始まりを導く鍵(4)

 ルセリ祠の中に入ると、経験したことのない寒気に襲われる。このまま進みたくないという思いも強くなるが、二人の騎士に挟まれている安心感からか、リディスはどうにか思い留まっていた。

 フリートが持っている光を照らす魔宝珠――光宝珠こうほうじゅのおかげで、闇に覆われることなく、前に進むことができている。光の存在がこれほど頼もしいと思うこともあまりないだろう。

 小さな祠であるため、結宝珠が置かれている部屋はすぐに見えてきた。

 駆け出しそうになるが、不意に鼻に突き刺さるような不快な臭いをリディスは感じ取った。訝しげに思っていると、前にいたフリートは突然その場に立ち止まった。急に止まるので、リディスの顔が彼の背中に当たってしまう。

「どうしたの、フリート?」

 後ろから顔を覗かせようとすると、彼の厳しい声が飛んできた。

「前に出るな! 俺の後ろにいろ」

「え、ちょっとどういう意味?」

 困惑していると、後ろからロカセナがぽつりと呟いてくる。

「これは少し意外だったかも」

 ロカセナはリディスの前に出て、しゃがみ込む。顔をきょろきょろ動かしリディスは前を見ようと試みるが、フリートがマントを持って手を水平に上げているため、それはできなかった。

「いったい何が起こっているの!」

 目の前に起こっている事象がわからず、苛立ちを露わにする。リディスの声を聞いて、ロカセナは静かな声を出した。

「貴族のお嬢さんが見たら、卒倒するものだよ。これはさすがに見せられるものじゃない」

 左に一歩移動すると、地面に投げ出されている足が見えた。その脇から――赤い液体が流れている。

「――もしかして、人が死んでいるの?」

「……そうだよ」

 返事を聞き、ごくりと唾を呑み込んだ。ロカセナは淡々と続ける。

「この男、おそらく町の結宝珠を盗んだ人だ。彼の傍に固定用結界に使われる結宝珠が転がっているよ。出入り口の足跡もこの男のものだろう。盗んだ理由を聞けなくなってしまったけれど、宝珠は取り戻せた。よかったね。ただ……」

 立ち上がったロカセナの声がフリートの方に向けられる。

「この傷、人為的なものじゃない。切り裂かれている、鋭い爪で」

「モンスターか」

「気をつけて先に進んだ方がいい。この人、抵抗する前に、正面からばっさりやられている。――リディスちゃん、この先に宝珠の番人とかいるの?」

「そういう話は聞いたことがないけど、この様子から察すると何かいるよね」

 道の先から感じる不穏な気配がリディスの言葉を後押ししたのか、ロカセナは軽く首を縦に振った。フリートが背中越しから見下ろしてくる。

「おい、この先にある結宝珠のための結界を解くのに、どれくらい時間がかかるんだ?」

 やや緊張した声を発する彼は、剣を握り直していた。リディスは鞄を見て答える。

「結界を解くために読む文章はあまり長くないから、集中力の度合いによる」

「なら、周りのことは一切気にせず、結界を解くのに集中しろ。あとは俺たちがどうにかする」

 その申し出は大変有難い一方で、結界を解く者としてしか見られていないのが、リディスにとっては少し悔しかった。

 だが、それは事実だ。彼らの手助けをするなど、まだ早すぎる。今、自分ができることを精一杯行おうと心の中で誓った。

 フリートはロカセナと視線を合わすと、前に踏み出し始めた。口を一文字にして、リディスは彼のすぐ後ろについていく。二人からの気の使われ方を無駄にしないために、そこに横たわっている人は見ないように気を付ける。

 そしてそこから離れたところで、二人の青年は並んで頷き合うと、フリートは意を決して、目の前にある部屋の中に走り込んだ。

 次の瞬間、思わず耳を手で覆ってしまう程の咆哮が聞こえた。

 ロカセナに連れられてリディスも部屋の中に入ると、角張った羽が印象的な、鋭い爪を尖らせている首の長い大型獣のモンスターが視界に入った。

 あまりに大きな身体と発せられる殺気により、体が委縮してしまう。しかしフリートは怯えた様子を見せずに、そのモンスターに剣先を向けていた。

 彼が動くと、その方向にモンスターも動く。モンスターの意識は、既に彼に向けられているようだ。

 フリートは気を引き付けながら、入り口から少しずつ離れて、部屋の奥に移動していく。やがてある程度モンスターとの距離が縮まったところで、飛び掛った。

 息を吐く時間さえも与えず、フリートは次々と斬撃を加えていく。モンスターはそれをかわしもせず、全て攻撃を受けると、フリートの攻撃が一瞬止んだところで爪を薙いできた。

 非常に鋭いモンスターの爪にまともに触れれば、深手を負い、次への攻撃だけでなく防御までもが難しくなる。彼は険しい表情で攻撃を避けると、すぐさま反撃をし始めた。

 激しい攻防を前にして足がすくんでいるリディスの肩を、ロカセナは軽く叩く。そしてもう一方の手で、陽の光を浴びている小高い場所を指で示した。

「リディスちゃん、あそこに結宝珠がある。僕が援護して道を作るから、その間に行って結界を解除してくれ」

「援護……?」

「モンスターが僕たちの様子を伺っている。動けばこっちに寄ってくるだろう。だからその時の攻撃を僕が受ける。――それくらい僕だってできるさ。一応訓練された騎士だから。さあ、行こう。くれぐれも足は止めないでくれよ」

 ロカセナに背中を押されると、走り始めた彼の後ろを、リディスは自身を叱咤しながら追いかけた。モンスターは二人の存在に気づいたのか、彼が言った通り攻撃対象を変更してくる。

 向かってきたモンスターの爪を見て恐怖を感じていると、ロカセナが間に入って鞘から抜いたサーベルを振りかざす。小気味のいい音が鳴り響き、サーベルが弾かれる。それはその爪の鋭さを静かに物語っていた。

「今だ、早く行って!」

 ロカセナはリディスのことを見もせず、大声を発する。その声を受け止め、足がもつれつつも光が集まる中心に駆けて行く。

 背中は二人に任せた。

 リディスは振り返りらず、ただ目の前のことに集中する。

 激しい咆哮や甲高い音を聞きながら、宝珠がある小高い場所に辿り着いた。穴の空いた天井から、そこを通じて陽の光が降り注がれている。中心には目的の結宝珠が置いてあった。

 人々が常に持っている宝珠よりも、何倍も大きい宝珠。両手で抱えなければ持てない大きさである。周囲には薄いもやのようなものがかかっていた。手を伸ばすと、拒絶を意味する電撃が指先に走る。

「結界が張られている。解除の言葉を……」

 鞄から筒を取り出し、古めかしい羊皮紙を抜き取る。

 その間、フリートが叫びつつモンスターの胴体を攻撃しようとするが、隙を突かれて尻尾で叩き落とされたのが目に入った。駆け寄りたい想いをぐっと堪えて、羊皮紙を開く。

「早く読まなくちゃ……」

 目の前に起こっていることを直視すれば手は止まる。焦る心を抑えて、段階を次に進んで行く。リディスは首下にある若草色の魔宝珠を取り外した。

 目の前にある結界を解除するには、二つの要素が必要である。

 一つは、結界を解除するための詠唱文。

 そしてもう一つは、結界の鍵と認められた別の魔宝珠を持つ者の存在。

 リディスは自分専用の魔宝珠を受け取ったのと同時に、町長の娘としてここの結界を解く鍵を自分の魔宝珠に植え付けられたのだ。

 近づけると呼応するかのように、大きさの違う二つの宝珠が輝き始めた。その柔らかな光を見ていると、焦っていた心が落ち着いてくる。ある程度落ち着いたところで、羊皮紙の中身に目を通した。

 フリートやロカセナの声が聞こえてくる。唇をぎゅっと閉じて視線を下に向けていると、傷ついたフリートの体が視界に入った。

「フリート!」

 一瞬で現実世界に戻る。リディスが声を発すると、彼は険しい表情を向けた。

「早く解除しろ! 俺たちのことは気にするな!」

「でも……」

「結界を解かないと状況は一向によくならない。お前はこの戦いでの鍵なんだよ! それを自覚しろ!」

 そう言い捨てると、再び戦火へと舞い戻っていった。

 フリートの厳しい言い方だったが、リディスの立ち位置をはっきりしてくれた。揺れ動いていた心が、一つの所に収まっていく。

 大きな宝珠を正面から見て、溢れる気持ちを抑えながら口を開いた。

「レーラズの樹から生まれた魔宝珠よ――。今こそ我が気持ちを受け取りたまえ」

 鍵となるリディスの魔宝珠がより鮮明に輝く。

「大切な人を護るために、護る力をくれたまえ。大切な人と共に歩むために、戦う力をくれたまえ。――我はその想いに応えよう」

 大きい結宝珠が激しい輝きを放ち出し、結界の周囲にある靄が薄くなっていく。

 モンスターがこちらに向いた気がしたが、リディスは目の前のことのみに意識を集中していた。


「――魔法の力を抱く宝珠よ、今こそ真なる力を解き放て――!」


 リディスの魔宝珠の光が消えた途端、大きい結宝珠が傍にいた彼女を包み込むほどの光を発した。

 次の瞬間、絶叫が耳に突き刺さる。リディスは思わず耳を抑えた。光が消えると、横にはのたうち回るモンスターの姿があった。

 目を見開いたリディスをよそに、その隙を逃すまいとフリートはモンスターの背中に深々と剣を突き刺した。呼吸が乱れながらも、はっきりした声を発する。

「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ――生まれしすべてものよ、在るべき処へ――還れ!」

 剣を中心として発生する光に触れたモンスターは、黒い霧に変化していく。その光の量は昨日見たものより、さらに大きかった。

 徐々に黒い霧は祠の天井にある隙間から外に出ていく。その様子を三人は立ち尽くして眺めていた。

 激しい戦闘の残り香を噛みしめながら――。

 やがて黒い霧がすべて消え去ると、フリートがその場に崩れ落ちた。

 リディスはすぐに彼に駆け寄ろうとしたが、大きい結宝珠がまるで生きているかのように微かに動いた。リディスは結宝珠を拾い上げてから、フリートの元に向かう。

 彼の傍にはロカセナがすでに止血用の布を取り出して、応急処置を始めている。いつになく眉間にしわが寄っているフリートの左腕からは、赤い血が流れ出ていた。

 リディスは一歩離れたところで腰を下ろし、その場で俯いた。申し訳ない思いでいっぱいになっていく。フリートがいつ怪我を負ったかはわからないが、もっと早く結界を解除していれば、また状況は変わったはずだ。つまり彼の怪我はリディスのせいでもある。

 それに一人では何もできなかった。二人に護られなければ、結界を解くのすら難しかっただろう。

 槍を多少扱えるため、人並みには戦えると思っていた。だが出血多量の遺体を直視できず、巨大なモンスターを見るだけで足が竦んでしまう。誰かが声を投げかけてくれなければ、なかなか動き出せない。一連の出来事を通じて、自分の弱さをまざまざと見せつけられた気分だった。

「リディス」

 名前を呼ばれた。柔らかな口調で言われるちゃん付けではなく、男らしい低い声。

 困惑気味な表情を向けると、少しだけ呼吸が落ち着いたフリートがいた。同時に見えた布に染み出ている血が心を貫く。

「ごめんなさい……」

 どうにかして出した言葉がそれだった。聞いたフリートは不機嫌な顔になる。

「どうして謝る」

「だって私が――」

「お前がその宝珠の結界を解除したことで、モンスターがお前を襲おうとした。だがお前の周りには結界が張られていたから、逆に返り討ちができた。そこで充分な傷を負わせた結果、俺は還せた。それなのにどうして謝る?」

「結界? 返り討ち?」

 予想外の言葉に目を丸くする。フリートは若干呆れた顔をしていた。

「もしかして気づいていないのか? お前、無意識のうちに結界を張っていたのか……」

「何を言っているのか、よくわからないけど……。私、結界を解除した以上のことはやっていない」

 きっぱり言い切ると、横からロカセナが感嘆の声を漏らした。

「たまにいるんだよね。神経が研ぎ澄まされることで、普段以上の能力を引き出して、魔法を発動する人が。リディスちゃんすごいね」

「その説明ですべて片付けるのはどうかと思うが。あの結界の強さは、俺だってほとんど見たことがない。こいつは還術士だ、あの威力の結界を作れるはずが――」

「何にでも例外はあるものだよ」

 ロカセナは笑顔でフリートの返答を遮った。そして腰を上げると、ちらりとフリートの腕を見下ろした。

「さて、早く町に戻ろうか。思った以上に怪我を負った人物がいるから、早く治療してもらわないと。その怪我、フリートが判断を誤ったせいだろう。あまり器用なことはできないんだから、お前は誰かを護ることを念頭に置かずに、モンスターだけを相手にしていればいいんだよ」

「……っ、その減らず口、閉じていろ!」

 忌々しく言葉を吐くと、フリートは右手で左腕を押さえつつ立ち上がった。彼のバスタードソードは消えていた。体力の減少を抑えるために、魔宝珠の中に戻したのだろう。

 リディスは念のために、ショートスピアを召喚した。ロカセナの実力を低く見るわけではないが、こうしていないと落ち着かないのだ。ロカセナが先頭を歩いて、来た道を戻っていく。

 リディスは小部屋を出る前に見渡すと、ある一か所で煌めいたのが目についた。瞬きをするとその煌めきは消えてしまい、場所を特定するのが困難になってしまった。天井から射し込んでくる光の影響で起きた現象かもしれない。

 光が降り注いでいた先にあった結宝珠は、今はない。いつか代わりのものを置いて、陽の光をたくさん浴びた宝珠を再び作ろうと思いながら、その場所に背を向けてリディスは歩き出した。


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