ドンドルド商会


 冷えて乾燥した空気が流れる、とある森。

 その森に響く、鈴のような声。


 そこで、魔蟷螂サイマンティスと呼ばれる、1.5mはありそうな巨大な蟷螂かまきりと、黒髪の少女が対峙していた。


 黒髪の少女は、茶色の外套に身を包んでいる。その下に、銀色に光る金属の軽防具を覗かせていた。


 少女は、大きなベージュ色のブーツを前に踏みしめ、小さな木製の片手杖を正面に差し向けて、こう唱えた。


輪天変サークルテラ


 木製の杖、その先端にはめ込まれた白色の宝石が光り輝く。小さな魔方陣が展開され、妖しく光り輝き、そしてそれが一際大きく躍動し、光ったかと思うと……


「――――」


 突如、魔蟷螂の足元が膨れ上がり、爆ぜた。

 しかし、それを予期していたかのように、魔蟷螂は横に飛び退いた。


 そして、爆ぜた地面の土や石が舞うその隣で、魔蟷螂が大きく鎌を振りかぶって、目の前で横に振った。


 すると、鎌は魔蟷螂の手元から離れ、回転しながら少女に襲い掛かる。


 太陽光が、鎌と魔蟷螂の手元まで続く、細い線を反射させる。

 魔蟷螂は、非常に強固な糸で鎌を飛ばし、操っているのだ。



「――シャスティル!」


 少女がそう叫ぶと、突如、少女が光り輝く。まるで、少女の声に呼応したように、内側から溢れる光。


 そして、正面。その光は少女から離れ、目の前に光の壁を作り出した。


 鎌がそこに当たる。なんの抵抗もなく、その光の壁を切り裂いた――――と思いきや、光の壁は一瞬、小さく収束したかと思うと、爆ぜる。


 その衝撃で、鎌は斜め上へと、無造作に宙を舞った。


 そして、魔蟷螂が自身の鎌の行方を目で追っているとき。

 横の茂みから、高速で矢が飛んでくる。


「チキチキ」

 魔蟷螂が口を動かして、警戒音を鳴らす。

 一瞬、反応が遅れたが、それでもその矢に向かって、風を切るように鎌を振り下ろす。


 しかし、驚くことに、その矢は何かに弾かれたように角度を変えた。

 鎌を避け、その細身の胴体に突き刺さる。


「チキチキ」

 悶えるように警戒音を鳴らし続ける魔蟷螂。しかし、その音はすぐに止まった。


 少女の方向から、飛来してくるもの。黒い、闇の塊。それは球状を象って、魔蟷螂へとゆっくり向かってきている。


 それに向かって、反射的に鎌を振り下ろす魔蟷螂。


 そして、鎌が球へと触れた瞬間――――触れた部分が消える。鎌先が、宙を舞う。


「――――」

 魔蟷螂が身をよじる。しかし、胴体に刺さった矢のせいか、その足は動くことはなかった。


 やがて、魔蟷螂の頭に闇が触れる。触れたそばから、闇の中に消えていく。抉れていく。

 闇の球が進む道。そこには、なにも残されない。


 魔蟷螂は、その場で棒立ちしたまま、動かなくなった。


 矢が飛んできた方向。茂みが揺れ動いたかと思うと、飛び出してくる人影。少女と同じような茶色の外套に身を包んだ、ダークエルフの女性。少女はそれを認めると、無邪気に手を振った。


「やったねー!」

「……」

「さ、回収しよう。確か、この糸も売れるんだっけ……」


 少女が、腰に下げた鞘から短剣を取り出すと、目の前に落ちている鎌を弄り始める。

 ダークエルフの女性は、頭が吹き飛んで棒立ちしたままの魔蟷螂に向かって、歩き始めた。


 とある森の、狩猟光景だ。



______



「安いよ安いよー!! お、そこの奥さん、美しいねえ! よかったらうちの商品見てってよ!」

「あら、そう? じゃあ、一目見させてもらおうかしら」

「オラァ!! 気荒鳥サッチョウの焼き鳥だぞ!! 買った買ったー!!」

「一本!! 旨そうな匂いだ!!」


 人々の喧騒。いや、獣の血のほうが濃い獣人が多いので、獣の喧騒だろうか。

 まあ、そんな細かいことはどうでもいい。行き交う人々を避けながら、前へと前へと歩いていく。


「オイ! 気をつけロ!」

 横から衝撃。俺は今、深くフードを被っているので、前しか見えないのだ。

 こいつ、自分からぶつかってきただろうに……しかし、今は仕方ない。穏便に済ませたいので、適当に謝ろう。


「すいません」

「ハッ! 根性のネえやろうダ!」

「……」

 なんだこいつは。

 まあ、構うだけ損な奴だろう。無視して行こう。


 そう思い、このまま中央通りを歩いていると追いかけられそうなので、横の路地に逸れる。


 遠回りだが、仕方ない。


 しかし、そうやって対策しても、背後から怒声が聞こえてきた。


「――――オイ! チョっと待て! テめえ、なめテるだロ!!」

「……俺にどうして欲しいんですか」

「まず腹を見せロ! ソして俺様ニぶつかっタ侘びの金ヲ置いていケ!」


 お前様は一体誰なんだ。明らかに低俗で、お偉いさんには見えねえぞ。

 仕方なし。顔を見ると、犬……というよりは、狼のような顔をした奴だった。灰色と白の毛。一見、コボルトかと思った。コボルトだったらよかったんだが。そしたら遠慮なく手を出せるのに。


「クンクン……んん!? オマエ、人間だナ!」

「……」

「しかモ、そうやっテ顔を隠シてるってことハ、手続キしてないナ!?」

「っち……面倒だな」

 そう。この町、ドルドルは住民権を持った人間じゃないと、入れないのだ。

 住むつもりもないが……その手続きに一ヶ月ほどかかると聞いて、やってられるか、と外套に身を包み町に入ってるわけだが……まさか、こんな見るからに馬鹿っぽい奴に看破されるとはな……。


「グァワッハッハ! 憲兵ニ言いつケてやル! そしたラ、報奨金モ貰えル!!」

「……」

 憲兵を呼ばれても、逃げられるが……顔を覚えられているからな。下手したら、そこらへんに俺の人相書きが貼られることになるかもしれない。


 それだけは嫌だ。こいつを気絶させて、脅すか……それしかないな。


 そうして、体内の魔力を練って、風魔法の準備をしていると……



「――――私の客人に、何をしている?」


 狼の奴でも、俺の声でもない、威厳を感じる声。あたりに、響く。

 その元は、狼の後ろ。まるで、銃のような道具を狼獣人の後頭部に突きつけ、その人物は立っていた。


「ギャバ!? や、ヤめてくレ! オレは何もシない!」

 危険な状況だと察知したのか、狼獣人のそいつは両手を上げて、必死に喚く。


「ふむ。では、契約魔法を使った手続きをしよう。私は、他人の口先だけは信じない性質たちでね。おい、お前ら。こいつを片付けろ」


 その人物は空いている左手を上に挙げた。


「はい」「はい!」

 脇から、メイド服の女性たちが出てくる。猫と犬。双子のように顔立ちが似通った、背の低い彼女たちが、両脇から狼獣人をホールドする。


「イ、イてて! オイ、何もシないかラ、骨だケは折らないでクレ!」

「かしこまりました」「かしこまり!」


 そうして、メイドたちと狼獣人は大通りへと消えていった。


 その様子を見届けた後、その人物に視線を移す。

 彼も、大通りに消えていった彼らを眺めながら、自身の髭を撫でていた。


「ふむ。私たちは、この道から行こう。人だかりはどうも苦手でね」

「……同意ですね。あの、助かりました。どうしようかと思ってたところです」

「ふふ、そうだろう。私が出なければ、彼を襲っていただろう? だが、大通りに近い場所で騒ぎを立てるものではない」


 残った人物。梟の獣人である彼は、一切の汚れのない茶色のコートに身を包み、貴金属がついた片眼鏡をして、黒いハット帽を被っていた。

 まるで、中世の貴族のようだ。白い髭がダンディさを際立たせている。


「そうですね。えーっと……商会ってあっちですよね」

「うむ。よければエスコートしよう」

「あ、はい。ありがとうございます……えっと、従者さん、いなくていいんですか? 護衛なしで歩いていい立場じゃないでしょ」

「護衛は居る」

「まさか……」

 周囲を探ろうと、魔力を薄く張り巡らせようとしたそのとき。


「やめた方がいい。は彼らを刺激してしまう」

 ……魔力を感じ取れるのか。どうやら、魔法も扱えるらしいな、この人は。


「……流石ですね。その慧眼が、商売上手の秘訣かなんかですか? ドンドルド商会長」

「ははは! まあ、一端ではあるだろう……な」


 メクロ・ドンドルド。この町の経済状況を支配する彼は、こちらを鋭く見抜いた。

 その瞳は、俺を見つめているのではない。俺が背負った大きな袋の中を見ているのだ。


 路地には差し込まないその太陽光。それが映す建物の影を見ながら、彼との出会いを思い返す。



______



「はぇ~……本当に獣人ばっかなんだな……」


 ドルドルの町。獣が支配する北大陸に存在する、数少ない文化的な町のひとつだ。

 立ち並ぶ壁の中、レンガの家々が立ち並び、服を着た人に近い獣人たちが列を成すように歩いている。


 まるで、ラグラーガを小さくしたような町だ。純血の人間も、割合は少ないが存在している。多くは小汚い格好をしているが……。

 それにしても、獣の匂いが立ち込めている。苦手……というほどでもないが、好きでもない。ダークエルフの里とは違う、野生的な雰囲気だ。


「おい、真ん中で突っ立ってんな!」

「っとと、すみません」

 危ない危ない。今のは俺が悪い。どうやらここは大通りのようで、大量の人が行き交っている。

 横に退いて、人だかりから逸れる。そして、目的の建物を探す。


 つま先立ちをして遠くを見ようとしたが、どうにも顔がばれそうなのでやめておく。今は外套を装備しているのだ。というか標準装備だが、フードを被っている。

 言ってしまえば、俺は今不法侵入をしているからな。関門で手続きをしろだのどーのこーのうるさかったので、フードを被って馬車の裏に隠れて通ったら、普通に入れてしまった。


 まあ、それは置いといて……恐らく、関門からは位置が近いはずだ。ここら辺を探してみるか……。



______



「ようこそ! 冒険者ギルド、ドルドル支部へ!」

「うおっ……」

 入り口横にすぐ、受付があった。その奥にいる兎獣人の可愛らしいショートカットの女性が話しかけてきた。

 びっくりだ。ラグラーガではこんな入り口受付など存在していなかったが……支部によって色々と特色があるんだろうな。


「何か御用ですか?」

「ああっと……魔物とか、色々素材を卸したいんだけど」


 そこまで言って気がついた。俺は冒険者登録をしているからとギルドにやってきたが、今俺は不法侵入状態。もし住民権の手続きとギルドカードが関連してたら、一発でアウトだ。


「…………その、登録してないんだけど……」

「大丈夫ですよー! ただし、税がかかっちゃいます!」

「ああ、それでもいいや。どこ行けばいい?」

「あちらが素材受付です! 常に討伐依頼が掲載されている魔物の討伐証なら、別に買い取ってもらえますからねっ!」

「分かった。丁寧にありがとう」

「いえいえ! 次の方~って、え――――」

 その場から歩き去る。後ろの人を対応し始めたらしいが、関係ないので聴覚をシャットアウトして、素材受付へと向かう。


 元気な受付嬢だったな。好印象でおじさん、気分がよくなった。

 まあ、そんな厄介客の心情はいいとして……


「ようこそ。ここは素材受付です」

「ああ。買い取って欲しいんだ。あーっと……登録はしてないから、それで」

「かしこまりました」

 今度は男の狸の獣人だ。まあ、男というだけである種安心できるな。異性と話すのは少し気恥ずかしい思春期なのだ。俺は。


 背負った袋のひとつ、魔物素材を詰め込んできたものをその場に置く。ドスンと音がした後に、袋の下の部分に素材が溜まっていき、だだっ広く受付を占有してしまった。


 そのとき、周囲からざわめきの声が聞こえてくる。恐らく、量に驚いているのだろう。まあ、買い取ってもらえそうなものを取捨選択してきたので、まだ拠点に余っているが。

 約二週間。己の足を使った旅がここまで辛いとは。ドルドルの町についてしばらくは留まろうという俺の提案に、ことりは大賛成だった。ターニャさんは早く発ちたそうだったが。


 俺が考えたのは、旅の途中で狩った魔物の素材を路銀に変えて、どっかの商人の馬車に乗せてもらう、という計画だ。

 ドルドルの町は、北大陸でも数少ない文化的な町。商売的な意味で近隣の村々などとも交流が多いし、次の目的地でもあるギャルート街とも、もちろん交易しているだろう。


 しかし、流石魔物素材の受付だけあって、広くてよかったな。


「……これ、全てですか?」

「ああ。旅の途中で溜まってしまってな。時間がかかるようなら……」

「いえ。すぐに査定させていただきます」

 ん。どうやらプライドを刺激してしまったようだ。別に挑発的な意味合いじゃなかったんだけどな。時間がかかるようなら他にも用事あるし。買い物とか。


 その狸の職員は、袋を持って奥の扉へと消えていった。一瞬中が見えたが、大きな台の上に、収まりきらないぐらいの象みたいな魔物が乗っていた。なんだあの化け物は。ていうかあの解体部屋めちゃくちゃ広く見えた。ギルドの建物に収まってなくないか?


 そういった疑問を抱きながら時間をつぶしていく。ふと振り返ると、昼間から酒を飲む冒険者たち、掲示板の前に立って悩んだ様子の犬獣人の少年。受付で嬢を口説く奴、それに眉を顰めながら適当に対応する嬢。奥の関係者以外立ち入り禁止のスペースへと消えていく紳士服の奴。


 こうした賑わいの光景は、どのギルドでも変わらないものだな。



 やがて、10分ほど経ったころ。そろそろ酒場で軽食でも食おうかと思った頃、先の受付の男が扉を開けて現れた。


「お待たせしました」

「おう。あ、言ってなかったけど、紙幣じゃなくて貨幣がいいな」

 紙幣、貨幣、両方がドルドルの町では流通している。

 このあたりの街々を治める、獣の国ガルーガ。そのガルーガが発行しているのが紙幣で、近くの街々は紙幣を使った商売が普通だという。


 しかし、それはこの北大陸に住む人々の物で、その紙切れの最終的な価値を決めるのはガルーガなのだ。

 普通に、中央大陸に戻っても、ガルーガの紙幣は使えるだろうが……それにはガルーガと交易しないといけなくなるし、もし仮に明日ガルーガが滅びたとすれば、紙幣はその瞬間に無価値の紙切れになってしまう。


 もちろん、貨幣にすることや、このギルドに登録証明もせずに卸していることから、かなりの税がかかることが予想される。たぶん、半分ぐらい持ってかれるんじゃないかな。


 やがて、そのギルド員は机の引き出しを開けて、貨幣を取り出した。


「では、そのようにして……合計で、銀貨79枚、銅貨82枚です」

「……分かった。ありがとう」

 予想していたよりも低かった。討伐証の部位が欠けていたとかだろうか。

 しかし、ギルドの裁定だしな。俺には相場が分からないし、ギルドは信用されるのが前提の組織。多分、正しい値段なのだろう……


 そう思って、貨幣を受け取ろうとしたときだった。


「――――愚かだな」

「え?」

「ど、ドンドルド様……」


 気づくと、先ほど重役人が入りそうな部屋に入っていった紳士服の人が立っていた。

 人の血が濃いようで、一見したところではよく分からない。瞳が鋭く独特な姿形をしているのを見ると、猛禽類のようだ。その他の口などのパーツはほぼ人間ベースになっている。


「私は今、君たち両方に言っているのだよ」

「……」

「ドンドルド様、何を……おっしゃりたいのか分かりません」

 そういう狸獣人のギルド員。しかし、語尾が震えていた。まるで、白を切るような、そんな雰囲気がした。


 これは……そういうことだろうか。


「ふふ。誤魔化すつもりか? しかし、考えてみるといい。大商会の長がこの場に居る、そのことを。今、君は己の尊厳を守るために必死なようだが……例えばだ。例えば、私が今、君が行ったことを公言して、噂として流したとしよう。たちまちそれは民衆の間に広がり、冒険者たちも疑心を抱くだろう。やがて、人は消え……ギルドの誇りは、その瞬間に地に落ちるだろう」

「あ、あぁ……いや、その……私は」


 紳士服の人物の、圧が増していく。これは、闘気や殺気ではない。もっと墜落しきった……ねちねちとした、社会的な空気を纏った、脅しだ。

 酷く人間的なその人物の圧を受け、狸獣人のギルド員は見る見る小さくなっていく。まるで、とてつもなく大きな化け物に、足で押さえつけられているようだ。


 なおも、その人物は語り続ける。


「ははは。私は実は、獲物が絶望の地へと堕ちるのを見るのが何よりの楽しみでね。酔狂だと言われるが……しかし、今、ギルド員でありながらをしている君と、私のこの趣味……果たしてどちらが酔狂なのだろうか」

「ひ、ひぃぃぃ!! お許しを! どうか、正当な額を払いますので!! それだけは!!」

「ああ、やっぱやってたんだ」

 まあ、可能性としては考えていたが……しかし、ギルド員が本当にこんなことをするとは。


 それを聞いて、その紳士服の人物は言う。


「愚行を正すには、いち早く行動するしかないのだよ。もしくは、恥の上塗りと知りながら、そこの彼を買収するといい。彼に何らかの償いをするならば、私はこの件については口を閉ざそう」

「も、申し訳ありません!! た、たた……正しくは、金貨2枚と銀貨21枚、銅貨82枚です!!」

「あーうんうん。じゃそれで」

「よ、よろしいのですか!?」

「いいよいいよ。面倒だし……えっと、ありがとうございます」

 受付から離れた。

 そして、その人物に振り返って、頭を軽く下げる。


 そして頭の上から聞こえてきたのは、似たような説教の言葉だった。


「聞こえなかったのか? 私は、君にも「愚か」だと言ったのだよ」

「……」

「道理を弁えていながら、あえて愚直に進む。それを美徳と考えているならば、愚かだと言わざるを得ない。いいかね。人と人は、騙し騙され合う。その中に商売があるのだよ。騙されるほうが悪く、損をするだけなのだ。いいかね。この世は、損得で回っているのだ。そこに感情的要素を介入させてはいけないのだよ。騙されているという可能性を考慮していたのならば、行動に移せ。私に手間をとらせるな」

「仰るとおりで……」

「彼がこの馬鹿としか言い様がない行いを一回でも成功させたら、次の被害者が出ていただろう。君は、その成功を作る一手を担っていたということをもっと自覚したほうがいい」

「……」

 そうか。俺は、騙されているならば、仕方ないと考えていた。

 何せ、交渉材料がないし、確証もなかった。白を切られるだけ。他のギルド員を介入させたとして……ギルドは組織だ。仮に本当に騙されていたとして、ギルドが助けるのはただの旅人か、ギルド員か。ギルド員を庇うに決まっている。


 つまり、俺は彼の良心を頼るしかないと考えていた。もう既に、身元不明という時点で、交渉の場にはついていないのだから。詰んでいるのだ。

 しかし、この紳士服の人物は正してしまった。もちろん、一商会長というのも利用していたが、それ以外にも……例えば、ギルド員が不正を行っている、という噂を流すということ。あれはかなり、脅しの材料として使えただろう。


 流石、商会長というだけあって交渉慣れしている。

 それに、この人が言うことは正しい。俺が騙されたままだった場合、このギルド員が甘い蜜の味を知ってしまう。俺以外の人にも被害が及ぶということまで、俺は考えていなかった。


 甘い。甘すぎる。もっと深く考えなければいけないのだろう。


「……そうですね。もっと、考えを改めます」

「ふむ。私に感謝しているか?」

「はい。それはもう……」

「そうかそうか。言っただろう、この世は損得で回っていると。そのもう片方の袋の中身を見せてもらおうか。どれ、私が良い値段で買い取ろう」

「え」

「とりあえず、私の商会に行こうではないか。なに、ここからは近い。すぐに終わる」

「え」

 彼が欲しているもの。それは、ダークエルフの里で取れる特産物の数々。

 この世は損得で回っている。彼が俺を助けたのは、得があると踏んだから。


 ひとつ、分かったことがある。俺は、商売人にはなれないということ。



______



「ふむ……体が暖まる、か。換毛期を控えた貴族たちに受けが良さそうだな」

「……あのー」

「待ちたまえ。君は焦る癖があるようだな。汚点だと自覚したほうがいい」

「あ、はい」

 その人は、目の前で舐め回すように氷解草を見ている。


 ……待てって、どれぐらいだろう。もう日が暮れ始めているんだが。ていうか、この人商会長だろ。こんな俺みたいな下級の民一個人にかかりきりでいいのだろうか。


 まあ、俺が気にしてもしょうがないか……。


 外套は、部屋の入り口のところに掛かっている。壁から飛び出たフックのようなものが部屋の上側に並んでいるのだ。そこに掛けた。


 フードもしていない。里で貰った茶色の麻布のズボンに、白色の……なんて言うんだろう、これ。チュニックかな? それと紺色のダブレットを着ている。プレートアーマー等は今はしていない。


 にしても……座り心地のいい、茶色の革張りソファ。加工されて、日本でも見かけそうな高級感のある木製の机。対面、ドンドルドさんの手元には、里の特産物がまたも革張りのケースに入っている。そして、その机の中央には小さな籠、中にお茶請け。さくさくのクッキーだ。香ばしい焼いた麦の香りが漂う。甘くて美味しい。

 この部屋は、商会の建物の最上階。窓から下界の様子が見える。ていうかこの建物、町の壁とほとんど同じ高さだ。上る階段がやけに多いと思ったらそういうことか。


 部屋の隅にはよく分からん観葉植物みたいなの。他にも床に設置された棚やら、高級そうな時計やら……加えて目立つのが、メイド服を着た二人だろう。


 猫耳。犬耳。どちらも人間としての特徴が濃く、獣らしい部分は耳以外には見受けられない。


『猫獣人』さんは目がきりっとしている銀髪。耳も銀色だ。ショートで、細身。若干薄い顔立ちをしていて、白い瞳が目立つ。全体的に華奢で、吹けば飛びそうな印象を抱くが、同時に手を出したら殺されそうな、内に何かやばいものを秘めていそうな感じがする。まあ、ナーサのほうが可愛いな。


『犬獣人』は茶色の垂れ耳が一番に目立つ。黒い垂れ目で、癒しのオーラを放っている、茶髪。ふわふわのボブスタイルで、なおかつ肉つきが程よい感じで、胸もでかい。いや、俺がこうやって観察しているのは変態だからではなく、単純にドンドルドさんがこうやって特産物を査定みたいなことをしてる間暇なので、眺めていただけだ。


 ……本当に暇だ。そうだ、この籠に入ったクッキー、全部俺が食ってやろう。

 そう思い立ち、次々と薄い紙で包装されたクッキーを手に取る。そして、口に運ぶ。


 そうやってリスのようにさくさくひたすら食っていると、8個ほど食べたところで無くなった。


 ふん。どうだ食ってやったぞ。こういうのって大体、常に残っているイメージがあるからな。


「失礼しますねっ!」


 両脇に控えていたメイド。犬耳のほうが近づいてきて、籠を手に持って隅の棚へと向かった。


 中を開くと、次々と何かを籠に入れていく。


 やがて、机の中央にまた籠が置かれた。中には、先ほどのクッキーの他に、煎餅のようなものも入っていた。


「……ありがとうございます」

「えへへ~」

 そうやって顔を傾けながら、舌を出して笑う。その舌を出す動作が、どことなく犬っぽかった。ていうか客人の前でえへへ~とか言っちゃう辺りがもう。


 しかし、無限か? このお茶請けは。これでは、俺がただの食い意地を張ってる下種な人間に見えてしまうではないか。


「俺はそういうつもりだったんじゃないんですよ」

「え? どういうことですか~?」

「信じてください。俺は、俺は、こんなところで食い意地を張る人間じゃないんです!!」

「え、あ、はい? そうですね?」

 よく分かっていない様子の犬メイドさん。


 暇だな。ちょっとのセクハラぐらい許されるかな。このままの勢いで「結婚してください!!」とか言ったら、この子うっかり「いいですよ!」とか言いそうで。ていうか絶対言う。そして冷静になった後に恥ずかしがるに違いない。


 だがまあ、俺ももう大人だ。そんなセクハラはもうしない。するのはナーサ相手だけだ。まあ、こんな癒しオーラ全開で、嗜虐心をそそられるようなどじっ子感溢れるこだろうが、俺はもうセクハラなんて幼稚なことはできないさ。


「結婚してください」

「あ、はい? いいですよ?」


 しまった。つい口が動いてしまった。


「冗談です」

「ん~? あ、いやいや!! だめですだめです!! いや、やっぱりだめじゃない……? いや、そうでもないです!! だめですよ!!」

 慌てたように両手を振り、一度冷静になって左上を見上げ考えた後、もう一度、赤面しつつ両手を目の前で振る犬メイド。


 なんだこの生き物は。


「そうでもないですか、俺は」

「そうでもないです!!」

「……ぷふっ。そ、そうでもないですか……」

 思わず笑ってしまった。そうでもないです、という言葉がゲシュタルト崩壊しそうだ。


 しかし、俺が魅力的に見えない、という意味の「そうでもないです」なのか、いえいえ、お客様は魅力的です! みたいなお世辞の「そうでもないです」なのか。


 まあもちろん後者なのだろうが。社交辞令みたいなもんだしな。しかし、面白そうなので前者の意味で受け取ってみよう。


「……やっぱ、そうですよね……俺ってかっこ悪いし、小汚いし、人間だし……なんか、俺って生きてる価値、ないんじゃないかな……うぅっ」

「お、お客様! 違いますよ!! 貴方はかっこいい! きれい!! 人間サイコー!! ね、そうだよね、ネイ!?」

「私に振らないでください。貴方が泣かせたのでしょう、ヌコ」

 銀髪の猫メイド、ネイさんって言うのか。その人は冷たく言い放つ。しかし、口角が上がっているあたり、俺の子芝居に気づいていて、この犬メイドの慌てた様子ににやけているらしい。


 ていうか、一瞬目が合った。その瞬間、彼女は手を口に当てて若干噴いた。


 そのまま、顔を下に向け、右腕で顔を隠し、声を震わせる。


「う、うぅ……俺は、い、いき、生きてちゃいけない、に……えぐっ、人間なんですぅ~」

「え~!? な、泣かないでください……ほ、ほら! クッキーですよ!!」


 なにがクッキーじゃ。


「いや、お腹いっぱいなんで……お土産として持っていっていいですか?」


 ことりとターニャさんが喜びそうだしな。


「あ、いいですよ……ってええ!? 泣いてないじゃないですか!!」

「すみません。面白くってつい……」

「ひ、ひどいですよ!」

「どうしたら許してもらえますか。首を切りますか? 腹を切りますか? それとも今すぐ舌を噛み千切りますか。それぐらいじゃないと、許してもらえないですよね……」

「い、いやいや! お客様にそんなことできませんよ! やめてください、生きてください! お願いします!」


 お願いしますは笑わせに来てるだろ。ヌコよ。


「結婚してください」

「そうですね! 結婚して共に生きましょう……って違いますよ!! またですか!!」

「あはは。後このくだり5回ぐらいやりましょう」

「嫌です! 私、お客様のこと嫌いになりました!!」

 そうして、ヌコはツーンと顔を反らしてしまった。

 悲しいかな。しかしそんな彼女も可愛い。弄りがいがある奴はいいなぁ。


 そのとき、控えていたネイさんが言う。


「ヌコ。お客様の前ですよ。貴方今、なんて言いましたか?」

「うっ……だ、だってぇ……」

「だってじゃありません。失礼でしょう。今すぐに謝罪なさい」

「うぅ……」

 すると、反らしていた顔を戻して、俺を見るヌコさん。


 続けて、ネイさんとの輪唱が始まる。


「ごめんなさい、お客様」

「ご、ごめんなさいお客様」

「お許しくださいませ」

「お許しくださいませ……」

「大好きです、結婚してください」

「大好きです、結婚してください!!」


 そうして、彼女は片手を前に出して頭を下げた。

 これで返事をしないなんて、男が廃る。俺は立ち上がり、その手を握った。


「もちろんです。是非結婚しましょう」

「はい! よろしくお願いします……ってちが~う!!」

 俺と繋いだ手を払って、頭を振るヌコさん。垂れた耳が揺れている。

 それを見て、ネイさんと笑い合う。


「ふふっ。ヌコは可愛いでしょう、お客様」

「そうですね。以前に仕事で相手をした子供たちのことを思い出します」

「私は子供と同じ程度なんですかっ!?」


 そうして、メイドたちとやり取りをしているときだ。


「――――うむ。なるほどなるほど。ラード様、こちらの商品、全部で銀貨50枚で買い取りましょう」


 ドンドルドさんが改まった口調で言う。目つきは、商売人。


「いいですよ、それで」

 しかし、俺は付き合わなかった。

 この人には、この状況には、これが効くだろう。


「……ふふふ。面白いな。それも脅しか?」

「ええ。まあ別に……俺としては、それらが銀貨50枚で売れても、別にいいんで」

「はははっ! では、私が求めていることを理解しているのだな」

「はい。里とのコンタクトを取る役割を、俺にして欲しいんですよね?」

「やはり、道理を弁えていて、知恵は回るな。商人として生きてはどうかね」

「俺には向いてないですね」


 ここに並ぶ特産物は、確かに里周辺でしか取れない貴重品だ。

 年に一度、流通するか否か。里の者たちが物資を補給するために山から下りたときしか、チャンスのない代物。


 しかし、量はない。この取引一回で、済んでしまう、その程度。

 実際問題、これらが流通している前提で言うならば、銀貨50枚はむしろ多すぎるぐらいだ。


 だが、流通は一切していない。


 香辛料として使えそうなもの、料理油として使えそうなもの、調味料、美容油、これらの利用方法は多岐に渡るだろう。しかし、量がなければ、継続的に補給ができなければ、それは一回こっきりの限定品。商売にはならない。


 だから彼は、この商会と里を俺に繋いで欲しいのだろう。だが、その分の報酬が、まさか銀貨50枚のはずはない。


 これら野菜や果実は、恐らく加工して商品化した場合、一線を画す代物となるだろう。嗅いだことのないミントの香りの油や、甘い香りを放つ果実は、気になるあの子を射止めるために服から装飾品、そして髪の香りを武装する世の女性たちの心強い味方になるだろう。


 こんな一個人の俺でさえ、利用方法が思いつく。しかも、貴族向けの道具が。そこで生まれる利益は、金貨100枚を優に超え、エリメル教が保証する金貨の上の貨幣、聖金貨すらもお目にかかれるほどだ。


 職人の手に渡れば、もっともっとアイデアは湧くだろう。


 しかし、俺は銀貨50枚で良いと言った。つまり……


「脅しているのか……はたまた、架け橋となるつもりはない、か」

「まあ……どっちでもいいってのが本音ですけどね。里の……彼らの暮らしが豊かになるならば、それでいい気もしますけど。でも、彼らはそういった社会的しがらみを嫌うと思うんです。僕自身が勝手に決めていいものでもないかと」

「ふむ。里の仲間はいないのか? その者に一回聞いてみてくれないかね」

 あ、なるほど。ターニャさんがいるじゃないか。

 もちろん、長老のヨバさんとか抜きで、ターニャさんの一存で決められるようなことではないだろうけど、「里に住む人」としての意見が聞ける。こういった商会の介入の是非を。


「いますね。聞いてみますか」

「そうしてくれたまえ。後、これら以外にもないのかね? 特産物は」

「あー……ありますね」

 雪茸とか……雪の下とかの極低温の環境でしか生えないきのこ。傘が分厚くて、若干硬いぐらいしか特徴がないが。料理に使えるか。


「そうか。では、後日、また会おう。そのときまでに、その者の意見を聞いておいてくれ。もし了承いただけるのならば、正式な報酬を払おう」

「……いや、やっぱ俺が貰うのも忍びないですし、その報酬金は里の方に払ってくださいよ」

「……まあいい。何はともあれ、一度君は帰りたまえ。そうだな……明後日はどうだ?」

「ドンドルド様。明後日はお昼からデンリャル様との会食でございます」

 ネイさんが言う。予定あるならだめじゃないか。ていうか、この人、休みなさそう。


「後回しで良い。2時間予定を回せ」

「かしこまりました」

「うぇ……」

「? どうした」

「いえ、お偉いさんの予定を奪うと吐き気を催すんですよ。俺」

 この状況がもう無理。拒否反応びんびんだぜ。


「私の中で優先順位をつけただけだ。気にすることはない。さ、ヌコ。ラード様を出入り口までご案内しろ」

「かしこまり~!」

「口調」

「かしこまりましたッ!!」

 軍人のような敬礼をした後、外套を持って扉を開けて待つヌコ。

 なんか、ヌコもドンドルドさんも、どっちも大変そうだな。その中一人冷静に仕事をこなし、ヌコを弄び……スマートに生きているネイさん。流石だぜ。


「では」

「うむ……これらはとりあえず、預かっておくぞ?」

「はい。後日、他の物も持ってきます」

「楽しみに待っていよう」

 立ち上がり一礼して、扉に向かう。

 ネイさんも頭を下げてきたので、反射的に頭を下げる。


 そして、扉を開けて俺の外套を持ち、外で待機しているヌコが言う。


「お客様、こちらです!」

「ありがと、ヌコ」

「呼び捨て!?」


 こうして、ドンドルド商会長と俺は出会った。


 その後、拠点に帰ってお茶請けに使われていたお菓子を振舞うと、ことりとターニャさん二人とも、モスキート音のようなものを出していた。ほっぺが落ちるようだった。



______



「……中々に衝撃的だったな……」

「む? 何がだ」

「いえ、なんでもないです。見えてきましたね」

「ああ。楽しみだ」


 目の前、見上げるような塔にも見える建物を見ていた。


 ドンドルド商会。二度目の訪問だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る