第1章 運命の扉を開ける者たち
1 始まりを導く鍵
始まりを導く鍵(1)
――――運命の扉を開くのは、あなた自身。
その日の朝はいつもと同じだった。少し雲に覆われた空から、遠慮深げに陽の光が漏れている。
天気がいいとは言い切れなかったが、町人たちの表情は穏やかだったため、何かが起きるとは考えられなかった。
そう、その瞬間までは――。
肩より少し長い金色の髪を揺らしながら、少女は商店街を歩いていた。左右を見渡し、店頭に並んでいる品々を眺める。美味しそうな果物も売っており、それが目に入るとつい立ち止まってじっと見入っていた。
すると奥から出てきたふくよかな女性が、そんな彼女に対して声を投げかけてきた。
「あら、リディスちゃん、こんにちは!」
「こんにちは。今日の果物は特に新鮮なものばかりですね」
「業者さんが来ていてね、さっき仕入れたんだよ。ほら、これなんかいい色しているだろう?」
果物屋の女性はリディスに赤く丸い果実を手渡す。つるつるしており、光沢もあった。甘い香りも仄かに漂っており、美味しい果実だというのは間違いないと思われる。
「本当ですね、美味しそう! これを四個ください。夕食の後にでも頂きます」
「どうもありがとう」
にこにこしながら女性は果物を紙袋に詰め始める。
詰めてもらっている間、リディスは通りを歩いている人からの視線を感じていた。おそらく好奇心から生み出されたものだろう。出歩く度に感じるこの視線に慣れているとはいえ、あまり感じのいいものではない。
「どうしたの?」
紙袋を目の前に差し出されて、リディスは慌てて意識を目の前に戻し、髪に軽く手を触れた。
「……やはりこの髪の色は、シュリッセル町では目立ちますよね」
服装は動き易さを重視しているため、二十歳前のリディスくらいの年代の少女では地味な方である。色味を抑えた黄色のシャツとスカートの上に、淡い水色の袖なしの長い上着を羽織り、腰の辺りをリボンで結んでいる。靴もすぐに走れるようにヒールがない茶色のブーツだ。派手な少女となれば露出度は非常に高く、赤や橙色など明るい色の服を着ているだろう。
そのような服装を避けているにも関わらず視線が向けられるのは、自身が持つ髪と瞳の色のせいだ。町でも珍しい金色の髪と緑色の瞳は、他の人よりも群を抜いて目立つ。
「容姿はしょうがないわよ、生まれつきだもの。私はむしろもったいないと思う。綺麗な格好をすれば、もっと素敵なお嬢さんになるのに」
「いいんですよ、格好はこのままで。動きやすくないと、いざという時に動けません」
その言葉を聞いた女性は少し苦笑いをして、リディスの左腰にある
「今日も巡回? お父様はよく許しているわね」
「買い物と言って出てきました。毎日屋敷の中にいると、息が詰まりますから」
財布を取り出し、貨幣を女性に差し出す。それを彼女は笑顔で受け取った。
「毎度どうもありがとうございました」
「また来ますね!」
右手を振りながら、リディスはその店を後にした。
袋を抱えて一直線に続く通りを歩いていく。この道を真っ直ぐ進めば、町の南出入り口に突き当たる。そこからリディスの日課である、町の巡回が始まるのだ。
しかし出入り口に近づくにつれて、異様な雰囲気を感じ始める。荷馬車を入れるための出入り口が開かれているのはいつものことだが、何かがおかしい。鼓動が速くなるにつれて、足早になる。
少し近づいたところで、その異様さは視界の中に飛び込んできた。
町のすぐ外で、剣を抜いている二人の門番と援護に回った結界を張る人間――
そのモンスターを見た町人たちは、悲鳴をあげながら町の奥や建物の中に慌てて逃げ始めた。いつもより門番の数が少ないためか、それともモンスターにここまで接近されたのは久々なためか――どちらにしても逃げるに越したことはないと判断したのだろう。
町を囲んでいる森にはモンスターが多く生息しているが、町を襲ってくるのは珍しい。襲ってきたとしても町の周囲はモンスター避けの結界を張っているため、近づかれることはほとんどなかった。
だが、それは昨日までのことであり、今日はもうすぐ傍にいる。
リディスは道の端に寄って紙袋を下ろし、固い表情のまま首下にある、
そして小さな声で言葉を発する。
「魔宝珠よ、我が想いに応えよ」
すると石が光り始め、そこから生まれた光は見る見るうちにある形を作り出していく。
片手で握れるくらい長細い一本の棒。それがリディスの手のひらに収まると、光は霧散した。
手元に現れたのは、リディスの背より少し短いショートスピア。棒の先には鋭く尖った刃が挿し込まれている。ある一点から、水色のリボンが棚引いているのが特徴的だ。
それを両手でしっかり持ち、町の出入り口に先端を向けて構えた。
もし門番たちが倒されたら、ここで止めなければ町が甚大な被害を受けることになる。助けを呼ぶのも一つの手だが、リディスは直感的にそれをする時間すらもないと思っていた。
緊張を少しでも抑えようと、深く息を出し入れしながら、じっと敷地のすぐ外で起こっている光景を見る。
気がつけば、残りは結術師だけになっていた。門番は木や壁に打ちつけられて、ぐったりとしている。結術師は入り口の結界をより強固なものにしようとしていたが、モンスターの尻尾によって投げ飛ばされた。
モンスターの視線が町の中へと移動する。値踏みするかのようにゆっくり歩き、緩んだ結界の間をすり抜けて、町に侵入してきた。そして野太い鳴き声を出しながら、意気揚々と進んでくる。
息を殺して建物の陰に隠れていたリディスは、モンスターが目の前を通り過ぎ、背中を向けているのを確認すると、瞬時に飛び出した。スピアを掲げて、勢いよく脇腹を突き刺す。
モンスターは唸り声と共に振り返り、攻撃対象をリディスに定めた。それに睨まれて一瞬足が竦んだが、すぐに思考を切り替える。
突進してくるモンスターをすれすれで避け、その間に脇腹や尻尾に攻撃を与えていく。意外に表皮は柔らかかったため、跳ね返されることなく刺すことができた。当初よりも動きが鈍くなっていることから、少しだが体力は落とせているようだ。剣との微妙な長さの違いに、モンスターが適応できていないのかもしれない。
集中力を極限まで高めて、猛突進してくる相手をかわし、リディスは右前足に深々と切り傷を入れた。
怯んだところで背中を駆け登り、スピアを逆手に持って、切っ先をモンスターに向ける。
「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ。――生まれしすべてものよ、在るべき処へ――還れ!」
切っ先が輝くと、勢いよく突き刺した。モンスターが叫び声を上げる。振り落とされないように、必死に握りしめた。
やがてスピアの切っ先を中心として、大きな光の円が広がる。同時にモンスターが光に包まれ、黒い霧となって消え始めた。浄化されている、そう感じさせる光景である。
在るべき処へ還れ――。
そうリディスが再び強く想うと、モンスターの体はすべて黒い霧となって消失した。
足場が無くなる前に、リディスは軽やかに地面に降り立つ。モンスターは跡形もなく消え、残ったのは踏み荒らされた地面と少し壊された建物のみ。周囲を見渡して、他にモンスターがいないことを確認すると、大きく息を吐いて警戒を解いた。
「良かった、上手くいって」
地面に触れているスピアの先端を見つめた。先ほどの光の面影はなく、ただのスピアに戻っている。
ふと動いている何かが視界に入った。再び構え直そうとしたが、現れたものを見て手元を緩める。
町の少年だった。逃げそびれたのだろう、建物の脇から強張った表情でリディスの顔や手元を見ていた。そこから視線の意図がわかり、スピアを見ながら小さく囁いた。
「魔宝珠よ、我が想いに応えてくれて、ありがとう」
言葉に反応すると、再びスピア全体が光に包まれる。長細い光が手のひらに乗るくらいまで短くなり、その光は胸元にあった魔宝珠へと戻っていった。そしてリディスはにこりと微笑んで、少年に近づく。
「もう大丈夫よ。町の皆に伝えてこようか」
ぱあっと少年の表情が明るくなり、歩き出そうとした。しかし、再び驚愕の顔に変わる。不思議に思ったリディスだが、後ろから殺気を感じ、反射的にその場を飛び退いた。
「ま……まだいたの!」
今さっきリディスがいた場所に、大きな前足が突き出されている。先ほどの獣型のモンスターと同じ種類だが、大きさが倍近くあった。避ける瞬間に左腕がかすり、血が流れる。背を向けたままだったら、確実に大怪我を負っていた。
再び魔宝珠に触れようとしたが、まるでそんな時間も与えまいと、勢いよく迫ってくる。
短すぎる時間での召喚は不可能と判断し、リディスは
彼は足が震えつつも、視線を町の奥に、そして足を向けようとしている。彼の意図を理解したリディスは心許ない武器でモンスターに向かって飛び出した。
「あなたの相手は私よ!」
少しでもモンスターの気が逸れて、その隙に少年が助けを求めに行ってくれれば、いち早く加勢が来るかもしれない。この後、リディスがどうなるかはわからないが。
モンスターの前足の鋭い爪が、リディスに向かってくる。次の瞬間に起きることを想像して歯を食い縛った。
だが、突然誰かの大声が耳の中に飛び込んできた。
「止まれ! 死に急ぐようなことはするな!」
勢いある声に注意が向いた隙に、リディスの目の前に少しクセ毛の黒髪の青年が現れた。紺色のマントを羽織っている彼の手には、バスタードソードが握られている。
「あ、貴方は……」
言葉を漏らすと、肩越しから鋭い視線が突き刺さる。
「いいから下がっていろ。気が散る」
あまりの言われように驚き立ち尽くす。その間に彼は一人で果敢にモンスターへ向かっていった。まったく大きさが違うモンスターと人間が対峙するのを目の当たりにして、リディスの硬直はすぐに解けた。
「こんなに大きいのを一人で相手をするなんて、無茶よ!」
格好や動きから、それなりに剣術には精通しているように見える。それでもあのモンスターには一筋縄ではいかないはずだ。リディスはすぐに魔宝珠に触れて加勢しようとした。
「お嬢さん、ちょっと待って」
動く前に、この場の緊張感にそぐわない柔らかな青年の声が耳に入ってくる。そして魔宝珠を握ろうとした右手をその人が握り、リディスが触れるのをやんわりと遮ったのだ。
振り向くと優しそうな顔をした、銀色の髪の青年が微笑んでいる。灰色のマントに、腰には一本の剣。黒髪の青年と共に行動している者だろうか。
「ちょっと待って、とはどういう意味ですか」
「あいつは一人の方が戦いやすいんだ。この程度の相手なら造作もなく終わる。だからここで見守っていよう」
「造作もなく? さっきのより遙かに大きいのに……!」
不安げな言葉を漏らしたリディスは飛び出したい想いに駆られたが、微笑む青年にしっかり手を握られているため動けなかった。
「ほら、見てごらん」
そう言われ、つられて黒髪の青年と大型獣のモンスターとの戦いを見る。
モンスターの動きが随分遅くなっている。数分も目を離していないのに、早くも所々に血が流れ出ていた。
黒髪の青年といえば返り血を浴びたくらいで、怪我を負った様子はない。
「――魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ」
言葉を紡ぎ出すと、青年の剣が光り輝き始める。その光の大きさに目を見張った。リディスより遙かに大きな光だ。それは彼が相当な力量の持ち主ということを、静かに物語っていた。
青年は動きが鈍ったモンスターの背中に飛び上がり、急所の一つである首下へ剣を突き刺す。そして力強い声で言葉を発した。
「――生まれしすべてものよ、在るべき処へ――還れ!」
思わず手で耳を覆いたくなるほどの悲鳴と共に、モンスターが光に包まれながら黒い霧となっていく。
間もなくして、霧散と同時に跡形もなく消え去った。残ったのは、地面に着地する黒髪の青年のみ。
あっという間に、あの大きさのモンスターを一人で難なく還してしまった。
彼は剣に付いた血を払いながら、口を一文字にした状態でこちらに歩いてくる。
「ほら、大丈夫って言っただろう?」
銀髪の青年が手を離し、確認したように尋ねると、リディスは首を縦に振った。
当初は緊張によって頭が回らなかったが、落ち着くにつれて少しずつ好奇心が湧き上がってくる。
いったい彼らは何者なのか、まずはそれが知りたくなる。左腕に軽く怪我を負っているのも忘れてしまいそうだ。
黒髪の青年がすぐ近くにまで来ると、銀髪の青年を一瞥した後にリディスに視線を向けた。射抜くような鋭い視線にたじろぎそうになる。しかしどんな状況であれ、始めは挨拶だと思い、声を出そうとした。
「あの、助けてくださり、ありがとうご――」
「お前は馬鹿か」
(馬鹿?)
思わぬ言葉に顔をひきつらせる。黒髪の彼は不機嫌そうな表情をしていた。
「あのモンスターは親子でいるのが普通だ。お前が先に還したのが子供のほう。それくらい大きさを見ればわかるだろう」
青年に言われて、リディスはそのような話をかつて聞いたことがあったのを思い出した。この町から離れたところに、今戦った種のモンスターが住んでおり、それらと対峙する際には最低でも二匹は気を付けろと言うものだ。
「子供だけ還して大人を待たずに武器をしまうのは、馬鹿同然だ」
その言葉は正しいとは思う。だが言い方がいちいち勘に触る。感情を抑えながら淡々と口を開く。
「その通りですね。以後気をつけます」
「以後? 以後ってまだ続ける気か。そんな中途半端な気持ちでモンスターと戦うつもりなら、すぐに死ぬぞ」
容赦なく突き刺さる言葉に、歯をぎりっと噛みしめる。しかし一点だけどうしても腑に落ちないことを言われ、頭に血が上った状態で言い返した。
「中途半端な気持ちじゃないです! モンスターから人間たちを護りたいという想いは――」
「なら
青年は怒濤のように言い放ち、マントを翻して、町の入り口へと歩いていった。
その背中を悔しさと怒りと、切ない想いを込めた視線で追う。
出会って間もない人にすべてを否定されたような気がした。だが言っていることは正しい。実力が劣っているのは知っている。今の状態ではモンスターから護りたいと言っても、たかが知れている範囲でしかできない。
興奮状態のため血がさらに巡り始めると、左腕の傷が唐突に痛み出す。慣れない痛みに眉をひそめていると、銀髪の青年はリディスをその場に座らせた。
「顔色が悪い。しばらく座っていた方がいいよ。……ごめん。あいつ、腕は確かなんだけど、思ったことを素直に言い過ぎるんだ。あの言葉は一つの参考として聞き流しておくといいよ」
有無を言わせずに、彼は持っていた布でリディスの左腕を縛る。布をじっと見ながら軽くお礼を言った。
「わかりました……。こちらの処置、ありがとうございます」
「ただの止血だから、すぐに医者に診てもらって。女の子なんだからあまり無理はしないでね」
銀髪の青年は目を細めて、リディスが腕以外に目立った傷を負っていないか確かめていく。怪我人としてしか見られていなく、歯がゆい思いでいっぱいになる。彼には見えない場所で、ぎゅっと拳を握りしめた。
突然吹いた風が木々やリディスの髪を揺らしていく。隣にいた銀髪の青年の髪や、歩いている黒髪の青年のマントもはためいていた。
その風はどこから吹き、どこに吹き抜けていくのだろうか。
髪を抑えながら、リディスはじっと空を見つめていた。
青年たちとの出会いが、世界の転換点に続く道を開く鍵になるとは知らずに――。
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