始まりを導く鍵(2)

 シュリッセル町――大陸の西端にあるドラシル半島で、さらに西部に位置するミスガルム領の中にあり、小高い山や森が近くにある町だ。土壌は肥沃的で、気候も年間を通して温暖で過ごしやすいため、必然的に人が集まりやすい町の環境だった。

 しかし、周辺にモンスターが多いのが難点で、その脅威を少しでも和らげるために町の周囲には大がかりな結界を張っている。そのため、今回一部とはいえ結界を突破されたのは死活問題だった。

 そのことに関して町を治める立場の貴族オルテガ・ユングリガは常に頭を悩ませていた。どのようにしてモンスターから町を守ればいいか、侵入された場合の対策はどうすればいいか。

 そのようなことをいつも食卓で呟かれていれば、共に食事をしている十九歳のオルテガの娘リディス・ユングリガも同様のことを考えるようになるのは、当然だったかもしれない。


 リディスは獣型のモンスターとの戦闘後、診療所で左腕の治療をし、町の詰め所で事件の詳細を話していた。それらが終わった頃には日が暮れ始めており、今は使用人のマデナと共に帰路に着いている。

 リディスの怪我を見た瞬間、マデナにこっぴどく怒られたが、最後は抱きつかれてしまったのだ。母親代わりである彼女に心配をかけさせてしまい、ほろ苦い想いが残った。

 一方、リディスや町を助けた青年二人は、治療の間に詰め所での話は終わったらしく、診療所へ引き渡されてからは会っていなかった。

 彼らは何処の者なのだろうか。目の前で圧倒的なまでの強さと剣捌きによって助けてもらっただけで、彼らについては何も知らなかった。どこかの傭兵か旅人か――、今となっては知る由もない。

 新たな風を吹き込んだ彼らにまた会いたいと思いつつも、その際、辛辣な言葉に耐えられるかどうかが問題だった。

「リディス様、今回はこの程度の怪我で済んだから良かったものの、次も大丈夫だという保証はどこにもありません。いい加減大人しく屋敷にいてください」

「わかっている。でもお父様の姿を見ていると心配で……」

「オルテガ様はさらに強力な結界を構築しようと考えておりますよ。ですから、ご心配なさらないでください」

 マデナに微笑まれながら諭されたが、その内容を聞いてもすぐに首肯できなかった。


 記憶にはないが、リディスの母親は産んで間もなくして、モンスターの手により命を落としたという。その事件が町の中で起こったのならば、結界は張られていたが突破されてしまった可能性が高い。

 また何度も結界を張り直して、その度に強固にしたと言っているが、記憶にある中でも数年に一度は破られている。おそらくモンスターの力が強くなっている影響だろう。最近では結界が破られるのが数カ月ごとと、さらに周期が短くなっており、懸念要素が増えていた。

 そのようなことが半島各地で起こっているため、結界を張って襲撃をやり過ごすだけでなく、根本的な処理である、モンスターの体力を極限まで削って、在るべき処に還す方法――還術かんじゅつと呼ばれるものを行える還術士かんじゅつしがより求められる時代となっていた。

 本来モンスターはリディスたちが住んでいる場所とは違う所で生まれ、過ごしているが、今は何らかの事情でこちらに大量に流れ込んでいるらしい。そのため還術印が施された武器を用いてモンスターを攻撃し、急所を刺して還術する必要があった。なお、還術を使いこなすためには、相当な時間と技量が必要と言われている。

 母親の件から自分と同じような境遇の子どもを作り出したくないと思い、還術を専門的に扱う立場である還術士の道を、リディスは昔から進みたいと考えていた。

一方、槍術を習っていたことから、自分専用の魔宝珠を受け取った時には、モンスターを攻撃できるショートスピアを召喚物にしようと決めていた。

 十八歳になる時、彼、彼女らに初めて自分専用の召喚をできる、魔宝珠が与えられる。

 それは魔宝珠が生まれた遠い昔からドラシル半島内で伝わっていることで、どの町や集落でも行っていることだった。地域によっては村を挙げて儀式を行うが、たいていはその人の誕生日に親の手から渡されている。たとえ渡してくれる相手がいなくても、他者の自分専用の魔宝珠でなければ、それを手にして召喚物を作り出した瞬間に、それは自分専用の魔宝珠となるのだ。


 リディスもそういう経緯を通じてショートスピアを召喚し、その後、ある人物に還術印を施してもらった結果、今は槍を用いた駆け出しの還術士となっている。

 人々を護りたいと常日頃思っている。だが、技量や経験が足りないのは否めない。

 一刻も早く立派な還術士になるためには日々の鍛練だけでなく、町の外に出て実地での経験が必要だと槍術を教えてくれた人物は言っていた。それを実行したかったが、残念ながらそう簡単にできる立場ではない。貴族であり町長の娘という肩書が足枷になる。

 だが、果たしてそれは足枷なのだろうか。

 それすら無視して行動する人も、世の中にはいるのではないだろうか。

 何かきっかけがあれば、リディスも前に進み出せるかもしれない――そう考えながらしばらく歩いていると、町の中心部から少し離れたところにあるユングリガ家の屋敷に辿り着いた。屋敷の様子を見て、リディスは少し違和感を抱く。居間の灯が一際強いのだ。

「屋敷にお父様以外に誰かいるの? マデナ、今日は誰とも約束はないはずだったけど」

「ああ、言い忘れていました。私が屋敷を出る際に、突然連絡が来たのです。ミスガルム城の遣いが来ると」

 さらりと出された言葉を受けて、リディスは歩みを止めた。ミスガルム領の中心地であるミスガルム城からの遣い。つまり地位が相当上の人物だと思われる。

「どうなされましたか?」

 硬直しているリディスを見て、マデナは首を傾げた。我に戻ると、捲くし立てるように言い返す。

「そんな人が来ているのなら、どうして早く言ってくれないの! 出迎える準備も何もできていない……。急いで帰れば良かった!」

「焦らなくても大丈夫ですよ。リディス様くらいの若い騎士がお見えになるそうで、何でも少し聞きたいことがあって、立ち寄るだけだそうです。リディス様は顔を出す程度で大丈夫だと、オルテガ様は仰っていました」

「そうなの? ならよかった」

 リディスはほっと胸を撫で下ろす。いくら還術士の端くれといっても、根っこは貴族。城の関係者相手にあまり失礼な態度はとれないと自覚している。診療所にマデナが着替えを持って現れてくれて助かった。

 屋敷に入り、居間に続くドアを静かに開ける。その部屋の中には眼鏡をかけた初老の男性オルテガと、城の遣いが二人、向かい合ってソファーに座っていた。

 すぐに笑顔で挨拶をしようと思ったが、遣いの人物の顔を見て眉をひそめかけた。だがそこは理性が抑えて、淡々と形式的な挨拶をする。

「お父様、帰宅が遅くなってしまい、申し訳ありません。――初めまして、お二方。娘のリディス・ユングリガと申します。どうぞごゆっくりしていってくださいませ。では、私はこれで――」

「リディス、彼らとは歳も近いのだ。こちらに来て一緒に話でもしようじゃないか」

 オルテガが提案すると、マデナに背中を押される。リディスは渋々と中に進んだ。

 遣いの青年が二人、ソファーから立ち上がっている。一人はにこにこした人の良さそうな銀髪の青年。灰色の上着やマントなど、薄めの色が印象的である。もう一人は鋭い目つきで若干困惑した顔をしている、黒髪の青年。全体的に黒や紺など、暗めの服を着ており、二人並んでいると対のように感じる。

 先に口を開いたのは、困惑している青年だった。

「お前……、町長の娘だったのか」

半ば呆れ気味に言葉を漏らされた。

「リディス、二人と面識があるのか?」

 オルテガに目を丸くされて尋ねられるが、曖昧な言い方でリディスは受け流す。

「はい。先ほど偶然会いまして。それ以上、面識はありません」

 きっぱり言うと、くすりと誰かが笑った。リディスの視線が黒髪の青年から、笑った銀髪の青年へ移動する。

「何でしょうか」

「いえ、何でも。そういえば自己紹介はまだでしたね。自分はミスガルム城の騎士団第三部隊に所属している、ロカセナ・ラズニールです」

「同じく第三番隊所属のフリート・シグムンドだ。……貴族のお嬢さんがあのような場面に居合わせていたなど、お父様も気が気ではないでしょう。少しは気をつけた方が、賢明かと思いますよ」

 オルテガがいるためフリートは口調を抑えているが、きつい言葉であることには変わりない。

 無意識のうちにそっと左腕に触れた。オルテガがあからさまに肩を竦めている。

「リディス……、隠しても無駄だ。既に私の耳に入っている」

「……隠してはいませんよ。言いそびれただけです」

 困ったような視線、様子を伺っている視線、鋭い視線が容赦なく突き刺さる。それらに耐え切れなくなったリディスは大きく口を開いた。

「わかりましたよ、言えばいいんでしょう! 町の入り口で侵入したモンスターと接触した際、フリートさんとロカセナさんに助けて頂きました。……先ほどは、ありがとうございました」

 二人に対して頭を下げる。感謝の意は言葉以上に含んでいないが。

 それを見たオルテガも軽く頭を下げた。

「私からもお礼を。本当にありがとう。リディスや町が大事に至らなかったのは、君たちのおかげだ」

「いえ、見ていられなかっただけです。隙だらけのお嬢さんがモンスターに無惨にやられるのが」

(いちいち嫌みを言わないと、気が済まないのか!)

 顔をフリートに向けると視線が合う。見下してくる視線にむっとしつつも、リディスは負けじと睨み返す。その様子をロカセナは苦笑いをして眺めつつ、オルテガに話を切り出した。

「さて、先ほども言いましたように、またオルテガさん方も身を持って体験したように、この町の結界をより強固にする必要があります。モンスターの絶対量が増えていますからね。それを伝えるために訪れたのですが……、一歩遅く怪我人を出してしまい、申し訳ありません。次の事件が起こらぬよう、今すぐ――」

「いや、明日にしよう」

 ロカセナの言葉をフリートは躊躇いなく遮った。銀髪の青年は目を瞬かせる。

「まだ入り口の結界が破られただけだ。その修復は既にできている。急ぐ必要はない」

「けど……」

 フリートの視線がちらっとリディスに向かれた気がしたが、すぐにロカセナへと戻る。

「これから夜だ。下手に動いてモンスターを刺激した結果、町が襲われたらそれこそ被害は甚大になる。夜は大人しく待機して、何か事件が起これば俺たちも加勢しよう」

「……わかったよ」

 オルテガを安心させるかのようにロカセナは頬を緩め、言葉を続けた。

「彼の言うとおり、今日はこれで帰らせて頂きます。また明朝に来ますので、よろしければあの場所に続く地図のご用意か、案内人の手配をお願いします」

「わかった。他にも何かあれば遠慮なく言って欲しい。明日は頼んだよ」

 オルテガの言葉を聞き終えると、フリートとロカセナは荷物を持ち上げた。話の断片から判断すると、彼らは明日どこかに行くらしい。

 リディスたちは青年二人を見送るため、出入り口まで案内する。そして外に続く扉を開けると、フリートが依然不機嫌そうな顔で怪我をしている腕に視線を送ってきた。

「出血ほど傷は酷くないだろう。今晩はゆっくり休めよ」

 そう言い、オルテガに一礼をすると、颯爽と出て行った。その様子をロカセナは笑いを押し殺して見つつ、彼もまた挨拶をすると急いで後を追った。

 リディスはきょとして二人の背中を眺めていた。同時に何ともやりきれない想いになる。リディスの自尊心をひたすら突き落としたかと思えばあの言いよう……彼のことがよくわからない。

 首を捻りながら扉を閉めるのと同時に、また別の疑問点が浮かび上がってくる。

「ねえ、お父様。彼らは明日どこに行くのですか?」

「町の北の道から続いているルセリ祠に行って、結宝珠けつほうじゅを取ってきてくれるそうだ」

「ルセリ祠? あの場所は部外者が地図だけで行ける場所ではないはずです。結界もありますから、誰かが案内するんですよね?」

 シュリッセル町から祠に向かうと、途中から道がなくなる。さらに木々で生い茂っている場所を通るため、場所を知らない者だけで行くには迷う可能性があった。町民でも行く者は少なく、基本的に誰も寄りつかない。

 だがある理由から、時々その地に足を運んでいた。

 それはより強力な結宝珠を得るためだ。

 人の手が触れられず、陽の光を燦々と静かに浴びられる環境下は、魔力を最も得やすい場所と言われている。シュリッセル町の周辺ではルセリ祠がその環境下なのだ。

 そのため魔力の消費が伴う結宝珠を回復させるには、必要不可欠な場所だった。町の結界を維持するために、ルセリ祠には魔力を回復させたい結宝珠が常に置いてある。時期的には、前回置いた結宝珠の魔力が回復した頃だろう。

 町にとっては重要な結宝珠――同時に魅力的な魔力を得ている宝珠。

 己の欲のために、それを求める者も少なくない。だが奪われては困るので、必然的に特別な結界も張っている。それを解けるのは町長の周りでも数名。リディスも十八歳に魔宝珠を得るのと同時に、万が一の為にと言われて教えてもらっていた。

「誰かが行くのならば、私が彼らを案内します」

 リディスにとっては自然に出てきた言葉に、オルテガは頭を抱えていた。

「お前が無理して行く必要はない。お前以上に戦闘慣れした者に頼んだ方が――」

「今、町が不安定な時期ですよ? 戦力をあまり分けてはいけません。私なら……、悔しいですが町にいてもたいした力にならないので、彼らと一緒に行っても町に不利益はないでしょう」

 リディスはそう言い切ると、オルテガに背を向けて、自分の部屋に戻った。

 左腕の傷に軽く手を当てる。自分の甘さで作ってしまった傷。

 かすり傷よりやや深い程度の傷なので、動かしても支障はないが、今日は無理せず早く休んだ方がいいだろう。素振りをしたかったが、そこはぐっと堪える。

 明日、フリートたちと同行することで嫌みを言われるのは気が進まないが、あの強さをもう少しじっくり傍で見たいという想いの方が不思議と強かった。


 * * *


「フリートってさあ、いつもそうだよね」

 宿屋の一室でバスタードソードを磨いている黒髪の青年の背中に向かって、銀髪の青年が声を投げかけてくる。フリートは振り返ることなく口を開いた。

「どういう意味だ、ロカセナ」

「自覚していないのなら、別にいいよ。――それにしても、この町はいいところだね。空気は綺麗で、食べ物は美味しい。人が集まるのもわかるよ」

「そうだな。だが人が多いところは、同時に様々な種類の人間も集まる。モンスターの侵入によって浮ついている今晩辺り、盗みが起こる可能性が高くなるだろう」

「ああ、だからさっき詰め所にまた寄ったんだ。町全体を見渡しながらその先に起こることを予測するのって、剣だけで生きてきた人間だとなかなか思いつかないよね」

「……さっきから何が言いたいんだ」

 フリートは剣を磨き終えると、首下にある緋色の魔宝珠に触れた。すると剣は光に包まれ、その光と共に魔宝珠の中に消えていった。

 ロカセナとは二年前に騎士団の同じ部隊に所属してから一緒に行動することが多いが、回りくどい言いように頭を悩ますことが多々ある。今回もそうだ。眉間にしわを寄せて横目で見ると、口元に笑みを浮かべられた。

「褒めているんだから、怒らないでよ。明日はまた忙しい一日になるだろうから、早めに寝よう。モンスターを倒すだけなら簡単だけど、護りながら行うのは少し気を使うからね」

「……その言葉、あの女に言ったら噛みつかれるぞ」

「あの女って、オルテガさんの娘? あれ、僕、彼女のことを思い浮かべて言っていないけど。詳細な地図をもらえるかもしれないのに、どうして始めから案内人が、しかも彼女が付くってわかるの?」

「……ただの予感だ」

 フリートはおもむろに立ち上がり、窓から夜空を見た。残念ながら、雲が空を覆っているため星は見えない。

 たしかに住みやすい場所だが、その安寧に身を委ねすぎていて町全体の警戒心が他の地域より低かった。詰め所で教えてもらったが、結界を張る結術士けつじゅつしと、モンスターを還す還術士かんじゅつしの割合が、町民の人数に対して他の町よりも少ないらしい。数人いる優秀な結術士のおかげで、安心して毎日を過ごせているようだ。だが人数が少なければ、その人物たちに何かあった時には一気に危機に陥る可能性がある。

 強固な結界を張ることができれば、また状況は変わってくるだろうが。

 明日を万全に過ごすためにも、フリートは手早く支度をし、いつもより早めに横になった。


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