見渡しながら、しばし食事をとっていた。

 空に浮かぶ月は、まだ黄色く輝く満月のままである。



 食事を済ませた後は、リディスはフリートから紹介された、手腕的にも人格的にも非常に優れている貴族たちと話をし、ユングリガ家と新たな繋がりを作り出していた。積極的に紹介してくれるフリートに感謝しつつ、オルテガにも早々に手紙を書こうとリディスは思っていた。

 会も進み、参加した貴族の人々の酔いがほどよく回った頃、リディスとフリートはミディスラシールの周りに人が少なくなったところを見計らって、挨拶をしに行くことにした。

 椅子に座って食事をしていたミディスラシールの近くに寄ると、彼女はフォークを皿の上に置き、笑顔で出迎えてくれた。近くで見ると彼女の美しさがより鮮明にわかる。金色に目映く光る髪、白い肌が特に目を引く。

「お誕生日おめでとうございます、ミディスラシール姫」

「お祝いの言葉を、そして今日は来てくれて本当にありがとう。楽しんでいるようで、よかったわ。とても綺麗なドレス姿よ、リディス」

「ミディスラシール姫の方が綺麗ですよ。同じ髪の色なのに、こんなにも違うなんて……」

「そんなに違うかしら、ねえ、フリート?」

 フリートは二人を交互に見ながら、質問に応える。

「いえ、そんなに違わないと思います」

「まあ、社交辞令用ではなく、素で言ったわね。こういう場なら姫の方がお美しいですって言うべきよ」

「それくらいわかっています。他の人ならそう言ったでしょう。ただ、お世辞は嫌いだと、姫は何度も言っていたため、貴女には正直に言ったまでです」

「そうだったわね。本心から出た言葉を使っていない人は、目を見ればだいたいわかることだわ」

 媚びを売りまくっていた貴族たちが、可哀想に感じられる言葉である。

 ヒールを鳴らす音が、背後から聞こえてきた。目を向けると、メリッグがワイングラスを片手に優雅に寄ってきている。その脇には彼女と合流したルーズニルもいた。二人はミディスラシールの前に来ると、軽やかに挨拶をした。

「ミディスラシール姫、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます。どうでしょうか、ルーズニルさん、色々な人がいますけれど」

「非常に勉強になります。どうにも学者は知識に偏りがありますから、それ以外の話はとても新鮮です。ミーミル村も村人以外を受け入れるようになったという情報も出回っているようで、ほっとしています」

「それは良かったですわ」

 ミディスラシールは宝石で散りばめられた高級そうな懐中時計を取り出し、時計と夜空を見比べた。自然とリディスたちの視線も上に向く。

「会も第二部開始。――そろそろ満月が欠け始めるわ」

 煌々こうこうと輝いている満月。その形が若干ながら変化し始めた。左下がうっすらと消え出している。

「部分月食が一時間半程度続いた後、皆既月食が一時間近く起こる。天気もいいわ、こんなに好条件な日は滅多になくてよ」

 欠けている月を見上げて、リディスは心が躍るような感じがした。今まで日毎に形が変わっていく月を夜空と共に見ていたが、時間と共に形が変わっていく月は見たことがない。

 いつしかバルコニーで雑談をしていた他の貴族たちも顔を上げ始めている。

 このままじっくり見ていたい、ここにいる人たちと共に素敵な経験をしたい――そうリディスは願ったはずだった。

 突然、すぐ近くでグラスが音を立てて割れた。一人の女性がその場に崩れ落ちるのが視界に入る。

「メリッグさん!?」

 リディスは持っていたグラスをテーブルの上に置き、胸の辺りを苦しそうに握っているメリッグに駆け寄る。彼女の顔色は真っ青だ。

「大丈夫ですか、どこか具合でも悪いんですか!?」

「……絶対に見つからない、触れられないと思っていたのに……。あまりにタイミングが良すぎるわ。どうやら存在を知っていながらも、今日まで手を付けていなかったようね……」

 メリッグはリディスの心配などよそに、椅子から立ち上がったミディスラシールに顔を向けた。


「――水が捕られたわ」


 ミディスラシールの顔が一瞬で硬直した。それは国王も同様であり、把握し切れていないリディスとフリートのみが疑問符を浮かべている。

 リディスがミディスラシールに近づこうとした瞬間、足元が小刻みに揺れ出した。

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