還術と精霊(4)

 * * *



 それは直接心の中に侵入してくるような感じだった。気持ち悪いという感情が第一だったが、風が吹き抜けるような感覚でもあり、ほんの少しだけ心地よくも感じた。

 しかし、次第にそれ以外の想いが溢れ出てきた。

 苦しい――と。

 今まで気づかなかったが、リディスの心の中には触れてはいけない部分が存在しており、シルはそこに近づこうとしていた。途端に全身に痛みが走り、拒絶反応が起こる。

 なぜ触れてはいけないのか、本人であるリディスさえもわからない。

 だがとにかくそこは、何もせずそっとしておくべきなのだ。


 固く閉ざされた扉――侵入してはならない場所。


 リディスが拒絶したからか、シルから伸ばされた手はすぐに消え去った。それでも今まで感じたことのない痛みによって、意識は遠のいてしまう――。

 最後に脳裏によぎったのは、無言で圧力をかけてくる重々しい扉だった。



 * * *



 リディスは気を失ってから数時間後には目覚めたが、肩には重い何かが伸し掛かっているかのような感覚があった。スレイヤたちにおおいに心配されたが、作り笑顔で誤魔化している。

 その後、出発する支度も終わり、村を離れる日となった。帰りはトゥーナ村まで出て海上を船で移動。ムスヘイム領を経由して、ミスガルム領に戻る。

「またモンスターに襲われたりしないかしら」

 出発する前に不安げな表情でリディスは言葉を漏らす。往路ではリディスに焦点を当ててモンスターは襲ってきた。たとえ傷つけられないとわかっていても、多少なりとも怖いという思いはあった。

 胸元辺りの服をぎゅっと握りしめる。そこには大切な魔宝珠の源の欠片があった。これからは火と風の二種類を守らなければならない。

 沈痛な面持ちでいると、ルーズニルは横から、さらりと言葉を述べた。

「言い忘れていたけど、ムスヘイム領に行けば増援と合流予定だから、安心して」

「合流って、早くないですか!? 私たちがムスヘイム領を離れてから、十日ぐらいしか経っていませんよ……」

「当初から予見していたんじゃないかな、色々なことが起きることを。報告のために伝書鳩を飛ばしたら、その返信もすぐに来たし。さすがにミーミル村まで来るのは時間的にも厳しいから、ムスヘイム領で合流することになった。騎士団の選りすぐりを何名か寄越すらしい」

「選りすぐり……何か嫌な予感がする」

 フリートの顔がひきつった。ロカセナは微笑んでいるだけで、特に表情を変えようとはしない。

「誰が来るんですか?」

 リディスは何気なく聞いたが、ルーズニルは首を傾げるだけだった。

 ルーズニルの話を受けると、ムスヘイム領までの航海を乗り切れば、その後の危険度は大きく減少するということだ。鬱々とした気持ちも少しは晴れた状態で、リディスたちは村の入口に移動する。

 スレイヤはルーズニルの横でひたすら喋り続けていた。道中の無事を願う言葉も多々入っている。彼は何度も頷きつつ、「大丈夫だよ」を連呼して、彼女を落ち着かせた。

 話がひと段落すると、今度はリディスの元にスレイヤは寄ってきた。

「毎日しっかり稽古するのよ」

「やりますよ。常に流れを意識して、動くようにします」

「昨日少し見たけど……、昔よりはキレが出ていて良くなっていたわ。自分の力に過信せず、常に上を目指しなさい。――これからどんなことがあるかわからないけど、自分自身は決して見失わないで」

「わかっています」

「それと――」

 耳元に顔を寄せて、後ろにいるフリートとロカセナに聞こえない程度の小さな声を出した。

「どちらかと関係が進んだら、ちゃんと連絡しなさいよ」

「ス、スレイヤ姉さん……!」

 不意打ちに出された言葉を受け、リディスの頬はかっと赤くなる。胸の鼓動も一気に速くなった。顔を離したスレイヤはにやけながらリディスを眺めている。

「可愛い妹弟子から、明るい話題を聞けることを楽しみにしているわ」

 満面の笑みでリディスからの追求をやんわり受け流した。そして再び兄の方に寄っていった。

「リディス、どうした?」

「リディスちゃん?」

 黒髪と銀髪の青年が不思議そうな顔を向けてくる。今、まさに話題に出てきた二人に話せる内容ではない。

「な、何でもないわよ!」

「そうか? おい、頬が赤いぞ。また熱でも出したんじゃないか?」

 フリートが何気なく顔に手を伸ばそうとする。だがそれを振り払い、逃げるようにしてリディスはその場から離れ、ヴァフス兄妹の輪に入っていった。



「なんだ、あいつ?」

 リディスが去ったあとには、呆然と突っ立っているフリートと、溜息を吐くロカセナが残っていた。

「どうした、ロカセナ。何か心当たりでもあるのか?」

「……フリート、迂闊に女性に触れるものじゃないよ」

「だって異常に赤かったぞ。熱を出して倒れられたら、こっちが迷惑こうむるだろう!」

「それはそうだけど、リディスちゃんは一度した失敗を繰り返すような子じゃないでしょう。……何も察せられない、残念な男だね。あまりにも鈍感で本当に気付かないのなら、僕が横から取っていくから」

 ぼそっとロカセナは呟くと、少し速めに歩いて、リディスの後ろにつく。そして三人の話に耳を傾けていた。

 ロカセナの言葉を聞き、フリートは眉をひそめながらさらに首をひねる。

(意味が分からねえ。この前トルにも溜息吐かれたばっかりだ。リディスに対して、何かいけないことでもしているのか?)

 リディスに振り払われた手を訝しげに見て歩く。まもなくミーミル村の出入り口に到着した。門の周りには数名の村人たちが立っていた。

 その光景を見て目を瞬かせていると、少女が二人、スレイヤに向かって駆け寄ってくる。以前、フリートがスレイヤと共に商店街を歩いている時に会った姉妹だ。

「あら、どうしたの?」

「あのね、村を助けてくれたお兄ちゃんとお姉ちゃんたちが、行っちゃうって聞いたから……」

「きいたから……」

 すぐ隣にいたリディスはスレイヤと顔を見合わすと微笑みあった。リディスはしゃがみ込んで、少女たちと視線を合わせる。

「こんにちは。スレイヤさんのお友達のリディスです。私たちのことを言っているのかな?」

 姉妹はリディスの髪の毛をじっと見つめ、こくりと頷いた。

「うん、金色の髪の綺麗なお姉ちゃんたちって聞いた」

「きれいなかみのおねえちゃんたち……」

「どうもありがとう」

 あれだけ髪の色を嫌がっていたリディスだが、今の言葉を聞いた彼女は嬉しそうだった。

 おどおどしていた姉妹は、やがて妹が一歩踏み出すと、握っていた花を差し出してきた。姉もつられて花をリディスの前に出す。

「私たちに?」

 目を丸くしているリディスに姉妹は笑顔で首を縦に振った。


「村を護ってくれたお礼です」

「おれい!」

「それと旅の無事を祈って。花を贈ると良いって言われているんです」

「ぶじを!」

「だから良かったら……」


 口元を緩めてリディスは二人の手から可愛らしい花束を受け取った。

「ありがとう、二人とも本当にありがとう」

 簡単な言葉だったが、彼女自身の想いを表すには充分だった。花を渡した姉妹は、若干強ばった様子からほっとした安堵の表情に変わる。

 後ろから大人たちが寄ってくると、それぞれが手に持った布袋を差し出してきた。

「良かったら持っていってくれ。携帯用の食事や飲み物が入っているから」

「海の上は寒いと聞きました。毛布もあるから、使ってください」

 次々と差し出される袋は十近くもあり、どれもがぎっしり物が詰まっている。

「こんなに……!」

 リディスは驚きつつも手を伸ばして布袋を受け取ろうとしたが、フリートはそれに対して待ったをかける。

「全部持てない。選んでいけ」

「あ……。そのとおりね……」

 しょんぼりとするリディスを気まずそうに見つつ、フリートは袋の中身を確認しようとする。だが手を付ける前に、ルーズニルが手でそれを制した。

「全部持っていっても大丈夫だよ。ほら、聞こえるだろう、馬を引いてくる音が」

 門が開かれると、馬を二匹繋いだ荷馬車が現れた。村長がフリートたちの前に歩み寄ってくる。

「これからトゥーナ村に行く予定の荷馬車だ。良かったら乗っていってくれ」

「本当にその村に行く予定なのですか?」

 ヨトンルム領は個々の村で独自に発展している。基本的に他の村とも交流がないはずだ。

 不思議に思って尋ねたが、村長は微笑んでいるだけで、それ以上の返答はなかった。

「皆さん、それらは荷馬車に乗せてください」

 スレイヤが号令をかけると、布袋を持っていた人々はいそいそと積み始める。その一部始終をフリートたちは呆気に取られて見ていた。

「ずっと誰かのために何かをしたかったのよ。それが表に出ただけ」

 そしてスレイヤは満面の笑顔をフリートたちに向けた。

「今回は本当にありがとうございました! 閉じていた村の想いを解放して頂き。これでようやく前に進むことができます。この村で得た知識を積極的に広めていきますね!」

 彼女はリディスに一歩近づき、軽く両手を胸の前で握りしめた。


「リディス、そう遠くない未来、この村ではレーラズの樹にまつわる様々なことが解明されるわ。きっと還術についても明らかになるはずよ。だから不自由なく還術ができる日が必ずくるから、安心して待っていなさい」


「ありがとうございます、スレイヤ姉さん」

 それは何も根拠がない、ただの憶測から出た言葉。

 だがスレイヤや他の村人たちの変わりようを見ていると、少しは期待してもいいのかもしれない。それほど前に進もうとする人たちの想いは強いのだ。

 物資の積み込み終えると、次に人が乗る番となる。トルやメリッグはさっさと乗り込み、リディスとルーズニルは親しき友人であり、妹のスレイヤと最後の別れの言葉をかわす。

「ごめん、また一人にさせて……」

「大丈夫よ。村の皆がいるから。それにもうすぐあの人、戻ってくるみたい」

 スレイヤの頬がほんのり朱色に染められる。その様子を見たルーズニルの顔には、ほんのり陰りが見られた。幸せは願っているが、兄としてはまだ自立ができていないのかもしれない。

「スレイヤ姉さんも元気で。手紙書きますね」

「ええ、また来てね。私も護り人の役目が終わったら、還術士に復帰して会いに行く。覚悟していなさい、またたくさん稽古をつけてあげるからね」

 そして視線がフリートとロカセナの方に向かれた。

「兄さんやリディスをお願いします。無事に城に帰れるよう、祈っていますので……」

「ありがとうございます。しっかりお守りして行きますので、安心してください」

 フリートの言葉に同意するかのように、ロカセナも頷いた。スレイヤに手を差し出されると、それを握り返す。細身ではあるが、しっかり肉付きされた、戦闘の渦中に踏み入れたことがある手だった。

 フリートが最後に荷馬車に乗り込むと、ゆっくり走り始める。

 リディスは中から身を乗り出し、手を振って見送っているスレイヤに応えるよう手を振り返した。徐々に小さくなっていくが、彼女たちの姿はまだ見える。だが下り坂に入ると、スレイヤや村の姿はあっという間に見えなくなった。

 リディスは手を振るのをやめて、馬車の端で足を抱え込むように座り込んだ。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見える。フリートは何も話しかけずに、彼女からそっと視線を逸らした。

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