14 重なりゆく運命

重なりゆく運命(1)

 ミーミル村を出発した荷馬車は、ミスガルム王国から出たものと比べて居心地こそあまり良くなかったが、ある一点においては目を見張るものがあった。それは強固な結宝珠によって、馬車全体が護られている点だ。

 馬車の四方と中心に結宝珠があり、それによって非常に固い結界を張っている。見た瞬間、メリッグでさえ、驚いた顔を露わにしていたほどだ。

「普通の結宝珠に意図的に力を注入された宝珠。こんな荒技をするなんて……、さすが学が発達している村、発想が豊かだわ」

 帰りもメリッグは自分が持っている結宝珠を使おうとしていたが、荷馬車の宝珠を見るなり、さっさと仕舞い込んでしまった。そして分厚い本を取り出して、それに目を落とす。

「私の力はいらないわね。トゥーナ村まで何事もなく行く。あなたたちもそう気を張る必要はないわよ」

 メリッグが自信を持って言い切るのだから大丈夫だと思い、リディスも村でスレイヤからもらった本を読み始めた。

 足を抱えて本を開いていると、銀髪が一本、ページの間に落ちた。視線を上げると、ロカセナが微笑んでいる。予想以上に近い距離にいたため、思わずほんの少しだけ後ずさった。

「何を読んでいるのかなって」

 リディスは顔を伏せて、気を紛らわすようにしてページを捲る。

「ある大樹にまつわる物語よ。面白いから読んでみるといいって言われたの」

「へえ。どんな内容のお話?」

「序盤だから詳しいことは言えないけど……。その樹の守護者たちが、枯れ落ちてしまう樹を助けるために、旅をして、樹を救う方法を探す物語らしい」

 ロカセナは目を丸くして、本をぼんやり眺める。

「それは好奇心がそそられる物語だね」

「ええ、とても面白くて、気が付けばページが進んでいるのよ。ただ、最初の部分で残酷描写が多くて、目を伏せたくなる時もあるけどね」

 読書をするということは、必然的に描写を想像することになる。文字とはいえ、生々しいものを思い浮かべると、胸が締め付けられる思いだった。

「現実世界でもレーラズの樹には守護者がいたらしいって聞いた。樹と共に消えたと言われているけど、本当なのかな?」

「それはわからない。史実と物語は、どの時代でもごちゃ混ぜにされていることが常だから」

 それ以後、ロカセナはリディスの読書を気遣ってか、話しかけてこなかった。彼は馬車の隙間から、ぼんやり外を眺めている。目を細めて、遠いどこかを見ているようだった。



 トゥーナ村に夕方に到着し、宿で一晩休んだ翌朝。ミーミル村から運んだ荷物を船に積んでいると、荷馬車を操っていた男性から、馬車についている結宝珠を三つ差し出された。リディスは断ろうとしたが、無理矢理持たされてしまう。

「馬と私を護るだけなら、二つあれば充分だ。以前、船上でモンスターに襲われたことがあると聞いた。これさえあれば余程の力を持ったモンスターが来ない限り、結界は破れないだろう」

「そうは言いましても貴方の帰りも心配ですし、何よりこれは非常に高価なもの。受け取るわけには……」

「これからミーミル村の研究の遅れを取り戻すために、何人かミスガルム城に行ってそちらの研究状況を聞くはずだ。その時の授業代として受け取ってくれれば、それでいい」

 代理とはいえ、城の人間ではないリディスが迂闊に承諾することはできない。躊躇っていると、フリートが背筋を伸ばして脇に立っていた。

「承知致しました。この件に関しては私から王や上の者に伝えておきます。皆様が訪れた際、素晴らしいおもてなしをしたいと思いますので、よろしくお願いします」

 結宝珠が入った袋が男性の手から離れると、彼はほっとした表情になった。

 リディスは平の騎士であるフリートが、勝手に王の名を出して良かったのかと心配する。しかしフリートは顔色を変えずに、その袋をリディスに持たせた。

 そして彼に背中を押されて、乗船した。碇が上げられ、船が陸から離れていく。陸地は徐々に小さくなり、やがて周囲は青い大海原のみになる。

 リディスは布袋を抱きしめて、フリートのことを見上げた。

「いいの、フリート。あんな勝手なことを言って」

「物わかりのいい国王だし、強固な結界を張る魔宝珠なら必ず欲しがるはずだ。あの方は護りに重点を置いている人だからな。だから受け取っても大丈夫だろう」

 リディスはフリートに指示されながら、結宝珠を船の三カ所に置いた。

 さらにメリッグに頼んで、宝珠を動かせられないよう、その周囲に結界を張ってもらった。触れようとすれば結界が働き、無理にでも奪い取ろうとした際には、一瞬で凍らせる仕様にしたらしい。

 相変わらず高い水準の召喚をする彼女を見て、リディスは尊敬するのと同時に羨ましくも思った。

 リディスはショートスピアを召喚することしかできない。精霊を扱えるわけでもなく、強力な結界を自ら張ることもできなかった。

 せめて他のこともできていれば、今のように還術に固執することなく生きられるのかもしれない。



 ムスヘイム領への航海は、往路と比べて大変穏やかに進んでいた。モンスターが来る気配などまったくなく、結宝珠の重要性を再認識する日々でもあった。

 リディスは毎日ショートスピアを使って、一人で体を動かしていたが、航海の三日目にはロカセナに相手をしてもらっていた。

 彼は適度に加減をしてくれるため、一定の集中力を保ちながら、動き続けることができた。時には指摘もしてくれるため、対人相手としては非常に有り難い存在だ。

 その様子をフリートは船の端でぼんやり眺めている。明け方に彼が素振りをしているのをリディスは見たが、それ以外の時間では動くつもりはないらしい。

「なあ、リディス、俺ともやろうぜ!」

 トルがウォーハンマーを手にして来るが、それをやんわりとロカセナが遮った。

「トル、昨日僕とやった時のことを覚えてないの? 周りを見なさすぎて、多くの人に迷惑をかけたよね」

「でも、リディスたちと一緒にいるの、あと少しだろ? その間に一度くらい――」

「それよりも精霊について勉強をしたほうがいいんじゃないかな。今はルーズニルさんとメリッグさんから話を聞けるけど、ヘイム町に戻ったら、それはできないだろう」

 ロカセナは口元では笑みを浮かべているが、こめかみの血管は浮き上がっている。

 昨日、ロカセナはトルの相手をしていた。だが、その際トルがウォーハンマーを振り回し過ぎたことで、船が何か所か傷ついてしまったのだ。

 さらには船員の身にも危険が及びそうになった。手合わせをしていたロカセナは、その瞬間顔面蒼白になっていた。

「私程度の人なら世の中にたくさんいるわよ、トル。無理にここでやらなくてもいいじゃない」

「俺、女で槍を使う奴と初めて会ったんだ。どんな動きをするかは、手合わせしないとわからないからさ。何事も経験だろう?」

「でもね、時として体を動かしてはいけない環境っていうのがあるのよ。――そうだ、時間ができたら、ミスガルム城にいるフリートたちに会いに行けばいいのよ! そうすればカルロット隊長とも会えるでしょう? 隊長ならきっと喜んで相手をしてくれるはずだわ」

 ロカセナに同意を求めると、躊躇いながらも返事をされた。

「……かなり喜ぶだろうけど、トルが動けなくなるほどしごかれるのも目に見えているよ……」

 ロカセナが目を泳がしている。紹介した直後、思わずリディスは後悔してしまった。

 彼の言い分は間違っていない。あの人が相手になったら、トルはその後数日間満足に動けなくなるのは確実である。フリートの稽古など可愛いと思える、大変な日々が待っているだろう。

 だが、カルロットのことを知らないトルは、二人の言葉を聞いて、目を輝かせていた。

「そんな奴がいるのか。すげえな、ミスガルム騎士団は! 暇をもらえたらすぐに行くから、待っていろよ! リディスともその時相手をしてもらうからな!」

「どうしても私とやりたいの? さっきから言っているけど、私の力なんてたいしたものじゃないって……」

「俺はお前に魅せられたんだ。努力している姿ほど素晴らしいものはねえって、聞いたことがあるぜ」

 不意打ちすぎる言葉を受けて、リディスは思わず固まった。


 初めて言われた、「魅せられている」――と。


 気恥ずかしさと、嬉しさが心の中で入り混じる。

 トルがリディスの様子を見て、きょとんとしていた。視線を少し逸らして、口を開く。

「あ、ありがとう……」

 口をもごもごとしつつ無難な言葉で返した。

 ふと、甲板に出てきたルーズニルがトルを呼ぶ声が聞こえてくる。トルは足先を声の方に向け、「約束だからな」と発してから、ルーズニルの元へ走っていった。

 怒濤のように去ったトルを見届けると、リディスは息を吐き出して、口元に笑みを浮かべた。トルと会話をすると、自然と気分が上向きになる。

 リディスは船の縁に背中を付け、白い雲が広がる空を眺めた。

 ふと一人の青年の顔が浮かび上がってくる。最近は幾分表情も柔らかくなった青年だ。

「……ねえ、ロカセナ、フリートのこと、どう思っている?」

 歩み寄ってくる銀髪の青年に、ふと疑問に思っていた内容を投げかける。

「どうしたの、突然?」

「何となく……ね。ずっと一緒にいるから、ロカセナはどう見ているのかなって」

「――凄い人だなって思う。自分と比べては失礼なくらい」

 ロカセナはリディスの横に来ると、海の方を眺めた。

「フリートは同期の中では色々な面で優れていたから、比べるのは本当に馬鹿馬鹿しいんだけどね。それにも関わらず比べてしまったのは、人間の習性なんだろう」

「有名だったんだ、フリート」

 ロカセナは軽く頷いた。リディスは空から視線を下げて、横目でロカセナに視線を向ける。

「騎士見習い時代は座学の勉強や試験もあった。小さい頃から教養を受けていたフリートは、座学ではだいたい一番の成績。さらに剣術に関しては、見習いを終える頃には、並の騎士なら対等に相手ができるほどの実力を付けていたと言われている。才能があったとは聞いたことがないから、フリートは努力したんだろうね」

 海から視線を上げ、ロカセナはリディスの顔を見た。そして悪戯っぽく微笑む。

「あの頑な過ぎる性格は、おそらく自分自身に厳し過ぎるからじゃないかな。それがつい他人にも向いてしまうんだよ。僕にはできないな、そこまで厳しく自分を律するなんて。本当にフリートは努力する才能に恵まれた人だ」

「努力することが才能? 努力なんて誰だってできるじゃない。目標を持って、それに向かって突っ走ればいいんだから」

「そうだね。でもね、突っ走った結果、果たしてそれは実を結ぶものなのかな? 何度も努力したけど、いい結果が出ない人も世の中にはたくさんいるんだよ。リディスちゃんが出した言葉は、努力が実った人しか言えない台詞だ。……羨ましいね」

「努力したからって、私も必ず結果を出せたってことはないよ。槍術も還術も中途半端。もっと優れた人は世の中にたくさんいる……」

 その時、空に雲がかかった。リディスはロカセナの顔を見たが、ちょうど彼の表情が影によって見えなくなっていた。


「――リディスちゃん、自分の口から否定的な言葉を出してはいけないよ。最後に力になるのは、自分の想いだけなんだから。それと他人と比べるのもやめた方がいい」


 雲が通り抜けていくと、微笑んでいるロカセナの顔が視界に入った。

「生きる目的やその人に適したものは、人によって違う。なのに比べるのは変じゃない? ――リディスちゃんは、まだ自分の適したものが見つかっていないだけだよ。でもいつかわかることだから、焦らなくてもいいと思う」

「……そうだね」

 ロカセナの言葉が心に重く、深く響いてくる。胸に軽く手を置いて、言葉を噛みしめた。

「……そういえばロカセナの目的って、ある人を探しているんだよね。見つかりそうなの?」

 ロカセナは軽く瞳を伏せてから、薄茶色の瞳でリディスのことを見てきた。


「そろそろ出会えそうな気がするんだ。ただの予感だけど」


「本当? それは良かった。ねえ、その人と会えたら、ロカセナはどうするの? 騎士団をやめるの?」

「どうしようかな。その状況になったら考えるよ」

 言葉はあいまいだったが、彼の瞳の色は既に意見を固めているようにも見えた。

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