火の加護を受ける国(5)

 若干寄り道をしたが速度は上げていたため、夕方にはヘイム町を囲む川の傍に到着した。そこで馬は返し、今日最後の定期船に急いで乗り込んだ。前の川よりも距離は短いが広さの割に流れがあり、小舟では却って危険なため大きめの船を出しているらしい。

 船に乗り込み、フリートは川の先にある町に関する内容を思い出す。

 ヘイム町は自然の要塞で守られていると言われており、北側は山と川、南側は海で囲まれている。

 もし侵入する場合には、たとえば北側から攻めたとしたら、険しい山を越えるか、行動が丸わかりの川を渡らなければならない。また南側から攻めようとしても、海の中に船を浮かべることになるので、逆に迎え討たれてしまうと考えられている。

 乗船後は、トルから今後の詳細について聞くことになった。船室の一角に座るとトルが口を開く。

「宿を取るのが面倒だから、すぐに屋敷に案内しようと思う。予定より早いが大丈夫だろう。夜の食事とかは適当にしてもらって、後日歓迎会ってところかな」

「なんだ、その不確定要素ばかりの言い方は」

 中途半端な物言いをされ、フリートは若干語尾に苛立ちを込める。トルは肩をすくめて言い返す。

「だって、馬を使ったおかげでだいぶ日数が縮んだんだぜ。ただの案内人が変更後の事情なんてわからねえよ」

「突然夜遅くに伺うのは良くない。町の宿で一泊してから――」

 トルが虚ろな目をしているリディスをちらりと見た。

「スルト領主はすごくいい人だ。急な用でも対応してくれる。……実は町の宿の良し悪しが激しくてな、それなりにいい所で夜中に受け付けてくれる宿を俺は知らない。半分以上が雑多な宿、疲れなんてとれるわけない。それに――」

 トルが声をひそめてフリートとロカセナに近づく。

「ムスヘイム領に入ってから気づいていると思うが、お前たちみたいに肌が焼けていない人間は少ない。ましてや金色の髪なんてほとんど見ない。そんな女を連れて何かあったらまずいだろう。あまり言いたくないが、治安のいい領じゃない。盗みの被害もよく聞く、人間も含めてな。リディス、戦闘には自信があるって聞いたが、今、見た感じだと相当疲れているぞ」

 フリートはやや背中が丸まっているリディスを肩越しから見る。いつもより覇気がない。慣れない土地を移動したことによる、体力の急激な低下だろう。気を配っていたとはいえ、我慢させてこのような状態にさせてしまったのは不甲斐ない。

 もしかしたら、まだフリートたちには気を許したわけではないかもしれない――そういう考えも浮かび上がっていた。

 フリートはロカセナと軽く頷きあうと、意見を一致させる。そしてトルにそれを伝えた。

「すまないが、時間は遅くなるが、船が着いたら領主の屋敷に案内してくれ。謝罪して中に入れてもらう」

「わかった。まあ謝罪しなくても、その状態を見せれば納得してもらえると思うぜ」

 さりげなくロカセナがリディスの左隣に座り、右手で背中を支え、そっと左手で彼女の額に手を当てる。触れるなり、ロカセナの眉間にしわが寄った。

「ロ、ロカセナ、何、急に……?」

「……リディスちゃん、無理しないって、何かあったらすぐに言ってねって伝えたよね」

「別に大丈夫だよ。元気だって。普通に歩けるし……」

「精神的に気を張っているだけでしょ。体はもう限界みたいだよ。今は少し寝て、僕たちがついているから」

「……ごめん」

 元気のない声を発すると、ロカセナに寄りかかるようにしてリディスは目を閉じる。そしてすぐに小さな寝息をたてて、眠りについてしまった。彼女の頭をロカセナは優しく撫でる。

「すまないな、トル。変に気を使わせて」

 リディスの様子を横目で見ながら、フリートは沈痛な面持ちになる。トルは飄々とした様子で返した。

「いいってことよ。俺、他の領から来たばかりの人と何人か会っているけど、鍛えられた人以外はたいてい調子悪そうだったし。いいとこの嬢ちゃんなんか、真っ先に参って当然だ。それに領同士を隔てる川で一悶着あったんだろう?」

 振られた話は、大蛇の大群のことだろう。さすがにあれだけの事件だ、一瞬で町に噂が広がったようだ。

「まあ生きているだけ良かったんじゃないか。船が沈められて生きて辿り着けませんでした、の方がたちが悪い」

 フリートたちにとっては耳が痛い内容である。自分たちだけでは何もできなかった。もしあの女性がいなければ、この場にいられなかった可能性が高い。フリートはおもむろに前髪をくしゃりと掴んだ。

 船の速度が遅くなると、間もなくして若干ながらの振動があった。その振動によってリディスは目を覚まし、ロカセナに支えられながら船室を出る。

 外に出たフリートたちの視界に広がったのは、星が微かに輝く夜空の下に煌めく炎や光宝珠の明かりたち。そして多数の人々が道を往来している様子。まるで昼間のような様子に驚いてしまう。この時間帯であれば、ミスガルム城下町ではほとんどの人が家の中に入っている。

「知っているか? ヘイム町は夜の方が人々は活発になるんだぜ。食事とか家で食べないで、そこら辺の露店で食べる。のんびり家で過ごすっていう風習がないのさ」

「話には聞いていたが、実際に見るとびっくりするものだな」

「リディスの容体が落ち着いたら、町中にも行ってみるといい。それじゃ、案内するな」

 船から降りるとトルはさっさと歩き始めた。ロカセナがリディスの腰に手をあてて歩く姿を見ながら、フリートは周りに気を使いつつ後を追う。

 トルが言っていたとおり、褐色の肌の人がほとんどで、服も軽装の者が多いため、マントや上着を脱いだとしてもかっちりとした印象が抜けきれないフリートたちは浮いて見える。道すがら好奇な視線が感じられた。

 領主の屋敷は船着き場から遠くなく、徒歩圏内だった。すぐにその一角は見え、明るい光が照らされているだだっ広い屋敷が目に入る。周囲を囲んでいる塀をぐるりと周ると、入り口に辿り着いた。


 トルは少し離れたところに三人を待機させ、入り口にいる二人の門番の男に話をしにいった。彼らはフリートたちに目を向けて、何度か相槌を打っている。そして門番の一人が屋敷の中へ入り、しばらくして戻り、頷かれたのを見ると、トルの表情は和らいだ。手続きが終わったのか、トルは入り口に来るよう手で拱く。

 歩き出そうとした矢先、リディスが支えていたロカセナの手を払った。彼は目を丸くして、その手を見つめる。

「リディスちゃん、無理しない方が……」

「領主様に会うのに無様な姿は見せられない……。私だって一貴族の娘よ。これくらいの体調でも挨拶くらいできる」

 肩で呼吸しており、リディスが強がっているのはよくわかる。だが、先ほどよりも目に力が入っているため、無理に止めることはできなかった。

 トルはリディスが一人で歩いてきたのを見ると、目を瞬かせた。理由を聞くために視線を向けられたが、曖昧な表情で返すしかない。

「トル、領主様は……」

「こっちから言って遣わしてもらったミスガルム城からの使者だ、もちろん屋敷に招待してくれるってさ。ただ、歓迎の食事は明日以降になるってよ」

「ありがとう。お気持ちだけで充分よ。一言挨拶したいから案内してくれる?」

「ああ、無理はするなよ」

 一同は塀に囲まれた屋敷の中に入っていった。屋敷よりもその庭が非常に広く、人工的に作られた池も見られた。その周りを光宝珠で照らしているため、夜であってもはっきり池の形が見える。

「ねえ、フリート、貴族ってみんなあんなに無理するものなの?」

 ロカセナがしっかりとした足取りで歩くリディスに目を配らせながら、隣にいたフリートに小声で話しかけてくる。

「人によるだろう。あれは一種の意地だ。リディスは町を治める貴族の一人娘。自分の立場を嫌がっていても、幼い頃に備わった誇りや習慣はなかなか抜けられないみたいだな」

「フリートも?」

「……否定はしない。お前だから言うが、適当な振る舞いをしている文官貴族を見ると、腹立たしく思うこともあるよ」

 地位も出で立ちも、何もかもすべて過去に置いてこようとしたが、周りがそうさせなかった。

 付いて回るのは『由緒正しい文官貴族の家から、前線で活躍する騎士の道を進んだ希有な存在』。その道を歩む過程で、親子が大喧嘩をしたという内容も噂には流れている。

 城でも優秀な文官の一人である父を持つフリートは、小さい頃からその後を継ぐよう言われていた。だが、ある事件を発端にその将来について疑問を抱くようになったのだ。

「フリートさ、リディスちゃんを自分と比べているの? 一貴族として生きるか、還術士として生きるかっていう真逆の可能性を持つ彼女を」

「……さあな。そんなの俺には関係ない」

 胸がざわついたが、これ以上話をさせると領主との謁見の際に気が散る可能性がある。ロカセナは良くも悪くも的確に物事を突いてくるため、中途半端な言い方ではばれてしまう。そのため強制的に話を終わらせ、前に意識を向けることにした。

 松明が左右に焚かれている扉をトルが押すと、荘厳な室内の様子が目に飛びこんできた。明るい色の壁に、廊下の至る所まで光が行き届いている通路。昼も夜も関係ない明るさだ。しかし屋敷内は人の姿は見当たらなく、どことなくその明るさが浮いているようにも見える。

 トルは目の前にある左右に分かれて上に続いている階段のうち、右側を選んで進む。そして二階に上がったところにある扉に手をかけた。

「スルト領主はこの先にいる。まあそう肩に力を入れないでくれ」

 軽く扉を叩くと、中から扉は開かれた。

 扉の先には大きな机が真正面にあり、机の後ろに一人の男性が座っている。頭に布を巻き付け、白い髭を伸ばしている男性が、トルやリディスたちを見ると、書くのをやめて立ち上がり近寄ってきた。

「スルト領主、ミスガルム城からの使者を連れて参りました」

 さすがにトルも領主相手には緊張気味だった。スルトはリディスたちを見ると、腕を広げて笑みを浮かべる。

「ようこそ、お三方。遠い地からよくぞおいでくださった。何もないところだが、ゆっくりしていってくれ」

 歓迎の言葉を出されると、リディスはトルを差し置いて前に出る。そして丁寧に頭を下げると、スルトにも負けないくらい穏やかな表情を浮かべた。

「初めまして、ムスヘイム領の領主様。ミスガルム城より参りました、リディス・ユングリガと、黒髪が騎士のフリート・シグムンド、そして銀髪が騎士のロカセナ・ラズニールでございます。まずは夜分遅く、また事前連絡もなく予定よりも早い到着のご挨拶となり申し訳ありません。心よりお詫び申し上げます」

 再び深々と頭を下げた。それにならってフリートたちも頭を下げる。

「頭を上げて欲しい。無理を言って来てもらったのはこちらだ。それにも関わらずさらには急いで来てくれた。謝る必要はどこにある?」

 リディスは申し訳なさそうな表情で頭を上げた。

「そのように言って頂き、ありがとうございます。有り難くそのお言葉を頂戴致します」

 流れるようなはっきりとした物言いに、フリートは内心驚いていた。さっきまで歩くこともままならなかった少女が、領主相手に堂々と話をしている。これほどまでに虚勢を張れる人間、そうは存在しない。

 スルトはリディスが弱っているなど知らずに、話を続ける。

「さて、折角だが是非とも歓迎の会を開きたいと思う。ただ私も少々予定が立て込んでいるため、予定到着時である明後日の夜にと考えているのだが、どうだろうか?」

「私たちは特に予定もございませんので、領主様が仰る日程で構いません。むしろそのような会を開いて頂き、有り難き幸せでございます」

「ではそのように手配する。その間は町の中を探索してみてくれ。さて――」

 不意にスルト領主の声色が若干ながら低く変わった。そして徐々にリディスの傍に近づいてくる。彼女もその気配の違いに察知し、ほんの少しだけ目を細めた。

「ミスガルム国王から文を事前に頂いたが、貴女は女の身でありながら槍を使う、大層な還術士であるそうだな」

「どのような内容を書かれたかは存じ上げませんが、少々過大評価をし過ぎです。私はただの一介の駆け出しの還術士。私程度の方など大勢いらっしゃいます」

「――そうか。それならば少しその実力を試させてもらおう」

 殺気が強くなったその瞬間、スルトは左腰にあった剣を抜き、リディスへと振り下ろした。


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