動き出す世界


「――サモミールでは南門周辺が半壊。二十戸以上の被害です」

「そうか……」


 複雑怪奇な王宮内部の最奥。仕えている使用人たちさえも知らぬ一室で、彼らは言葉を交わす。


 その一室はとても簡素な作りで、とても豪華な装飾があらゆるところに施されている王宮内とは思えないほどだ。中央に木の机と、それを取り囲むような赤い毛皮のソファ。中央に部屋を照らすランプが存在するだけだ。


 そのソファで対座する二人。一人は執事服に身を包んだ老紳士。もう一人は、非常に簡素な薄い桃色の絹の服を着た男性。こちらも、老いている。


 ガルクス・バラル=アディティード。バラル王国を統治する現国王であり、グレム王と比肩する、人類の行く末を決める最高権力を持つ人物。


 彼は一般的には変化に乏しい11代目の王でありながら、これまで触れることすら禁忌とされていた亜人族に対する差別思想や偏見に対する国の態度を改革した歴代屈指の『異端王』である。

 国内でも、彼を評価する派閥は分かれた。彼のことを『賢王』と称し慕う王族派と亜人族を含む多くの民衆。反対に、『愚王』であると評価し、現王政をよく思わない貴族派。加えて、隣国のグレム王国内の多くの人々。


 こういった軋轢が生まれたとはいえ、彼の行ってきたことはおおよそ外界からは評価されている。例で挙げるとすれば、亜人族の奴隷制の改革。人族と亜人族の差を撤廃した彼の判断を称賛する声は、国内外ともに多い。簡単に言ってしまえば、亜人族が世界の表舞台に現れ始めたのは、彼の功績によるところが大きいということだ。


 ”普通”とは言えない王の内面を現すかのように、彼の服は庶民が着ていてもおかしくない簡素な部屋着だ。


 そんな大々的なことを臆せず行う彼の頭を悩ませる変事。

 それは、唐突に現れた悪魔たちの存在。


 いや、これまでにも悪魔という存在は現れている。歴史上で起こる災いの多くは、悪魔が関連しているのだ。王国内のとある集落が、ある日唐突に消滅するような災害にも、悪魔は現れた。

 しかし、それは偶発的なものだった。計画性を感じないものだった。まるで、悪魔にとってはそれが遊びであるかのように。


 しかし、今回起こった事件は違う。


「アリスは無事なのか?」

「はい。無事を確認しております。現在はサモミールにて、守護騎士団と副団長、ガデル・ドルモンド氏が守護に当たっています」

「そうか。ガデルがいるならば、安心できる」


 今王都に戻ろうとしても危険なだけだろう。王は娘の判断を内心で評価する。


 色素を失った髪を振り、自身の髭を撫でながら王は呟くように口を開く。


「……しかし、今回のことは一体、何が目的なのだ……」

「……? 目的ははっきりしてませんか? アリス王女の殺害。王族派の弱体化を狙ったものなのでは?」


 付き人の執事が言う。王に対しての話し方ではないが、ここは秘密の一室。プライベートな空間だからこそ、失礼な物言いも王は許すのだ。


「それならば、悪魔を利用しなくてもよいだろう」

「それはそうですが……奴らの力は凶悪です。計画の確実性を高めるために利用したのでは?」

「違うな」


 王とは、王たるべき資質がある。それは全てを凌駕する知能か。類まれなるカリスマ性か。

 かくして、バラル王にもやはり、そういった資質は備わっており……その王としての思考力、知識、あるいは第六感が囁いた。


 王は、またも髭を撫でながら喋る。人前では見せない彼の個性的な一面だ。


「――利用されているのだ」

「……」

「都市を襲った悪魔の情報が入ったら、すぐに私に知らせてくれ」

「かしこまりました」


 執事が礼をしながら部屋を出ると、静寂が訪れた。

 とはいえ、この部屋にも見張りはついているが。


 その部屋の中で一人、王は呟いた。


「……荒れ模様は、この国だけでは済まないぞ」


 立ち上がり、ランプを持って部屋を出ようとする。


「とはいえ、私はしばらく書類仕事か」



 自らを嘲笑するようにして、扉は閉じた。



______



「――はい! では、あちらの素材受付へとお願いします」


 受付嬢に案内された冒険者が消え、一時の空白が生まれる。


 だが、その隙間を埋めるようにして、新しい人物が入ってくる。


「ようこそ、冒険者ギルドへ! ……って、なんだ、またあなたですか」

「またとは何よ。私が仕事の邪魔でもしてるっていうの!?」

「ははは。まあ、当たらずとも遠からずってところですかね……」

「ん? 今何か言った? ごめん、ちょっと聞き取れなかったわ」

「いえいえ、その……本当になんでもないんですよ――――」


 その受付嬢は相手の顔を見上げてこう言った。


「――アルフィーさん」


 ダークヴァイオレットのローブ。煌びやかに光る魔石。平均的な身長。背丈ほどに大きい両手杖。茶色のハーフアップの髪。とんがり帽子がトレンドマーク。

 それにちょっぴりと勝気なほどに赤い瞳を燃やせば、彼女になる。


 彼女の名は、アルフィー・クラスズ。魔法使いの少女だ。


 少女は、不可思議な受付嬢の様子を訝しみながらも、話を続ける。


「ふーん? まあいいわ。それで、いつもの頼める?」

「はあ。まあ、それほど労力もかからないので、私は構いませんけどね」


 そう言いつつ、受付嬢は水晶玉を取り出して、そこに手を当てた。

 水晶が怪しく光って、何かを照らし出している。


「もう二か月以上もこうしていますよ。残酷なことを言うようですが……はっきり言って、その方の生存は……」

「分かってるわよ、そんなこと。私たちが一番分かってる」

「でしたら……」

「でも、可能性がないわけじゃない。なら、その可能性を捨てるわけにはいかないの」


 受付嬢は、いつも通り強情な少女の様子に、溜め息を吐く。このやり取りも、何度目だろうか。


 彼女に言われてやっているのは、ラード・アルヴェスタという人物の記録の調査だ。冒険者ギルドは、世界全土に支部が存在する。そして、本部と支部、その全てが魔法を通して繋がっており、情報の共有も行われている。


 例えば、行方不明になってしまった人物の捜索をする場合。その者が指名手配されている場合や、ギルドを利用して依頼を受注している場合、それはギルドの記録として現在位置、時刻まで詳細に残されて共有されるので、その者の捜索に非常に役立つのだ。


 しかし、受付嬢は期待していなかった。

 もう二か月以上もこの作業をやっているが、ラード・アルヴェスタの最後の記録は変わらない。イレーヌ商会からの護衛依頼を、ラグラーガという街で受注したという記録だけ。特殊満了扱いとなっているので、この依頼で何かが起きたのだろう。詳細はラグラーガ支部が把握しているはずだ。


 そして、今日も変わらずその記録が、水晶玉に映し出されるだけ……そう思っていた。


「――――え?」


 しかし、水晶玉の魔力から生まれる情報を、手を媒体として読み取った彼女は思わず声を上げた。


「ん?」

 今までにない受付嬢の反応に、疑念の眼差しを向ける少女。


「ラード・アルヴェスタ」

「え?」

「北大陸、ドルドル支部にてデザートウィッパー討伐の依頼を受注……」

「え? え!?」


 少女は思わず受付から身を乗り出して、受付嬢に迫る。

 だが、そんな少女の様子も目に入ってないのか、呆然としたような受付嬢は、機械的にしゃべり続ける。


「ホーク・アイズマンのパーティメンバーとして参加……日付は……昨日っ!」

「――!!」

「あ、アルフィーさん! 無事でしたよ……って、アルフィーさん!?」


 少女は、ギルドを飛び出していた。呼び止める受付嬢の声は、耳に入っていなかった。


「みんなに伝えなきゃ……!!」



 ローブの走りづらさが、今はただただ邪魔だった。



______



 揺れ動く馬車。その中、対面する少女と騎士。


「殿下……街から出ては危険ですぞ」

「あなたの心配する気持ちは嬉しいわ。でも、少しだけ、我儘をさせて?」

「……かしこまりました」


 そうやり取りする少女は、いつか見た悪魔が憑依していた騎士、ルルノ・ブォーツに襲われていた少女だ。

 肩に届かない程度の短い金色のなめらかな髪。小さな体は、まだ大人になりきっていない少女の純粋な内面を表していて、反対に、様々な装飾が施された豪華なドレスが、少女の純粋性と矛盾しているようで、儚くも美しいという印象が、常に移り変わる。


 彼女の名は、アリス・バラル=アディティード。バラル王国の第二王女。


 その王女と対面する騎士は、ガデル・ドルモンド。

 かつて、ラード・アルヴェスタが孤児院の依頼にて重傷を負い、教会にて眠りから覚めた時に、調書を取っていた騎士だ。


 守護騎士団。バラル王国全土を守護する主要騎士団。王都には軍事力として、他にも各地に配属されており、王国内の魔物被害などの対応に当たる。バラル王国が誇る人類圏での最高戦力。

 ガデル・ドルモンドは、その名だたる猛者たちが集まった守護騎士団において、副団長の座に就く実力者だ。その功績はすさまじく、暴走した飛竜の群れをたった一人で殲滅した過去があるという。


 そんな彼らが向かう先は、とある森の切り開かれた広場。


 馬車が到着し、中からガデルが降り、その後、ガデルのエスコートを受けながらアリスが降りる。


「ここは……?」

 ガデルにとって、ここは名前すらない一つの森に過ぎない。王女がわざわざ出向いたからには、特別な何かがあるのだろうとは推測していたが、一見すると特に何もないように見える。


「ここは、私の恩人が眠る場所です」

 アリスはエスコートしてくれたガデルの手から優しく手を離しながら言う。


「恩人……ですか」

「ええ」


 歩き出す王女に、後を付いていくしかないガデル。


(一体何なのだ)


 やがて、何かが見えてきた。


(あれは……)


 それは、誰かの墓だった。とても簡易的な作りになっていて、墓石とも呼びづらい大きな石が置かれている。では、なぜ墓だと分かったのかというと、単純な話だ。


 そこには、満開に咲き乱れる赤い花が存在しているからだ。

 特徴的な花。根元から茎が三つに分かれ、それが一度交差した後に、三方向の外側に向けて赤い花を咲かす。花の部分は、棒のように細長い赤い花びらが中央の花托などを包むようにしており、中央の花糸や花托は桃色をしている。


 更に、その花びらからはまるで、滴る涙のように透明な丸い点がしだれている。


 この世界での精霊の悪戯の一つ。誰かに愛された人が死んだ場所には、このような花が咲く。この花のことを、人々はこう呼んだ。


愛想花あいそばな


 精霊たちは、何を目的としてこのようなことをしているのか、誰にも分からない。人々も、その理由を憶測し、勝手に『愛想花』と名付けている。死んでしまった人に愛が伝わるように、花を咲かせているとか……少し怖い説だと、死んだ人の魔力を、花を通して精霊が吸収している、とか。


 どれも信憑性がない。夢はあるが。


 しかし、遺体の上に咲く。この事実だけはやはり、変えられないものだ。


「……この墓石は、誰かが弔ってくれたのですね。ごめんなさい、ベルス。少し遅れてしまったわ」


 王女が俯くようにしてその墓を見ながら語る。


(ベルス……というと、ルルノ・ブォーツから身を挺して王女を守ったという)


 アリスが目を閉じて墓石に触れてる間、ガデルは後ろで、騎士に立ち向かったそのメイドの勇気を讃えていた。


 殿下の付き人だ。賢い人であっただろう。ならばきっと、勝てない戦いであったのは分かっていただろう。殺されるのは分かっていただろう。それでも、彼女は勇敢にも立ち向かったのだ。


 そうしてベルスというメイドに敬意を表したあと、ガデルの思考は、その騎士へと変わった。


 ルルノ・ブォーツ。彼が幼少のころ、ガデル自身が教鞭を振るったこともある。貴族派の最高権威を持つブォーツ家。その中でも、不遇とも言える五男。それでも、剣の才はあった。実直な彼の剣には、良い影響を与えたいと感じさせる素直さがあった。

 ガデルの手を離れ、社交界にも顔を出し始めた彼は、いつしか騎士を目指し始めた。それを聞いたときは、ガデルも少し喜んだ。かつての教え子が、守護騎士団に入るかもしれないのだ。そうして、普段は部下に任せている守護騎士団の入団試験にも、ガデルは顔を出していた。


 ガデルはその時のことを思い出す。


______


「勝負ありッ! 勝者、ウィルズ!!」


 審判の声を聞いて、喜びを表すもの。同時に、悔しさを滲ませるもの。それが現れるのは必然。


「よっしゃ! これで、守護騎士団に入れる!!」


 喜びを表すのは、当然勝者だ。


「こ、この僕が……負けた? あり得ない。あり得ないあり得ない。あり得ないあり得ないあり得ない」


 項垂れながら、試験場から離れていくルルノを追った。

 やがて、人目がつかない通路で、彼に追いついた。背後から、声をかける。


「ルルノ、残念だったな。だが、試験は今回だけじゃない。次も――――」


 励まそうと、ガデルはルルノの肩に手を伸ばす。


「っ!!」


 だが、ルルノはそんなガデルの手を大きく払った。

 振り返ったルルノの目に、かつての純粋さはなかった。怒り、憎み……負の感情が渦巻いた、歪んだ瞳をしていた。


 彼は唾棄するように、まくしたてる。


「この僕が、負けるはずないんだッ!! 負けてはいけないんだッ!! そうだ、きっと、対戦相手が試験用の剣に細工でもして……」


 そこで、ルルノはハッとして、言葉を切った。


 彼を見るガデルの目が、憐れんでいたからだ。


「……す、すみませんガデルさん。ぼ、僕……そんなつもりじゃ」

「あ、ああ」


「……僕はこれで。失礼します」



 そう言いつつ去っていくルルノの背中に、ガデルはかける言葉が見つからなかった。


______


 思えばあの時から、歪みはあった。

 あの時、彼の心の支えとなる言葉をかけれていたら、こんなことになっていなかったかもしれない。


 しかし、ガデルはこの後悔を胸中に秘める。

 このようなことは、今までいくらでもあった。だからといって、その後悔をないがしろにするわけではない。

 後悔する。だが、心の中だけだ。自分は、守護騎士団なのだから。後悔をしている暇もないのだ。


 他に助けを待っている人が、沢山いるのだから。


「……ガデル、行きましょう。お別れは……したから」


 墓石から離れ、この場を後にしようと背後を振り向いたアリスの瞳は濡れていた。雫が滴り落ち、地面を濡らす。


「……殿下。よろしければ、こちらをお使いください」


 アリスに向けて、ハンカチを差し出すガデル。


「……ガデルは優しいのね。でも、平気よ。それに、いつまでも誰かに支えられてるわけにはいかないわ」

「……」

わたくしは、王女なんですから」


 顔を見上げたアリスは、もう泣いていなかった。代わりに、決意を顔に滲ませていた。

 一番に支えてくれていた人は、もういない。それがどれほど悲しいことか。赤ん坊のころからずーっとそばにいてくれた人だったはずだ。それはきっと、親よりも、兄弟よりも。少女にとって、何よりもかけがえのない存在だっただろう。それでも立ち上がる少女の心の強さに、ガデルは照らされていた。


「行きましょう。御者を待たせてしまっているわ」



 先を歩き出すアリスの背中を見て、ガデルはもう不安を感じていなかった。

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