6 連鎖する事件

連鎖する事件(1)

 倒れた翌日、リディスの容態は比較的落ち着きを見せていた。

 夜明け前にロカセナと交代したフリートは、横になるなり一瞬で寝入ってしまい、彼に起こされるまで目覚めなかった。リディス程ではないが、疲労が溜まっていたようだ。

 目を覚ますと、さっぱりした顔つきのロカセナに勧められて、フリートも顔を洗うことにした。水が冷たく、皮膚に刺激が与えられる。起床時はぼんやりとしていたが、ようやく脳も活発に動き出した。

 覚醒と同時に腹が空いていることに気づく。軽装のロカセナが朝食に行こうと言ったのは、彼も同様の状況だったからだろう。

 だが、リディスの胸が規則正しく上下しているとはいえ、彼女を一人にするのは憚られる。交代で食事に行こうかと話していた際に、ドアが叩かれた。ロカセナがドアを開けると、白いタオルを抱えた二十代前半の侍女が軽く会釈をして入ってくる。

「ミスガルム城からお越しのフリート・シグムンド様とロカセナ・ラズニール様ですよね? わたくし、この屋敷で働いている侍女のレリィと申します。リディス・ユングリガ様のご容体の確認及びお手伝いをしたく、お伺いしました」

 トルが言ったのか、スルトが察していたのかはわからないが、リディスの体調は筒抜けのようだ。侍女の言葉を聞くなりロカセナがにこりと微笑んだ。

「それは有難い申し出です。異性では対応できないことがありますので。僕たち、今から朝食をとりに行きたいので、その間に彼女のことをお願いできますか?」

「はい、大丈夫でございます。汗もかいているでしょうから、着替えをさせて頂きたいと思います。朝食なら屋敷東側にある食堂をご利用ください。外でも出店等は既に開いていますが、急いでお戻りになりたいのならば、食堂の方がよろしいのではないかと」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて食堂を利用させて頂きます。では彼女のことをよろしくお願いします」

 ロカセナが挨拶を済ませると、フリートも侍女に軽く会釈をして、彼の後をついていった。侍女はしばらく二人の様子を見た後に、やがて部屋の中に入っていく。それを見ると途端に肩の力が抜けた。

「……これからどうする?」

 今まで話題に出さなかった内容を、フリートの相棒はぽつりと呟いた。リディスがいる前では控えていたためだろう。フリートは夜中看病しながら、ずっと考えていたことをロカセナに伝える。

「俺たちの目的は領主から品を受け取って、城に戻ることだ。リディスが完治しなくても、そちらを優先するべきだろう。確かに今回は外交目的も多少は含んでいたが……俺の感じたところだと、あいつの対応は良かったはずだ。だが、体調が万全でない状態でこれ以上前に出すわけにはいかない。俺たちから色々な断りを入れておこう」

「それが妥当だね。リディスちゃんが聞いていたら、目を剥いて飛びかかってきそうな話だけど」

「そんなことはしばらくできないから、安心しろ」

「そう言っているけど、本当は飛びかかってきて欲しいんでしょう。まあ僕としても元気なリディスちゃんのほうが好きだけどね」

 さりげなく気に留めることを聞かせて、眉をひそめさせたフリートをよそにロカセナは食堂に入っていった。二十人程座れる、屋敷の一角とは思えないほどの広さである。フリートは中を見渡し、先客を見てさらに眉間にしわを寄せた。

「お前、一介の傭兵がどうして屋敷の食堂で食べているんだ!」

 オレンジ色のバンダナが特徴の青年に対して口を尖らせる。それをうるさそうに聞きながら、青年はスープを飲んでいた。

「飯代さえ払えば誰でも使っていいんだよ。値段は多少張るけど旨いからな」

 そしてまたスープを口に含ませる。トルの言ったとおり、屋敷に滞在しているように見えない人が何人かいた。意図的にトルから離れようとしたフリートだったが、ロカセナに無理矢理背中を押されて、彼の前にある椅子に嫌々ながらも腰をかけさせられる。

 ロカセナが店員に注文を済ますと、トルはスプーンを持ちながら声を潜めた。

「リディスはどうだ?」

「昨晩よりは落ち着いた。数日もすれば熱は下がるだろう。まあ、ある程度下がったら、完治していなくてもスルト領主から品を受け取って、ここを離れる。あまり長居をし過ぎていると、俺たちのうるさい上司からぶつぶつ言われるからな」

 わざわざ手紙で遅くなると伝えたのにも関わらず、再会するなり文句をぶちまけられ、ついでに無理矢理鍛錬場に連れていった上司を思い浮かべる。それを聞いたロカセナも苦笑していた。

「リディスちゃんの体調の件はあるけど、それを優先して事は動かないっていう意味。そうそう、この町では医者の往診ってやっている? できれば一度見せてあげたいんだけど……」

 スープを飲み干したトルは、視線を料理からロカセナに向けた。

「その件については俺も話があってな。今日、屋敷の専属の医者が来るから、その人に見てもらったらどうだ?」

「それは有り難い話だね。是非診てもらおう。トル、手配してもらってもいい?」

「そのつもりさ。出会ったよしみってところで、手伝ってやるよ。スルト領主からも滞在中の色々な手配もして欲しいって言われたからな」

「……もしかしてつまらない? 傭兵が観光案内や雑用をやって。武器を振り回して、悪党をこらしる仕事をしたい?」

 ロカセナが心の中を探るように、目を細めてトルを見る。だが気分を害した風でもなく、変わらない口調で返す。

「俺、もともと商家の息子なんだ。それなりに戦闘で動けるけど、どっちかというと雑用をこなす方が慣れている。だから今回も頼まれた時はすぐにやるって言った。ほら、他の領の奴と触れ合える機会って、そうそうないだろう? 刺激的だし、面白いしな」

「けどさ、逆に怖いとも思わない? 違う文化で住んでいた人たちだよ、何を企んでいるかわからなくない? 背後からぶすっと刺されたらどうするの?」

 フリートはがたっと椅子を動かし、目を丸くしてロカセナを見た。口元は微笑んでいるが、目は笑っていない。彼が何を考えているのか、まったく読めない。トルは腕を組んで視線を宙に向ける。

「そういう考え方もあるんだな。たしかに考えが違くて、対応するのに苦労したことはあった。けどよ、同じ言葉だから辛抱強く話し合えば、どうにかなるもんだぜ。それでも上手くいかなくて、信じていた相手に刺されたらしょうがねえな」

 そしてトルは右手で胸の辺りを叩いた。

「俺は自分の直感で大丈夫だって思った奴を信じる! お前たちも見た瞬間、大丈夫な連中だって思ったから、徹底的に面倒見てやるさ! ……いちいち人を疑っていたら、疲れてしょうがねえからな」

 ロカセナは目を瞬かせていたが、すぐにくすくすと笑いだした。

「あっけらかんとした性格だと思っていたけど、まさにその通りだね。――いい奴だよ、トルは」

「あ、ああ。ありがとな」

 トルはコップの中に入っていた水を飲み干すと、水差しでまた注いだ。

 間もなくしてフリートたちの前に朝食が一式並べられた。冷めないうちに食べようと、早速口に入れ始める。野菜スープを飲んだが、非常にいい味がでている。パンも焼き立てで美味しい。無言で食を進めていると、先に食事を終えたトルは椅子をひいて立ち上がった。

「医者の手配とかあるから、先に行っているな。また後で」

「ああ。手間かけるが、よろしく頼む」

「おう、ゆっくり味わって食えよ」

 トルはだぼだぼのズボンのポケットに手を入れながら出ていった。

 気が利くいい奴だ、と思いながらフリートはパンを口の中に入れた。食べ物が胃の中に溜まっていくと、力が漲ってくる。もう少しだけゆっくり食事をしてからリディスが寝ている部屋に戻ろう、そう思った矢先だった。

 まるで穏やかな時間などないとでも言うかのように、食堂のドアが勢いよく開かれた。トルが血相を変えて飛び込んでくる。場を考えていない行動に眉をひそめた。

「何かあったのか。食べ物がある場で埃をまき散らすのは良くないぞ」

「そんな悠長なこと言っていられるか! ――いいか落ち着いて聞けよ」

 トルは自分自身にも言い聞かせるように、順を追って言葉を並べていった。

「まず入り口で門番が二人斬られて重傷だった。誰かが侵入したらしい。それでリディスの部屋に行ったら――いなかった」

「何を寝ぼけたこと言っている。部屋を間違えたんだろう」

「だからいなかったんだ! 侍女が部屋の隅で倒れていて、他は誰も――」

 トルが言い切る前に、脱兎のごとくフリートは食堂から飛び出ていった。



 部屋のドアを勢いよく開け放ち、フリートはずかずかと入り込んでいく。開け放たれた窓、荒らされた部屋、破れたシーツ、そして白いシーツに飛び散る血痕を見て愕然とした。先ほどまで眠っていた少女の姿はどこにもいない。フリートは左手をきつく握りしめた。

「トル、領主に言って緊急手配とかできる? これは誘拐だよ。おそらく犯人は門番を斬ったのと同じ人物だ」

 ロカセナが静かに言うと、返事をしたトルは踵を返して領主の元へと急いだ。

 立ち尽くすフリートに声をかけず、ロカセナは窓をちら見して、部屋の隅で倒れている侍女を起こした。外傷はないようで少しだけ胸を撫で下ろす。体を揺さぶらせて刺激を与えると、侍女は薄らと目を開けた。

「大丈夫ですか?」

「はい……。あ……ユングリガ様は!?」

 ロカセナが軽く首を横に振ると、侍女はがっくりと項垂れた。目からは涙が零れている。

「わ、わたくしのせいで……。何て事を……」

「安心してください、すぐに取り返します。ですから、襲われた時の状況を教えてくれますか?」

 がくがくと首を縦に振る。

「ユングリガ様のお洋服を替え、氷を用いて冷やそうと思った時でした。ユングリガ様は目を覚ましていたのですが、急に起きあがって、わたくしを横に突き飛ばしたのです。何事かと思いましたら、わたくしがいたところに、顔を布で覆った男が剣を斬りつけていたのです。男は二人いました。ぞっとしました、リディス様が押してくれなければ、わたくしは斬られていたことでしょう」

 侍女の体が小刻みに震えるのは、命の危険に晒された恐怖を引きずっているからだろう。

「ユングリガ様は傍にあったご自分の短剣ダガーを使って、襲ってくる相手に対抗しておりました。ですが、まだ本調子ではないお体。隙を付かれて肩を刺され、状況的にもかなり不利になりました」

 小ぎれいな部屋に、場違いな赤い滴が点々と落ちている。

「そして男の一人が私に再度刃を向けると、ユングリガ様が『大人しくするから、その人に手を出さないで!』とおっしゃり、抵抗するのをおやめになったのです。男たちは彼女のお腹に拳を入れて大人しくなったところを持ってきたロープで両手足を、そして布で体全体を巻き付けていました。その後は私も気を失わせられたので、よくわかりません。……申し訳ありません、戸締まりをきちんとしていれば、こんなことには……」

 恐怖に怯え、縮こまる侍女を責めることはできなかった。ロカセナは努めて優しい声を出す。

「ありがとうございます。スルト領主に今のお話を聞かれるかと思いますので、その時はよろしくお願いします」

 フリートは窓の傍に寄った。横長に広い屋敷の西側の奥に位置するこの部屋。すぐ近くにある塀の外側は人通りが少ない場所と聞いている。病人がいるため静かな環境を意識して用意してもらった部屋だが、それが完全に裏目に出た。

 窓の縁に触れる指に力が入る。歯噛みをしながら溢れる想いを押し留めた。

「――フリート、動くのは領主が指示を出してからだ。下手に動いてミスガルム城の信用を落としたくない」

「わかっている。場所や目的の検討が付かない今、動けるはずがないだろう」

 だが言葉と裏腹に、体は窓の縁と先に続く塀を飛び越えたくて仕方なかった。


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