地下迷宮の主 ②
(俺は今、何を見ているのだろう)
ホークは、目の前に広がる光景を見て、呆然としていた。
いや、ホークだけではない。この場にいる全員が、その光景に釘付けになっている。
狂う触手。前後上下左右に伸び、雨のように降り注ぐ。
その中心部で全てを捌きながら、前へ前へと歩を進める一人の少年。目を閉じ、背筋を伸ばして平然と。
ホークは、自分を襲う触手が突然消えたことで気付いた。ラードの下へ全ての触手が集っていることを。それを平然と剣で受け、斬り、回避する彼の技を。
最初は、彼のことをそこまで評価してなかった。ドルドルの町で周辺の魔物を狩り尽くしていた
とはいえ、
実際、彼は自分がD級冒険者であること、剣の腕は平均程度で魔法もちょっと使える程度、と評していた。そこに誇張している様子はなかったし、事実を言っているのだろうな、と思っていた。
討伐隊が発足されてからも、彼の実力を推し測る機会はなかった。砂漠の道中は、討伐隊のリーダーが優秀だったので戦闘になることもなかったし、デザートウィッパーと戦っているときも、彼は魔法を扱える利点を生かして窮地を救ってくれたが、それは他の誰かでもできそうなことだった。
それに、戦闘が始まってすぐ、彼は最前線に躍り出て無謀とも言える攻撃を仕掛けた。事前に決めていた作戦とは違う彼のトチ狂った行動に、やはりこの程度か、と思う側面もあった。作戦と違う行動に出るのは、大抵は戦闘を経験したことのない素人か、強者と対面して、緊張し混乱してしまう弱者だからだ。彼も、そのどちらかなのだと思った。
(だが、これはなんだ?)
十数本を超える触手が襲い掛かる。まるで、ドーム状の檻のようだ。その中心部で、いとも容易くそれらを捌き切る少年。
これが、D級冒険者? これが、平均程度? 否。このような芸当、C級の俺でさえできないかもしれない。いや、重い防具を外し、身軽になった上で極限まで集中していたら、分からないが。しかし、緊張の走るこの場で、パーティの二名が戦闘不能になった緊急事態で、様々な不安が駆け巡るこの場でただのD級冒険者が、あんなこと……できるはずないのだ。しかも、目を閉じているなど……。
それに、最初の不可思議な行動も意味があった。彼はたった一度の攻撃で、奴の瞳を見るのが危険だということを見抜いた。実際に体験したからというのもあるだろうが……果たして、俺が奴に混乱させられ攻撃を受けて、すぐさま立ち直ることができるだろうか。すぐに違和感の正体を理解し、仲間に伝えることができただろうか。
「……恐ろしい奴だ」
この状況で自身にできることを探しつつも、ホークは一人の少年に畏敬の念を抱いていた。
______
近づけない。
剣を振るい、鞭のようにしなる触手らを斬る。上半身を傾けて避ける。しかし、密度が増した。俺一人では、こいつが持つ触手の半数程度を引き受けることしかできない。
……ここまでか。
踏み出そうとした片足を引っ込めて、今度は全力で後ろへと跳んだ。
『ギィ……』
奴の予想外の行動だったのか、追撃の触手が遅れる。床に響く打つような音。俺の目の前にいくつもの触手が降り注ぐが、追いすがる物はない。
やがて、触手らの猛追は止んだ。奴はこちらを警戒しているのか、自身の周辺に触手を集めて身を固めている。
「ふぅ……」
全身が熱い。血管の脈動が激しい。心臓の鼓動がうるさい。
冷静であることを念頭に置いていたとはいえ……さすがに緊張していたのか、脱力感が体を襲う。
「……」
「ら、ラード……」
「奴が操る触手の総数」
「なに?」
近づいてきたホークに、伝える。
これまでの攻防の間に、数えていた。奴の触手の数……魔力感知では、あまりにも魔力が荒れ狂っていたため感じ取れなかったのだ。
「30ちょうどだ。奴の触手の総数……そんでもって、触手の壁がなければことりの魔法で本体に攻撃できる。つまり、奴の触手を俺たちに使わせれば、勝てる」
それを聞いて、ホークは目を見開いた。
「そ、そうか! 奴の触手にも限りがあるな……」
「そうだ。俺が半分引き受ける。だから、残りの半分をホークたちに任せる。どうやら、奴は今こっちの出方を伺ってるみたいだから、今のうちに皆にも伝えよう」
「ああ」
触手の動きを警戒しながらも、二人で下がっていく。
______
「大丈夫で――」
「……」
駆け付けたチューが見たのは、閉まった木製の巨大な扉を背に座るターニャだった。
小さな木片が転がっているあたり、吹き飛ばされた後にこの扉に衝突したようだ。落下の最中に風に煽られたのか、外套のフードが頭に被さっており、顔を暗くしていた。背中の長弓が、床に触れてしなる。紫紺の瞳が、走ってやってきたチューを見上げる。
彼女は、ペっと口から血を吐き、手で口元を拭った後、立ち上がる。
吐いた血だまりに、白い歯が浮いた。
フードの下、暗くてはっきりとは分からないが……彼女は明らかに怒りの表情を浮かべていた。
「ひっ……」
「……」
「え、ええっと……大丈夫そうでやすね!」
「……」
伺うようなチューの視線を、彼女は見向きもせずに前へと歩を進める。
その背中を、呆然と見るチュー。
「……って、ボーっとしてる場合じゃねえでやす!!」
この回廊の奥、響く戦闘音を流し聞きしながら、彼は走った。
彼が走った先には、白い毛玉。
壁に背を向け横たわる獣。シロだ。
「大丈夫でやすか? 今、ポーションを……」
「グルゥア……」
「ひっ!?」
シロは倒れながらも、口元を歪ませ牙を震わせた。
明らかな怒り。その唸る声は、今までに聞いたことのないほど。
「え、ええっと……」
「ガウ」
獣は確かめるような足取りで立った。体を震わせ、付いた土や砂を払う。
そして、心配そうに見てくるチューの視線を、キッと見返した。まるで、いらぬ心配をするな、という風に。
「だ、大丈夫そうでやすね……」
「グルゥ!!」
「あっ!」
突然駆け出すシロに手を伸ばすチュー。しかし、その手が届くことはなく、白い獣は戦線へと駆けて行った。
「もう、どっちも勝手すぎっす!! まるでアニキみたいでやす!!」
一人取り残されたチューは愚痴を言いつつも、その後を追った。
やがて、ターニャとシロは並ぶ。お互い、前線へと駆けている。
走りながら、見合う。
両者が感じているもの。それは怒り。自分の誇りを傷つけられたことへの怒り。
ターニャは、里では狩りをする部隊だった。その中でも、狩りの腕は随一。風を読み、匂いを感じ取る。里を出てラードたちと旅をしている間も、その力は存分に振るわれた。頼りにされた。いわば、彼らの頼れるお姉ちゃんだったのだ。
それなのに、あのような不意打ちまがいの攻撃をもろにくらってしまった。それも、ラードたちの目の前で。情けないというよりも先に、怒りが湧いたのだ。
シロは里周辺の雪景色が広がる洞窟でラードたちと出会い、見守られ大きくなった。心身が成長した獣が思ったこと、それは恩返しだ。旅の途中ながらも、ここまで育ててくれた主人のために我が力を存分に振るおうと。この依頼において最も活躍したいと願っていたのは、彼女だったのだ。それが、いざ活躍の場が与えられたというのに、出鼻を挫かれた。
彼女らは、自身の誇りを大切にしていた。それは、野生に、自然に生きるからこそ。
「グルルゥ……」
「……」
シロは、地面に落ちていた矢筒を加えて、上へと放る。
ターニャはそれを片手で受け取り、腰へと差した。
戦場に、女たちが舞い戻る。
「あ、ターニャ! それにシロも! 無事だったん……だね……?」
「「……」」
「え、えと……」
「ぶ、ぶひぃ……」
「……無事だったんだな。よかった」
「ターニャさん、シロ。怪我は……なんか怒ってる?」
「お兄さん! さっきのなんですかい!?」
「はぁ……はぁ……お二人さん、オイラを置いていくなんて酷いでやす……」
見れば、全員が揃っている。
そこから、奴の動きを警戒しながらも、作戦を話した。その間も、奴は俺だけを見つめていた。
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