還術と精霊(2)

 * * *



 翌日、リディスはフリートとロカセナ、そして同行したいと言ったトルとメリッグを連れて、ミーミル村の中心部にある塔に上っていた。本来なら塔の上層部は村人でないと行けないが、スレイヤを通して村長から許可をもらっていたため、難なく入ることができた。

 塔の入り口では所々戦闘の跡が残っている。あと少し遅ければ多数のモンスターの侵入を許し、風の魔宝珠だけでなく、上にいる知識人たちにも被害が及んでいたかもしれないと思うと、恐ろしくなった。

 螺旋状に伸びている階段をリディスたちは足を踏み締めながら進んでいく。踏み間違えれば真っ逆さまに落下する危険性があるため、注意深く進む。

 息が上がりそうになったところで、四階に辿り着いた。二、三階は議論を交わしている部屋が多く、騒がしかったが、四階はそれと比べて静まり返っている。

「四階以上は個室を持って黙々と研究している人ばかりだから、静かなんだよ」

 説明された方に振り返ると、ルーズニルが小さな布袋を持って階段を上りきっていた。

「昨日はヴォル様に会えなくて、お土産を渡せられなかったんだ。一緒に行ってもいいかい?」

「構いませんよ。むしろ歓迎します。私たちだけではどう相手をすればいいか、心配な部分もありますので」

 女の身でありながら、モンスターを調べるために単身半島中を歩き回っていた、たくましい女性。さらには気まぐれで、話す相手を選ぶ彼女に対し、リディスたちだけで上手い言葉が出せるとは思えなかった。

「それに関しては大丈夫だよ。なかなか会えないけど、いい人だから」

 ルーズニルは階段の踊り場とは正反対の場所に進み、廊下にまで物が溢れ出ているドアを指した。かなり粗雑な筆記体で部屋の主の名前が書かれている。

 彼に促されて、そのドアをリディスは軽くノックしたが、何も返事はない。何度か繰り返すが同じだった。

 ドアノブに触れると意図も簡単に回る。視線をルーズニルに向けるとにこりと微笑んでいた。リディスは恐る恐るドアを引いた。

「こんにちは……」

 挨拶をしてから中に入ると、大量に積まれた本たちが出迎えてくれた。自由に歩ける空間などないため、どうにか道となっている部分に足を忍ばせる。

 まるで本で作り出された迷路のようだ。少し触れただけでも崩れる可能性がある。

 細心の注意を払いながらリディスは進んでいたが、次の瞬間、背後から激しい音と共にトルの悲鳴が聞こえた。

「うわああ!」

 振り向くと一番後ろにいたトルが無惨にも本の波に溺れている。慌てて近寄ろうとしたリディスだが、その腕をフリートはとっさに握った。

「たいした量じゃない。勝手に墓穴を掘ったんだ。自分で這い出させろ」

「でも――」

「そこの黒髪の兄ちゃんの言うとおり! 勝手に入ってきて、わしの芸術作品を壊した奴など放ってゆけ!」

 どこからともなく聞こえた、しわがれているが、はっきりとした物言いの女性の声。

 視線を進んでいた方の少し上に向けると、胡座あぐらを組んだ一人の老婆がふわふわと浮かびながら、リディスたちに近寄ってきた。

 唖然としてその様子を眺めていると、ある程度の高さまで来たところで華麗に床に着地した。老婆は白い髪を適当に一本に束ね、古びた服を着ている。腰は曲がっているが、眼孔の鋭さを見ると思わず後ずさりそうだ。

「貴女がヴォル様ですか?」

「そうじゃ、そのつもりでこの部屋に来たんだろう。他に誰がおる。……お主ら、村の者ではないな」

 鋭さが更に増す。これは部外者には会わないという暗黙の圧力だろうか。

 ルーズニルはリディスのすぐ脇まで来ると、にこやかに挨拶をした。

「ヴォル様、ルーズニルです、お久しぶりです!」

「おお、ルーズニル、お前も懲りずに連日来るのう!」

「その台詞……もしかして昨日僕が尋ねて来たのに、出てきてくれませんでしたね?」

「集中して本を読んでいたから、気づかなかったのじゃろう。ぼちぼち論文も書かなければならない時期であるし」

 ヴォルはほっほっほと軽快に笑う。そして改めてリディスたちを見て、ニヤリと笑みを浮かべた。

「不思議な集団じゃな。火に水までおる。しかも還術をしているからか、モンスターの臭いまでする」

 目を大きく見開いた。自己紹介をしていないのに、リディスたちのことを言い当てている。ヴォルには何か特別な力でもあるのかと思ったが、すぐにそれは違うとわかった。

「世の中で大切なのは観察力じゃよ。あれだけ夜にどんぱちしていれば、誰だって中から外の様子を覗くわ」

 溜息を吐かれながら、窓を指で示す。

「わざわざ遠いところから来たのじゃろう。話くらい聞いてやろう」


 ヴォルに促されて、部屋の奥に連れて行かれる。そこには非常に大きな木の机があり、周囲には少しだが身動きがとれる空間があった。

 机の上にまで大量の本が積まれ、書きあぐねられた紙まで散乱している。ヴォルがその紙を適当に集め、引き出しに入れるとようやく机の木目が見えた。

 ヴォルはリディスたちに近くにあった丸椅子に腰を下ろすよう言うと、自分も大きなゆったりとした椅子に座りこんだ。

「村人でない者を見るのは久々だ。しかも各地から来た人ばかりじゃないか。珍しいことだ」

 トルやメリッグの肌の色を見比べて、含み笑いをした。リディスの髪の色もじっと見る。

「お嬢ちゃん、どこかの有名な貴族じゃな?」

「有名かどうかはわかりませんが、ミスガルム領のとある町を治めている貴族の娘です」

「つまりそっちの領じゃ、それなりの地位を持っているということじゃな。わしが今まで会った金髪の女子おなごは、お前さんも含めて非常に身分の高そうなお嬢ばかりだったわ。親父さんもさぞ綺麗な色をしているのじゃろう」

「いえ、父は金髪ではありません。母に似たらしく、とても綺麗な金色だったと聞いています」

 色恋沙汰に疎いオルテガでさえ、一目惚れしたほどの美しさだったようだ。

「良かったのう、いい遺伝子を受け継いで。……さて、それで何の用じゃ。わしだって忙しい。今回は村を護ってくれた人ということで会っているだけじゃ」

「では単刀直入にお聞きします。ヴォル様はモンスターを還した際に副作用が起こるという、お話を聞いたことはありますか?」

 肘を付いて聞いていたヴォルは、リディスを横目で見た。

「それだけではよく分からないな。もっと具体的に言ってくれぬか?」

「失礼しました。詳しく言いますと、モンスターを還した直後に、脳内に甲高い悲鳴や血に溢れた光景が広がるというものです。あまりに見るに耐えない光景で、かつ頭痛も起こるため、どうしてもその後の動きが鈍くなってしまい……」

「つまり連続して還すのは難しい、という状況になるわけじゃな」

「……はい」

 リディスは視線を下げ、ぎゅっと拳を握りしめる。

 意識して思考を止めることができれば、体を動かせるようにはなっていた。

 だが、その行為を嘲笑うかのように、最近見る内容はさらに生々しくなっていた。

 ヴォルは眉をひそめつつ引き出しを開き、おもむろに大量の紙を取り出す。そして無限にインクが出てくるペンを召喚すると、リディスのことを鋭い目で見据えた。

「いつからだ」

「二か月くらい前ですね。私が実家にいる時でしたから」

「その前に何か特別なことはあったか? 普段しないことでもしたか?」

「そうですね……その前日に町の近くにある結宝珠を取りに行きました」

「その時のことをすべて話せ。それに関連する、数日前のことも含めてだ」

「わかりました」

 フリートとロカセナも同行した経緯があったため、彼らの出会いからすべて話した。順序立てて詳細を言っていく。

 特に初めて異様な光景が入り込んできた、モンスターを還した前後のことは、リディスが把握し切れていない点まで突っ込んで聞いてきた。質問を返せるものは返したが、あまりに細かいところは返答に窮してしまった。

 そのような質問は長々と続き、やがてミーミル村に辿り着いたところまできた。

「ミーミル村に来て、還したか?」

「何度か。先日のモンスターの強襲前に井戸から出てきたサハギンと、強襲中に遭遇したモンスターを数匹です」

「それぞれの戦闘での症状は?」

「強襲時は先ほど話した通りの光景が入ってきましたが、戦闘に集中しすぎていたためか、いつもよりは楽でした。ですが、サハギンとの戦闘では何も起こりませんでした」

 ヴォルは手を止めた。既に事実を教えられていたフリート以外は、リディスに視線を向けてくる。

「リディスちゃん……それ本当?」

 ロカセナが大きく目を見開いている。

「ごめん、ロカセナには先に言おうと思っていたんだけど、ばたばたしていたら言う機会がなくて……」

「いや、それは構わないけど、一人で村の中を歩いていたの? 僕がいない時に?」

「心配になって、フリートを探していたのよ。ルーズニルさんに言っておいたけど、聞いていないみたいね」

「僕も結界の異変に気づいて、リディスちゃんたちが戻ってくる直前に慌てて戻ってきたから、ルーズニルさんとは会わなかったんだ。何も無かったから良かったけど、次からは気を付けてよ」

 肩をすくめているロカセナを、リディスは宥めるようにして首を縦に振った。

 実はロカセナに余計な心配や手間をかけさせたくなかったために、あえて彼が家を空けている時間帯に出かけた、などとは絶対に言えないだろう。それを悟られないように、リディスは振る舞った。

「お前さん、そろそろその詳細を聞かせてもらおうか」

 ヴォルは話の内容がずれたのを修正するかのように、無理矢理入り込んでくる。

「はい……。その時はモンスターの群衆が村を襲う日の夕方でした。村外れにある井戸から、地下水を経由して村に入り込んだサハギンと少年が遭遇したのを発見、フリートが一匹還したのですが、実はもう一匹おり、少年を連れて逃げるのは無理だと悟り、還術を行いました。その結果、何も副作用が起こることなく、黒い霧を見届けられたのです」

「その時、周りに誰がいた」

 その質問は毎回必ず聞かれることだった。状況を思い出しながら口を開く。

「確認できたのはフリート、ダリウスさんの息子のアレキ君、少ししてからダリウスさんが現れました」

「そうか、村外れの井戸……。あそこは精霊の加護が比較的強いから、それが多少影響しているのかもしれん」

 リディスが一通り話し終えると、ヴォルは一気にペンを走らせ始めた。次々と事実の共通点を洗い出していく。いくつもの括りを作り、分けながら、書き出す。周囲に誰がいたかも、事細かに書いていた。

 その時のヴォルの集中力は凄まじいもので、やっとの思いで本の山から抜け出して、ぶつぶつと言っているトルの言葉を一切寄せ付けないほどだった。

 ペンを走らせるのをやめると、積み上げられた紙の束を一部取る。それをぱらぱらと捲って、あるページで手を止めた。

「――根本的な原因はわからない。だが、大きく二つ、いや三つの仮説をあげることはできそうじゃ」

 仮説とはいえ、そのようにはっきり言われるのは初めてだった。リディスは思わず身を乗り出して聞き入る。


「一つ目はモンスター側による変化。奴らは最近、知識を付け始めているという噂を聞くから、もしかしたら新たな能力を身に付けた可能性がある。例えば最後の悪あがきとして、普通の人なら辛く、耐え難い場面を、直接触れた相手に見させたのかもしれん」


「どうして私だけなんでしょうか?」

「見た目から判断してやりやすそうだったという、単純な理由だろう。各地を探し回ったら、同時期くらいに似たような現象が起こっている人間が他にもいるかもしれん。……モンスターの最近の動向は読めないからな、それ以上ははっきり言えない」

 ヴォルが眺めている紙の束はモンスターが各地で人間を襲った件数を記したものだ。

 人間が故意にモンスターに近づいたから襲われただけでなく、近年では今まで現れなかった場所で無抵抗の人間を襲う機会が増えていると書かれている。知能を付け、意図的に人間を襲い出しているのではないか、ということも読み取れる資料だ。

 もしリディスと同じ状況に立たされている人間が他にもいるなら、是非とも会ってみたい。


「二つ目は還す人間側の変化だ」


「えっ……?」

 予想もしていなかった仮説に目を丸くする。ヴォルは難しい顔をしたまま話を続けた。

「本来、還術ができるようになるには、ある一定の能力がないと無理だと言われている。そのため誰でも還術印を施してもらえるわけではない。精霊魔法はそれを使える時点で、それなりの能力があると判断されているから、還術印を施さずとも誰でもできるがな。――若いうちは力も伸び盛り、その過程で自分自身の力を上手く操れず、以前とモンスターとの波長が合わなくなった結果、モンスターの思考までもが還術直後に流れ込んでしまったのかもしれない」

「ちょっと待ってください。モンスターの思考って、何ですか?」

 理解するために、些細なことでもいいから、引っかかった言葉を聞き返す。ヴォルは紙の束を広げて質問に答えた。

「モンスターは人間でいう、赤子のような頭の持ち主だと最近言われ始めた。赤子でも感情を表現し、頭を動かす機会は多少あるじゃろう。モンスターも程度の差はあるとはいえ、そういう思考を持っているのではないかと思うのじゃ」

「それが還術を介して流れ込んだんですか? しかし私の脳内に流れるのは人間の叫びや憎しみ。モンスターとは何も関係がない……」

「そのモンスターが人間を襲った光景を、無意識のうちに記憶に留めていた可能性もある」

「そうですけど……」

(あの叫びや憎しみに溢れた光景は、モンスターを前にして人間が絶望視したというのとは少し違う気がする。絶望と憎しみに溢れた言葉の数々は、人間対モンスターではなく、むしろ人間と――)

 リディスの考えを体験していない他の人に伝えるのはとても難しい。ただの思い込みだけでヴォルの言葉はひっくり返すことはできないだろう。

 沈黙したまま視線を下げていると、ヴォルは肩をすくめた。

「あくまでも仮説じゃ、あまり考え込むな。もしもこの仮説であれば、わしから言わせてもらえば、そこまで器用なことをモンスターがし始めているのなら、人間が終焉の時を迎えるのは時間の問題かもしれん」

 一同はごくりと唾を飲み込んだ。

 リディスのように還術をする際に苦しむ者が増えれば、モンスターを還す回数も減る。

 つまり今よりも人間たちが窮地に立たされる可能性が高くなると考えられた。

「まあ、そうなった場合、確かに恐ろしいことかもしれんが、魔宝珠を上手く使えば意外と大丈夫じゃろう。それよりもわしが恐れるのは最後の仮説じゃ」

 ヴォルの眉間がさらに険しくなった。リディスは手を握りしめる。

「もっとも恐れている仮説ですか?」

「そうじゃ。――魔宝珠を用いることで、人々は様々なものを召喚できるようになった。その範囲は未だにわからん。しかし、もし目に見えないものまで召喚できるのならば、果たして世の中はどんな風になるじゃろか」

 微かにヴォルの手が震えている。リディスの鼓動もつられて速くなっていく。

「魔宝珠で召喚できるものは、槍や剣といった有限なもののみと聞いていますよ。モンスターを召喚するという行為も驚きはしましたが、あれも有限のものですし……」


「それ以上のことは今まで誰もしなかったからじゃ。――例えば、の話じゃ。記憶や感情などを召喚し、他人の脳内に入れ込んだとしたら、どうなる?」


「そのようなことは物理的に無理だと思います」

「仮の話と言ったじゃろう! どうじゃ、他の者でもいいぞ」

 リディスは口を閉じて脳内で思考を展開した。しかし現実にはあり得ないという考えが、脳内を占拠してしまう。他の人々も首を傾げたままだったが、たった一人だけ口を開いた。


「――とても恐ろしいことが起きるでしょう」

 静かに、だがはっきりとした声で答えた青年がいた。


 リディスたちは銀髪の青年へ振り向く。ロカセナは難しい顔で言葉を続けた。

「一種の洗脳という行為になりますね。そのようなことが自由にできたら、世界は混乱の渦に巻き込まれます」

「その通りじゃ。相手の思考に嫌な情報を入れ込まれたら、平常心を保ち続けるのは難しい」

 リディスは最後の仮説についてじっくり考える。自然と恐怖と怒りが溢れ出てきた。今まで抑えていた感情が剥き出しになり、思わず立ち上る。

「人が人にそんな酷いことをするなんて、あり得ないです! もし本当だとしたら、どうして私が!?」

「何度も言ったじゃろう、あくまで仮説じゃ、騒ぐな!」

 ぴしゃりと制止の言葉を出された。左後ろにいたロカセナに、無言で服を引っ張られる。リディスは唇をぎゅっと閉じて椅子に座った。

「お前さんは甘っちょろくて、綺麗な景色しか見ていない女子じゃのう。世の中には人が人を憎む理由など山ほどある。それが最近はモンスターによって人を憎む余裕などなくなり、感じる人が少なくなっただけじゃ。――以上、三点わしの仮説を言ってやった。どれも確証のない机上の空論じゃ。その中でもわしとしては、始めに言った、モンスターの能力が発達しているというのが無難な仮説じゃな。わしが現役であったら、直接調べに行くが……さすがにこの歳では無理だ」

「その仮説以外にも、可能性はあるのですか?」

 俯くリディスを横目で見つつ、フリートが尋ねる。

「それはわからない。まあこれから何が起こるか知ることができれば、どれが正しく、どれが間違っているかは、おおよそわかるかもしれないじゃろう」

 リディスは目だけを動かしてメリッグを盗み見た。涼しい顔をしている予言者の彼女は、今の話を聞いて何を思うのか。

 空は雲一つなく澄み渡り、風が窓を揺らしていく、穏やかな日だった。

 けれども、リディスの心の中には今までにないくらい、混乱と重い空気が漂い始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る