閉ざされた知識人の村(5)


 * * *



 次の日もヴァフス家からは出られず、リディスたちは鬱々とした時間を過ごしていた。

 ルーズニルは朝食時に、必要な場合以外は外に出ないようにと忠告した後は、自室に閉じこもったままである。そのためミーミル村に住んでいるスレイヤから色々と話を聞き出そうと思ったが、彼女はリディスに構えないほど、せわしなく動いていた。

 メリッグは水晶玉を覗いたり、ルーズニルから借りた本を読んでいたりと、特に不満はなさそうに時を過ごしている。

 トルは部屋の中で体を動かそうとしたが、メリッグに家が壊れると一喝されて、体を小さくしていた。部屋の中をうろうろしていたが、最終的には寝ている。

 フリートはリディスたちが起きた時には戻っており、挨拶だけはかわしたが、それ以上は会話ができていない。ずっと考え込んだような顔をしており、近寄りがたかった。

 思い切って話しかけようとしもしたが、彼はルーズニルの言いつけを破って、夜だけでなく昼間も外出していたのだ。


 必然的にリディスはロカセナとソファーに座って話すことが多くなっていた。

「欠片を入手するまで、随分と時間がかかりそう。何か私たちでできることはないのかしら?」

「何かをしたいという気持ちはわかるけど、待つことも大切だと思うよ。焦ってもいいことはない」

「それはそうだけど……」

 リディスは声を潜めてロカセナに近づく。

「ねえ、フリートはどうしたんだろう? 何か心当たりはない?」

「初日に買い物に行ってからだっけ、様子がおかしいのは。そうだねえ……、例えば会いたくもない人に会ってしまったとか」

「そうだとしてもまた出歩く理由がわからない。夜中まで帰ってこないほど、何に執着しているのかしら」

 ロカセナはリディスの発言を受けて、目を細めた。

「夜中に出たのは……、情報が得やすいからじゃないかな」

「情報? いったい何の?」

「そこまではわからない」

 肩をすくめて首を横に振られる。リディスより長い期間一緒にいる彼だから、何か知っているかもしれないという淡い期待もあったが、残念ながら甘かったようだ。

 趣のある柱時計が、規則正しい音で昼の半ばを告げる。それを聞いたリディスはロカセナとの話を打ち切り、立ち上がった。

「ルーズニルさんにコーヒーを持ってきてって言われたの。本当はスレイヤ姉さんに頼むつもりだったけど、家にいない可能性もありそうだからって」

 現にスレイヤは家にいなかった。少し前に買い物に行くと言って外に出ている。深めの帽子をかぶり、日に焼けた肌の露出を極力減らしたトルが彼女に付き添っていた。

 ロカセナという案も出たが、フリートが家を空けている中、彼までリディスから離れるのは避けたいという理由で、トルがスレイヤと一緒に行動している。

 お湯を沸かし、棚からコーヒーの粉を取り出して準備をし始めた。ロカセナのカップも空になっていたことを思い出し、少し多めに作る。できあがったコーヒーをルーズニルとロカセナ、そして自分のカップに注いだ。

「リディスちゃん?」

「ついでだから気にしないで。ちょっと席を空けるね」

 カップを盆にのせて、廊下に出た。少し歩き、廊下の一番端にあるドアをノックすると、覇気のない声が返ってくる。ドアをゆっくり開ければ、髪が乱れているルーズニルが机の奥から顔を覗かしていた。

「お時間になりましたので、コーヒーをお持ちしました」

「ああ、ありがとう。眠くなってきたところだから、ちょうどよかった。机の上に適当に置いてくれるかい?」

「はい、わかりました」

 リディスはそう言いつつも、机上の惨状を見て躊躇ってしまう。たくさんの本や紙に埋め尽くされているため、どこに置いていいかわからない。万が一こぼしてしまった時のことを考えると、置く場所は慎重に見定める必要がある。

 机をきょろきょろ見ているのに気づいたルーズニルは、慌てて散らばっている紙を集め、近くにあった本の間に挟み込んだ。彼の気遣いによって作られた空間に、コーヒーカップを置く。彼はカップを手に取ると、味わいながら飲む。

「――なかなかいい味の出し方をしているね。誰かに教えてもらったの?」

「屋敷の使用人に少しばかり」

「使用人? 母親じゃなくて?」

「母は……私がまだ物心付かない時に亡くなりました」

 事務的に答えたが、ルーズニルはきまりが悪そうな顔をした。

「ごめん、失礼なことを聞いて……」

「お気になさらないでください。私も母に関しては割り切っています。記憶にすらない人なんですから」

 母親がいなくて寂しい思いをしたことは、幼少時代ではたくさんあった。それが原因でいじめられ、哀れみの目もたくさん向けられたが、もはや脳内では記憶から記録へと移っている。だからただ事実を伝えるだけで、これと言った感情は沸き上がってこなかった。

 ルーズニルの視線が泳いだままなので、リディスは話題を探すために視線を下げると、一冊の古びた本が目に入った。その著者の名を見て、思わず声を漏らす。

「――スカディ・ヴァフス……」

 その言葉を聞いたルーズニルは目を丸くする。そしてリディスの視線の先にあるものを見て、哀愁漂う表情でそれに触れた。

「僕たちの母親だよ。魔宝珠のことに関して調べていた、この村でも指折りの学者で本も何冊か残している。最後に書いた本がそれ。参考になるかもしれないから、読んでみるといいよ」

 何度も開かれた跡がある本をリディスに差し出す。だが最後という言葉が引っかかり、なかなか受け取れず、押し付けられるまではリディスの手元にのらなかった。

「……何が聞きたいのか、わかるよ」

 ルーズニルはまだ温かいコーヒーを喉に通す。

「僕たちの両親は七年前にモンスターに襲われて、命を落とした。父親は槍を使った還術士でかなり強かったのに、どうして死んでしまったのか、しばらく悩んだものだよ。しかも恐怖に脅えた顔ではなく、穏やかな表情でお互いに抱きしめあって息を引き取ったものだから……。本当に謎が多すぎる死だった。……ちなみに二人を殺したそのモンスターはまだ見つかっていない」

 七年前ということは、リディスがスレイヤと出会う前の出来事である。彼女はそんな辛い経験をして間もなく、旅に出てリディスと会ったということだ。

「七年前まで、僕たちは四人でこの家で生活をしていた。だけど両親を殺された後、僕はなぜ殺されたのかということを情報や様々な因果関係から調べようとし、スレイヤはその相手を見つけだそうと躍起になり、その一年後に二人とも家を後にしたんだ。――今はある事情によって村に戻らされてからは落ち着いているけど、出会った時のスレイヤって、大人しそうに見えて、中身はすごく熱意に溢れていただろう?」

「そういえば……そうですね」

 スレイヤからの指導は、今思えば厳しい指摘が多かった気がする。何度も叱られたが、それでも突き放さずにしっかり教えてくれたため、リディスはそれなりに槍を使える人間となっていた。

「僕たち両親の背中を見ていたし、村が好きではなかったから、いつかは外に出たいと思っていたけど、なかなかきっかけが掴めなかったのさ。……人生何が弾みになるかは、わからないものだね」

 視線を遠くに向けて、ルーズニルは感慨深く呟く。リディスはその様子を見て、躊躇いつつ口を開いた。


「生まれ育ったこの村が嫌いなんですか?」

「リディスさんは、この村、率直に言って好きかい?」


 逆に質問をされて、返答に詰まる。どう上手く返していいかわからず、口を閉じてしまう。

「すぐに顔に出てしまうんだね、素直でいいと思うよ」

「え、出ていました?」

 慌てふためくが既に遅かったようだ。諦めて率直な思いを告げる。

「……居心地は悪いです。窮屈な感じで」

「僕たちもだよ。今の村は閉鎖的で、新しい空気が入ってこない。外の世界をよく知っている両親を持つぼくたちだからこそ、外に出たかったんだ。昔からそこまで活気がある村ではなかったけど、居心地が悪いとまでは感じたことがなかった。だけど――十五年前にミーミル村を大きく揺るがす事件が発生してから、今の状態になってしまったんだ」

 ルーズニルは引き出しから一冊の本を取り出し、リディスの前に置く。全体的に黒ずんでおり、一部焦げていた。

「村の四分の一以上が燃える大火事が発生した。原因は放火で、発火場所は滅多に人に付かないところだったらしい。……とにかく燃え盛る炎が恐ろしくて、僕たち家族も必死に逃げ回った記憶がある」

「けどこの村は風の精霊シルフで護られているんですよね。それなら加護によって――」

「村全体を加護で覆っている風の女神を使役する女性が、火事によって早々に命を落としていたんだ。そのため村にいる風の精霊は動くのが遅れ、結果的に大惨事になってしまった。――多くの人が亡くなった、多くの貴重な書物も失った、さらには村の絆までもが失った……。火事によって荒れ果てた土地の半分以上が手つかずになってしまったように、ここの村人たちの傷も未だに癒えていないんだよ」

 十五年前のミーミル村での大火事。ヨトンルム領と逆側に位置するシュリッセル町にいた幼いリディスさえも聞いたことがある出来事だ。

 しかし、被害の詳細な状況までは知らなかった。そのためルーズニルの口から語られる内容は、戦慄を覚えるものだった。

「犯人は外部の人間か内部の人間か、それすらわかっていない。もしかしたら隣の家の住人が火を放ったかもしれない。そう考える人が増えて、誰もが猜疑心の固まりで他人を見るようになってしまったんだ。――それがこの村の実状。他から入ってくる人を受け入れない理由。二度とあのような悲劇を起こさないために、村人たちが行っている精一杯の抵抗なんだよ」

 火事から必死に逃げまどう人々、書物を求めて荒れ狂う火の中に行ってしまい戻ってこなかった人々。

 結界に護られ、安全であると思っていたからこそ、より深い絶望感を味わってしまった。

 そして、その事件が弾みとなり、他者を信じられなくなった人間を多数出しているのが、今のミーミル村だった。

「どうにかして村人たちの心を開くことはできないんですか? きっと昔は多くの人がこの地で交流していた。そしてここで得た知識を皆に開示、議論し合うことで、新たな発見ができていた。そんな時代に再び戻すことはできないんですか?」

「僕もそうしたいと切に思っている。でも村人たちの意識を根本から変えるのは容易じゃない。だから僕や数少ない賛同者が外に出て、知識を少しでも提供したり、得たりしているけれど、なかなか成果は上がらないんだ。結果として、外に出過ぎているからか、今では村長に好かれない存在になってしまったよ。村長と直に会うのも難しくなるくらいに。まったく本末転倒だね。村を良くしたいのに、村から追い出されそうな状況になってしまったのは」

 リディスは机の上で散乱している紙の中に、一通の手紙があることに気づいた。ルーズニルはそれを持って立ち上がり、リディスの横で立ち止まる。

「なんだか長話に付き合わせて、ごめんね」

「いえ、私の方こそ貴重なお話を聞かせて頂いただけでなく、意見したりしてすみません。あの、それは――」

「村長への手紙。受け取ってもらえるかわからないけれど……。一刻も早く欠片を受け取ってもらうよう、そして得られるよう頼んだ」

「そんなに必要なんですか、欠片」

「何度も言うけど、それは国王様たちに聞いてみるといいよ」

 空いていた窓から入り込む風が、机の上に置いてある紙をはためかせた。

 風は流れがあれば、どこでも吹き抜ける。意図せずとも吹いていく。

 しかし、この村で吹く風は吹き抜けず、ただその村に留まっているだけだった。


 陽は徐々に落ち始めている。触れる風が冷たい。


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