閉ざされた知識人の村(4)

 夕飯はスレイヤが作ってくれた、野菜がたくさん入った温かいスープだった。

 トルが出されたパンを頬張り、「美味しい」と連呼しながら何度もお代わりを頼んでも、鍋が底を突くことはなかった。

「本当はもっと豪華な食事でもと思ったけど、時間がなくて……」

「いえいえ、スレイヤさんの想いがたくさん詰まっているスープだけで充分です!」

 そう話しながら、トルがリディスの何倍もの速さで皿を空にしていくのを、唖然としながら眺めていた。

「あまり食べ過ぎない方がいいんじゃないかしら。子供ではないのだから、少しくらい抑えたらどう?」

 上品にスプーンでスープを口に入れているメリッグが、隣でかっこんでいる褐色の肌の青年に忠告をする。しかし、彼はその忠告など聞かなかったかのように、ひたすら食べ続けていた。

「料理ができる人が好みなのかしら。今度アップルパイでも作ってあげましょうか?」

「メリッグって料理できるのか!?」

 食の話題になり、トルは目を輝かせて顔を上げた。メリッグはにやりと口元を歪める。

「ええ。薬を飲ませる際には、食に混ぜ合わせるのが一番やりやすいから」

「く、薬って……何のだよ……」

 若干引き気味にトルはメリッグを見る。彼女は何も言わずに食事へ戻り、澄ました顔でスープを飲み進めた。

 本当かどうかはわからないが、それ以上追及しない方が賢明かもしれない。食欲が一気に落ちてしまったトルは、さっきまでと比較にならないほどゆっくり野菜を食べる。

 そのやりとりをスレイヤは静かに眺めていた。急に人数が増えたため、料理の手間もかなりかかっただろうが、嫌な顔一つせず作ってくれた。

 シュリッセル町に滞在している時も、スレイヤはリディスたちによく料理を振る舞ってくれて、どれもとても美味しかった記憶がある。

 様々な会話が繰り広げられる温かな食卓に、リディスも思わず笑みを浮かべて周囲を見渡した。

 ふと左隣にいるフリートが黙々と食べているのが気になった。いつも多少は会話をしているが、ここまで黙り込んでいるのは妙である。しかも普段よりも雰囲気が刺々しい。

「フリート、どうかした?」

 買い物に帰ってきてから様子がおかしい。リディスの問いに、フリートは視線を合わせず返す。

「何でもない」

 予想された返答であり、出会った当初ならそこで引き下がっていた。しかし今では易々と引き下がらなくなったのが、ここ数週間一緒に過ごして培われた間柄だ。

「何でもない……ってねえ、そんな表情で食べていたら、作ってくれた人に失礼でしょう。戻ってきてから顔色が良くない。まさか体調崩していないよね?」

「大丈夫だ。特に問題はない。この料理だって、すごく美味しい」

「なら……」

 リディスが肩に触れようとした瞬間、思いっきりけられる。あまりの勢いにリディスは自分が何をされたのか一瞬理解できなかった。フリートは驚いた表情のまま固まったリディスを見ると、ばつが悪そうな顔になる。空になった皿を一瞥して立ち上がった。

「……ごちそうさまでした。少し外の風に当たってきます」

 そう呟くと、リディスに視線を合わすことなく、焦げ茶色のマントを羽織って玄関へ向かった。

「フリート君、夜は厄介な連中も多い。くれぐれも気を付けてくれよ!」

 ルーズニルが大声で投げかけた言葉に対して軽く頷くと、フリートは足早に外に出て行ってしまった。

 沈黙の中、リディスは微かに赤くなっている左手をそっと包み込んだ。それをじっと見つめ、なぜこのような行動をされたのか考えようとしたが、寂しさで心の中がいっぱいになる方が先だった。

 少しは歩み寄れた関係になったと思っていたが、それは勘違いだったのだろうか。

 唇を噛みしめていると、スレイヤが右肩に左手を乗せてきた。

「彼にも色々とあるのよ。今は見守りましょう」

「……はい」

 二、三回叩くと、彼女は再び自分の席に戻った。リディスは小さく息を吐く。

 昔もスレイヤによく慰められていた。何度も失敗をし、落ち込んだ時には、彼女に想いをぶちまけたりもした。そしていつしか姉と付けるほど、心を開いていたのだ。

 落ち着いてきた頃には、残っていたスープは冷えきっていた。だが口を付けると、彼女の温かな想いが伝わってくるようだった。



 皆が寝る時間になってもフリートは戻ってこなかった。ロカセナは困ったような表情で頬をかいている。

「心配するなっていうのも無理な話かもしれないけど……。あいつなら、大丈夫だから」

「フリートの身に何か起こるとは思っていないよ。憂さ晴らしでもして、他の人に迷惑をかけていたら、申し訳ないなって」

 笑顔を繕って、リディスは返す。ロカセナもそれにつられて表情を緩ました。

 そしてリディスは布団の中に入り込んだ。ヴァフス家はルーズニル、スレイヤの部屋の他に、二つのベッドが並んだ部屋があった。普段は使われていないらしいが、目立った埃が見えないほど、綺麗に掃除されていた。

 リディスとメリッグがベッドを借り、トルは毛布を借りて床の上で雑魚寝、ロカセナは腰を床に付けて壁に寄りかかって寝ることになる。

 リディスはロカセナやフリートがきちんとベッドの上で横になって眠っているところを、あまり見たことがなかった。騎士たるもの護衛対象がいる前ではいつでも戦える状態であるべきだ、と言っていたが、護衛される側としては危険が少ない地域ではきちんと休みを取って欲しかった。

 光宝珠の光を消すと、部屋の中は真っ暗になる。カーテンの隙間から月を見ながら、リディスは瞳を閉じた。



 それからどれくらい時間が経っただろうか。

 月の光が目に入り、トルのはっきりとしたいびきを聞きながらリディスは薄ら目を覚ました。

 メリッグもロカセナも規則正しく肩を上下させている。昼間に戦闘があった夜だ、熟睡するのも当然だろう。

 再び眠りにつこうと思ったが、フリートのことが脳裏をよぎり、なかなか眠ることができなかった。布団の中でじっとしていると、更に拍車をかけるように怒りや悲しみなどの想いが溢れてきてしまう。

 水でも飲んで心を落ち着かせようと思い、リディスは起き上がり、薄手の上着を羽織る。皆の寝顔を見ながら、極力音を立てないように気を付けて台所へ向かった。

 居間に行くと、リディスがドアを閉めるよりも前に、他のドアが閉まる音が聞こえた。訝しく思い、音がした方に慎重に足を延ばすと、外を繋ぐドアがあった。そのドアノブに手をかけて、少しだけ開く。亜麻色の髪の女性の後ろ姿が見えた。

「スレイヤ姉さん?」

 不審者ではなかったことに安堵しつつも、なぜこの時間帯に外出したのかという疑問が浮かび上がった。

 どこに向かっているのだろうか――、闇に対する恐れよりも好奇心の方が上回る。

 魔宝珠を所持しているのを触って確かめてから、リディスはそのドアを静かに開いた。

 日中も比較的静かな村だが、夜は虫の泣き声しか聞こえないほど、辺りは静まり返っている。たまに吹く風が木々や窓を揺らす。その中に響く、一人の人間が土を踏みしめる音。

 スレイヤが黙々と歩いている方向には、長細い塔がそびえ立っていた。

 ミーミル村の象徴でもある塔――様々な知識人や学者が出入りをし、議論を交わし合う建物。たくさんの書物も残っており、知識の引き出し庫とも言われる場所だ。

 しかし、真夜中とあってか、塔から明かりは漏れておらず、村と同様に漆黒の闇に埋もれていた。

 隔てるものがほとんどないため、間隔を空けながら注意深くついて行く。スレイヤは塔の内部に続く扉を開くと、するりと中に入り込んだ。慌ててリディスは扉に近寄り、耳を澄まして内部の様子を伺う。石の上に靴を下ろす音が響き、それがだんだん小さくなっていく。

 音がどうにか聞き取れるくらいまで距離が開いたところで、光宝珠の明かりを最小限にしてから慎重に扉を開いた。

 一階は広場のような空間で、中心にある螺旋階段が上に続いている。それは永遠に続いているのではないかと思うほど、どこまでも伸びていた。階段を囲むようにして、階層ごとに分かれているようだ。

 視線を落とし、周囲を見渡すと、地下へ続いている階段が目に入った。縄を使って封鎖し、『立ち入り禁止』と注意書きが載っている看板が僅かに揺れている。

 周りに誰もいないことを確認して、リディスは音を立てぬように、その階段に踏み入れた。

 しばらく下っていると、前方から明かりが見えてくる。光宝珠をしまい、壁に手を付けてゆっくり進んでいく。途中で風がリディスの周りを囲むようにして吹くが、そのまま去っていった。

 光は最下層からであり、そこに降り立つ直前でほんの少しだけ中を覗き込む。

 疲れきった顔をしたスレイヤが、じっと何かを見つめていた。そして一歩一歩進んで行く。

 リディスはもう少しだけ顔を突き出してその先にあるものを見ると、思わず声を上げそうになった。

 薄らと緑色に輝き、地面から浮かんでいる大きな石の固まり――風の魔宝珠がそこにあったのだ。

 それをスレイヤは躊躇いもなく触れ、そして優しく両腕で包み込む。

「今晩もいい子にしていたのね。ありがとう。これからも大人しくしていて」

 ぽつりと呟くと、呼応するかのように魔宝珠の色が緑系統を中心に段階的に変化し出した。緑、黄緑、深緑など、美しいと思える色の移り変わり。

 スレイヤが触れるのをやめても輝きは続いている。彼女はその前に膝を付け、両手を組んで目を伏せた。


 魔宝珠に対して祈りを捧げている――。


 神秘的とも言える光景を見て、リディスは息を呑んだ。

 そしてその場で息を潜めて、彼女の様子をじっと見守った。聞きたいことをすべて飲み込みながら。

 やがてスレイヤは組んでいた両手を解いて立ち上がった。彼女は魔宝珠を見つめてから軽く一礼をし、それに背を向ける。リディスは見つからぬよう慌てて首を引っ込めようとしたが、スレイヤの体が前方に倒れ込むのを見て、とっさに駆け寄っていた。

「スレイヤ姉さん!」

 石畳の上に倒れ込んだスレイヤの上半身を慎重に持ち上げる。目を閉じていた彼女はほんの少しだけ開いていたが、リディスの顔を確認するなり、目を大きく見開いた。

「リディス、どうしてここに……!」

「すみません、スレイヤ姉さんが出ていくのを見て、つい……」

「そうじゃなくて、大丈夫なの? 何ともないの!?」

「護衛のことですか? 知られたら怒られるかもしれないので、黙っておいてくださいね」

 スレイヤはまだ何か言いたそうだったが、途中で激しくせき込んだ。

「大丈夫ですか!?」

 背中をさすって、少しでも楽にさせようとする。徐々に落ち着いてくるがせき込むのが終わると、今度は荒々しく呼吸をし始めた。

「姉さん……」

 涙目になりながら呼びかけると、スレイヤはそれに応えるかのようにリディスの手をぎゅっと握りしめた。

「大丈夫、すぐに落ち着くから……」

 苦しそうな様子を見せるスレイヤを、リディスはただ黙って見守るしかできなかった。

 呼吸が安定すると、スレイヤは自力で立ち上がろうとした。だが背筋を伸ばす前に、よろけそうになる。リディスは慌てて受け止めて、声を投げかけた。

「私の肩に腕を回してください。一緒に家まで帰りましょう」

「……ごめん」

 弱々しく呟き、彼女より背の低い弟子に体を預ける。体格差から若干負担はかかるものの、移動する距離は長くないため、苦ではない。

 スレイヤをしっかり支えながら、リディスたちは階段を上り始めた。

「ねえ、リディス、本当に何ともないのね?」

「だからいったいなんですか。私は至って元気ですよ」

「それなら、いいわ……」

 衣擦れと石段を歩く音が響く。光宝珠の僅かな明かりだけを頼りにして上に進む。

「……聞かないのね」

「何がですか?」

「私が二年前にシュリッセル町を去った以降、連絡も途絶えてしまったことや、今していたことについて」

「気になりますけど、部外者の私が口を挟むのは……。話してくれるまで待ちます、必要以上に過去を詮索するのは好きではないですから」

「……ありがとう。私にもそうするのなら、彼にもそう接してあげなさいよ」

 リディスは目を瞬かせて、スレイヤを見る。彼女は微笑んでいるだけで、それ以上何も言わなかった。

 外に出ると、刺すような冷気が体に突きつけられる。まるでこの村を象徴しているかのような風に、心まで震え上がりそうだった。

 ヴァフス家に戻り、スレイヤをベッドに横にさせ、眠ったのを確認すると、リディスも部屋に戻り布団の中に潜り込んだ。

 脳内に未だに残る映像は、スレイヤが風の魔宝珠に向かって祈りを捧げる姿。そして視線を合わせずに言われた「このことは誰にも言わないで」という言葉がいつまでも反響していた。

 誰にも――それは特にルーズニルのことを強調して言ったと思われる。兄には気を使わせたくない、その想いが一文だけでも切に伝わってきた。

 しかし、再会した妹が無理に意地を張っている姿に、聡い彼が気づかないはずがない。既に察している可能性はある。たとえリディスが黙っていても、彼は何らかの行動を起こすかもしれない。

 今まで見たことがないほど、険しい表情を見せたフリート。

 初めて見た、苦しそうな表情をしていたスレイヤ。

 今はただそっとしておくのがいいのだろうか。

 リディスは一人で思考を巡らせながら、瞳を閉じた。


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