火の加護を受ける国(6)

 スルトが何かを企んでいるのは、妙な気配が見え隠れしているところから、リディスは気づいていた。じっくりスルトの様子を伺いながらも、言葉では粗相のないようにリディスは返していた。そして明らかな殺気を感じるなり、無意識にリディスも右手で短剣ダガーを引き抜く。

 間髪おかずに、黒髪と銀髪の青年たちの背中が視界に入った。二人とも腰に備えていたショートソードを抜いている。

 息を吐く間もない僅かな時間に、四人が剣を抜いた――。

 すぐにスルトの殺気がなくなった。彼の剣はリディスに向かって振り下ろす途中で止めている。それをそのまま下ろさずに鞘に剣を戻した。リディスもそれに従って、短剣をしまう。

 しかし依然として用心している、フリートたちは剣を下げようとはしなかった。

「スルト領主、何のつもりですか。場合によっては領主といえども容赦はしません」

 苛立っている声のフリートを、背中越しからリディスは見る。口を一文字にして、彼は回答を待っていた。スルトは両手を上げながら口を開く。

「すまない、つい試してみたくなっただけだ。最低限の警戒心はあるようで安心した。ついでに護衛の二人の怖さもな」

「試す? リディスの力量をはかったのですか? 出会った早々、手荒いことをするのですね」

「トルから多少話を聞いているだろう。ミスガルム領よりもここの領の治安が良くないのは領主自ら認めている。だから試した、自分の身を守れる娘かどうか。――いい加減下ろしてくれないか。短剣ならまだしも、そんな剣を向けられては安心して話せない」

 ロカセナはちらちらとリディスの様子も見ていたが、フリートは微動だにせずスルトだけを睨み付けている。頭に血が昇っているようだ。リディスはややフリート寄りに顔を向けた。

「フリート、ロカセナ、剣を下ろしなさい。今回は私の護衛で来ているのでしょう。決定権は私にあります」

 いつもより少し強めに言うと、ロカセナは肩を撫で下ろして素直に鞘に入れ、フリートは躊躇いながらも一歩下がって剣を鞘に納めた。リディスは再びスルトと向き合うと、彼は軽く頭を下げた。

「改めて先ほどはすまなかった。それなりに場数は踏んでいるようで安心した。だが極力一人で町中に出歩かない方がいい。その髪と瞳の色は非常に目立つ」

 真っ直ぐ貫く視線がリディスを射抜く。言葉につられて、つい金色の髪に触れる。シュリッセル町でも目立つと言われたこの色――やはりどこに行っても状況は同じようだ。決して変えられない事実に対する苛立ちは、リディスに金色の髪を強く握りしめさせた。

 その様子を見たスルトは表情を和らげて、自分の頭を指し示す。

「この地ではこのように頭に布を巻いている者が多い。希望があれば侍女に手配させよう。そうすれば町に出やすいはずだ。――さあ今日はこれくらいにしよう。私との話はまた後日、今晩はゆっくり休みたまえ」

 リディスの気持ちや体力を汲み取った気遣いが嬉しかった。正直に言えば立っているのさえ辛い。聞きたいこともたくさんあるが、今は休むことを優先しよう。

「ではお言葉に甘えまして、今晩は休ませて頂きます。お忙しい中お時間を割いて頂き、ありがとうございました。また後日よろしくお願い致します」

 リディスが頭を下げると、フリートとロカセナも後に続いた。頭を上げると、トルが部屋に案内すると言ったため、彼の後を着いていく。スルトは終始穏やかな表情で、リディスたちが出るまで見守っていた。

 部屋から出て階段を降り、トルは右側の通路に進んだ。彼は何かの説明をしているようで、明るい口調で言葉を発しているが、リディスの頭に入ってこなかった。気が付けば歩調が遅くなり、視線が下に向いていく。体が思うように動かない。呼吸が速くなる。

 誰かの呼び声が聞こえた――そう耳に入りかけた時にはリディスの意識は途切れていた。

 最後に感じたのは、誰かがリディスのことを抱える温もりだった。



 フリートたちがトルに案内をされた部屋は広い客間であり、三人など余裕で寝られる広さだった。フリートはリディスを横抱きで運び、三つ並んでいるベッドの真ん中に寝かしつける。それを見届けたトルとロカセナは何か冷やすものを持ってくると言い、部屋を出て行った。

 その間にフリートは部屋にあったタオルを拝借し、汗が出ているリディスの顔を拭う。そして唐突に意識を失ってしまった彼女の顔をじっと見る。

 スルトと話している時は、かなり無理をしていたのだろう。屋敷に入る前より格段に容体は悪くなっている。小刻みに呼吸している少女。疲労による発熱、それが妥当な診断だ。

 本当なら医者をすぐにでも寄越してもらいたいが、夜も更けているため無理を言って呼ぶのは躊躇われた。今はロカセナたちが戻るのを待つくらいしかできない。

 眠っていても辛そうな顔をしており、それを見る度にフリートの胸は締め付けられた。

 いくら体力には自信があると言っても、所詮は女性。こういう状況になるのなら、自分の船酔いなど我慢して、海を渡る船を使うよう姫たちに提案するべきだった。

 不意にフリートは、自分がリディスのような状況下に置かれたことがあったのを思い出した。

 小さい頃、十歳前後の時に高熱を出したことがあった。彼女よりももっと酷い状況で、数日間ずっと喘いでいた。本当に治るのか、自分はこのまま死んでしまうのではないかと思った。だが弱気になった時に、傍にいた母は手を握って、いつも声を掛けてくれたのだ。

 大丈夫、お母さんがずっと傍にいるから頑張りましょう――っと。

 その言葉が何よりも励みになり、熱が下がるまで耐え抜いたのだ。

 意識を現実世界に戻すと、リディスの手が何かを掴みたがっているように見えた。誰かにすがりたいのだろうか。それは父親であるオルテガか、仲良く楽しそうに乗馬をしていた相棒のロカセナか、それとも――。

 フリートにとっては小さな手である、少女の手を取ろうとする。しかし、それをする前に廊下を走ってくる音が聞こえた。

 我に戻り、布団を掛け直していると、ロカセナとトルが部屋の中に入ってきた。珍しく呼吸を乱しているロカセナから氷が入った袋を手渡された。

「よく氷が手に入ったな」

「たまたま水の精霊ウンディーネを召喚できる人と会えて、そこで水を氷に変えてもらった。これを使えば、少しは早く熱を下げることができるんじゃないかな」

「そうだな。額と脇に分けて冷やそう」

「僕も手伝うよ」

 フリートと向かい合うようにして立ったロカセナに薄い布袋を手渡した。その中に氷を入れて、リディスの脇の下に入れる。とにかく今は熱を下げることが先決だ。基本的な処置を思い出しながら事を進めていく。

「俺ができることはもうないか?」

 手持無沙汰になったトルが小さな声を投げかけてくる。フリートとロカセナは表情を緩ませて、次々にお礼を言った。

「すまなかった、夜更けまで付き合わせて。明日以降も世話になった時は、よろしく頼む」

「ありがとう。トルのおかげで助かったよ。今日はゆっくり休んで。また後日にでも」

「おう。また明日も顔出すから何かあったら言ってくれ。それじゃ」

 笑顔で挨拶をすると、トルは部屋から出ていった。

 そして二人はまた作業に移る。氷詰めはすぐに終わったが、額の氷はずっと持っていなければならない。フリートはそれを持って、リディスの顔を眺めている相棒に声をかけた。

「寝ていいんだぞ。お前だって疲れているだろう。リディスだけでなく、お前まで倒れたら洒落にならない」

「条件はフリートも同じ。むしろ船酔いのことも考慮したら、そっちの方が体力減っているはずだよ。無理しなくてもいい。何のための二人組なんだい?」

 ロカセナが頬を緩ませながら、フリートを見てくる。思わず彼の視線から顔を逸らした。諭してくる時のロカセナは苦手なのだ。彼の思惑通りに進みそうでやりにくい。フリートは妥協案を考えて、すぐに伝えた。

「じゃあ交代制にしよう。だから先にお前が寝ていろ。時間が経ったら起こす」

「そう言って朝まで起こさなかったら怒るからね?」

 珍しく今回は反撃の言葉もなく、あっさり退いてくれた。ロカセナがベッドから離れようとすると、リディスがもぞもぞっと動く。また何かを握ろうと、手を動かしているようだ。それを見たロカセナは躊躇いもなく握り返した。

「――大丈夫。近くにいるから安心して」

 そう言ってリディスの手をそっと離すと、彼女は動かすのをやめて大人しくなった。

 その様子を半ば呆然として見ていると、ロカセナがくすっと含んだ笑いを浮かべる。

「リディスちゃんってさ、ついつい護りたくなっちゃう子だよね。必死に頑張っている姿は眩しいけど、時として弱い一面も持っていて」

「何が言いたいんだ」

「二人で護ろうねってところ。まだそんなに深い意味は持たせているつもりはないから。じゃあお先に」

 最後の方は顔も合わさないで一方的に言ってから、ロカセナはベッドの毛布を一枚取ってソファーで横になった。別にベッドで寝てもいいだろう、と言おうとしたが、すぐに肩を上下し始めたので、何も言えなかった。あんなに早く寝るとは、ロカセナもだいぶ疲れていたようである。

 気を抜いてしまえば、フリートの意識も微睡の中に消えてしまいそうだ。しかしそのようなことをしたら、リディスの回復が遅くなってしまう。改めて気合いを入れ直しつつ、彼女の前髪を軽くかきあげて、その上に氷水が入った袋を乗せた。

「――早く元気になれよ」



 * * *



 誰かの声が聞こえる――。


 それと同時に、はっと目を覚まして、リディスは横になっていた体を持ち上げた。周囲は白い靄で包まれている空間。地面は芝生で覆われており、そこに横になっていたらしい。

「ここはどこ? 私、さっきまで廊下を歩いていたような気がするけど……」

 頭の中を大量の疑問符が覆いつくす。体調のことも考慮してゆっくり立ち上がったが、特に違和感はなかった。頭痛もせず、体のだるさもない。もう治ったのかと思いたかったが、それよりも不可思議な環境下の方に気が行ってしまった。まずは周りの状況を確認しようと、辺りを見渡しながら歩き始める。

 しかし、歩いても歩いても、靄と芝生しか見ることはできない。それが続くと、だんだんと不安な想いになってくる。

 立ち止まり俯いていると、草を踏み分ける音が聞こえてきた。顔を上げると、靄が一段と濃くなっている部分がある。目を凝らすと、そこに人影が映っていた。辛うじて口元だけは確認できる。

「すみませんが、ここはどこですか?」

「――ここは貴女の夢の空間。そこに私が入り込みました」

 大人びた女性の声が耳に入ってきた。リディスは左右を見ながら場を再確認する。

「夢の中ってことは、私は――」

「まだ体調は回復していません。現実世界で以前の状態に戻るには、少し時間がかかるでしょう」

「そうですか……。しょうがないですね、あれだけの熱を出せば」

 体調管理のなさが露呈し、リディスは苦笑して言葉を漏らす。だが思考はすぐに違う方向に行き、女性に対して首を傾げる。

「私の夢の中に入り込んだって言いましたよね。貴女は何者ですか?」

 女性は口元に笑みを浮かべる。

「導き者の一人。少しばかり道が見えない貴女の導きをしようかと思い。――貴女、還術について知りたいのですよね」

 その言葉を聞いて目を見開いた。若干警戒しつつ見る。

「私は貴女の代わりですよ。だからそんな怖い顔で見ないで」

「意味が分かりません」

「分からなくていいのです。今はそのときではないから」

 誰かに言われたような台詞に、リディスは脳内を巡らせた。女性は淡々と話を進める。

「還術について調べるのもいいですが、もっと的を絞った方がいいと思います。――ねえ、還したモンスターはいったいどこに行くのでしょうか。そもそもモンスターって何なのでしょうか」

 突然出された質問に眉をひそめる。

「モンスターは人間と相入れない生き物じゃないんですか? 還せばモンスターが本当に生きる場所へと戻ると言われています」

 それはリディスが還術を始めた時から――いや、もっと昔から人々に言い伝えられていることである。周知の事実であり、それをあえて聞いてくる理由が分からない。

「一般的にはそうでしょう。それなら本当に生きる場所とは、どこ?」

「それは――」

 それに関しては答えられなかった。多くの書物を読んでも、その部分に関してはぼやかして書いているか、触れていないため、わからないのだ。リディスなりの推論があればいいのだが、考えつくほど知識がないため、現時点では口にすることはできない。

 沈黙を一つの回答と受け取った女性は、脳内の中にいつまでも残るような印象深い声質に変えた。


「その場所がわかれば、なぜ還術というものがあるのかもわかるはず。それは今、貴女が抱えている問題を解決する糸口にもなるかもしれない。もっとも、根本的な――」


 すべてを言い切る前に女性の全身は靄に包まれてしまった。

 同時にリディスの視界も暗転した。 


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