第4章 緋色に染まる天地

13 還術と精霊

還術と精霊(1)

 遥か昔、それこそ人類が存在するよりも遠い昔――ある大地の上では四大元素の根源をなす精霊たちが、気ままに日々を過ごしていた。腹も空かず、成長することもない精霊たちは、その時を楽しく過ごせればいいという考えの持ち主でもあった。

 目的も持たずに過ごしている中、精霊たちはその大地の中心で不思議なものに出会う。

 それは鮮やかな緑で色付いた一つの小さな芽だった。

 初めは特に気にも留めていなかった。

 だが、時が経過するにつれてその芽が変化していくのを目の当たりにし、興味を持つようになった。

 しばらくはそれを観察する日々だった。精霊たちがそれぞれ気になった時に。



 ある日、芽の色が茶色に変色していることに気づく。

 その状況に気づいたのは、ちょうど精霊たちが皆いる場だった。明らかに弱り始めている芽を見て、あるものは戸惑い、あるものは泣きだし、あるものは愕然としていたが、あるものは立ち上がった。


 このままでは芽は死んでしまう、だから協力して助けるべきだと。


 初めて出された、協力という言葉。

 言葉に出したものは、自分の力だけではこの芽は助けられないと悟っていた。

 だが、他のものの力を使えば、生きながらえることは可能だと思ったのだ。

 それからお互いに意見を言いあい、時として衝突もしながら、精霊たちは協力して芽を育てることに決めた。

 四苦八苦の日々が続いていた。

 その芽を育てるのに適した土や水を探し、適度な温度に保てるよう努力し、時として新鮮な風も吹かしたりと、精霊たちの誰もが欠けてはならない育て方をしていた。

 やがて献身的に育てたことで芽は持ち直し、緑色の鮮やかな葉に戻り、さらに成長していった。



 大きくなるのを直に見ながら、精霊たちは毎日を楽しく過ごしていた。

 しかし精霊たちがその芽に対してできることは、土、水、火、風に関することのみ。それ以外のことをしなければならない時、対処できるか不安だった。

 芽は成長するが、精霊たちは成長しない。ならば芽と同様に成長するものを作れば、さらに円滑に育てられるのではないかと、あるものが言ったのだ。

 それをきっかけとして精霊たちは、成長はするが、その代償として生と死がある“生き物”と呼ばれるものを協力して生み出した。

 その中には人と呼ばれる生き物もいた。外見はひ弱で、生き物の中でも死にやすい存在だったが、とても賢いため精霊たちと共に考えを出し合いながら、芽を育てていった。

 いつしか芽は立派になり、大樹と呼ばれる存在までになった。

 その大地のどこからでも見えるほど、大きい樹。

 精霊や生き物たちはその成長を見て、たいそう感動していた。大変なこともたくさんあったが、それらを忘れるほど魅了されていたのだ。

 その後、大樹は自分の半身である、小さな珠を生み出した。大半の生き物は気にも留めなかったが、知恵ある生き物はその珠に特別な力が宿っていることに気づき、有り難く受け取った。


 それから、この大地上での人と魔宝珠の関係は始まった。


 魔宝珠は想像しながら珠に力を込めることで、想像した物体を生み出すことができた。

 そして人はその素晴らしい能力を利用し、様々なものを召喚することで、発展することができたのだ。

 そのような過程を経て、今を支える文明を生み出すきっかけとなった召喚には、大きく二つの種類に分けられると言われている。

 一つは武器などの物体を召喚すること、もう一つは精霊を召喚することだ。

 精霊召喚は誰でも習得できるものではないが、代々の血統からその精霊に好かれている者ならば、魔宝珠を手に入れた後は自由に召喚できる可能性が高い。

 また公にはされていないが、強制的に力を得る方法もあった。四大元素の源の魔宝珠に触れるという単純な作業ではあるが、触れた瞬間に精霊のお眼鏡に叶っていなければ、たちまち死へと導かれてしまう。危険が伴う方法だったため、実際に試して生き残れる者はごく僅かだった。

 そのため精霊を召喚できる人間は少数という認識が一般的であった。



 さらに精霊を二種類扱える者は、その中でもほんの一握りと言われていた。

 精霊は気まぐれで、自己中心的なものが多い。二種類扱うためには、精霊たちに対する信用はもちろんのこと、力量もなければ、たとえ両親が使えたとしても、子まで使えるというわけではないのだ。


 しかも二種類の精霊を扱う上でも、なお制約はあった。相反する精霊は扱うことができないというものだ。火の精霊サラマンダー水の精霊ウンディーネ風の精霊シルフ地の精霊ノームはそれぞれ対立しているため、両方の精霊の加護を受けることはできない。

 稀に二種類使えるという者も、そのような条件を満たした上で使っていた。



 一方、精霊を扱うというのは、天変地異を動かすということでもある。一歩間違えれば危機に陥る、とても危ない召喚術だ。人間たちは理性の中で力を抑えていたが、それができない状況下では、樹が精霊の力を抑制するという方法で事前に防いでいた。

 しかし、五十年前に樹が消えてしまってからは、それができなくなっている。そのため暴発してしまう事件もいくつか発生していた。

 すべてを司る樹が突然消えたことに、当初は完全なる消失と考えていたが、依然として召喚し続けられるため、もしかしたら別の世界に移動してしまったのではないか、と推測されるようになる。

 その世界とは果たしてどこなのか。

 この大地中を探し回れば、どこかにその入口を発見できるのではないかと囁かれているが、未だに明らかになっていない。



 * * *



 真夜中に発生した、モンスターの襲撃事件を弾みに、ミーミル村も徐々に活気が戻り始めていた。

 他人を信じず、まるで監視するかのように接していた冷たい雰囲気から、自ら話しかけ、交流をしようとしている。もともと村人たちの心の中に、踏み出したいという想いが長年あったのだろう。だからたった一つのきっかけでも、大きく変わりだしたのだ。

 そのような中、ルーズニルは城宛に報告書を送った後は、知識人や学者が溢れる塔へ一人で出入りをしていた。向かう際の表情は嬉々としており、ヘイム町で買ったものを持って出向いていた。

 リディスたちの怪我も酷くなかったため、情報収集をする時間や怪我の経過を見た結果、三日後に帰路に着く予定になっている。

 怪我が軽かったフリートたちは既に外に出て、情報を集め出している。白い包帯が右腕に巻き付けられているリディスは、せめてもう一日だけ休めと言われたため、本日はヴァフス家で待機だ。

 翌日誰に話を聞こうかと悩んでいると、昼の祈りを終えたスレイヤからお茶に誘われた。断る理由もないため、彼女に言われるがままにお茶の準備を手伝わされる。準備が終わると、椅子に腰をかけてカップに紅茶を注いだ。スレイヤは紅茶の香りを楽しみながら、視線を宙に向けた。

「還術とモンスターの関係についてなら、ヴォル様が一番詳しいと思う」

「ヴォル様?」

「塔の四階にいる、有数の知識人の一人のおばあ様よ。とにかく知識の量が多い。半島全体の歴史はもちろんのこと、ここ百年くらいなら事細かに出来事を言えると思う。それにかつて半島中のモンスターを探し回った経歴の持ち主だから、何かしら知っているんじゃないかしら」

「半島中を探し回る!? なんて危険なことを……」

「昔の方がモンスターは穏和な傾向だったから、探し回ると言っても今ほど危険じゃなかったらしいわよ。……実はヴォル様はね、モンスターはレーラズの樹が消える前からいるって提言した人なのよ。当時、ある生き物を新種の動物かと思って調べていたら、結果としてモンスターだったらしい。それから興味を抱いて、調べ始めたわけ」

 茶菓子のクッキーをスレイヤは口に入れる。

「ただヴォル様は気まぐれで、人によって態度が変わる人間。私は大丈夫だけど、兄さんは駄目。リディスはどっちかな……。とりあえず聞きに行く価値はあると思う」

「ありがとうございます。明日にでもフリートたちと行ってみますね」

 新たな手がかりを得たリディスは頬を緩ませて紅茶に口を付ける。スレイヤはそれを真顔で見ていた。

「ねえ、リディス……」

「何ですか?」

「フリート君とロカセナ君、どっちが好みなの?」

 突飛な質問をされ、吹き出しそうになった。必死にそれを堪えようとすると思わずむせる。胸を叩きながら、気道を確保しようとした。その様子をスレイヤはにやけながら眺めている。

「と、突然、何ですか……」

「だって、昔は男の子と喋るのすら戸惑っていたリディスが、今はあんなに楽しそうに話しているから」

「昔は男の人と交流する機会がなかっただけですよ。スレイヤ姉さんと会うまでは、町の人とは表面上の付き合いしかしていなかった。そんな中で笑顔を向けられますか? ――二人は身分や立場とか関係なく、はっきりと物事を言ってくれるため、楽に話ができるだけですよ」

「けどもう何十日も一緒にいるんでしょう。気になったりしないの?」

「いえ、気になっていない……です……」

 ココア味のクッキーを摘むと口の中に入れた。スレイヤは不満そうな顔で見てくるが、それを遮るかのように、飲食に集中する。

 もしかしたら無意識のうちに、二人のことを単なる護衛以上の存在として見ているかもしれない。

 だが、それを表面上の心に出すつもりはなかった。友達として、仲間として大切な二人に、余計な感情は付けたくない。今の関係のまま日々を過ごすのが一番いいはずだ。

「まあリディスなりの考えがあるのなら、私は深く言わないけど……。言いたい時にはっきり伝えないと、後悔するかもよ? 私はフェルが旅に出る時、留まって欲しいって言えば良かったなって、多少思っている」

 スレイヤの脇にある本にはしわくちゃになった手紙が挟まれていた。それを大切に取り上げる。

「風の魔宝珠の護り人に指名されてから、リディスと別れて彼らと一緒に村に戻ってきた。私はここに留まらなければならなくなったのに、彼は少し用事がある、すぐに戻ると言って出て行った。そしていつしか連絡が取れなくなって……。村を出てから二年以上待たされたのよ? 精神的にも辛くて、一緒にいて欲しい時期に居てくれないなんて、酷いと思わない? 正直、もう少し気を使ってくれる人だと思っていたけど……、男なんてそんなものね」

「でも、ようやく会えるんですよね」

「ええ。あと数週間すれば、元気な姿を見せに必ず戻ってくるって、手紙には書いてあった」

 その言葉を発したスレイヤの顔は、リディスが再会してから見たどの顔よりも嬉しそうだった。彼が無事ということ、そして愛しい彼との再会が今から楽しみでしょうがないのだろう。

「スレイヤ姉さんにとって、フェルさんはどういう存在の人なんですか?」

 手紙を机の上に置き、スレイヤは両手を組んで顎をのせる。彼女の左手の薬指には指輪が輝いていた。

「いなくなってしまったら、きっと心の底から寂しいだろうって思う人。だからできれば一緒にいたい。一緒にいて、同じ時を共有して歩みたい……」

 穏やかな表情をリディスに向けられると、スレイヤの視線から逃れるように手元に視線を落とした。

「私は……よくわからないです、そういう気持ち」

「たぶん今まで好きという気持ちまで、達したことがないんじゃない?」

「そうかもしれませんね……。昔からあの人かっこいいな、優しいな、憧れてしまうなって思うときはありますよ。でも所詮は一時的なもので、離れたら忘れてしまうんだろうなって思うんです」

「けど、不意に出た好きという感情を抱き続けていたら、それは立派な恋になるわよ」

 ほんの少し沈黙が続いた。時計は絶えず一定の時を刻んでいる。

 リディスは手を握り直して、言葉を零す。

「私は自分の本音がどうあれ、無理にそういう感情にならなくてもいいと思っているんです。毎日が私だけでなく、周囲の人も楽しければ、それでいいんじゃないかって……」

 自分の中で現れたり隠れたりしている、上手く表現できない感情を思わず漏らす。長年、姉のように接してくれているスレイヤだからこそ、言ってしまったのだろう。彼女はそれを真摯に受け止めていた。

「今までそういう経験がなかったから、混乱しているっていうのもあるわね。ここ数十日で他にも色々なことが起こり過ぎているというのもあるし。……焦らなくてもいいんじゃない? 城に戻ってもしばらくシュリッセル町に戻らず、城にいるんでしょう?」

「その予定です。ヴォル様からのお話にもよりますが……」

 言葉を濁したのには、ほんの少しだけ怖い部分もあったからだ。

 もしリディスが還術をした際に現れる、謎の現象の理由が分かれば、二人とは別れなければならないかもしれない。

 理由がわかるのは喜ばしいことだが、離れるということは、隣にいて当たり前だと思っていた人たちが、当たり前ではなくなるということだ。

 スレイヤは立ち上がり、俯き加減のリディスの頭を撫でた。

「自分の気持ちに整理が付いたら、素直になればいいのよ。まだまだ時間はある」

「……はい、わかりました。ただ、今はそれよりも自分の還術について追及させて頂きますね」

「それでいいわ。恋なんて、唐突にわかるものだから」

 頭を撫でられる感触がくすぐったかったが、懐かしくもあったため、しばらく彼女に身を委ねていた。

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