ドルドル道中の変事


 それは、ドルドルの町へ向かう旅の途中のこと。

 慣れない旅、しかも長期に渡るその旅路に、俺は疲労でへとへとになっていた。


 今日は、森の中、流れる小川の水辺に営を張る。川には食料にもなる魚などがいるし、道中で体にまとわりついた土や垢などの汚れを清めることができる。水を求めて、魔物も寄ってくる可能性は高くなるが、里で貰った獣除けの効果の強さのおかげか、これまでに魔物に襲われた回数は三回ほど。夜の番は外せないが……非常に助かっている。


 しかし、その日、俺は疲労のあまり、その場に陣営を張ったところで力尽き、焚き火を眺めていたら、眠ってしまったのだった。



______



 パキッ


「ん……」

 木の割れる音で目が覚める。

 薄目に、小さな火。どうやら、焚き火を起こしたところで、倒木にもたれかかって眠ってしまったようだ。


「やべ……夜だ。今日は俺の日なのに」

 起き上がろうとすると、気がつく。体に毛布がかかっている。

 そして、視界の外から、声が聞こえてくる。


「お兄ちゃん、起きたんだ」

「……ことりか。まだ起きてるのか?」

「お兄ちゃんこそ、もう少し寝てなよ」

 見ると、揺れる黒髪の尻尾。薄目で、長い睫の下に瞳が隠れているが……同じような倒木に腰掛け、火をじっと見つめている。


 振り返りテントの中を見ると、揺れる毛布。ターニャさんも就寝しているらしい。その隣で、白い毛玉も揺れている。シロも寝ているようだ。


「お前が番してたのか?」

「うん」

「バカ。寝ないとだめだろ」

「それは、こっちのセリフだよ……」

 そう言うと、外套を膝に包ませ、体育座りのような体勢に変わった。少しだけ、瞳が潤んでいるように見える。火の反射で輝いた瞳が、そう見えてしまうだけかもしれないが。


 しかし、ことりはまだ13の少女。成長期ってのもあるが、そもそも体力的に、13歳の少女がこの長く不慣れな旅に加えて、夜の番までこなすのは無理がある。


「寝とけ。俺がや――――ふぁ~……やるから」

「そんな盛大に欠伸をしていると、全然頼りないよ」

「む……いいから寝ろ」

「嫌」

「寝ろって」

「絶対に嫌!」

 そういうと、膝を腕で抱え、そこに顔をうずめてふくれっ面になってしまった。

 何が不満なのだろうか。楽になるよう、荷物もできるだけ俺が多く負担しているし、飯の管理もしている。そりゃ、調味料がないから、味は薄くなってしまうから、そこに不満があるのは分かるが。テントの設営もそうだ。旅途中の索敵や道選びはターニャさんに任せているから、せめてもの仕事としてやっているが……何に拗ねているのだろう。


「よっと……」

 体を起こして、胡坐座りになる。足に毛布を掛けて、ことりと同じように火を見つめる。

 薪、ちゃんと新しいものがあるな。火の管理もしていたようだ。


 冷たい空気が流れて、火の煙が揺れる。周囲の森の葉に煙が絡まって、やがて夜空へと消えていく。

 青白く冷たい月明かりと、炎が放つ暖かい深紅の明かり。そのコントラストが、この大自然を余計に際立たせる。


 そうしてお互い、火を見つめながら、話す。


「何で拗ねてるんだ?」

「拗ねてないもん」

「どうみても拗ねてるじゃねえか」

 頑なな様子に思わず笑みを浮かべながら、続ける。


「不満があるなら、口にしてくれ。お兄ちゃん馬鹿だから、分からんからさ」

「お兄ちゃんは馬鹿じゃないもん……」

「あっそう……やっぱ俺って、天才だったんだな……馬鹿じゃなかったら、天才なんだと常々思ってたんだ。ほら、馬鹿と天才は紙一重って言うだろ?」

「……」

 oh。無反応。お兄ちゃん悲しいぜ。

 しかし、これはあれだな。本格的にしょぼくれモードだ。妹はいじけると、俺の冗談にも付き合わなくなる。さて、こうなったときは、その悩みを言い当てるのが一番手っ取り早い解決策なんだが……。


「……」

 さっぱり思いつかない。単純に、この辛い旅が嫌になったか。正直、北大陸を舐めていた。ここまで道なき道が多いとは。崖っぷちを歩き、凍った湖の上を渡り、小山を上り下りし……。ただ、その最中、美しい自然の光景が広がっていた。凍った滝、手を伸ばせば届きそうな雲、淡く光る茸。それに感動したし、ことりもそういう光景を見るのが好きなようで、はしゃいでいたのを覚えている。


 なら、そこに不満はなさそうだ。それ以外で、何があるだろうか。豊胸に良い鶏肉をあまり食べれていないとかそういう女性的なお悩みなら、俺には解決できないが。まあ、そもそもことりはそんな悩みを俺にぶつけるような性格はしていないが。


 疲れが溜まっている……は皆そうだしな。そこに不平不満を言うわけがないし。分からないな。


「ことりちゃんや、お悩みを話してみんさいな」

「……」

「胸が小さいことか?」

「違う」

「身長が伸びていないことか」

「違う」

 おかしいな。普段なら怒り狂うはずなのに。どうやらこれは、何かに怒っているわけではなく、落ち込んでいるようだ。


「ふぅ……すまん。お兄ちゃんには分からん。ただ、言わないと、たぶん何も変わらないと思うぞ」

 すると、その言葉を聴いて眉を顰める。


「……お兄ちゃん、もう黙って寝なよ」

「だから代わるって言ってるだろ」

「私がやるって言ってる」

「だめだ。譲れない」

「私も譲れない!!」

 なんなんだ急に。今までは、こんなこと言わなかった。それが今日になって急に、だ。大体、夜番をやりたいっていう我儘の意味が分からない。普通、やりたがらないだろうが。


「おい、もう我儘は――――」


 そのとき。



 ――――アオオオォォォン



「……!!」

「お兄ちゃん、今のって……」

「ああ……ことりはターニャさんを起こしてくれ。くそ! 面倒なことになった!」


 立ち上がり、外套を脱いでテント脇にある防具を身に着けていく。ついで、弩と剣も装着していく。

 その間、ことりがテントの中に入っていく。中から声が聞こえてくる。時期に、ターニャさんも起きるだろう。


「カウァ!」

「シロ。お前も感じたか」

 テントの中から出てきた銀毛の幼獣。短い旅のなかですくすくと成長し、今はもう小型犬並みのサイズになった。

 シロは、毛を逆立てて、周囲の状況を鼻を動かして探っている。


 あの遠吠え。森林狼フォレストウルフだろう。しかし、声の質が若干、老いを感じさせる。

 やがて、武具の装着を完了して、外套を羽織る。その間に、魔力を野営地中心に周囲円形状に薄く伸ばしていく。


 その間、テントの中からターニャさんとことりが出てくる。ターニャさんは狩りの装備をしていた。後は、テント脇の弓矢と矢筒を装備すれば、準備は完了するだろう。


「お兄ちゃん……」

 ことりの不安そうな声。しかし、今は構っている余裕はない。

 本来、夜に狩りを行う魔物は、隠密が鉄則。まして、遠吠えで己の位置を知らせるなど、あり得ない。


 しかし、一つだけ、そういった行為に思い当たる節がある。

 以前、俺がセイルたちのパーティに入る前、ゴブリンの集団にセイルたちが襲われたときのこと。一匹のゴブリンを囮として敵をおびき寄せた後、合図を鳴らして敵を囲んだ状態で襲い掛かる。


 魔物は、集団で狩りをする場合、隠密行動をしないことがある。統率の取れた組織でもって、計画立てた狩猟を行う。


 つまり……


「……十……二十……五十二匹。その中、一匹、魔力量が異様に高い個体。こいつが遠吠えを上げた……頭だな…………俺たち、囲まれてる」

「ご、五十二!? け、獣除けは?」

 ことりが聞いてくる。

 この野営地を囲うようにして、半径約150m先に置かれた強いミント臭を放つ植物を詰めた箱。獣除け。しかし、それを突破して、彼らは歩みを進めてきている。


 次、もう一度合図が響き、彼らが走り始めたら、ここは戦場に早変わりするだろう。それだけは止めなければならない。


「既に突破してる。ターニャさん、ここで守衛してください。俺がここから離れて、引き付けて処理してきます。ことり、お前は絶対にここから離れるな。常にテント近くにいて、できるだけターニャさんから離れるなよ」

 喋りながら、焚き火から一つ、燃えた薪を持つ。光を持って飛び出せば、森林狼たちの注意も俺に向くだろう。


 魔力感知で、集団の頭の位置を捕捉する。東方向。そちらのほうに向かえば、頭が俺を狩るよう指示を出すだろう。そうすれば、群れの多くの森林狼は俺の方向へと向かってくるだろう。


「や、やだよ……私も戦う!!」


 着々と準備を進める俺を見て、切羽詰った様子のことりが言う。

 しかし、そんなことは許されない。この中で近接戦闘ができるのは俺だけだ。ターニャさんも、ある程度は近接状態での回避技術はあるだろうが、武器は弓矢だ。得意ではないだろう。


 ことりも、魔法を学んでまだ早い。里での狩りに同行していたが、実戦経験はほぼ皆無。

 魔法で最も大事なこと。それは、想像し、願うこと。緊迫した状況下では、冷静ではいられない。そうした思考は霧散してしまうものだ。こればっかりは、慣れなので仕方ないが、今のことりが戦力になるとは思えない。


「だめだ、許さない。自衛以外で、魔法を使うなよ」

「いや! 行かないで! お兄ちゃん、本当に死んじゃうよ!!」

 腕を掴まれる。

 振り返ると、泣いていた。ターニャさんが後ろから、落ち着かせるようにことりの肩に手を置く。

 しかし、問答の時間もないのだ。彼らがここを見つける前に、出なければならない。


 落ち着かせる言葉だけ。それだけを残して、行こう。

 腕をゆっくりと放して、その手を握りながら、言う。


「こんぐらいじゃ死なねえよ。じゃ、また後でな」

「お兄ちゃんっ!!」

「カゥカゥ!!」


 背後から聞こえてくる、震えた声と幼獣の鳴き声。それを聞き届けながら、俺は森の闇へと走った。



______



 松明代わりの燃える薪を片手に、野営地から離れていく。

 感じる。後をつけてくる存在。大量の魔物。それでも、足を止めることはない。


 できるだけ遠く。遠く。


「はあ……はあ……」


 やがてたどり着いたのは、崖際。木々は開かれ、月明かりが照らすその場所。

 下は、何十メートルはある高さ。足を止めた衝撃で弾かれた石ころが下に消えていくが、いつまでも音が響かなかった。


 振り返る。



「――――グルルゥ……」

「……お出ましか。皆さんお揃いのようで……」


 森の奥。妖しく光る双眸が、何十数。その全てが、今、正しく俺を狩ろうと見つめているのが分かる。

 殺気。それは、誇りも、穢れも何もない……ただただ純粋な、『殺す』という意思。


 その情報を一気に体に叩きつけられ、寒気が走る。体が震えてきた。

 だが、それでも、やらなければならない。やる以外に、ないのだから。


 剣を抜く。月明かりすらも飲み込む黒い剣を、たった一つの武具として……


「グルッ!」

「――来い!」


 お互いの声を切り目として、始まった。


 森の闇から、勢いよく飛び出してくる狼。大型犬並みのサイズ。紺色の体毛、毛先が白く染まり、風に撫でられている。赤い目は真っ直ぐと俺に差し向けられていて、白い四肢を巧みに激しく動かして、向かってきた。


 一匹。飛びながら、喉元を正確に狙っている。


「ふっ!!」


 右の剣をそのまま、左上へと切り上げる。

 悲鳴すら上げる間もなく、そいつは両断され、そのままの勢いで背後の崖へと落ちていった。


「グルル……」「ウウウ……」「バウッ!」


 それを見届ける暇も、ないようだ。

 次々と森の闇から姿を現し、ある者はにじみ寄るように、ある者は駆け出して、襲い掛かろうとしてきている。


「……」


 嫌な汗が、額に流れる。


「アウォォォーー!!」


 森の奥、あのときの遠吠えと同じ声が響いた。


「バウッ!!」「ガァッ!!」


 同時に、飛び込んでくる二匹。


 剣を左手に持ち替えて、左の飛び込んでくる森林狼へと差し向ける。


「ガウアッ!!」


 開かれた口に向かって剣を刺そうとしていたが、そいつは空中で身をよじって回転する。体がずれて、黒い剣は頬を掠めた。

 同時に、右の森林狼が右足に向かって噛み付こうとしてくる。

 それに向かって蹴りを放つと、内側にステップをして避けられる。


(こいつら、一匹一匹が……戦闘に慣れてやがる!)


 奴らの身のこなし。直進をするのではなく、敵の攻撃を回避する余力を残している。


「ぐあっ……!」

 激痛。左肩と、右足。噛みつかれ、そのまま押し倒されそうになる。

 だが、ここで倒れたら、もう死ぬ。すぐさま数の暴力で、喉を噛み千切られる。


「――――んぐぁああ!!」

 右腕で、左肩に噛み付いた森林狼の尻尾を握る。

 そして、無理やり引き剥がす。


「キャイン――」

 激痛。肉が引き裂かれる感触。見ると、その森林狼の歯がなかった。

 恐らく、肩にまだ刺さっているのだろう。だが、そんなものを気にしている暇もない。


「あああッ!!」


 そのまま、全力で振りかぶる。途中、尻尾と胴体が若干ちぎれるような感触がしたが、それでも右足に噛み付いている森林狼へと叩きつける。


 二匹の頭蓋が凄まじい勢いで衝突し、割れる感触。


 右足から、口が離れていく。


「はぁ……はぁ……」

 無理やり動かしたせいか、怪我をした左肩や右足と同じように、右手も痛む。



「――グルゥアッ!!」

 そして闇から、再び現れる狼たち。

 また同じように、にじり寄ってくる。瞳は真っ直ぐと、こちらを見ている。


 そして、再び咆哮。森林狼たちは、動き始める。



「ははは……笑うしかねえ」



 迫り来る大量の影を前に、静かに呟いた。



______



 周辺の地面に、矢で射られ息絶えた森林狼の死体が数個。小川にも、浮かんでる。

 襲撃は止んだ。もう他に魔物の気配はない。


「――ターニャ!! ねえ、ターニャ!!」

「……」

「カゥカゥ!」


 私とシロの声を聞いて、頷き走り始めるターニャ。その方向、お兄ちゃんが消えた方向。


 私も行かないと……



『絶対にここから離れるな』


 あの顔が浮かんだ。淡々と必要なことだけを話して、去ってしまった。


 そこにはきっと、私を気遣うような意味があったんだと思う。余計なことを考えさせないように。けど、あの時……一番不安だったのは、お兄ちゃんだった。あの時はパニックになってたけど、今はわかる。


 兄は、あの一瞬で、死の覚悟を決めていた。


 それを悟らせないように、できるだけ気づかせないように。死の覚悟。私が一番、分かってあげなきゃいけなかったのに。この世界での、生きた時間という経験の差に甘えてしまった。ずっとそうだ。この旅路、私は介護されてるようなもの。持ってる荷物は少ないし、ずっと二人の間を歩いてるし、魔物との戦いには、近づけさせないようにされてる。夜の番もそう。


 それが嫌だから、あんなことを言ったのに。お兄ちゃんが分かってくれないから、拗ねていたのに。私は、荷物なの? 私は、守られるべき弱い人間なの? 私の……死んだ姿を一番に見た兄が、生きる覚悟を決めた私をそんな目で見ているのが、なぜか許せなくて。他人に優しすぎて疲労していく兄。その原因が自分だっていうのが、私は一番許せなくて。


 それで……あんな、あんな。喧嘩したようなあんな会話が、最後の会話になってしまうのだけは。それだけは絶対に、


「嫌だ」


 シロにアイコンタクトを送って、一緒にターニャの後を追う。ターニャは一瞬、私を見て咎めるような表情をしたけど、すぐに、ついて来いというジェスチャーをした。


 頷いて、私は後を追った。



______



 痛い。体のあらゆるところが痛む。


「ガァッ!!」

 飛び込んでくる森林狼フォレストウルフ。それに向かって、何とか剣を振り下ろす。

 剣が頭にめり込む。さすがに振る力が弱いせいで、両断とまでは行かないが、絶命させるところまではいった。


 そのまま、地面に落ちる肉塊。その上に、剣が落ちる。

 筋肉疲労のせいか……血が足りなくなってきたか。頭に靄がかかって、全身の力が抜けてきた。冬の冷たい空気に乗って、血の臭いがこの辺りに満ちている。けれど、その臭いすらも気にならなくなってきた。


 目の前に転がる、三十は超える死体。後ろの崖に落ちてった奴もいるが、数える余裕なんてない。


「はぁ……はぁ……」


「グルゥ……」

 立っているのもやっとになってきたそのとき、森の奥から現れる。


 そいつは、大きかった。他の奴とは一回り体格が違う。もはや、ライオンのようなサイズ感。それに、他の狼よりも、白い毛の割合が多くなっている。唸る口から覗かせる鋭くて長い牙。目の周りは窪んでおり、影になっている。その奥、光る赤い瞳。


 凛々しい立ち姿。あー。こいつがペットだったらいいんだがな……。


「アオーーーン!!」


 そいつが夜空に向かって吼えると、その後ろ、暗い森から森林狼が出てくる。三、六、十。十匹の森林狼が、リーダーの横に立ち並ぶ。


「これで、全部って訳か……」

 先ほどから、死体が積み重なり足場が不安定になったせいか、森林狼たちの攻撃は単調になっていた。

 これ以上意味はないと悟ったリーダーは、一斉攻撃を仕掛ける。そういうことだろう。


 これほど仲間がやられては、引き下がれないということだろうか。実際、俺の余力はほとんどない。

 だが、まだやれる。諦めてねえぞ、俺は。


 リーフなしじゃあ成功したことのない技。だが、呪文を詠唱している暇もない。なら、これしかない。今、やるしかない。


『万物に吹く風よ』


 剣を握る手に力をこめる。その先から、碧の淡い光が生まれる。

 そして、風の魔力を操作して、剣に馴染ませる。


「グルゥア!!」

 合図が響いた。


 剣が放つ淡い光の奥、迫り来る十匹の森林狼が見える。


 剣を縦に構えて、月夜に照らす。


『――――属性付与ソードオブエレメント


 剣は、風を纏った。

 その剣を一直線に構えて、宣言する。


「ラッシュ!!」


 瞬間、体が前方へ跳ね飛ぶ。

 自分の意思で体が動く。だが、それ以外にも、何か超常的存在によって、動かされる。それは追い風となって、体の動きを極限化させる。


 そして、一陣の風となった。


 ――――ゴウ


 凄まじい風圧。地面の血が舞い、全てが揺れる。


「キャウ――――」


 耳に、俺の荒々しい突進に巻き込まれた森林狼たちの悲鳴が聞こえた。



 やがて停止したとき、前方には森だけが広がっていた。


 倒した。だが、全てじゃない。まだ、一匹いる。でも、もう体は動かない。スキルの反動か、立ったまま、手足が一ミリも動かせないのだ。


「グルゥ……」

 嗄れ声。

 それは、何かを唱えているように思えた。


 瞬間。俺の足元の地面が隆起したのが見えた。


「――――」

 回避。そう考えたけれど、体は動かなかった。


 衝撃が襲う。両足の感覚が消失。内臓が浮かび上がり、俺の視界いっぱいに、星空が広がっていた。


(綺麗だな……)


 そして、意識が消えた。



______



 前方を走るターニャの背中を追って、しばらく。


「あ、明かりが……」

「カゥ!」

 森の奥。月夜に照らされた断崖が見える。ここからでも、下に広がる森が見える。


「……!!」

「え、ターニャ!?」

 すると、突然ターニャが方向転換をして、全力で走り始めた。

 今までも全力だったが、その走りは、何もかもをかなぐり捨てるような、一心不乱とした走り。


 つられて、私も走り出す。外套が風の抵抗を受ける。ぬかるんだ地面に躓く。でも、そんなの関係なく、前方のターニャと並んで、二人で同じ方向へと駆ける。


「カゥ――――」

 シロの声が背後から響く。でも、今は、今は……。


 やがて、奥。断崖からせり出した崖の一角。そこに立つ人影と、一匹の大きな獣。月明かりだけど、よく様子は見えなかった。


「お兄ちゃん!!」


 走る。走って、近づく。そして、茂みを抜けて、やっと状況を確認できるぐらい近づいた。


 そのときだった。


「グル……」

 狼の魔力が、揺れ動いた。


 ――――バン


 爆ぜる音。宙に浮かぶ人影。それは、真っ直ぐと崖のほうへと弾き飛ばされていて。

 血が舞う。世界が、スローモーションになる。

 目の前の狼が、動く。駆け始める。それは崖のほうへと向かっていこうとしている。


 持っていく気だ。宙で噛み付いて、下の森へ。着地は? そもそも、なんで爆発?


 色んな疑問が脳裏に浮かぶ。

 けど、それは全く意味がないもの。


 何かをしないと。このままだと、兄が。それだけが、重要。


 何か、ないか。魔法、無理。詠唱が間に合わない。ターニャ、無理。弓を構えてない。今からじゃ、間に合わない。


 考えて考えて……


 そして、自分の無力を知った。


 何も、できない。生意気に、自分の力を主張しようとしていたのに。私は守られるような存在じゃない。そんなことを言おうとしていたのに。


 どうだ? 今、守ってくれていた存在が、死に行くこの瞬間。私は今、何もできないじゃない。これが、現実なんだ。いつか来る光景。それが今来ただけ。私の弱さが生み出した結果。現像。


 あーあ。こんなことなら、ずっとテントの中にいればよかった。それなら、こんな悲しい気持ちにならずにすんだのに。こんな景色を、見ずにすんだのに。

 私って本当に馬鹿なんだな。何もできないのに。私は、何かをだけの存在だったのに。


 今、それだけを……自分の無力さを、悟った。


 瞬間、世界が止まる。


『――――るよ!』

『――――いな。情けねえ』


 声が聞こえた。なぜだか、今まで不鮮明だったものが、一瞬だけ明るくなったような。

 ふと、気がついた。


 私の魔力だ。


 世界が一層明るくなった気がした。満月の月明かりが、より輝きを増したような。

 そして、内面世界すらも照らしていく。


『大丈夫。きっと助けられるよ』

『当たり前だろ。俺たちがいるんだぜ』


 いがみ合っていた二つの力が、語りかけてくる。聖と闇が、月明かりの元、協奏している。


 どうすれば、いいんだろう。


『さあな。てめえで考えろ』

『いじわるね! さあ、私たちを認めて?』


 認める? それって、どういうことだろう。

 でも、なんだろう。白昼夢を見ているのかな。分からないけど、分かるような。きっと、これが正解なんだろうなって思うものが、頭に浮かぶんだ。


 それを、口に出すだけ――――



「シャスティル、カゲメデア」


 時が少しずつ、動き始める。その中で、目の前に現れた二つの光。

 一つは白く。一つは黒く。光り輝いていた。


『ふふっ。やっと呼んでくれた。私は――シャスティル』

『自覚がおっせーよ。俺の名はカゲメデア。ふんっ……悪くねえ名だ』



 そうして、時が動く。


 目の前、今にも兄に噛み付こうと、宙に飛んだ狼が口を大きく開けていた。


 私は、願う。救いの慈悲を、どうか。


 そして、宣言をする。



「――――シャスティル」


 光が生まれた。


 それは、薄い膜となって、一瞬で兄を包んだ。


「ガウッ!?」

 噛み付きを膜に阻まれた狼が、驚きの声を上げた。


 そして私は、怒り、悲しみ、苦しみ……悪感情の全てを搾り出し、世を恨む。


 宣言する。


「カゲメデア」


 私の目の前、闇が生まれる。

 それは塊となって蠢き、標的を探している。


 やがて、闇の力が狼へと、放出された。


「グウ――――」


 闇が蠢き、それが狼を飲み込んだ。


 その全ての工程が、静かだった。


「――――」

 無音。音すらも飲み込む闇は、狼を崖の奥、宙へと吹き飛ばして、森へと落下していった。



「――――持ってきて」

 願う。すると、光の膜に包まれて浮いていた兄が、こちらへと近づいてくる。

 やがて、目の前の地面に降り、光の膜は霧散していった。


「……」

「――カゥ!」

 隣にいたターニャが、驚くようにこちらを見ている。森の奥から、シロが飛び出してくる。


 そんな二人に微笑んだ後、私は兄を見る。


 傷だらけ。外套と下の革の服も貫通して、肉に牙が刺さってる。血が出てて、骨も見えてる。


「大丈夫」

 何をすればいいか、分かる。今、私の自我は少ない。きっと、何かに導かれるように……大いなる意志の下、満月に願うように。


 兄の上で、両手を合わせて、二つの魔力を合わせて。


『癒して』

 合わさった両手の間から、淡い光の粒が一つ、落ちていく。

 それが兄の体へと、消えた。


 瞬間、兄の体も光る。見ると、服の下、肉が修復され、皮も戻っていく。


「もう、大丈夫だから」


 兄の額を撫でて、私は言った。

 私……なのだろうか。



 月明かりの下。一人の少女は魔力を自覚し、森林狼たちの襲撃は、幕を閉じた。



______



 月明かりすらも届かぬ暗い森の中。その中で、赤く光る双眸。それは、闇に包まれ森へと落とされた森林狼のリーダー。彼は森の魔力に魅入られ、魔性体となった個体。


 着地の寸前、土魔法で地面を柔らかくし、着地の衝撃を和らげた。その彼は今も、闇に体を包まれたまま、地面に倒れていた。


「グウウウッ!!」


 失態。人間の気配。強い香りを放つもの。今までの経験からして、あのような、我らが避けたがる臭いのする物を巣の周りに置く奴は、弱いのだと思っていた。

 だが、夜に紛れるような黒の毛の人間。あいつは崖を背後に、我らの攻撃を耐えた。

 死んでいく仲間の雑魚たちはどうでもよかった。奴を消耗させれば、それでいい。最後、弱りきった奴を殺して食し、無限にも思える膨大な魔力を我が物とするはずだった。


 だが、予想以上の強さ。我と奴が万全の状態で戦えば、間違いなく我は負けていた。だから、仲間が奴を消耗させるところまではよかったのだ。

 問題は、奴の仲間にも、魔力を持つ人間がいたことだ。


 森から人間の足音が聞こえたとき。我は魔法を使い、奴を宙に浮かせ、我も崖から跳び奴を連れ去る予定だった。

 だが、見たこともない光り輝く何かでそれを邪魔され、更に、今も我の体に纏わりついているこの黒い塊を放ってきた。


「グルルルッ!!」

 憎い。両方とも、黒の毛だった。忘れない。必ず、殺す。

 立つ。着地の痛みが消えたのだ。また一から群れを作る。


 だが、その狼は、その場で倒れてしまった。


「グルッ?」

 違和感を感じ、振り返る。


 狼の視界。前足の部分。すぐそこまで、黒い塊が迫っていた。


 大きく、なっている。

 除けようと足を動かそうとするが、動かない。いや、


 下半身が、ない。


「グルア!?」

 体を動かす。前足が、黒い塊に飲まれている。

 下半身の感覚がない。


 目に、土が少し入る。頭を振って払う。そして、前足を見る。

 黒い塊が蠢いているのみ。もはや、感覚があるのかないのかすらも、分からぬ。


「グルルルア!!」


 森林狼は焦る。今まで経験もしたことのない異常な事態。痛みもなく、感覚が消えていくことに、恐怖していく。

 そして、前足を包んで蠢いている黒い塊に、噛み付いた。


「ガ――――」

 声が、出なくなる。口に黒い塊が、纏まりついた。

 すぐに鼻で呼吸し始める。


 前足の感覚が、ない。


「――――」

 飲まれている。食われている。その狼は直感した。

 そして、目の前、口の先から、だんだんと黒い塊が迫ってきている。


 狼は、恐怖した。


 恐怖、した。



 その場。闇が蠢いていた。しかし、少したつと、闇は地面へと溶けていく。


 やがて、そこに狼がいた形跡は、無くなっていた。



______



「ん……」

 鳥の声。朝チュンって奴だ。

 目覚めると、ベージュ色の布の天井。どうやら、テントの中。


「……ふぁ~……えっと、何があったんだっけか……」

 起き上がり、何があったか記憶の引き出しを一つ一つ開けようとした瞬間。

 寝間着に着替えていることに、気づく。


「え……は?」

 なんだこれは。俺は、寝間着を着た記憶はないぞ。そもそも、この旅路、里で愛用していたグレーのこの寝間着は一回も着たことはない。

 どういうことだ。考えられるケース……なし。何が起きている。この旅、俺以外には女性しかいないはず……


「……昨日、森林狼フォレストウルフに襲撃されて……何十匹と戦って……そんで……気絶した。そのとき、武具を着けていた。は、はあ? まさか、まさかそんな。あり得ない。これは、俺の純潔が……」

「あ、お兄ちゃん。起きたんだ」

「………………死ぬか」

「なんで急に!?」


 テントの外。眩しい陽光が差し込むその自然を背に、覗き込んできたことりの驚く声が響いた。


「カァ~……」


 すると、隅っこの白い毛玉が揺れ動いた。



______



「というわけ。分かった? お兄ちゃん」

「……なるほど。なるほど?」

 野営地を襲う森林狼がいなくなったころ、二人と一匹で俺を探しに行ったら、大量の森林狼の死体と、すぐ傍に佇む俺、大きな狼が一匹いて、それですぐ俺がぶっ飛ばされて、俺を回収しながら逃げそうになったその狼を見て、ことりが絶望しかけたとき、魔力が話しかけてきて、世界が止まってて、そんで自身もよく分からないまま、俺を助けていた。その後、意識がはっきりしてきたとき、野営地にいて、俺はもう既にテントの中にいて、ターニャとシロが焚き火の周りでじゃれあっていた。それをじーっと見ている私に私が気がついたところで、朝が来た。それで今、こうなってる。


 うむ。分からん。

 だが……ことりが拗ねていた理由は分かった。


「お前、そんなことで悩んでたのかよ」

「そんなことって! 私にとっては、結構大きいことだったんだよ!!」

 どうやら、13歳の少女という理由で特別扱いされていることが、不満だったらしい。


「そりゃお前、仕方ないことだろ……」

「仕方なくないもん! 私、もう子供じゃないし!」

 いや、この世界の成人は15歳だぞ。お前はまだ区分的には子供だ。

 ってのは、年頃の少年少女には効かないだろうな……。実際、パーティとかでもそうだが、自分が何もできない、もしくはしていない状況で、他人だけがきびきび動いているのを見ると、ストレスがたまるものだ。俺だけ荷物か、という感じで。


 まあ、適材適所だとか、色々とあると思うんだけどな……。


「……じゃあ、分かった。最初は、荷物を均等に分けて持とう。急にあれこれ手を出しても、体を壊すだけだしな。まずは重い荷物を持ち運びすることから慣れよう。どうだ? これでいいだろ?」

「……うん。そう、そうだよ。私もちゃんと持てるもん!」

「ってことなんですけど。ターニャさんもいいですか?」

「……」

 すると、俺を一瞥した後、ことりを見始める。

 なんて言ってるんだろうか。構わない、とかだろうか。


「――――はあ!? いや、違うしっ! ……うう、そうだけどぉぉ……いや、ターニャは喋れないだけじゃん……うぅ……分かった。分かったよ」

 なんか、やり取りしている。

 分からないので、足元にいたシロを抱きかかえ、膝まで運んで弄ぶ。


「カゥ?」

「手持ち無沙汰解消だ」

 頬を引っ張る。びよーん。餅のようだ。


「お、お兄ちゃん……」

「おー……なんだ、改まって」

 すると、倒木に腰掛けたまま、うーうーとその場で唸った後、頭を下げていった。


「ごめんなさい!」

「おー。いいよいいよ。俺が気づけなかったのも悪いしな」

「それもそうかもだけど! もしかしたら、あの時、死んじゃうかもしれないって。そう思ったら、最後の会話が、喧嘩っぽいのって、すっごい嫌だなって。だから……本当に危なかったっていうか。後悔してるっていうか」

「ははは。言ったじゃねえか。俺は死なないってよ」

「そんなのっ! 口先だけじゃん! しかも、私を安心させるための! 自分が本当に死ぬかもしれなかったんだよ!」

「そりゃ……死んだらなぁ。そのときはそのときで」

「だから、私! ごめんなさい! もう、なんていうか……気遣われないように、私も頑張るから。お兄ちゃんも、そのつもりでいてよ……」


 すると、立ち上がり、隣に座ってくる。

 そして、俺からシロを強奪すると、可愛がり始めた。


「ニィ~」

「……えへへ」

「……まあ、確かに……気を張りすぎてたかもな」

「え?」

「よし、今日は休みにしようぜ。森林狼たちの死体は?」

「……」

 サムズアップするターニャさん。

 死体を処理しておかないと、血の臭いが充満して辺りに魔物が寄ってきてしまうからな。ありがたい。


「おーけー。ことり、お前の力について話してくれよ。なんつったっけ?」

「えーっと……シャスティルと、カゲメデアね」


 といった途端、ことりの胸が輝き、二つの光が飛び出してきた。白い光と、黒い光。

 そして、何かを主張するように縦に揺れる。


「……ははは。なに言ってるか全然分からん」

「主人を悲しませたら、殺すぞって言ってるよ」

「主人って誰?」

「私」

「俺もう死ぬのか」


 野営地に、笑い声が響く。

 不慣れな旅。危険はいっぱい。けれど、そこで育まれる何かも、確かにある。

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