還術と精霊(3)

 ヴォルの部屋から出たリディスの顔色は、あまりいいものではなかった。肩を落としているのが、後ろを歩いているフリートでもよくわかる。彼女の脇では、慰めるかのようにロカセナが優しく語りかけていた。

 第三者の人間がリディスに対し、意図的に恐ろしい光景を見させているかもしれないと言われて、動揺しないはずがない。フリートでさえ顔には出さないようにしているが、非常に驚いている。

 なぜ、リディスのみに、そのようなことをするのだろうか。

 彼女に恨みでも抱いている者がいるのだろうか。

 そうであった場合、その理由を考えると、さらに謎が深まったとしても過言ではない。

「ああ、そうだ、トル君」

 ルーズニルが立ち止まり、先頭にいたトルに呼びかける。トルは目を瞬かせて振り返った。

「精霊に関して研究をしている人がもう少し上の階にいるけど、話を聞いていく?」

「本当っすか!? あ……でも、俺が理解できる範囲じゃねえと……」

「教師を副業にしている人だから、そこら辺は大丈夫だと思うよ。――リディスさんは、家に戻る?」

 リディスの顔色を伺ってルーズニルは尋ねたが、彼女は首を横に振った。

「いえ、私も話を聞きたいです。滅多に聞ける内容ではないですから。お願いします」

「わかった。長居はしないつもりだけど、辛くなったら言ってね」

 リディスは軽く頷き返した。


 ルーズニルはさらに階段を上り、頂上にある天体を観測する階の真下にある、外との隔てがない階に来た。窓や壁などなく柱のみで支えている場所で、爽やかな風が吹き抜けていく。この場所を一周すれば村を一望できそうだ。

 ルーズニルはその階を歩き回ると、端で外を眺めている青年を見つけた。薄茶色の髪が静かに揺れている。トルは二十代後半の青年を胡乱げな目で見た。

「なあ、知識人じゃねえのか? 精霊に詳しい奴っていうのは」

「もちろん立派な学者さんだよ。ミスガルム城にも何度か講義に行ったことがある人。それが彼」

「嘘だろ。ただのそこら辺の兄ちゃんじゃねえか!」

 トルが悪態を吐いた次の瞬間、彼の右頬脇を何かが高速で通り過ぎていった。頬から血が一筋流れる。

「へ……?」

 唖然としていると、薄茶色の髪の青年はルーズニルたちの方に顔を向けた。どこかで見たことがある、優しそうな顔。彼はフリートたちを一瞥すると、腰に手を当てて、足下に視線を落とした。

「こら、シル、何をやっているんだ。客人だろう」

「だって、ケル兄の悪口を言う人がいるんだもん!」

 幼い少女の声がどこからともなく聞こえてくる。青年の足元の空間が、うっすらと歪んでいた。

「シル、悪気があって言ったわけじゃなさそうだ。顔を見せてあげなさい」

 歪んでいた空間に風が集まり、小さな竜巻が発生する。それはすぐに消え、そこから緑色の髪を一つにまとめた小さな女の子が現れた。

 他の人にも見えるようになったことを青年は確認すると、少女を連れてフリートたちに近づいてきた。後ろでにこにこしているルーズニルをちらりと見る。

「久々だね、ルーズニル。元気だったかい?」

「久しぶり、ケルヴィー。元気は元気だけど、一昨日の戦闘でちょっと疲れたかな」

「あれを還したのはルーズニルたちだったのか。ちょうど家に帰っていたから、塔に駆けつけた時は遅くて、既に事が終わっていたよ。あの事件では本当に助かった。ありがとう」

「実際に場を納めてくれたのは、スレイヤや彼女たちなんだ……。良かったら彼らに自己紹介して」

 ルーズニルがフリートたちを前に押し出すと、ケルヴィーは髪の色も容姿も違う五人の若者を見た。

「先日はありがとう。初めまして、ルーズニルの友人のケルヴィー・ドナウって言います。この子は風の精霊のシル。人見知りが激しいけど良い子だから、仲良くしてあげて欲しい」

 その自己紹介を聞くと、誰もが驚き、目を丸くしていた。

「精霊が見える……っていうか、愛称で呼んでいる?」

 トルは皆が抱いていた言葉を漏らす。シルは口を尖らせて彼を睨みつけた。

「ケル兄、あいつ、むかつくから追い出していい?」

「落ち着きなさいって。珍しいだけだろう、シルのような精霊に会うのは」

「でもあいつ、精霊には会ったことがあるみたいだよ。生意気に加護も付いているし。ただ、振り回されてばっかりだけどね」

「何だと!?」

 トルが全面に怒りを露わにしたが、シルはたじろぎもせず、むしろ果敢に立ち向かっていく。

 お互いに睨み合っていると、トルの足が突然床から離れた。間抜けそうな表情で自身に起こっている光景を見つつ、すぐに驚きを露わにする。

「ちょっ、ちょちょちょ! どうして浮かんでいるんだ!?」

 シルの瞳がより濃く色付いている。隣でケルヴィーは頭を抱えていた。ルーズニルは苦笑いをしており、メリッグはさらりと酷い言葉をこぼす。

「たまにはいいと思うわ。お灸を吸えてやりなさい、風の精霊さん」

「メリッグ、何を言いやがる!」

 シルの口が大きくにやけた。見る見るうちにトルは浮かび上がり、勢いよく柱に向かって飛ばされた。柱に衝突すると思い、リディスが思わず目を手で覆おうとしたが、トルは柱の前でぎりぎり止まる。

「こ、この精霊ごときが!」

 顔は強ばっているのに、強気な発言をする。それをよく思わなかったシルは手を掲げた。トルはさらに浮かび上がる。そしてぐるぐると空中を周り始めた。

「な、な、な、何を――……」

 最初は憎々しい言葉をさんざん並べていたが、回転数が上がると、トルの声は小さくなり、いつしか半分白目を剥いている状態になった。

「こら、シル、やめなさい!」

 ケルヴィーが慌てて止めに入ると、不満そうな表情でシルはトルから視線を逸らす。そして激しい音をたてて、彼は床の上に落ちた。

 リディスが血相を変えて駆け寄った。呻き声は上げていたが、見た感じでは命に別状はなさそうだ。

「すまない、シルが失礼なことをして。でも精霊は自尊心が高い子ばかりだし、召喚者に対して忠誠心が強いから、迂闊な言葉を出さないことは基本だよ」

 ケルヴィーの肩の上に乗っているシルはむすっとした顔をしている。リディスは立ち上がると、ケルヴィーとシルを交互に眺めた。

「かなりの精霊の使い手なのですね」

「いや、すごく懐かれているだけだよ。精霊は人前には滅多に顔を出さないけど、この子は例外で」

「そうだったのですか。……あ、すみません、自己紹介がまだですね。初めまして、リディス・ユングリガと申します。今、倒れているトル・ヨルズが最近精霊を召喚できるようになったので、それに関して助言をして頂こうと思ったのですが……無理そうですね」

「リディスさん……? ああ、クラルが言っていたお嬢さんね」

 ケルヴィーが出した名前を聞いて、リディスは目を丸くした。フリートはリディスたちに近づきながら、口を開く。

「失礼ですが、クラル隊長とはご親戚か何かで?」

従兄弟いとこだよ。おれのほうが二つ下。最近クラル、偉い役職に就いたから会えてないけど、昔はよく会っていた」

「……クラルのお兄ちゃんに会いたい」

 ぼそりとシルが呟く。ケルヴィーは彼女の頭を優しく撫でた。

「また会いに行こうな。――それで精霊に関することだけど……、おれくらいとは言わないけど、召喚者と精霊の間で信頼関係を深めなければ、おそらく今後も高度なものは使えない。あとはどれだけその精霊に認められたかということも重要になるだろう。それらがある一定の水準を超えて、ようやく自由自在に召喚できるようになる。物体召喚も慣れ親しんだものを召喚するのならすぐに出せるけど、慣れていないものだったら遅いはずだよ」

「たしかにその通りですね。あとで彼にも伝えておきます。ありがとうございます」

 隣で完全に気を失っているトルを、リディスは苦笑して見下ろした。

 ふとシルが体を乗り出して、リディスのことをじっと見つめていた。瞳の色が再び濃くなりつつある。

「……不思議な人」

「どうした、シル?」

「火と風が共存している。けど根本は土? 精霊の気配が三種類以上もある、変な人」

 リディスは不思議な発言をしたシルを、目を瞬かせながら見ている。

 シルも視線を逸らさず、お互い見つめ合っていると、リディスの体が不意によろめいた。それをすぐ近くにいたフリートが支える。リディスの呼吸は異常なまでに速くなっていた。


「違う。根本はもっと大きなもの。大地の端々まで伸びている根のようなもの。初めて会った。あなたはいったい、誰?」


 リディスは苦しみながら、胸の辺りをぎゅっと握りしめる。

「知らない……! やめて、やめて! お願いだから、それ以上探らないで!」

 視線をシルから逸らし、体を縮こませる。フリートはリディスとシルの間に入るようにして、自分の体を移動させた。それでも彼女の辛そうな表情は変わらない。

「シル、やめなさい! すぐにやめなさい!」

 ケルヴィーがシルに近づき、慌てて彼女の能力を抑え込もうとする。

 だがその前にシルは瞼を閉じた。するとぐったりしたリディスは、フリートに全身を委ねてきた。どうやら気を失ったようだ。

「シル、なんてことをするんだ! 人がどんな種類の精霊の加護を受けているかを見るのは構わない。だがそのまま心の中まで探っては駄目だろう! 相手への負担が大きすぎる!」

「……ごめんなさい。だってすごく気になったから、とても珍しい人の心の中。けど結局は閉じられていたから、何も見えなかった」

「閉じられていた? そんなはずはないだろう。人の心はどんなに奥底に記憶を埋めても、必ずどこからか漏れ出す。それが見えなかったのか?」

 シルの言葉を聞いたケルヴィーが眉をひそめる。静観していたメリッグは、リディスに近寄り腰を下ろすと、彼女の顔を覗き込んだ。

「誰かが意図的に閉じさせたのかもしれないわ」

「メリッグ、もう少し分かりやすく教えてくれないか?」

 抽象的な発言が多く、フリートの脳内では処理しきれていない。

 だが、メリッグはフリートの言葉に耳を傾けることなく、逆に質問し返してきた。

「ねえ、この娘、出身はどこか知っている?」

「シュリッセル町だろう。そこの町長のオルテガさんが父親だぞ」

「母親は?」

「……亡くなったらしい、物心が付く前に」

「ふうん、つまりリディスの記憶には無いってことね」

 鋭い目がさらに細くなる。メリッグは立ち上がり、フリートたちに背を向けると、一人で階段の方に歩いていった。

「この村から出るまで、別行動させてもらうわ。夜には戻るわよ」

「あ、ああ。気を付けろよ」

「……水の精霊ウンディーネ使いのお姉さん」

 フリートの近くにいたシルがぽつりと呟く。

「あなたの精霊はいつも必死。だからあまり無茶はさせないで」

「ご忠告ありがとう、風の精霊さん」

 背中越しから軽く手を振る。そして彼女は規則正しい間隔をあけながら、階段を下りていった。

 場の空気が途切れたところで、フリートはリディスを両手で抱え上げた。

「もっとお話を聞きたいですが、またの機会にさせて頂きます」

「そうだね。起きたら言ってくれ。シルが本当に申し訳ないことをしてしまい、すまなかったと。少し心に負荷がかかっているかもしれないから、気をつけてあげて」

「わかりました。……そういや、トルはどうしようか」

 ちらりと見たが、未だに目を覚ます気配はない。リディスくらいの体なら持ち上げられるが、自分より体格のいい彼を持ち上げるのは至難の業だ。

「僕、しばらくケルヴィーと話してから帰るから、そのままにしていて大丈夫だよ。起きたら一緒に帰る」

「ありがとうございます、ルーズニルさん。ではお先に失礼します」

 フリートとロカセナはケルヴィーとシルに頭を下げてから、階段を下りていく。その様子をシルはじっと見つめていた。

「リディスちゃん、大丈夫かな」

「寝て起きれば大丈夫だろう」

 腕の中では無防備な状態で目を閉じている。だが若干眉がひきつったままなのは、気になる点だった。

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