地下迷宮 ④


 全てが、水の中に居るように遠くに感じていた。

 暗闇すらも、遠く。

 次第に、


 もう、そこまで来ている。

 我は……何者か。疑問は果てぬ。しかし、暗闇を伝って流れてくる負の感情が心地よい。


 心地よくて、たまらない。それが、なぜだか無性に、苦しい。


『もうすぐだ……』


 呟いた。呟けたことを、認識した。


 一つずつ、解っていく。


 世界を。



 遥かなる霊峰の底、深淵の更に奥。佇む存在。

 確かな心臓の音を刻み始めた。


 がいる。



______



「ふむ……」

 四角に映るその風景を遠ざける。


 引いていくその視界、紫の瞳。唯一の、色濃い場所。

 その者は、何もかもが白い。目を隠すとんがり帽子も。マントのように長く垂れ下がった髪の毛も。口元を隠すような壮大な髭も。ローブも靴も何もかもが真っ白。


 しかし、彼の晒された両腕を見れば、その深く刻まれた皺が彼の生きた年数を語っている。


『観測者』。


「目覚めつつある」

 彼は語る。誰もいない巨大な塔の最上部。


「魔王が」

 雲の上。全てが止まった時の世界。


「世界が動き始めておる」

 全てを観測するもの。


「……見届けよう。永久とこしえに」


 彼は、全てを見ている。



______



「来ないな……」


 残りの一つの道の前で座り、待ち人となっている。


 残りのメンバー……ホーク、ターニャさん、シロがいない。

 誰も来ていない残った道から現れると思い、ここで待っているのだが……。


「おかしいっすね。俺たちが来てから30分は経ってますぜ」

 同じように隣に座るチューさんが、腰掛のポーチから懐中時計を取り出して言う。

 時計……俺も欲しいな。ていうか、時計とか普通に機能するのか。そもそも結構高級品そうだ。


「30分……」

「へい。話を聞く限りだと、あっしらとラードのアニキたちはそれほど時間差もなくここに到達したと思うんですが……時間にすれば、5分もない程度」

 そこまで話して二人、中央の広場で遊んでいることりとギューさんたちを見る。


「あはは! すごいすごい!」

「女神さまに奉仕じゃあー!!」

「こ、ことりちゃん、すごい軽いんだなぁ……ちゃんとお肉た、食べて……」

 すげえ。ことりがギューさんの右手とトンさんの左手に両足を乗っけて、仁王立ちしている。一体、どんな気持ちであんなことをしているのだろう。なんか、風神、雷神、女神様、といったような出で立ちだ。いや、勝手なイメージ図だが。


 チューさんも、なんだか白々しい顔をしていた。


「うーむ」

 まあ役割分担だ。パーティの中で頭脳を使う人と、士気を下げない人、カリスマ性のある人……色々と役割がある。セイルや、この人達と関わることによって、この世界における集団の在り様というのは少しずつ分かってきた。


「アニキたちは一体、これがどんな状況か分かってるんですかねぇ」

「まあ、落ち込むよりはいいと思います」

 脱線した話を戻すべく、言葉を振る。


「確かに、俺たちはほぼ同時だった……」

「そう。このダンジョンは、この空間に同時に出るのが仕組みの一つだとオイラは考えたんですけど……」

「……ダンジョン。やっぱり、ここはそういう存在なのか」

 明らかに異常な事態の連続、不可思議な空間。ファンタジー用語が脳裏に浮かぶのも仕方ない。ある程度、推測していたことだ。


 俺の言葉を聞いて、チューさんがこちらを覗き見る。


「ありゃ。もしかして、ラードのアニキはダンジョンについてよく知らないんで?」

「ああ……ちょっと一般常識に疎くて。俺もことりも。チューさん、よかったらダンジョンについて教えてくれないか?」


 そう言うと、チューさんは説明してくれた。

 ダンジョンとは……そう問われて、確固たる答えを持っている者は存在しない。不思議な迷宮。明るい洞窟。無限回廊……形や特徴は様々で、法則性を見出すのは難しい。ただし、その土地の特徴や、魔力の性質によってある程度は予測できる。


「そして、冒険者の中でダンジョンについての共通認識がありやす」

「それは?」


 聞くと、チューさんは大仰に言う。


『ダンジョンとは冒険者にとって、夢と希望の墓場だということ』


 ダンジョンが作り出される条件……はっきりとは分かっていないが、遠い昔、『エルフの賢者たち』が集まった研究集団によって、ある一つの説が立てられた。それは、あまりにも巨大な魔力が塊となったとき、それが『核』となって、その核を基盤としてダンジョンは生み出されるというもの。無限に生み出される魔物……待ち受ける数々の試練、強敵。そして、金銀財宝の数々。奥地に眠る秘宝を求め、夢と希望を追った後……ダンジョンの礎となる冒険者も少なくない。


 それでも、沢山の屍の上に立ち、秘宝を勝ち取った者……それは、後世に名を残す名誉ある存在として、永遠の語り口となる。


 ダンジョンに向かう冒険者は多い。死の覚悟をして、人々は富と栄誉を求め、ダンジョンへと消えていった。その背景もあり、各地のダンジョンの位置情報は冒険者ギルドに記録され、ギルドを通して世界に発布される。


「――なんで、ここも知ってなきゃおかしいんすよ。オイラ、北大陸のダンジョンの位置はほとんど把握してるんです。けど、シャルーガ遺跡地下に眠るダンジョンなんて、聞いたことねえっすよ」

「……なるほど」

 話を聞いている限り、確かにここは『ダンジョン』と呼ぶに相応しい性質を持っているように思える。砂漠の地下という希少性、辺りに張り巡らされている魔力、仲間と離れた場所に移動させられる異常性。


 なら、この明らかに人工物である巨大な柱や松明も、ダンジョンによって生成されたもの……ということになるのだろうか。しかし、そう考えるとこのダンジョンは天然物ではないということだろうか。

 先ほどの話を聞く限り、『ダンジョン』というものは作れる物のように思える。


 なら、このダンジョンを作った者は何が目的でこのようなことを……?


「「ハッ!」」

 何やら気合が入った声が聞こえ、思考の海から戻される。


「なんだ?」

 見ると、ギューさんとトンさんが腕を振るう。

 その勢いに乗ってことりが宙に舞い、縦に一回転。

 その後、綺麗な着地を決めてドヤ顔。それを見て、神を崇めるように拍手を始めるギューさん。よく分かってない様子で、「す、すごいんだなぁ」と称賛するトンさん。


 ……なんだあの空間は。ていうか、ことりも随分と体を動かせるようになってきたな。この世界は戦いの経験を積むことによって、肉体的にも精神的にもかなり鍛えられる。元の世界では考えられないほどに。

 例えば、スポーツ選手がこの世界で一か月過ごせば……オリンピックにも出れるようになるかもしれない。それぐらい、理屈を超えた何かの力によって、肉体のレベルが押し上げられる。


 今まで魔法だけに触れてきたことりだが、剣を持ってみるのもありかもしれない。魔法だけでは、いざというときの自衛能力に少し不安がある。


「あ、杖落としちゃった」

 回転の途中、外套の懐から飛び出して遠くに転がっていった片手杖を、慌てて回収しに向かうその妹の様を見て、思う。


「……少しは危機感を持ってほしいでやすが」

「それは同意する」

 またも、外野の存在に気を取られ、脱線しつつある話を戻す。


「……チューさんは、この道、俺たちが入っていって良いと思います?」

 いまだに現れないホークたち。彼らがやってくるとすれば、この道しかない。

 しかし、ここで問題となるのが……先に到着した俺たちが、いわばゴールから逆走するようなことをしてもいいのかという話。


 仮、という言葉は外れないが、恐らくこのダンジョンは俺たちの力量を試すような試練を行っているのではないか。各々、これまでの道の構成が違ったこととか諸々考えると、そのような意図を感じないでもない。

 俺たちは、機転が利くかどうか……閉じこもった迷路の中で、どのように道を探すか。答えは、行き止まりの壁にあった。ギューさんチームは、単純に戦闘の連続。その力量を試すような構成だった。


 なら、ホークたちはどういう構成の試練を受けているのか。まあ気になるが、これは今は重要じゃない。

 これが仮に、ダンジョンが訪れた人間を振り分けて試練を課しているとすれば、そこには意味があるんだと思う。俺とことりがセットだったこと。ギューさんたちのチームが一緒だったこと。そして、ホークとターニャさん、シロが……まあ、恐らくだが、一緒なこと。


 それが、ここから俺たちが迎えに行くようなことをしたら、試練の邪魔になりかねない。それを、ダンジョンが許すのかどうか。


「……オイラは何とも言えねえっす」

「まあ、だよなぁ……」

「ただ」

「ただ?」


「ホークの野郎とターニャ嬢は、このパーティの中では飛びぬけた実力を持ってるっす。そういった意味では、オイラはあんまり心配してないっす」

「ああ……確かに」


 ホークはソロでC級に上がってきた冒険者だ。実力もそうだが、一人でやれることの多さはずば抜けているだろう。万能型。

 ターニャさんも同じような存在だ。武器は弓だが、探索技術や感覚機能のそれは、獣人に勝るとも劣らない。若くして戦闘慣れしている天才万能型。


 その二人で、ホークは剣を持つ前衛、ターニャさんは弓を持つ後衛。役割が二人で完結している。間違いなく、このパーティでの最強コンビだろう。


 問題があるとすれば、まだ体も成長しきっていないシロの存在だろうか。あの幼獣が二人の実力についていけるかと言われれば、首を縦には振れない。当然のことだ。


「待つのが良いか……」

「オイラもそう思いますぜ。それよか、あの巨大な扉の奥に、どんな金銀財宝が眠っているのか、そっちの方が気になりやすねぇ」

 支柱に背を預け、後頭部に両手を置き休憩スタイルに入るチューさん。

 ……字面だけ見れば、確かに心配する要素もないように思えるが……。


 なぜ、これほど遅れているのだろう。このダンジョンに入ってくるときに、時間差が生じたのか?

 ……そもそもこのダンジョン、それほど危険度もない。ギューさんも怪我をしていたが、あれは先走ってしまった結果であって、三人でじっくりと攻略すれば怪我もなく来れただろう。俺とことりが進んできたあの迷路も、危険は少なかった。砂漠蝙蝠の毒にさえ気を付ければ、あとは壁の謎を解くだけだ。


 これほど、簡単に攻略できてしまうものなのだろうか。なんとなく……物足りないというか。俺が危険な状況を目の前にして感じる、背筋が凍るような感覚が、少しずつ、這い上がってきている気がする。


(杞憂ならいいけどな)



 しかし、その後、いつまで待っても、ホークたちは現れなかった。

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