重なりゆく運命(2)

 陽が完全に落ちきる前に、船はヘイム町の港に停泊した。今晩は船内でのんびりとしながら寝泊まりしてもいいし、降りてヘイム町に繰り出してもいいことになっている。

 リディスたちはトルを見送るため、そしてミスガルム城から来た騎士団と合流しつつ、晩ご飯を食堂でとるために一度船から降りた。

 皆との別れが近くになるにつれて、トルの表情は明らかに沈んでいた。言葉数も少なくなっている。話しかければ返してくれるが、自ら話す回数は減っていた。

 領主の屋敷に続く大通りに差し掛かると、先頭を歩いていたトルはリディスたちの方に振り返り、満面の笑みを向けた。

「ここら辺で大丈夫だ。もう、一人で行けるから。……この欠片を領主に渡せば、俺の旅も本当に終わりだな」

「そういうことになる。これからは精霊と上手くやりながら、鍛錬も欠かさず日々強くなれよ」

「ああ。絶対に一度はフリートのことを負かしてやるからな! 覚悟していろよ!」

 トルは若干涙目になりながら、フリートのことを真っ直ぐ指で示した。フリートはそれを軽く笑って受け流す。トルはかちんときたのか、怒涛のようにフリートへ宣戦布告の言葉を繰り返した。だがすべて軽くあしらわれてしまっている。

 ほどなくして、トルは息を大きく吐き出した。

「俺、そろそろ行くな。フリートも相手してくれねえし、スルト領主が起きているうちに戻りたいから」

「ああ、わかった。達者でな、トル」

「トル、元気で。また会おうね」

 フリート、リディスが次々と別れの言葉を発すると、トルはゆっくりとその場を後退していく。そしてある程度離れたところで、大きく手を振った。

「本当に楽しかったぜ、お前たちと過ごした日々。なるべく早く会いに行くから、元気にしていろよ。またな!」

 そして背を向けるとすぐさま走り始め、瞬く間に彼の背中は見えなくなってしまった。

 何事にも猛突進で行動する青年。

 彼との別れに寂しさを抱き、リディスは目元に涙が出てきそうになったが、それはどうにか堪えた。

(生きていれば、会おうと思えば会える。これは今生の別れではないのだから、泣くべきではない)

 そう自分に言い聞かせて、騎士団との合流場所まで、ルーズニルに導かれて歩いていった。


 辿り着いた場所は宿と併設した食堂。ヘイム町は別名“夜の町”とも言われているためか、陽が落ちてからも騒がしさが衰えることはない。

 食堂の窓はカーテンがかかっているため、中を直接見ることはできないが、薄らと大量の人影が映っていた。中に入れば、食堂内は思わず耳を押さえたくなるほど騒がしかった。

 少し進むと、突然目の前に皿が飛んできた。リディスは反射的に顔を手で覆う。だが痛みは生じず、かわりに皿が割れる音がした。

 恐る恐る目を開けると、まずたくましい腕が視界に入り、次に眉間にしわを大きく寄せているフリートが見えた。彼は食堂にいる人たちに向かって大声で叫ぶ。

「馬鹿なマネはやめてください、隊長! リディスが怪我でもしたら、どうするんですか!」

 その言葉に驚き、視界を遮っていたフリートの腕の間からその先を見ると、席から立ち上がっている左頬に傷がある男と視線があう。がっちりとした体格で、刈り上げられた焦げ茶色の髪のミスガルム騎士団第三部隊長のカルロットがそこにいたのだ。

「いやあ、悪い、悪い、つい手が出て皿を投げたら――」

「ついついって、いつもやっているのか、あんたは! 一般人に傷なんてつけたら、一大事だろ!」

 怒りが優先しているためか、フリートから出される言葉は遠慮がなかった。いつもなら上下関係を意識した上で発言しているが、今は思い浮かんだ言葉をとにかく吐き出している。

「食事をするか、体を動かすか、はっきりしろ! ……副隊長も隅で他人事のように食事をしないでください」

 フリートが肩をすくめて、食堂の隅に視線を向ける。赤い短髪の女性が、一人で席につき、パンを口の中に入れていた。そしてコーヒーを飲んで一息つく。

「あなたたちが早く帰ってこないから、隊長の苛立ちが溜まっていたのよ。それを抑え込むのにどれだけ苦労したと思っているの!」

 逆に怒られてしまい、フリートは口を噤んだ。彼の肩をルーズニルは軽く叩く。

「増援部隊、フリート君たちの隊だったんだね。良かったじゃないか、気心の知れた人たちで」

「ルーズニルさん、このこと知っていたでしょう?」

「だから知らないって」

 知らないと言っているが、言葉と裏腹に顔はにやけていた。

 もはや誰と言い争っても無駄と悟ったのか、フリートは渋々とカルロットのもとに歩いていく。それを見ると、目を光らせたカルロットがフリートの背中を強く叩いた。

「聞いたぞ、またぼこぼこにされたんだってな、しかも人間相手に!」

「……はい、何もできませんでした」

 素直に認めたフリートをカルロットは目を丸くして見た。もう一度叩こうとしていた手が、背中すれすれで止まっている。

「あの時は偶然が重なって、どうにか助かりました。しかし偶然がなければ、確実に殺されていたでしょう。それに後の戦闘でも、俺は何もできなかった……」

 突然のフリートの告白に、喧噪が静まり返る。フリートは噛みしめて、カルロットを見上げた。


「もっと強くなりたい。ですからいくらでも稽古を付けてください。どんな相手にでも、誰かを護り抜けるくらいに!」


 その内容はフリートが今まで心に秘めたまま、声に出せなかったものだった。

 彼の過去を垣間見たリディスには感慨深い内容でもある。

 彼は強い。

 決して逃げずに、前に進んでいる。

 自分の想いを前に出したことで、さらにフリートは大きな一歩を踏み出したのだ。

 カルロットはフリートの決意を聞き、口を釣り上げ、背中を強く一発だけ叩いた。

「いい意気込みだ。ますます気に入ったぞ! そうか、惚れた女を護り抜くために、頑張ろうっていう気になったのか!」

「……はい?」

 フリートの目が点になる。

 皆の視線がフリートから、セリオーヌの方に歩み寄っていたリディスに移った。好奇に溢れた視線を向けられて、リディスも目を瞬かせる。双方の考えを読み取っていた数少ない人間である、ルーズニルとロカセナは途端に顔色を変えた。

「ああ? 違うのか、フリート。この嬢ちゃんに――」

「カルロット隊長、こんばんは! すみません、話が盛り上がる前に、城からの伝達事項を先に教えてくれませんか? 自分としては非常に気になるところなんです!」

「おい、ルーズニル、今は楽しい席だぞ。そんなことはあとで――」

「すべて話してからの方が、すっきりした状態で楽しめますよ!」

 カルロットの鍛えられた二の腕を、ルーズニルは華奢に見える手でしっかり握りしめる。そして疑問符を浮かべている隊長を引きずって、食堂の外へ連れ出した。

 一方、ロカセナは唖然としている騎士たちに対し、珍しく声を張り上げた。

「お久しぶりです、皆さん! お元気そうで何よりです。僕もフリートも何一つ、体も中身も変わっていませんから、ご安心してください!」

「おい、ロカセナ。俺はもっと強くなりたいって、切実に思うようになったんだぞ。それをどうして変わっていないっていう!」

「そういう意味じゃない。お前の超が付くほどの鈍感さは何も変わっていないだろう!」

「おい、鈍感ってどこがだ。モンスターに対しての感知力は、リディス程じゃねえが、お前よりも敏感だ!」

「そんな発言しているから、鈍感だって言っているんだよ! 誰もそんな話題を出していない! これだから疲れる、そういうことに疎い人は……」

 会話を聞き、ロカセナの言いたいことを読み取った騎士たちは、呆れた顔で相槌を打っていた。周囲にもその内容を伝えていくと、瞬く間に広まり、最終的に騎士たちは同情した目でフリートのことを見ていた。

 その視線に気づいていないフリートは、ロカセナに噛みつくような口調で突っ掛かってくる。それをすべてかわし、ロカセナは大きく溜息を吐いた。

「もうその話はもうやめて、ご飯食べよう。お腹空いたよ」

 機嫌の悪いフリートの背中を押しながら、ロカセナたちは騎士たちの輪に入っていった。

 第三騎士団の二つの班と隊長、副隊長が増援として来たらしく、全部で十四人の騎士がいた。その中にリディスたちが加わったため、二十人近い団体となる。

 リディスは再び騒がしくなった男性たちを眺めつつ、セリオーヌの前の椅子に腰を掛けた。

「お久しぶりです、セリオーヌさん」

「元気そうね、リディス。あなたも大変ね、色々と」

「何がですか?」

 きょとんとしていると、セリオーヌの視線が男性の集団に向き、はあっと溜息を吐いた。

「……ごめん。貴女もそういう話に鈍感な方だとは知らなかった」

「あら、そうでしょうか。相手の感情を察しているかどうかはわかりませんが、この子ならある程度自分の中の感情については、わかっていると思いますよ」

 紺色の髪に軽く触れているメリッグが近づいてきた。

「初めまして、セリオーヌ副隊長。今回の旅にご同行させて頂いています、メリッグ・グナーと申します」

「あなたが噂の! とても的確な指摘をする、いい予言者だって、ルーズニルの手紙に書いてあったわ」

「あら、誉めすぎですわ。私は一介の予言者。それ以上でもそれ以下でもありません」

 メリッグは軽く口を押さえて笑いながら、近くにあった椅子を引き寄せて、リディスたちの前に座った。

「ミディスラシール姫が貴女のことに興味を持っていたわよ。若いのに素晴らしい予言者に、是非とも自分の未来を予言して欲しいって」

「そのようなことを言われても困りますわ。一国のお姫様の未来を予言するなど、恐れ多くてできません。それに私、個人の未来を予言するのは非常に苦手なんです。いくらお姫様でもお断りさせて頂きますわ」

「なら、メリッグさん、この半島の行く末などはわかるんですか?」

 にこにこと笑っていたメリッグの表情が一瞬固まる。目を細めてリディスを見てきた。

「そんな大層なこと、簡単にわかるわけないでしょう。……良いことを教えてあげましょうか。国や大陸などの大規模な範囲の未来というのは、一人一人の行動が積み重なって決まってくるものよ。つまり予言するとなった場合、その人たち全員の未来を予言するということに繋がるわ。――ただ、その中でもごくたまに非常に大きな影響力を持つ者がいる。たいていはお姫様などの有名な人物だけれども、普通の人間でも後々振り返ると、重要な働きをしている人がいるわ。果たしてその人物になるのかは、現時点ではわからない。だから――」

 メリッグはうっすらと笑みを浮かべた。


「後悔しない選択をするよう、日頃から気をつけなさい」


「わかりました。ありがとうございます」

 予言ではない、ただの助言。

 しかしそれは非常に印象深い言葉だった。

 周囲の喧騒がはっきり聞こえるほど、束の間の沈黙がその机を駆け巡る。水のお代わりを持ってきた店員に話しかけられて、ようやく三人は口を開いた。

 水を飲むと、セリオーヌはリディスに視線を向けた。

「ねえ、リディス、私が以前渡した魔宝珠、持っているかしら?」

「はい、もちろん。光宝珠と結宝珠、あとお守りみたいなものですよね」

「そうよ。あのね、三番目に言った魔宝珠、少し見せてくれる?」

「ちょっと待ってください」

 胸ポケットから水晶のように透けている魔宝珠を取り出した。それをセリオーヌは緊張気味に、そしてメリッグは興味深そうに見る。

「随分と面白いものを彼女に渡していたんですね」

「城を出る前から、色々とあったから」

 素っ気なくメリッグに言葉を返すと、セリオーヌはハンカチを取り出して、その魔宝珠を包み込んだ。

「一晩預かって、明日には返す。その後も何度か預かると思うけど……」

「いちいち預からなくても、そのまま持っていればいいじゃないですか?」

「それは駄目よ。リディスが極力持っていなくちゃ、意味がないの!」

「え?」

 前のりになってセリオーヌは叫ぶ。突然のことにリディスが目を丸くしていると、彼女は慌てて姿勢を戻した。そして魔宝珠を大事に胸ポケットに入れるなり、表情をころっと変えて、リディスにメニューを差し出してくる。

「好きなものを遠慮なく頼んでちょうだい。隊長の奢りだから」

 明るい笑顔で気さくに話しかけてくる様子は出会った当初と同じである。

 だが魔宝珠を渡した時の何かを考え込んでいる表情が、リディスの脳内に引っかかっていた。

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