地下迷宮の主 ①
「おい! 次の準備はどうなってる!!」
「まだです!!」
芳しくない返事をする船員を見て、焦燥感に駆られる。
(このままでは……)
正面。広がる砂漠の中で、凍てつく白映えの景色が縦一直線に伸びている。
その先、空を突くように伸びている生命体。だが、そいつの息の根は止まっている。凍り付いて、それもまた白映えの景色の一部と化しているからだ。
問題は、そいつと同じ存在があと二匹いることだ。
――――ォォォォォォ
響く唸り声は、まるで大地が叫んでいるかのようだ。
上下に揺れ動き、全てを蹂躙するかのようなその存在らと共に、数隻の小型砂上船が踊っている。たまに、大砲の爆発音が鳴り響く。
別動隊が奴らの気を逸らしている間、本隊の我らが氷の大魔法の準備をする。
奴ら、デザートウィッパー共に通常の攻撃は通らない。奴らの弱点である氷魔法で、体を瞬時に凍結させるのが効果的だ。他の属性魔法では、跳ね除けられるだけだ。物理的な攻撃などは、通じるわけもなく。
だから、今も鳴り響く別動隊が放っている大砲も、奴らを怯ませる程度の効果しかない。
急がなければならない。この状況が続けば、必ず犠牲者が出る。いや、もう既に犠牲者は出ているのだ。一隻の小型砂上船が犠牲になったと報告を受けた。その時のデザートウィッパーどもの様子は異常だったらしく、あの三匹が一斉にその一つの砂上船に襲い掛かったと言う。
あの巨体が三匹も同時に襲い掛かってきたとしたら……多くの魔法使いが搭乗しているこの本体でさえ、ひとたまりもないだろう。
既に行われた悲劇。その恐ろしい想像をした船長の熊獣人は、不安を払拭するように船員に聞いた。
「まだか!?」
「まだです!! 先の魔法での消耗が激しいようで、満足に動けるものが半数程度です!! もしかしたら……もはや、魔法を撃つことすら……」
「……」
一筋の汗が流れた。
その時だった。
「――船長! 何かが近づいてきます!!」
この状況の中、よそ見をしていた一人の船員が声を上げる。
「バカが! 今それどころじゃねえんだッ!!」
「いや……アレは………そんなまさか……」
「……一体なんだってんだ?」
船員が双眼鏡から目を離して呆然としている。
さすがに様子がおかしい。船長はその船員の双眼鏡をひったくり、同じ方向の景色を眺めた。
それは、影だった。高速で近づいてくる、数個の影。
そうやって見つめていると、影の姿は鮮明になってゆく。
それは、この砂漠を駆ける特急列車さながらの勢いそのままで、一本の矢と化してデザートウィッパーへと突き刺さった。
――――ォォォォォォ
悲鳴が大地を揺るがす。その他の影も同じ個体に突き刺さっていった。その度に、デザートウィッパーの体が揺れ、傾いていく。
「せ、船長……アレは……」
「間違いねえ」
双眼鏡を外して、遠く、獣の狩りの場と化した戦場を眺めながら、呟いた。
「――
______
広い空間を照らす松明が揺れる。
なぜだろう。俺の人生で危機的状況に瀕したとき、必ずと言っていいほど、空気が揺れている気がする。そこには、強者の揺れ動く魔力の余波だとか、そう言った理由があるのは分かるけど。
とにかく、状況を飲み込むのに少し時間を要した。
先ほどの広場ほどか、それ以上に広い空間。それは明らかに、人類にはそぐわないサイズ感の建物だ。
赤い絨毯がこの部屋を縦断するように敷かれている。それを目線で辿れば、奥には段差があり、その上に佇む存在が見て取れる。
獣人。巨大な獣人の死骸だ。一切の肉片すらなく、骨だけと化したその存在はまるで、王座に君臨しこちらを見下ろしているかのようだった。
そして……骨だけとなったその存在に絡みつく別の存在。筋繊維のような表面がざらついて蠢いており、死骸に纏わりついている。下半身など、完全に見えなくなってしまっている。
肉塊から黄土色の縦長の物体が、天井から突き出ているのが見えて。それは俺たちがこの砂漠に訪れた理由である、デザートウィッパーのものに違いない。
「なんだこいつは……」
この場の誰もが思っていることを代弁するホーク。
周りの仲間たちを見れば、全員が正面の謎の物体……生命体に気を取られ、呆然としていた。
だが俺は……震えていた。
こいつは……あの巨大な獣人の死骸に寄生している。
宿主の魔力や生命力の残滓を吸収して糧とし……なるほど。
「こいつが上で暴れてる奴らの本体か……」
デザートウィッパーの行動を観察してて不思議だったんだ。
潜り、飛び出し……その行動の途中、一回も尻尾を地表に出さなかった。地下に続いていた魔力反応は一か所に集まっていた。それがここだったんだ。簡単な話だ。
疑問を自己解決したところで。心は少し落ち着いた。いや、正面の奴の圧力に、今もなお震えているけれど。
あとは、体の震えを消すために鞘に触れる。
抜刀しようとした。
肉塊から、一つの目が浮かび上がった。
巨大な瞳。上下左右に揺れたかと思うと、ぎょろりと俺たちの方を射抜いた。
瞬間、緊張が走った。
手が止まった。
『――――キィィィイイイッ!!』
突如、高速で伸びてくる触手に反応できる人は、いなかった。
俺も、目で追うのが精一杯だった。
「あっ――――」
横並びの俺たちの中心部を、一つの触手が貫く。
馬鹿みたいに軽い音と共に、後方へと吹き飛んでいく人影を、見つめることしかできなかった。
「――ターニャ!!」
誰かが叫ぶ。悲鳴に近いものだった。
彼女が元居た場所に、無残にも割れた中級ポーションが転がっている。彼女が常に大事にしていた矢筒も、ポトンと音を立てて床に転がった。
「ガァッ!!」
シロが、今まで聞いたこともないほどの唸り声を上げて、正面のそいつへと向かって跳びかかった。
驚くほどの速度。いつの間にこんなに成長したのか。状況にそぐわない思考が頭を巡る。
そのシロは、横なりに振るわれた触手によって、右方向の壁へと打っ飛んだ。
「――――」
衝撃のよって、声にならない声を上げ床に落ちるシロ。広い空間だからか、その声すらも遠くから響いていた。
ゆらゆらと。細長くしなる鞭のような触手が、両手で数え切れないほどに浮いている。
「――陣形展開ッ!! チューは手当に回れ!!」
ホークの指示が飛び、皆が一斉に動き始めた。
ギュー、ホークを前衛として、ことりら後衛を守る盾役にトンを。俺は臨機応変に。予想外の事態にチューを急遽、介抱役に回した判断はさすがといったところ。
しかし、予想外は予想外。シロは身体能力を生かして敵をかく乱する舞士としての役割があったし、ターニャさんも同じく高い身体能力と、敵の弱点を的確に突くことができる弓使いだった。二人して、いわばこのパーティのレンジャー部隊だった存在だ。
あの触手の一撃で死んだとは思えないが……どれほどの傷を負ったのかはここからでは分からない。彼らの欠けたによってできた穴の大きさは計り知れない。
嫌な汗が、流れる。
「――来るぞッ!!」
叫ぶホーク。
俺より前に出ているのはホークとギューだけ。トンはことりの援護に回っている。
揺らめいていた触手は動きを速め、踊り始める。
「クッ……」
「クソッ! 数が多い……っ!!」
ホークは触手を捌けている。跳び、転び、斬り。しかし、触手は切断したそばから再生してしまうようだ。
ギューは捌けていない。身のこなしはさすが、C級に届く冒険者のものだが、いかんせん武器が悪い。巨大な戦斧は、手数の多い相手には少し不利だ。革鎧が防いでるとはいえ、衝撃は内部にも響く。
前に出る。後ろにはトンがいるので、触手が飛んできたとしても大丈夫だ。
前に駆けた瞬間、奴の目玉がこちらを見る。巨大な単眼は、ただそれだけで体が強張ってしまうものだ。
同時に、触手が三本ほど伸びてくる。充分に目で追える速度。
「……!」
剣を抜く。薄暗い部屋に紛れるかのような黒の刀身。
前傾姿勢のまま、体を右に傾けて左の触手を避ける。上から叩きつけてくる触手を剣で斬り、足で踏みつける。足元を薙ぐような右からの触手を、跳ぶことによって避ける。
本体に近づく。文字通り肉壁となっているが、分かりやすい弱点が目の前に大きく開かれている。
『キィィィイイイ!!』
奴の目玉が、一層大きく開かれる。
行ける。
「――焦るなッ!!」
ホークの声が耳を貫いた。
瞬間、興奮していた脳内が一瞬で冴えわたる。
あれ。俺今、かなり危ないところにいるんじゃないか?
まだまだ触手はいくつもある。なのに、無防備にも敵の懐に飛び込んでしまっている。
魔力で感じる敵の動き。背後に無数の触手が蠢いているのが分かった。視界の端にも、何本もの触手が閃いている。
俺はなぜ、こんなことを……そんな思考を持つことしかできなかった。冷静さを失った自分が信じられなかった。
そして、迫りくる束の触手を受け入れた。
「――シャスティル!!」
遠くから、少女の声が響いた。
同時に、視界を覆うほどの光の膜が、自分の周囲に展開される。
そして、鞭打つ音が何度も鳴り響き、衝撃によって俺の体が後方へと弾かれる。
「うぉっ……」
痛みはないが、体を無理やりぶん回されるような感覚に、少しの吐き気を催す。
ゴロゴロと床を転がり、気付いた時にはかなり後方にいた。
立ち上がり、体の具合を確かめる。特に違和感はない。
「――お兄ちゃん、大丈夫!?」
「あ、ああ……助かった……」
横を向くと、杖を奴に差し向け光らせていることりが前を向きながらも、こちらを気遣っていた。
ことりが助けてくれたのか……。
前方、今もなお触手の猛攻を受けているホークとギューを見て、疑問を覚える。
俺はなぜ、飛び込んでしまったのだろう。
当初の作戦として、最初はことりやターニャの遠距離攻撃を主軸として様子見するというのがあった。前衛は注意を引く役割を徹底。危険なことは一切しないと。
確かに、ターニャとシロが戦線離脱という予想外のことがあった。それでも、あの時俺は冷静さを失っていたかというと、そうでもない。作戦のことは常に念頭に置いていた。
考える。そして、すぐに原因が分かった。
横に立つ少女が瞳を閉じて、言葉を紡ぐ。それを聞いて、トンが正面から退く。
『
ことりが唱えた言葉が、魔力を脈動させる。この部屋を包むもの、ことり自身のもの。それら全てが少女を媒介として、杖の先から力を顕現させる。
やがて生まれたものは、水。それは段々と渦巻くようにしながら、竜の頭を象っていく。
まるで生きているかのように動き出し、それは正面の敵へと向かって飛び出した。
「うおっ!」
「これは、女神様の!」
ホークとギューの間を通り抜け、正面に向かっていく。
幾つかの触手が叩いているが、それは水だ。通り抜けるだけで、何の効果もない。
すると、迷宮の主はホークらを攻撃していた触手を、目玉の前方に固め始める。
一つ一つが糸を編むようにして、やがて大きな壁となった。
そこに、水の竜が噛みついた。牙の部分が渦巻き、白い気泡を生み出して高圧になっていく。そして、触手の壁もろとも破裂した。
『シャアアアアアア!!』
壁のど真ん中に穴が開く。主は悲鳴のような声を上げて、苦しんでいるように見える。
その壁の穴の奥、巨大な目玉がホークを見ていた。
それを見て、すぐに言葉が出る。
「見るな!!」
俺の声を聞いたホークが、すぐに顔を逸らす。こういった対応力はさすがだ。
「な、なんでだ?」
「ギューさんも!! あいつの目を見ると、なぜか冷静でいられなくなるんだ!!」
「で、でもよぉ、見るなっつったって……」
『キィィィイイイ!』
触手の壁は解かれて、最初と同じようにこちらに触手が高速で飛来してくる。
「くっ……これは……!」
「やべぇ……いてっ!」
奴の目を見ないように立ち回っているせいか、ホークもギューも先ほどよりも被弾が増える。
前に出る。いつまでも後方で観察しているわけにはいかない。
目玉がこちらを見る。だが、顔を下に向ける。
すぐさま、触手がこちらに飛んでくる。
だが、問題ない。
俺には魔性体としての能力、高度な魔力感知があるのだから。
目を閉じても分かるぐらいに、触手の微細な振動すらも読み取れる。それに、奴が操る触手はどれも直線軌道だ。最初はその速度に驚いたが、ダークエルフの里で面倒を見てもらっていたジヴェルさんの剣と比べれば、どうってことはない。
左、足元、右肩……飛来する触手を、ジヴェルさんの剣筋に当てはめる。脳内で、森に囲まれたあの修練場を思い出す。
こんなもんじゃない。あの人は、もっと意識の外から攻撃してくる。俺の隙を、徹底的に。
体が動く。反射的に。あの修行で刻まれた動きを……。
『ィィィァァァア……』
触手の数が増える。手応えを感じないのだろう。危険を、恐怖を感じているのだろう。最初に俺がおまえを見たときと同じように。圧力を感じ、恐れ慄く……。
更に増える。奴はうめき声を大きくしていく。
歩を進める。前に出る。今は冷静だ。自分が行けるラインを探る。
十を超える。両手を動かす筋肉が熱い。耳に風切り音が届く。踊り狂う触手の牢に囲まれているよう。それでも、まだ遅い。集中は極限なれど、まだ限界には達していない。
一歩、一歩。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます