始まりを導く鍵(3)


 * * *


 翌朝、リディスがオルテガと朝食を取っている時、慌ただしい足音と共に、詰め所にいる男が現れた。彼の真っ青な顔色を見ると、聞かずとも良くないことが起こったと察せられる。

「食事中に申し訳ありません」

「構わん。何が起こったのか、簡潔に話せ」

「実は……町の東口にありました、結宝珠が盗まれました」

 それを聞くと、オルテガは眉をぴくりと動かした。

「東口はあまり出入りも多くない場所だが、結宝珠がなければ危険度が高まる。代わりは用意したのか?」

「はい、詰め所にあった結宝珠を用いて、現在は結界を張っています。ですが、それは使用済みのもので、いつ効力が切れるかわからず……」

 報告する男の表情は固かった。


 シュリッセル町はモンスターから町民を守るために、大きく二種類の結界を張っている。

 一つは町の中心部から全体を包むように覆っている、結術士が作り出している結界だ。

 しかし、出入りが激しい場所ではその効力が弱くなりがちなため、町の中と外を行き来する場所では、さらに個別の結宝珠が置かれていた。

 町には東西南北に出入り口があり、昨日モンスターに侵入された南口は最も使用されている所で、通常時でも馬車ごと乗り入れる業者や人の往来が激しいため、従来から結宝珠の警備は厳しい。だが東や西は少ない人の往来程度しか見込んでいないため、比較的警備が緩いのだ。


「昨日の事件を受けて南口に人員を割いていたら、東口の警備がさらに甘くなったというわけですね」

 リディスが漏らした言葉に、男は目を伏せながら頷いた。

「今、全力で犯人を捜しています。町の中だけでなく、周辺の森の中も。また隣町にも応援を頼みたいと思い、オルテガ様に了承を得に来たのです」

「森の中に逃げられたとなると、非常に厄介だぞ」

 オルテガがより渋い顔で俯く。昔のように魔宝珠が多く生み出されていた時代と比べ、今、新たな魔宝珠を得るのは難しくなっている。ここで失ったままでは、町にとっては痛手になるだろう。

「町で捜索している者の何人かをさらに森の中に――」

「お父様、少しお待ちください」

 リディスがはっきり言葉を発すると、オルテガと男は口を開くのをやめて振り向いた。

「森よりも町の中にいる可能性の方が高いと思います」

 オルテガに目を丸くされる。リディスは引き続き言葉を選んで、自分の考えをこの場にいる人に伝える。

「盗まれたのは大きい結宝珠ですよね? 大きいものであれば、それなりに訓練を受けた結術士でなければ使いこなせません。つまり売却目的で盗んだと思われます。しかし売却するには、他の町や村に行く必要が出てきます。その移動を考慮すると、夜はモンスターの動きが見えにくく危険なため、明け方以降に移動を開始するはずです」

 リディスは呆気にとられている詰め所の男に視線を向けた。

「明け方から今まで、怪しい人物が町から出た形跡はありますか?」

「出入りをする人を隅々まで身体検査していますが、特に怪しそうな人物は見ていません。また町全体に結界を張っている結術士にも聞きましたが、誰かが裏道を通ったという気配はないようです」

「もし私の仮説が正しければ、犯人はまだ結界内に潜伏している可能性があります。どう思いますか、お父様?」

 娘の口からすらすら出てくる言葉に、多少圧倒されながらもオルテガは首を縦に振った。

「その可能性はおおいにあるな。やはり引き続き町の中を中心にくまなく探してくれ。念のために、隣町にも応援を要請する手紙を書いておく。何か進展があったら、すぐに知らせること。いいな!」

「承知致しました!」

 男は大きく返事をして、すぐさま出ていった。

 オルテガはふうっと息を吐くと、まだ難しい顔をしているリディスに視線を向けた。

「どうした。あんなにはっきり言っておいて、自分の仮説に自信がないのか」

「自信はあります。今後、犯人がどういう行動に出るか考えているだけです。陽も上がり始めていますから、そろそろ脱出を試みようとするでしょう。一番手薄な所から逃げると思います」

 塀を飛び越えるのが真っ先に思いつく方法だが、あまりにも目立つ行動だ。東や西、南の出入り口は強化されている。北は川を挟んだ先は、険しい道が続いていた。普通なら行くはずなどない、普通なら――。

 娘の言動に不思議に思っているオルテガをよそに、リディスは急いで残りの食事をとり始めた。


 食事後、リディスは部屋で動きやすい服に着替え、必要最低限なものを肩掛けの小さな鞄に詰め込んだ。何もなければ昼の半ばに戻れるが、念には念を入れておく。

 準備を終え、椅子に座って首下にある若草色の魔宝珠を握っていると、ドアをノックされた。返事をするなり、浮かない表情のマデナが入ってきた。

「フリート様とロカセナ様がお見えになりました。ルセリ祠に行きたく、結界も張っているとお知りになると、その結界を解除する者も同行して欲しいということで……」

 リディスは短剣を腰に添えて鞄を持つと、背筋を真っ直ぐ伸ばしてマデナの横を通った。

「私が案内します。盗人の確保で忙しい時に、他のことに余計な人員を割きたくないでしょうから」

「しかし怪我は完治されていません。あまり無理をなされては――」

「見た目ほどではないから、大丈夫よ」

 にこりと微笑むと、つられてマデナも頬を緩ませた。部屋を出て廊下から居間に続くドアを開けると、黒髪と銀髪の青年がすぐに振り向いた。部屋に入る手前で足を止める。

「……リディス」

 オルテガが肩をすくませて娘を見ている。その視線を無視するかのように、青年たちを見渡した。

「ルセリ祠に行くと聞きました。私でよければご同行いたします」

「もっと頼りがいのある人物がいいのだが」

 フリートは眉をひそめている。むっとしつつも、感情を顔に出さないようにリディスは続けた。

「残念ながら祠の中にある結界を解ける者で、今現在動けるのは私だけかと思います。……自分の身は自分で守ります。決してご迷惑はおかけしません」

 口では負けまいと、毅然とした表情で言い放つ。それを聞いたロカセナはフリートの肩に手を乗せた。

「昨日の戦闘では、彼女が油断していたから判断しにくいけど、同年代の男子並には能力はあるし、動けていると思う。大丈夫でしょ、祠の中で怪物が出るわけでもないんだから」

 ロカセナがにこにこした表情で諭すと、フリートは深々と溜息を吐いた。

「……わかった、同行を許そう。危険だと思ったらすぐに下がれ。いいな」

「わかりました。しばしの間、よろしくお願いします」

 自分自身にも言い聞かせるように低姿勢で挨拶をする。そして部屋の中に踏み入れ、オルテガから地図を受け取ると、リディスを先頭にして三人は屋敷から出た。

空は厚い雲で覆われている。夕方か、もしくはもう少し早い時間帯に雨が降り出すかもしれない。

 外に出ると結宝珠が盗まれたことが町全体に伝わっているためか、通りを往来する人々はいつもより慌ただしく、緊張感で満ち溢れていた。その様子を横目で見ながら、リディスは黙々と北門まで歩いていく。

「リディスちゃん、そんなにピリピリしなくても大丈夫だよ、僕たちがいるから」

 途中で声をかけられたリディスは、屋敷を出てからずっと無言だったことに気づき、はっとして振り返った。ロカセナが少し困ったような顔をしている。

「申し訳ありません、そんなつもりでは……」

「言葉遣いも堅くなくていい。変に気を使っちゃうから」

「しかし……」

「そりゃ城の人だから気を使いたくなる気持ちもわかるけど、僕たち騎士の末端で、出自は君と同程度か下だから、そこら辺はまったく気にしないって。それに歳も近いしさ。せっかくだから砕けた感じでいこう」

 その申し出には正直言って有り難かった。町でも同年代の人はいるが、町長の娘というだけで、たいていの人から距離を置かれ、お互いに気を使ってしまい、会話をするだけでも疲れてしまうからだ。

 槍術の相手をしてもらっている人からは、気兼ねなく話しかけてくれる人が多いが、ほとんどの人は歳が離れた男性たち。同年代の相手はさらに高みを求めて、町から出て行ってしまっていた。

 ロカセナはちらりと黒髪の青年に視線を送る。

「どう思う? フリート」

「どう接してもらおうが、俺は気にしない。ただ変に遠慮されるのは好きじゃない。どうせ戦闘になったら、言葉を選んでいる暇はないから」

 そう言うと立ち止まっているリディスを差し置いて、北門へ進んだ。その後ろ姿をぽかんとして眺めていると、隣でロカセナがくすりと笑っていた。

「何が面白いんですか」

「あいつが素直じゃないところ。僕のことロカセナで、あいつのことフリートで構わないからね。さあ案内を頼むよ、リディスちゃん」

「わかり――いえ、わかったわ」

 リディスの心の中を占めていた緊張感が、少しだけ解けたような気がした。


 北門を抜けて少し歩くと、目の前には川が広がっていた。川と言うとたいそうなものに聞こえるが、流れが速くなければ、膝下まで濡れるが歩いて向こう岸に渡れる。

 少し離れたところには大きな石もあるため、その上を歩きながら先に進むことにした。リディスは川沿いを歩き、石の上に足を踏み出そうとした矢先、違和感がして思わず足を止める。後ろを向くとフリートの顔が視界に入った。彼は目を細めて川の向こう岸を見ている。

「お前、向こう岸に渡ったことはあるのか」

「あるわよ。ルセリ祠の場所と、解除の魔法を教えてもらうために」

「……平気そうに振る舞っているが、何も感じないのか」

「とっくに感じているわ」

 馬鹿にされた言われ方に反論するかのように、素っ気なく返した。

 リディスは口を噤み、足下を注意深く見ながら、一歩一歩丁寧に石の上を進む。森へ近づく度に全身に寒気が襲ってくる。意志をしっかり持っていなければ、怖じ気付いて足が竦んでしまいそうだ。

 二年近く前にルセリ祠に案内をされた時は、結術士の男性と一緒だったため、結界を張ってもらいながら行くことができた。だが結界に護られているとはいえ、油断したら雰囲気に飲み込まれてしまう場所であるとは当時から認識していた。

 鼓動が速くなる中、肩を使って呼吸をしつつリディスはようやく川を渡り終える。視線を落とすと手が微かに震えていた。それを悟られまいと両手で握りしめる。

「リディスちゃん、きつそうだったら、僕たちだけで行くよ?」

 ロカセナが顔を覗き込んでくるが、リディスは首を横に振った。

「ありがとう。でも大丈夫よ。――ここからの道はわかりにくいから、私の後にしっかり付いてきて」

 先陣をきって、僅かに残っている道を頼りに進み始める。元は綺麗に舗装された道だったが、いつしか手入れがされなくなり、草が無造作に生えた結果、手で掻き分けなければ前に進めなくなっていた。

 リディスの身長と同じ高さの草を必死に掻き分けていると、フリートが前に出てくる。そして彼は持っていた剣で草を薙払い出した。きょとんとしてリディスはその様子を眺める。立ち止まったリディスに対して、フリートは背を向けたまま言葉を漏らした。

「お前があまりにも遅いから、やっているだけだ。早く案内しろ」

「い、言われなくてもわかっている!」

 口さえ開かなければ好青年と見えるのに、なぜわざわざ雰囲気を崩すような言葉を発するのだろうか。

 ロカセナにその疑問を尋ねるためにちらりと見ると、彼は真顔でルセリ祠がある方向を見据えていた。神経を尖らせている様子を見て、リディスは出そうとしていた言葉を飲みこむ。

 彼はリディスの視線に気づくと、にっこりとした表情を向けてきた。それにつられて微笑み返してから、リディスは足早にフリートの後を追った。


 しばらく歩いていると開けた場所に出て、祠の入り口に到着した。リディスは指で軽く入口を示す。

「あそこがルセリ祠。中は一本道だけど、少し道が悪いから、私が先に行き――」

「いや、俺が先に行くから、お前はロカセナと俺の間にいろ」

「はい?」

 口早に言ったフリートを、首を傾げて見ると、彼の顔が若干強ばっていた。

「それは僕も賛成。リディスちゃん、気分が悪くなったら遠慮なく言ってね。あと何かあったら、結宝珠よりも自分の身を守ること。……いいね?」

 ロカセナの言葉に、リディスは疑問に思いつつも仕方なく首を縦に振る。

 そして祠に踏み入れる直前、フリートとロカセナは首下にある魔宝珠にそれぞれ触れて剣を召喚した。フリートは以前の戦闘で見た片手でも両手でも扱えるバスタードソード。ロカセナは片刃のサーベルだ。

 二人して警戒している様子を見て、リディスも不安になり魔宝珠に触れようとした。だがそれをフリートが制止する。

「余計な体力は使うな。俺たち二人で敵わない相手が出てきたら、お前には逃げるしか選択肢はない」

「この先に何かいるの……?」

 リディスの頭の中では、無意識に警鐘が鳴り響き出した。

 この先に進んではいけない。だが進まなくてはならない。

 自問自答しながら進み出し、入り口付近の地面を眺めると真新しい足跡があった。誰かがこの祠の中にいる可能性がある。

「人間相手の戦闘になるかもね」

「……なるべくなら避けたい」

 割り切っているロカセナと、苦い顔をしているフリート。どちらも戦闘になる可能性を示唆している内容だ。リディスは一歩踏み出し祠の中からの空気に触れると、全身が震えあがり、血の気が引いた。

「――リディスちゃん、さっきよりも顔色が悪いけど、どうかした? 大丈夫?」

「いや、ちょっと妙な気配を感じただけ。大丈夫よ……」

 この先に何がいるのだろうか。いるのなら、人間だろうか、それとも――。

 リディスの心の中では、漠然とした不安が漂い始めていた。


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