2 光を頼りに進む道

光を頼りに進む道(1)

 シュリッセル町に戻ると、慌ただしい時間が過ぎていった。

 フリートを診療所に連れて行った後に、ロカセナと共に詰め所に行き、盗まれた結宝珠を渡すと、目を見開かれて話を求められる。同時に苦労して手に入れた大きな宝珠を渡すと、さらに驚かれた。

「町長が娘や派遣された騎士と共に持ってくるとは言ったが、こんなに早いとは……」

「どういう意味ですか?」

 結宝珠を守るモンスターの存在を思い出し、疑り深い視線を送ってしまう。しかしリディスの予想からは外れた内容だった。

「この宝珠の結界を解くのに、かなり集中する必要があるだろう。それを高めるのに、相当な時間を費やすと思っていた。だから早くても夕方くらいと考えていたんだ」

 最高点から陽は下がり始めているが、まだ夕方と言える時間ではない。

 リディスはほっと胸を撫で下ろし、さりげなく質問を重ねる。

「すみませんが、これを守る番人というものは存在しませんよね?」

「そんなものがどうして存在する。二重で鍵をかけているんだ。それ以上のことをする必要はあるのか?」

 相手の考えを正しく読む力はないが、この状況で嘘をついているか否かくらいは、リディスでも判断できる。詰め所の男は嘘をついているようには見えなかった。

 あそこにいたモンスターはたまたま祠の中に入り込んだ、と考えるのが妥当かもしれない。ルセリ祠までは町を囲む結界の範囲内だが、力があるモンスターであれば突破は不可能ではないだろう。

 結界に不備があったと間接的に言っているようなものだが、フリートの怪我や盗人が遺体となっていた件もあり、リディスはモンスターがいたという事実をしっかり伝えた。当初は信じられていない様子だったが、リディスが根気よく説明をし、ロカセナが丁寧に付け足しをしたことで、どうにか納得してもらえたようだ。

 気が付けば、周囲は既に暗くなっている。椅子から立ち上がってリディスが大きく伸びができたのも、その時間帯だった。

 その頃にはルセリ祠にいた盗人の遺体も回収され、最近町に来た若者ということが判明していた。

 祠にある強力な結宝珠の存在を聞きつけ、欲にかられて奪おうとしたのだろう。町人であれば盗まれるのを防ぐ結界が張ってあるのは知っているが、彼は知らずに近づき、結果として命を落としてしまった。

 モンスターに関する詳細はわからないが、町民に余計な不安を煽らないために、その方向で事後処理を進めるそうだ。


 詰め所から解放されたリディスは、ロカセナと並んで歩きながら、彼が持っている光宝珠こうほうじゅの光を頼りに屋敷まで送ってもらっている。マデナは一度詰め所に顔を出したが、多忙過ぎるオルテガの補佐をすると言って、再び戻っていた。

 ロカセナが顔を横に向けて、リディスの顔を覗きこんでくる。

「今日はお疲れさま。戻ってきてからも休む暇がなかったけど、大丈夫?」

「丸一日スピアを振り回していた時期もあるから、意外と体力はあるのよ」

「へえ。それは頼もしい言葉だね」

 にこにこしながら受け答えられる。光宝珠の光はリディスが普段使っているものよりも大きかった。

 魔宝珠は持ち主の精神力や体力に大きく左右される。そのため同一の種類の物を使用していても、能力の差が目に見えてわかるのだ。したがってロカセナの能力は、リディスよりも高いということを暗に示していた。

 リディスよりも力がある二人の騎士。彼らの日々の様子がより気になった。

「ねえ、ロカセナはミスガルム城の騎士なんだよね。普段は何をやっているの?」

「城外に出てのモンスター狩り。そしてそのための鍛錬が毎日の大半を占めているかな。あと状況によっては城の警備や貴族、王族たちの身辺警護の補佐にもあたる。ただ身辺警護は近衛騎士の仕事だから滅多にないよ」

「モンスター狩り……、今日みたいなモンスターも相手にしているの?」

「あの大きさのモンスターはたまにかな。あれは結構な大物だよ。最低でも連携の取れた一班、六人がかりで戦う相手さ。後方支援とかも入れて二班いると、安心して戦闘ができるね」

「え……」

 予想外の人数の多さに、不意を突かれて驚きの言葉を漏らす。そのような相手にたった二人で挑んだ。無謀すぎる選択ではないのだろうか。

 ロカセナは苦笑して、リディスをちらりと見る。

「フリートがあの程度の怪我で済んだのは奇跡だね。もう少し戦闘が長引いていたら、ちょっと危険だったかも。いつもながら冷や冷やしたよ」

「相手との力量差があるとわかったら、一度引くべきじゃないの? 剣を何度か交えればわかるでしょう?」

「あいつ真面目で頑固だから、一度始めた戦闘はなるべく放棄したくないんだよ。モンスター側に刺激を与えてしまったことで、他の人が襲われる確率が上がるから。それに今回は還せるかどうかのギリギリの線を――」

 ロカセナがリディスに向かって微笑んだ。

「リディスちゃんの力を計算して考えた結果、挑んだと思う」

「私の力? 私はあの戦闘で加算されるような力は持っていないわ……」

 リディスは視線を逸らして、しどろもどろに返す。彼らと出会ってから、今まで持っていた自信がことごとく崩れ去っている。ロカセナの言葉を素直に受け止めきれない。

 俯いたまま口を噤んでいると、ぽんっと頭を手で優しく撫でられた。

「リディスちゃんが思っているほど、人は他人のことを下には見ないものだよ。若者ってそういうことを妙に気にしちゃうよね。まあ時に悩み、考えることは若者の特権だけれども」

 ロカセナの微笑みを垣間見て、一瞬鼓動が速くなった気がした。金色の髪を耳にかけながら言葉を返す。

「若者って、ロカセナも若者でしょう。それなのに随分悟ったような言い方をするのね」

「外に出ると……人生は波瀾万丈なんだよ」

 寂しそうなロカセナの横顔を見て、リディスは目を丸くする。

なぜその言葉が出るのか疑問に思い、理由を聞こうとしたが、その前にロカセナは視線を正面に向けていた。

「さあ、着いたよ」

視線につられて前に向くと、見慣れた屋敷の前に到着した。部屋の中から光が漏れている。

ここでロカセナともお別れ。気が進まない中、リディスが別れの言葉を出そうとした矢先、ロカセナは柔和な笑みを浮かべて口を開いた。

「フリートの傷が良くなるまで僕らまだ町にいるから、もし暇だったら町の中を案内してくれると嬉しいな」

「案内……?」

「迷惑?」

「そうじゃない。……私で良ければ喜んで」

「ありがとう。よろしく」

 別れを覚悟していたが、有り難い申し出を聞き、すんなり受け入れる。今日は雑談がほとんどできていない。もっと城のこと、外のことを彼らの口から聞きたい――そう思っていた。だから是非ともそのような機会があるのならば、積極的に活用したかった。

 二人は笑顔で別れの言葉をかわし、リディスはロカセナに背を向けて屋敷の中に入っていった。


 * * *


 次の日、リディスは予想以上に疲れが溜まっていたため、昼近くまで起き上がれなかった。ようやく起きて居間に行くと、マデナが掃除をしている最中だった。彼女はリディスを見るなり目を瞬かせている。

「あら、思ったよりも早い起床で。昼食と一緒でよろしいですね」

 平時よりかなり遅い起床だ。マデナは平然と台所に行くと、てきぱきと支度を始めた。

「朝、ロカセナ様がいらして、オルテガ様にご報告をされていきました。内容は昨日のことをより詳しく、そして結界をより強力なものにできたということを城に戻ったら報告する、というものです。また帰り際にリディス様が相当疲労が溜まっているはずだから、本日は無理をさせないように、と仰っていました」

 それを聞いてリディスは肩をすくめた。さっきまで家を踏み入れていた彼の顔が思い浮かぶ。

(フリートといい、彼らは何でもお見通しなのね)

 強力な結界を解除すれば、解除した人間の体に負荷がかかる。その負荷の度合いは幅広く、軽く疲労を感じる程度から数日間意識を失う場合もある。リディスにもそれなりに負荷がかかっているのをわかった上での気遣いは、そうそうできることではない。

 椅子に向かって歩き出したが、途中でふと立ち止まった。

(そういえば私が案内することも始めからわかっていたようだった。早く休めと言ったのも、その延長線上?)

 気が利く青年たちと言えばそれで終わりだが、それ以上に気になり始めた存在となっていた。


 ご飯を終えると、リディスは再び自室へと戻っていた。フリートのお見舞いに行こうかと思い、鞄に手を付けようとしたが、触れる直前で思い留まる。ロカセナの言葉から推測すると、今日顔を出したら逆に怒られそうだ。明日以降、体力が万全に戻った状態で、行くのが良いだろう。

 窓の傍に寄って開けると、心地よい風が吹き抜けていく。その風によって机の上に置いてある開きかけの古い本がパタパタと捲られる。かつて魔宝珠を生み出したといわれる、レーラズの樹についての本だ。

 世界創世の時代に四大精霊によって生み出され、ドラシル半島の中心にそびえ立っていた大樹。それは半島のどこからでも見えるほどの大きさで、人々にとって心の拠り所であったらしい。

 五十年前、突如としてレーラズの樹が消えてしまうまでは。

 当時、その周囲にあるアスガルム領の一部と共に、膨大な光に包まれ、忽然と消えてしまったのだ。

 残ったのは円形に大きくくぼんだ地形のみ。そこは草木も生えず、動物たちも近づかない、周りと一線を越えて奇妙な場所となっていた。

 不可思議な環境になったその地の生態等を中心に、学者たちがこぞって調査しているようだが、これといって成果はない。さらに近年ではモンスターが樹の跡地の周囲に頻繁に現れるようになったため、その地に行くにも一苦労するようになっている。そのため調査回数は以前よりも減っていた。

 世界の均衡を保っていた樹が消えたことで、突然変異で出現率が高まったと考えられるモンスター。それがシュリッセル町にまで危険を及ぼし出している。

 解決策を模索するには、かつて樹があった地に足を運ぶのが一番いいのかもしれない。

 リディスははためいている本を閉じて、表紙を見下ろした。この本に載っている内容は、卓上の理論や想像だけでなく、事例や調査結果なども多く含まれている。著者や数字を提供した人たちは、自らの足で外に出向いているということを示していた。

 ほとんど町から出たことがないリディスにとっては、羨ましいことだった。ごくたまに社交辞令で近くの町に赴くことはあるが、自由に町の外を出歩いたことはない。

 首下には、還術印が施されているショートスピアを召喚できる若草色の魔宝珠が煌めいている。

 還術士の端くれになれたのは、偶然によるものが大きい。たまたま魔宝珠を得た時に、相当な力量を持ち合わせている還術士が町に滞在していたのだ。その人に頼んで印を施してくれなければ、モンスターを還すための特殊な力は得られず、スピアが少し扱える娘のままだっただろう。

 当時のことを思い出すと、伏せていた想いが溢れ出そうになる。

 将来は人を護るために動きたいとずっと思っていた。だから立派な還術士になって、助けを求めている人の傍に行って助けたい。

だが力はまだまだ足りず、今のまま一人で外に出ても、他人に余計な迷惑をかけるだけだ。

「とにかく今はもっと強くなりたい……」

 右手を握りしめていると、町全体を覆っていた結界が一度途切れたことに気づいた。遮るものがなくなった明るい陽の光が町の中に射し込んでくる。結宝珠を入れ替えて、再度結界を全体に張る時間帯だ。個別に置いている出入り口用の結界は顕在しているため大事には至らないが、少し落ち着かない時でもある。

 ふと森の奥で何かが蠢いていた。僅かだが草木が動いている。

「まさかモンスター? 結界が薄い時間に入り込んでくるなんて、学習能力まで付いているのかしら」

 リディスは眉をひそめつつ、窓を大きく開け放って軽やかに飛び降りた。


 その場所に駆けつけると、リディスの腰くらいの高さで、四本足の獣型のモンスターが町の郊外に二匹浸入していた。召喚したショートスピアを握り、呼吸を落ち着かせて切っ先を向ける。

 モンスターはリディスに気づくと、躊躇わず突進してきた。あまり速くない突進攻撃のみのモンスターであるため、かわすのは容易だ。すれ違い際に足元目がけて何度か刺すと、モンスターの動きが鈍くなる。

 リディスの体力は完全に戻っていないので、急いで事を終わらすために早口で言葉を紡ぐ。

「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ。――生まれしすべてものよ、在るべき処へ――」

 スピアの先に光が集まると、狙いを定めて急所にスピアを突き刺す。本能的に危険を感じ取ったモンスターが、残っている力を振り絞って逃げようとしたが、その前に言い切った。

「還れ!」

 力強い声を発すると、モンスターは光に包まれ、黒い霧となって終わる――はずだった。

 突然、脳内に激しい映像の数々と叫び声が流れ込んできた。思わず左手で頭を抑え、右手で握っていたスピアを支えにしてどうにか立つ。

「な、何……」

 入り乱れるように流れてくる映像は、憎悪に溢れた人が他人に対して刃を向けているもの、遺体となった人物を見て泣き叫ぶ姿など、見聞きしているだけでも辛いものだった。

「やめて、何、いったい……」

 言っても止まらない。ひたすらに流れ続けてくる。

 剣に斬られた女性の遺体が脳内を流れた。真っ赤な色の液体が地面に広がっていく。

「お願い、やめて、やめて、見たくない……!」

 目から涙が零れる。だが泣いても無駄で、映像は続いていく。

 吐きたい。頭が痛すぎて壊れそうになる。

 薄らと前方を見れば、もう一匹のモンスターが突進してきていた。あれに突き飛ばされれば、この映像は消えるだろうか。

 そう思った矢先、マントを羽織っていない黒髪の青年が、リディスの目の前に立ちはだかる。彼は突進してくるモンスターに召喚した剣を使って切り裂くと、モンスターは一瞬で絶命して黒い霧となった。

 気が付けば結界が張り直されている。もう大丈夫だ――そう思うと気が抜け、スピアが消えたリディスはその場に崩れ落ちた。地面に触れる前に、フリートが背中から受け止めた。

「リディス!」

 呼びかけられると、恐る恐る顔を向けた。酷く青ざめた顔をしているからか、彼は意表を突かれたような表情をしている。その場にゆっくり腰を下ろされた。

「どうした?」

「声が、映像が……」

 今起こったことを伝えようとしたが、上手く言葉が出てこない。思い出すだけで震えが止まらなくなる。口元に左手を添えた。

「おかしい……今までこんなことはなかったのに」

「怪我はしていないよな?」

 小刻みに震えたまま首を縦に振る。

「か、体は大丈夫。二匹いたけど私から見ても弱くて、一匹はすぐに還せた。けど還した直後に、頭の中に人が……殺し合う映像が流れ込んだり、悲鳴が聞こえて……。一昨日還した時は、何ともなかったのに」

 フリートが眉をひそめる。どうやら彼も心当たりがないようだ。

 モンスターが大量に発生してから約五十年、未だにわからないことが多い。だが、還すことでモンスターから精神的に影響を受けたなど、文献を読んでも、昔会った腕利きの還術士の話からも聞いたことがなかった。

 いったい今の現象は何だったのか――。

 モンスターの黒い霧も消えたことで、脳内の映像はだいぶ収まったが、目を閉じると刺激的過ぎる惨劇が、リディスの脳内に引き続き浮かんでくる。胸の辺りをぎゅっと握りしめた。

 フリートは少し間を置いてから、声量を抑えて囁いてくる。

「とりあえず今はもう何もいないから、安心しろ。疲れているんだ、寝れば落ち着くさ」

 彼にそう言われると、妙に安心感があった。思わずリディスはすがるようにフリートに体を寄せた。

「おい待て。変な冗談なら、やめろ」

「お願い、呼吸を落ち着かせてから戻らせて。またマデナやお父様に怒られる」

 適当なことを言って、少しだけ体を借りる。今は誰でもいいから、血の通った誰かの温もりに触れていたい。

 ふとまめを潰した痕がいくつもある自分の手が見えた。多くのモンスターを還すために日々努力しているつもりだ。だが今の映像や叫び声が還す度に続くのならば、心が耐え切れる自信がない。呼吸を落ち着かせつつも、心の中で自問自答し続けた。

「……お前、どうして還術士になったんだ」

 沈黙が続いた後、唐突に質問を投げられる。リディスは魔宝珠に触れながら、ぼんやり返した。

「……人を助けたい。モンスターによって窮屈な生活を強いられている人たちを、綺麗ごとだけど救いたいって思ったから。それと今の立場から逃げたいという気持ちもあったから。……フリートだって、誰かを助けたいという想いがあって、騎士団に入ったんでしょう?」

 そう聞くと、フリートの目が僅かに泳いだ。そしてリディスは今の本音をぽつりと呟く。

「けど、今後ももし今のように自分の精神が耐え切れない、妙な映像が流れ続けてしまうのなら――」

 彼の顔を見て、続く言葉を思わず飲み込む。不意に寂しそうな表情をされたのだ。目を丸くして見返す。

「……お前らしくない」

 出された言葉に驚きを隠さずに、反射的に言葉を漏らす。

「な、何なのよ、いったい……」

「油断してモンスターを還し損ねたことに対して、俺が散々怒ったにも関わらず、お前はすぐに立ち上がった。それを見てなかなか根性があるやつだと思った。だが今回は不意打ちを食らった程度で、還術士をやめようとしている。……お前の覚悟は、結局そんなものだったのか」

 リディスはフリートから体を離して起き上がり、鋭い視線をフリートに向けた。

「見ていないから、聞いてないから、わからないのよ! あれが連続して続いたら、誰だって……」

 何かを訴えている黒い瞳から逸らして、両手をぎゅっと握りしめる。

 何も言って欲しくない。

 自信がなくなった状態であのような酷い状況に陥り、還術士を諦めて、大人しく父親が作っている道を歩もうとさえ思ったのに――フリートの言葉で決断がまた揺らされた。

 リディスは彼の視線から明らかに避ける素振りをしたが、青年は平然と話しかけてくる。

「ああそうだな。話を聞いているだけでは、お前の辛さはわからない。俺はそんな現象にあったことがないからな。だが他の人間はどうだ? この半島には、還術ができるやつが他にもたくさんいる。その人たちの中でお前と同じような現象にあいつつも、自力で対処した人物もいるんじゃないか?」

「自力で対処?」

 リディスは顔を向けると、フリートの口元は僅かに笑みを浮かべていた。

「いるかどうかはわからないが、この半島だって広い。可能性はゼロじゃないだろう。……俺も遠征で色々なところに行くから……、もしお前が動けないのなら、ついでに探してやってもいい」

 最後の文はどこか躊躇い気味だった。面倒なことを口走ってしまったからか、それともリディスから他の言葉を求めているからか。さらに揺れ動かされるリディスの心。しかしまだ決定的な言葉が出せない。

「何か言いたそうだな。声に出さないとわからない」

 素っ気ない言い方だが、リディスの心情を汲み取った上での発言なのはわかっている。気の使い方に有難く思いつつも、やはり明確な返答ができなかった。

 なぜなら還術士を続ける理由が、はっきり導けていないから――。

 リディスは躊躇いながら、固く閉じていた口をどうにか開く。

「……ごめん。まだ頭が回らないから、今、まともな意見を出すことはできない」

「そうか……」

 少し残念そうな顔をされる。いつも仏頂面のフリートが、こんなに気を使って話しかけてくれた。非常に貴重な機会なため、はっきりした返事をしたかったが、貴重だからこそ、中途半端な言葉は出したくなかった。

 再び表情が暗くなっていると、フリートは自分の左腕にそっと触れてぼそりと呟く。

「……まだ俺たちは町にいる。何か聞きたいことがあったら、宿にでも来い。場所は――」

 そこはリディスも知っている有名な宿だった。頭の中に建物を思い浮かべてから、リディスは彼を見る。

「フリート、急にどうして?」

 尋ねるが、彼は視線を合わせようとはしなかった。

「……そろそろいい加減に落ち着いただろう。さっさと屋敷に戻れ」

 先にフリートが立って手を差し伸ばしてきた。驚きつつも、その大きな手をしっかり握りしめて、リディスもゆっくり立ち上がった。



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