光を頼りに進む道(2)
* * *
どうしてあんなことを口走ってしまったのか。
いつもなら他人の諸事情に、自分から首など突っ込まない。
哀れに思ったからか、あまりの震えに対して。
好奇心が芽生えたからか、謎の現象に対して。
それとも試したかったのか、彼女の心の奥に閉まっている想いに対して――。
徐々に平静さを取り戻していくリディスをフリートは横目で見つつ、屋敷の近くまで送っていった。ロカセナなら中まで送っていくだろうが、出入り口でのやり取りも面倒であるし、自分自身はまだ怪我人だ。オルテガたちに心配そうな目で見られたくはない。
彼女は別れ際に改めてフリートにお礼を言ってから、背を向けて一人で歩き始めた。
昨日のように背筋を伸ばしているのではなく、先ほどの出来事後のように今にも座り込んでしまいそうな姿ではなく、その中間くらいのゆっくり視線を上げ始めたような姿勢である。
その後ろ姿を見届けて、フリートも宿への帰路に着いた。しばらく黙々と歩いていると、不意に視線を感じとる。振り返ると、相棒とも言える銀髪の青年が、壁に背中を付けてにこにこした表情で腕を組んでいた。
いつからいたのだろうか、彼がいるという気配が直前まで感じられなかった。ロカセナはフリートが自分の存在に気付くと、壁から背中を離して寄ってくる。
「リディスちゃんを連れて行くの? フリートがそんな提案を出すなんて、本当に珍しい。はっきり言ってあてもないし、それくらい自分でどうにかしろって言うのかと思っていた」
「あいつが望んでいればの話だ。外に出たがっていたのは気付いていたからな。それに徐々に還術士が少なくなり、モンスターが増えている中、一人でも術士を減らすのは得策ではない」
「その言い分はもっともだけど、果たして町長が許してくれるのかな。可愛い娘としばしの別れだなんて」
「それをどうするかは、あいつ次第だ。俺はきっかけを与えたにすぎない」
フリートは止めていた歩みを再び動かした。
まだ左腕の傷の痛みは残っている。しかし傷が完治するまで居続けることは難しい。この町だけに用があって城を出たわけではなく、他にもう一カ所行く予定があるのだ。数日以内には町を出ることも視野に入れる必要がある。
「そういえばさ、面白い話を聞いたんだよね」
意味ありげな内容を言ったロカセナをちらりと見る。
「腕利きの還術士の男性が、ある日を境にしてまったく還さなくなったという話を。そんな彼が実は僕たちが探している人物と同一人物らしいよ。それと別の町にいると思っていたけど、実は今、この町に滞在しているらしい。その人と会ってどうにかなる問題でもないと思うけど、彼女も連れて行って、一緒に話でも聞いていいんじゃないかな?」
「その情報は本当なのか?」
「僕がフリートに嘘を吐く理由はないけど」
「それもそうだな。町の中なら、すぐに許しも出るだろう……」
言いながら脳内の片隅に何かが引っかかった。思わず立ち止まったが、そのままロカセナは宿へ向かって歩き続けている。その背中を自然と目で追っていた。
ロカセナの情報源はよくわからないことが多いが、経験的に内容は真であることが多い。つまり今回もその人物がこの町にいるというのは、確率的に高いだろう。
だがそれ以外の些細なことか、隠れた根本的なことかはわからないが、何かがフリートを立ち止まらせた。
動かないフリートを、ロカセナが不思議そうな表情で見てくる。彼への疑問を振り払うかのように、早歩きで追いつこうとした。
少しずつ空は茜色へと染められていく。
ゆっくり、ゆっくりと――。
* * *
疲労が残っている状態で還したためか、さらに疲れが蓄積されていた。夕飯後、リディスはベッドに入るなりすぐに眠りに落ちてしまった。
だが夢の中でも平穏な時間は過ごせず、還した時に脳内をよぎった、凄惨な光景が再び現れる。その光景から目を逸らしても、耳にずっと叫び声が残ってしまう。聞きたくない、心の底を突き刺すような声が。
うなされながら、やっとの思いで飛び起きた。汗で下着は濡れ、呼吸が荒い。実際に還していないのに、あたかも行った直後のような感覚に陥る。
「どうして、やめてよ……」
まだカーテン越しから陽の光は入ってこない。寝直せる時間帯だが、深い眠りに付けそうになかったため、体を横にして天井を見つめた。
「このままこれが続くの……」
ぎゅっとシーツを握りしめた。呼吸は落ち着いてくるが、不安な想いは依然として拭いきれない。
あの光景はあまりに衝撃的だった。目を閉じれば瞼の裏に浮かび上がってしまう。しばらくは寝るのもままならないかもしれない。
「差し伸べられた手、握ろうと決めていた。動いて実行しなくちゃ……」
やがてうっすらと外は明るみを帯び始めていた。
* * *
リディスが還術後に異様な光景を見てから、三日経過した。
町の入口での戦闘時に負った傷は治り始めており、スピアを軽々と振り回すところまではいかないが、動くのに違和感がない程度まで傷は癒えている。
しかし体力に関しては、完全に回復できていない。悪夢を見たり見なかったりを繰り返しており、充分な睡眠が取れていなかった。また常に不安が心を覆っている状態であり、起きていても心穏やかに過ごせなかった。
それが顔にも表れているのか、朝食の場ではオルテガやマデナに心配されてしまう。何があったと聞かれても、信じてもらえるはずもないので、笑って受け流すしかなかった。
もしかしたら精神的な部分まで、蝕んでいるのかもしれない。家に引き籠るのも良くないと感じ、人と触れ合うために数日ぶりに町へ繰り出した。
雑踏でざわめく町の中心街へと向かおうとした時、ある宿屋に視線が向く。そしてその宿の一階で食事をとっている二人の青年と目があった。
黒髪のフリートは視線を逸らしたが、銀髪のロカセナは手招いている。それに従い中に入った。
「やあ、リディスちゃん、元気にしていた?」
「ええ、まあ……。二人はどうしたの、出かけるの?」
二人は向かい合ってシュリッセル町の地図を広げている。
「フリートの調子が良くなってきたから、探索がてら歩こうと思って」
「それなら私に言ってくれれば案内するのに」
「疲れはとれたの? 怪我の具合は? オルテガさん、心配するんじゃないの?」
「怪我はもう大丈夫。あまり家にいても却って気が滅入るだけだから、息抜きと言って出てきたわ」
肩をすくませながら、リディスは嘆息を吐いた。家というよりも、一人でいると余計なことを考えてしまうから飛び出した、と言った方が正解だろう。その中で二人と出会ったのは幸運だった。
ロカセナは地図を畳んで、声を弾ませる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて案内を頼もうかな。モンスターが飛び出てくるわけでもないしね。お薦めの場所ってある?」
「どういう所に行きたいかにもよる。何か希望は?」
ロカセナは手を顎に添えて考え込む。フリートは視線を机に向けて口を一文字にしている。一瞬上目使いで視線が合うなり逸らされた。リディスは彼を見下ろして、右手を軽く左腕に添える。
「フリート、どこか行きたいところがあるの?」
「い、いや別に……」
しどろもどろに返される。絶対にどこか行きたい場所があるはずだ。追求しようとする前に、ロカセナがやんわりと遮った。
「そういえばフリート、評判のいい武器屋や防具屋に遠征の時によく寄るよね。あとは古書店とか」
「古書店……?」
「そうそう。こいつ、実はこう見ても、ぶん――」
「余計なことは言うな!」
鋭く割り込まれて、リディスはびくっと反応する。深入れをしてはいけないところらしい。
それにしても古書店の単語を出した時のフリートの反応は、わかりやすかった。即座に口を挟んだが、顔の緩みは隠しきれていない。リディスは面白いものを見てにやにやしつつ、話をまとめた。
「それじゃあ、東の商店街に行こう。あそこには武器屋もたくさんあるし、大きな古書店もあるから」
その案を出すと片方はにこにこし、片方は口を尖らせていたが、しっかり首を縦に振った。
シュリッセル町の中央にある商店街は食事処が多い。一方、少しずれた場所に延びている東の商店街は、流れ者の傭兵が武器や防具を購入する店や、学者系の人もちらほら伺う古書店がある。そこまで人が多い通りではないが、昼の半ばとあってまばらに人はいた。
「古書店は奥にあるから、武器屋とかを見ながら行こう。気になるところがあったら言ってね」
リディスにとってこの通りに来るのは久しぶりで、少し浮き足立っている部分はある。
本当は幾度もなく通いたかったが、貴族令嬢が一人で歩くには不自然な通りで目撃され、オルテガの耳にでも入ったりしたら、小言を出される可能性があった。それを避けるために意図的に近寄らなかったが、今回は案内という名目があるので堂々と歩けている。
ロカセナは相変わらずにこにこと眺めているだけで、気に入っているかはわからないが、おそらく大丈夫だろう。問題はフリートで、彼は窓の奥に見える品をじっと見ながら、リディスの後ろを歩いている。
「別に立ち止まって見てもいいけど。急いでいるわけでもないんだし」
「武器や防具に関しては、欲しているものはないから大丈夫だ。それよりお前のスピアに還術印を施した人物は、この近くにいるのか?」
リディスはその言葉に対しては首を横に振った。
「私はたまたま町に通りかかった腕利きの還術士にやってもらったから、今はいないわ。一応それなりの水準の力を持っている人がいる店ならあるけど……。フリートくらいの実力があれば自分でできるんじゃないの?」
「俺は還術印の施し方は教えてもらっていないから、還術印は施せない」
そう言って率先して歩き始める。軽く首を傾げると、ロカセナが隣に寄ってきた。
「僕たち騎士はね、モンスターの脅威から人々を守るための手だてとして剣術などを習う。その中でも優秀な人は還せるようにまで教育される。でも術印を施すことまで習っていないから、やり方が知らないわけさ。つまり純粋な還術士とは違うんだ」
「ロカセナも還術できるの?」
「一応ね。あまり強い相手でなければ」
複雑な表情ではにかむ。つまり逆を捉えれば、フリートはそれだけ優秀な人物ということだ。この前の祠での戦闘で、たった一人で巨大なモンスターを還せたのだから。
フリートがある店の前で立ち止まり、興味津々に防具を眺める姿は、凛々しい騎士に見えなくもない。もう少し口が良ければ、強くてかっこいい騎士として慕う人が多くなるはずだ。
肩に入った力を緩めていると、不意に第三者からの視線を感じた。思わず振り返るが、いつもと変わらない人々の往来の様子が目に映し出されていた。
「リディスちゃん、どうしたの?」
「何でもない。ただの気のせい――」
「おい、さっさと行くぞ」
立ち止まっているリディスたちに、フリートが声を投げかけてくる。何だかんだ言いつつも、一番楽しんでいるのは彼だろう。
慌てて追いつき、並んで雑談しつつ歩いていると、二階立ての古書店に辿り着いた。若干ながら興奮しているフリートを促して中に入った。
少し埃っぽい室内だが、天井に届きそうな高さの棚の中に、本が綺麗に並べられている。フリートが背表紙を見て、一冊手に取ると感嘆の声が漏れた。
「だいぶ珍しいものがあるな」
「シュリッセル町って、ミスガルム領外の学者さんや知識人が流れてきやすいの。そこで資金調達のために手元にある本を売り払うから、古書店が充実しているのよ」
「なるほど……」
上の空で聞きながら、彼は本を物色し始めた。まるでリディスの存在などなかったかのように本を広げて、没頭していく。その姿がまた妙に様になっている。
少し離れたところで腕を組んでいるロカセナを見ると、仕方ないと言わんばかりの顔をしていた。
「フリートって、書店に来るといつもあんな感じなの?」
「珍しいものには目がないんだよ。僕、あっち側の武器屋を見たいから、少し時間をもらってもいい?」
「ええ。私も他に寄りたいところがあるから、ある程度時間が経ったら集まりましょう」
「そうしようか」
そこで一度、三人は解散となった。
ロカセナは背を向けて、いつもの歩調で進み始める。リディスも彼が進み出した別の方向にある雑貨屋に行こうとする。ふと、十歳に満たない少年が、覚束ない足取りで歩いているのが目に入った。服装からして平民の子に見えるが、靴がないのが気になる。近づいて、少年の顔を屈んで覗きこむ。
「僕、どうしたの? 大丈夫?」
「……大丈夫」
目の焦点が合わない様子でそう言われても説得力はない。
「とりあえずどこかで休んだらどうかな? すごく疲れているように見えるわ……」
優しい声で提案してみるが、少年は何も答えず、ふらふらしながら路地裏へ入っていく。あの通りは表通りへ続く一本道。道は一直線で迷う要素はないが、リディスは少年のことが気になり、思わず後を追い路地裏に入った。
入って気づいたことは、表通り側から漏れる光は僅かであること、そして距離が意外と長いということだ。表通りの喧噪は聞こえるが、静けさの方が上回っている。
歩く度に妙に鼓動が速くなっていく。数歩進んで一度立ち止まる。それを繰り返しながら少年の様子を伺っていたが、彼はひたすら前に進んでいた。
どうやら杞憂だったらしい。このまま一緒に行っても、ただのお節介な人だろう。
戻ろうとしたが、そこで殺気を感じ、反射的に
「気づくのが早いだろう、お嬢さん」
リディスの二回りくらい体格の大きい、中年の男性がにやけながら立っていた。頬に火傷の跡。どこかで見た記憶がある。そしてリディスは自分の背後をちら見すると、彼の子分なのか三人の男性が寄ってきていた。
(罠だったか)
自分の甘さに苛立ちつつも、前後の警戒を強めた。
「金髪の素敵なお嬢さんが東の商店街を歩いているのを見てね。確かその人はとても優しい、貴族の娘さんだというのを思い出したんだ」
目立つ金色の髪への評価が自分の中でまた落ちる。右手で短剣を握り、左手で魔宝珠を握りしめた。そして心の中で解除の呪文を唱える。
「そのお嬢さんに対して、親父さんはどれだけの金を出してくれるかな……リディス・ユングリガ」
「逆でしょう、報奨金はどれだけ付くのかしら、指名手配犯!」
その声と共にショートスピアを召喚し、正面にいる男へ通常使っている切っ先ではなく逆側を前にして突っ込んだ。
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